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2週間前の出来事!ドイツ人観光客(私のドイツ人の友人の友人)2人から、 「東京で会いましょう!」ってメールが来た。 ・・・って言っても、お互い面識がない。 彼等は携帯も無い模様。 はて、どうやって会えばいいのだろうか。 不安が募る。 私のドイツ語力で説明が出来て、確実に相手が分かる 場所・・・。う~む。 悩んだ挙句、定番「ハチ公」になった。 しかし、あそこの前ってば、いつでも大量の人混み。 しかも外国人多発地帯。 本当に大丈夫なのだろうか?? とりあえず、彼等にしたメールを訳すと・・・ 「ハチ公(犬の銅像)の鼻の真ん前で、少なくとも30分は私を待つこと。私の髪は黒くて、長くて、パーマかけている。 それでも私が来なければ、近くに公衆電話があるから、 100円以上入れて私の携帯に電話してくれ。」 http://de.wikipedia.org/wiki/Bahnhof_Shibuya_(Tokio) ↑ハチ公ドイツ語説明! そしたら、返事が来た。 「僕は茶髪、友人は金髪、僕らは175センチと180センチの身長で、友人は痩せ型だけど、僕はそんなでもない。最悪な場合、電話します」 これで果たして大丈夫なのだろうか?? そして、1週間後。不安とは裏腹に・・・ドイツ人2人組とハチ公前に約束通り無事に集合。 ↓ センター街をうろつき、プリクラ撮影。 今って、写真の上に絵を描けるんですね。私も知らなかった。 ラブラブファンシーなイラスト付けて、彼等も大喜び! ↓ お次はゲーセンにて、和太鼓叩く。 「ミッキーマウスマーチ」に合わせて、デカイがたいに不釣合いなノリノリ可愛い彼等! ↓ そして、ユニークな居酒屋「だいぶつころころ」にて和食を。ドデーンっとある大仏といい、コロコロ座っている大仏といい、面白い。 ココ、かなりの満足感あるスポットかも。大当たり! 何故だか、接待されてしまう!(嬉) ・・・という訳で、典型的な若者文化を満喫!! 今、ユーロがとても弱いので、ドイツ人にとっても日本はそんなに高く感じないそうで、ケチで有名なドイツ人のイメージからは掛け離れた楽しい日本観光をしていたようです。 東京は、ロンドン、ニューヨーク、パリよりもずっとずっと物があって、面白い、美味しい、最高!!っと言ってました。 日本人は、とっても親切で、電車も分かり易く、そんなに困ることもなかったそう。 ただ、看板の日本語が読めないと、居酒屋、レストラン、バー、スナック、キャバレーのような違いが分からず、飲食店に入るのには勇気が必要で、大変だったとか。 だから最後の晩の「だいぶつころころ」感激度アップ。 私も、いいセッティングできたなぁって自己満足♪ それにしても、彼等の休暇は長い事! 通常でも3週間まとめて取るんだそうで・・・。いいなぁ~。 来年は駆け足旅行でなく、東京だけで2週間という旅の計画をしたいと、早くも意気込んでいた。 羨ましい!! そして、そんなに仕事しないのに、稼げるのは何故? 謎多し、ドイツ人。 そうそう、彼等のお土産に、英語と日本語両方で書いてある「英語で歩くTOKYO―Walking around東京」 JTBパブリッシングという本を買って行ったのですが、、、、とってもとってもいい本でした。 最近の日本の流行が分かり、コギャル用語の単語帳やアキバ系の説明まで載っていて、ついでに「萌え」まで入っていて、そんなに大袈裟に書いてあるわけでもなく、 2年後位には古くさい本になるかもしれませんが、 日本人が英語で日本を紹介するのにも、なかなかいい本かと思います。
September 30, 2005
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☆大人のピアノレッスンで使用する教材 レベルは様々ですが、皆さんにお好きなレパートリーと、 そして、必須で、ハノンを弾いて頂いてます。 ハノンは、使い方次第で有効です。 譜読みに時間をかける必要がないですし、私はとてもいいと思ってます。 ハノン最初のトレーニングとスケール・アルペジオを 平行して進めています。 スケールは、ハ長調を暗譜するまでやって、 次からは指の番号の同じもの順に進めると楽です。ピアノを大人から始める場合、または、ブランクがあっての再開、筋肉は固くなっています。