泡雪の日記

泡雪の日記

2004年09月11日
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私が、先生の名前を記憶したのは、小学生の頃。


議題はいつも、母親の目から見た世間談が中心になる。
その中で、石原慎太郎なる人物観が印象に残っている。

母曰く。
慎太郎なる人物は、世に「太陽族なる者」達を認知させ。
この一本の作品で、世渡りをしている。
大変「嫌世的で、尚且つ右翼。」


私にとって、「我が母なる者の人物像」は、大変偏見に満ちた物の見方をする人。


私は、この母親の、「転ばぬ先の杖」に守られて、「劣等感」を知らずに育った。

私に最近まで理解できない感情
「嫉妬」という言葉。

まだ、この世の空気を何もせらない私にとって、「慎太郎」なる人物は大変魅力に満ちた人だった。

そして、作品を読んだ事が無かった。
が、意味も無く好きだった。
理由は簡単。

私の独断と偏見に満ちた「男性の顔の好み」の1つに入っていた。

私にの世の不思議の1つとして、俳優で有った弟君「裕次郎」成る人物より、はるかにハンサムな「慎太郎」先生が役者に成らなかった事。

子供の視点は大人の考える目を違った価値観で世の中を見ている。
視覚的な「好悪」である。


には、未だ知らない、世の中の用語に「解くべき人生用語。」に満ち満ちていた。

「右翼と左翼」

私は、子供ながらに思った。
≪両方揃えば空を飛べるのに≫、どうして喧嘩するの?

この「慎太郎」先生。


芥川龍之介と慎太郎が重ならなかった。

文学にもとより、興味の持たなかった私は「芥川賞」の持つ意味も知らず、「太陽と芸術」の関連において、

ジェームス・ディーンの主演の「太陽がいっぱい。」
ジェームスディーンも若くして死んでいる。

都知事になられた、後。
テレビドラマで・慎太郎さんの作品をみた。
「太陽がいっぱいの映画が重なった。」

私は芸術成る物を崇拝した事は無かった。

私が絵描きに憧れたのは、「芸術を求めたからではない。」
私はカネガネ、目に映る。自分の目に見えるものに疑問を持っていたことだ。

それは、中学の理科の時間こうした事実を知ったから。
目に映るものは、目が光なる情報を頭が分析して、「物が見える。」
生まれながらの盲目の人が、人間として意識を持った後に、
手術によって、目が見え始めると、暫くの間、光の情報分析が出来なくて、世の中が光の渦に見える。