また間違わずに上手に弾こうと意識すればするほど脱力する事ができなくなります。どんなプロのスポーツ選手でも運動する前にストレッチやウォームアップ、筋力トレーニングをするのと同様で、ピアノ練習開始前にも必要不可欠な事です。毎日の少しづつが将来的に大いに効果を発揮します。長く生涯学習として続けられるようになるためにも身体の使い方には気を付け無理なく進めます。様々な技巧や音楽に、演奏スタイルに柔軟に対応できる手や身体を作る為には、美しい音を出せるようにする為には・・・姿勢を正しく (アルペジオを弾いた時に低音域でも高音域でも 一番楽に弾ける位置まで鍵盤からイスを離し、 イスの高さもご自分の合う位置に調節して、 猫背にならないように、反り過ぎないように)脱力して (肩は上がらないように、肘や手首が張り過ぎないように)指はしっかりと (特に小指の第一関節は立つように、親指は寝かして 外側に突っ張らないように)呼吸は怠らず (歌と同じです)より良い響きを求めて (音を耳で良く聴く事です)無理のないテンポから練習する事です。ただし、スローテンポでも拍子を感じて、跳躍や指くぐりは速いテンポ時をイメージして、準備を早くするように心掛けます。お好きなレパートリーは、ご自分の負担のないレベルのものを選んでもいいですし、ちょっと背伸びをした曲を長い時間掛けて仕上げてもいいかと思います。クラシックは、できるだけオリジナルのものを。良い作曲家が、その曲に合った調性、和声を選んだものに編曲して手を加えたものですと、その曲の良さが台無しになってしまう事があります。レッスンでは、なるべくオリジナルで、弾けるものを選ぶべきだと思います。ポップスやスクリーンミュージックなどの曲は、その多くは、もともとピアノの為に作曲されたものではなく、 オーケストラ等、複数の楽器で演奏しているものを、ピアノ用に編曲されています。編曲によっては、難しかったり、楽譜にするとリズムが難しく書かれてしまっていたりと問題点がでてきます。同じ曲でも色々に編曲された楽譜がありますので、上手に楽譜を選択するがコツです。○「おとなのハノン」~指の動きをよくするピアノ・トレーニング・ブック~ (大岩佳子 ドレミ楽譜出版社) 以前にピアノの経験の全くない人にはお勧めですが、 昔やったことのある人には物足りないかもしれません。 そういう人には標準のハノンのを使います。 ○「大人のための ピアノ悠々塾」入門編(ヤマハミュージックメディア) 全くの初心者にいい教材(レベル別)、コメントや練習方法が詳しく述べられています 。○「おとなのためのピアノ名曲選」(ドレミ楽譜出版社) クラシックを希望する人にいい名曲集、ピアノオリジナル曲のみ収録。 ○「おとなのためのピアノ伴奏法」(橋本晃一/編著 ドレミ楽譜出版) ○「ピアニストのためのコード・フォーム完全マスター」(橋本晃一/編著 ドレミ楽譜出版) ○「ピアノ学習・作曲編曲に役立つコード進行の基礎知識 課題と解答付」(橋本晃一/編著 ドレミ楽譜出版) クラシック以外の曲を弾きたい方が、コード譜を読めるようにしたり、弾き語りを練習したり、伴奏付けをしたりするのを学ぶのにいい伴奏入門
September 29, 2005
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☆ピアノレッスン副教材(ソルフェージュ・ワークブック・楽典・聴音)○「ふよみなんてへっちゃら」1・2巻 大譜表バッチリカード付き (岡井奈美子 共同音楽出版社)この教材は、音符が読めない子にかなりお勧めです。 ♪みそしるれもんふらんすぱん♪って言って音が読めるようになっちゃいます。 ○「ドレミとあそぼ!」ト音記号編・ヘ音記号編(音のアトリエ沙樹) ドレミとあそぼ![とおんきごう編]ドレミとあそぼ![へおんきごう編]おんぷシール・カードつき で、幼稚園年少くらいまでのお子さんに最適○「すてきなソルフェージュ」 1・2・3・4(成田音楽研究所)すてきなソルフェージュ(1) 成田剛 著すてきなソルフェージュ(2) 成田剛 著 初心者用、リズム叩き、短い旋律の視唱、音読みの練習に最適 ○「週に一度のおんがくワーク」上巻・下巻 (ドレミ楽譜出版社)聴音・ソルフェージュ・楽典が同時に学べます。(小学生以上対象) ○「音感を育てるソルフェージュ」1巻・2巻 (デプロ出版) 「けんばんでソルフェージュ」 エレクトーン/ピアノプレグレード・ 10級」(柘植由里子 ヤマハミュージックメディア)音感教育、ハーモニー感を養うのに最適(コードも覚えれます) ○「ミッキーといっしょ はじめての楽典ブック」 「ミッキーといっしょ はじめての楽典ワークブック」(ヤマハミュージックメディア)子どもにも分かりやすい楽典の説明です。ワークブックと併用すればさらに効率がいいです。○「ポケット楽典」(大角欣矢/著 音楽之友社)楽典の本、コンパクトながら、内容は充実。いつもカバンに入れておけます○「音大受験生のためのパーフェクト楽典・問題集」(音大進学ゼミナール 著 ドレミ楽譜出版社 音大受験に必須問題集
September 28, 2005
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私が留学していた時に弾いたピアノさんたちのお話です。 留学し始めた最初の街、マンハイムでは、初めWGと呼ばれるキッチンとお風呂を4人の住居人でシェアするアパートに住んだ。語学学校に通いながら、音大受験準備する毎日! 学生という立場でない私にとって練習場所確保は頭を悩ませることであった。 仕方なく、ヤマハの電子ピアノをレンタル。 でも、これではイケない。 そして、マンハイムの音大の練習室専用建物(おそらく音大所有物なのだが。廃墟化した建物で、各練習室に腐りそうなボロピアノが置いてあった)に通うようになった。 もちろん、学生でないので、潜入! それにしても、ここの練習室は、全ての音が隣近所の各練習室にまる聞こえ。 騒音でとても練習する環境ではなかったのだが、負けじと自分も騒音を撒き散らしていた。 そして、半年後、ついにピアノの置けるアパートで独り暮らしを始めた。 と言っても何かとお金の掛かる浪人生の身だったので、手狭な部屋には、アップライトピアノしか入らなかった。 でも、新品同様。 ずっと良かった!っと思えたのも束の間。 ある日から、練習し始めると、物凄い音で、私の部屋の壁をドンドンと叩く音が。。。 恐怖との闘いだった。ちゃんと、休息時間は守ってるのに。 また思うように練習のできない日々が続く。 晴れて、ワイマールへ学生として引越し! 学生になれれば、自由に学校のピアノを使えるようになる! まずは、寮に落ち着いた。 寮に練習室があるよっと聞いたので期待して行ってみた。 期待は大きく裏切られた。 全室ぽんこつアップライトピアノ。 とても演奏できるようなピアノではなかった。 よくよく考えれば、ピアノ科以外の学生達はのびのびとこんな部屋でも練習できていた。 羨ましいとつくづく思った。仕方ない、ピアニストの宿命だ。 やっぱり面倒でも学校へ。 前にも書いたように入学時には、本校舎は改修工事となり、 ピアノ科の学生達は、部屋数乏しい、小さなアルテンブルクかまたは、街各所に点在する音大の建物を利用するほかなかった。 当時学校の部屋は、カギや受付がなく、練習室取りは早い者勝ちだった。 ロシア人はすごい。どんなに凍りつくような寒い日でも早起きして練習室をゲットしに行く。 空き部屋ない時は、山の上の宮殿にある声楽科校舎まで自転車を走らせる。 負けてたまるかぁ~っと思うのだが、睡魔に勝てない。 私はよく穴場の管楽器科校舎にある練習室の地下の狭い部屋にぎりぎり入っていた大きなブリュートナーのグランドを弾きに行っていた。 ピアニストの出入りが少ないだけあって、古い割りには、そこそこ良いピアノだった。しかし、大音響! 自分の音に耳が疲れる事が多かった。 ピアノレッスン室にはもちろんスタインウエイが並んでいた。 各教授に一部屋の専用のレッスン室がある。 2台ともスタインウエイの部屋もあったが、たいていはカギが掛けられてあった。 部屋取り合戦があまりにも盛んになって来た頃、各門下生達の間でルールが出来た。 門下同士で話し合い練習時間を分け合う。 これで、週のうち少しの時間はいいピアノでの練習可能となった。 あとの部屋のピアノというと、それはそれは、見た事ない聞いた事ないピアノメーカーのオンパレード。 日本の音大のそのほとんどが、ヤマハ、カワイ。 そして、日本のホールのほとんどが、スタインウエイ、ベーゼンドルファー。 これ以外のピアノに触れる機会はそう滅多にあるものでもない。 