つまり、こういうことだ。
コップという形を目が認識している自分と他人では違った形に見えているかもしれない。

見える見えないについて考えると、写真は意味を持たなかった。
写真は、機械的認識。
脳の処理を経て居ない。

そんな事を漠然と思って居たある時、渋谷の西部百貨店で、モネの絵にであう。

「嬉しかった。」
私にも風景がそう見える。

特に、「朝日の中の麦だわら・夕日の中の麦だわら」

是は私に孤独から抜け出すヒントをくれた。

私が、本を読まない決心をしたのは。
夜明けまで、受験勉強をしていた、小学生の頃。

明けていく、空に有る重大な事を気がついた。

その日まで、私は学校の課題で、「夜の花火」を書くとき、黒のクレヨンを使っていた。

明け行く「夜の漆黒」は黒い色ではない事に気がついた。
計り知れない、「深い藍色」。

その日私が発見したのは、夜明けの色の移り変わり。
ピンク・黄色・青に移り変わる、そらのい色の線で引いたかの時間の移り変わり。

濃紺の空が明るい空の色に変わるとき、別のピンク黄色等の
そらの水色以外の空の色を持つ事。

そして考えた、どうして、夜空を「黒だと思い込んだのか。」

それは、「文字なるものを読んでいたから。」
その朝顔を洗いながら心を躍らせながら思った。

≪子供だと赦される、時間の間に、出来るだけ現実を体験しよう。≫

わたしが、「慎太郎さんを好み」に思い、尚且つ文学に目覚めなかったのは、色んな偶然に拠る。

何よりも、中学生の時にふと日記を付け始めたとき、日記を学習塾に忘れて、「文章が素晴らしいという塾の講師の判断により、」他人の前で読み上げられた事実。

文章なるものに自分を書いたら、「恥をかく事」になる。

何が恥か、それは「包み隠さない、自分をさらけ出す事。」
「私自身を知られる事が恥ずかしい。」

これは、何よりも恐ろしい事になった。
それ以後、わたしは、「自分の思った事」を親以外に話したことは無かった。

考えた事を書くことは別に恥ずかしくなかった。
「感じる事、と考えた事、は別である事を知っていた。

考える事、これは、「世とのすり合わせ」
感じる事。「自分自身の個人的な感覚」

これらは、全て、私の子供時代の文章に対する考えです。


そして、慎太郎様。
私がなにより、嬉しかったのは、
「慎太郎様の絵の個展」を見たとき。

テーマは ≪ケーオス≫

日本語に訳すと ≪混沌≫

子供に、この≪混沌≫という言葉を理解させるのは、難しい。
少なくとも、22歳の私は、「ケーオス」なる、言葉に悩んだ。
英語の単語の学習にストップを掛けてしまった言葉。

わたしは、慎太郎さんの作品の中に、2・3時間身を置いた。

貴方の作品をプロモートしたした画商の陶酔した、「慎太郎
様への信仰。」の思い。

作品の良し悪し、ケーオス成る物を理解してもおらず、
お付き合いで、作品を買う人たちの、正直な気持ち。

作品を見ながら、私はイザナギ・イザナミを感じ始めた。
そして、絵の中に、「因幡の白兎」と発見した時。

「ローシャッハの心理テスト」を思い出した。

そして、その絵の中に、「国粋なる精神」、「右翼」なる言葉で評価される「カテゴリーの言葉」に含まれる、感覚を理解した。

お付き合いで買い求められた方。

一枚、「300万位」と値ぶみした、「価格が安いか高いか、」私は、世の基準を知らないが。

私には、これほど優れた、「神社のお札」を見たことが無いと思った。

眺める内に、「貴方の潜在意識」に働く作品。
と私は、評価した。

私が中国に絵の勉強に行く、直前の事。

慎太郎様が母親を亡くされた年、私も母とお別れしました。

慎太郎さんが苦手と思う中国の空の下から。

慎太郎さんのご自宅に「クリスマス・カード」を送った。
神道では、「年賀状を交換しない年。」

慎太郎様に「愛の神の祝福」を送った。
慎太郎様の住所を知っていたのは、職場で知りえた個人的な情報を使った。≪申し訳ない≫。

その「カード」は届いただろうか?

母親を亡くした寂しさに慰めに成っただろうか?
喪中に喪を汚すと思わないで居てくれただろうか?
「明けまして・メリークリスマス」

同時期に「母親を亡くした悲しみ」が、私にカードを送らせた。

何もしなければ、常識・非常識を測られることは無い。
が、非常識を犯しても、慎太郎様に慰めの言葉を掛けたかった。
「貴方の母親を失った悲しみ」と私の悲しみ種類は違っても、≪寂しくなる。≫と言う現実は変わらないと思った。

今でも思う、あれは、失礼に当らなかっただろうか?
そして、「異国からのカード」は手元に届いただろうか?
昨日、テレビで貴方の顔を見た。

人生の違う舞台に立ちながら。

共通項は。

≪レッツ・プレイ・テニス≫
ですよね。

訂正とお詫び。

私の記憶の弱点は、名詞を覚えられない。

私は、ジェームスディーン成る役者が嫌い。
嫌いのカテゴリーでこうした間違いを犯したようだ。

嫌いでない役者。
アラン・ドロン

「太陽がいっぱい」の役者はアラン・ドロンだったかもしれない。そうでなければ、犯罪が未完成に終わったこの話に、同情を感じなかっただろう。

この話に
死を印象つけたのは、役の中の「アラン・ドロン。」
主役の名前は覚えて居ない。
恵まれた育ち故に殺される。
人物。

成り代わろうとした、主役。

「アラン・ドロン」には、老け行く「美しい顔の役者」の職業に哀れみを感じたに過ぎない。
若いときの美しさに勝る、年のとり方は難しい。





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最終更新日  2004年09月11日 17時46分24秒
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