しかし、ドイツのしかも、旧東ドイツの音大は違った。 私の覚えている限りのメーカーを並べてみた。 アウグスト・フォルスターシュタインベルク グロトリアンペトロフ シンメルベヒシュタイン ブリュートナーシュタインウェイ ファツィオリベーゼンドルファーイバッハ「あなた、一体何歳よ?」っと聞きたくなるピアノさん。 「お~い、鍵盤くん戻って来て下さいな~」って声を掛けたくなるピアノさん。 「音よ~♪止まれ!」ってお呪いしたくなるピアノさん。 しまいには、蓋を開けてビックリ。鍵盤がないピアノさん。 ヨーロッパの空気はちがう。そして、石の塊でできた校舎。 本当に良く響く。 そんな中で、本当に色々なピアノさんを弾く機会に恵まれ、いや、与えられ、(笑) 指はもう鈍感。なんでもOK状態! だんだん、これって素晴らしい事だと考えるようになった。 本番にどんなピアノにブチ当たってもウロたえない。 この頃ばかりは、そうだった。 (残念ながら今は違う。もうとっても繊細な手に戻ってしまった。) そして、念願のグランドピアノの置ける独り暮らしが始まった。 Schubert通り・・・住所も音楽的だったが、 戦前からある建物を改修した、とても大きなバスルームのある、そして、とても快適な対面キッチンの付いた部屋のステキなアパートだった。 我が家にやって来たピアノさん。これまたステキなピアノだった。 街に唯一あるピアノ屋さんにレンタルお願いしたら、ちょうどオーバーホールしたてのピアノがあるよ!っと言われた。 いくらか聞いたら、マンハイムでアップライト借りていた時のと変わらない値段だった。 ベヒシュタイン、60歳くらいだった。 骨董のような、その外見。でも、中身は新品に取り替え済み。 憧れのネコ足! 大好きな艶消し! 透かし彫りの譜面台! そしてなんと言っても象牙の鍵盤! ペダル2本、そして、鍵盤こそ軽かったのだが、 その古いピアノから出る音は素晴らしかった!! 手放すのがとってもとっても寂しかったのだが、ピアノ屋さん、売りたくないっと一言。 本当は日本に運んできたい位の安く買わせて貰えるものだった。 そうそう、ピアノ屋さんにピアノを返すときの事! 普通、日本だったら2、3人位のピアノ運送会社の方々が運ぶような気がしたのだが、、、 ドイツ、なんと、巨大な、大男が5、6人でドカドカと絨毯のマイルームに靴のまま上がって来て、運んでいった。 私の家は3階だったのだが、この人数とその大きな巨体に驚いた。しかも、手際がいいのか悪いのか? 最後にピアノの下に敷く小さな丸い足置き3個だけを抱えて持って帰った大男がいた。 驚いて、笑えた一コマだった。 その様子のワイマール、ピアノ運送会社画像発見!(爆) でも、↓大男ここには総勢4人。 いや、きっと、足置き持ってる人が後ろに別にいるハズだ。そしてもう一つ、私は、ワイマールの音大でピアノにまつわる珍事件を起こしてしまった。 ある日、指揮科の校舎で練習してた時の事。 暑かったからか(クーラーはない)、寒い日に効き過ぎた暖房の空気の入れ替えをしていたのか、窓を開けて練習に励んでいた。 トントントン・・・警備の人がやって来た。 「窓を開けて練習するんじゃない!」剣幕で怒られた、同時に、名前を言わされた。 よく見ると、窓には、「この建物は近隣住民より騒音問題が起きているので必ず閉めておくこと・・・」と書いてあった。 しまった、読んでなかった。 それから数日後のことだった。ポストに一枚の手紙が! な、なんと、「あなたは本校を退学処分するに値する」??????? もう、大慌て!ドイツ人の友達に手紙読んで貰って、ピアノの担当教授に謝りに言って、でも、みんな私を同情してくれた。 どうして、こんな事になったのか、今でも分からない。 結局、周りの力と“始末書”で、退学せずに済んだ。 この退学処分通知文、今でも取ってある。 ・・・というわけで、長文になったが、最後に。 世界中のピアノを触れる素晴らしいイベントが 毎春ドイツではあります。 その規模はただものではありません。 私も一日、弾きまくって来ました。 是非、一度訪れてみては。 フランクフルト ムジークメッセ (楽器見本市)
September 27, 2005
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私の居住地にある第二の故郷、ワイマールについて、書きたいと思います。 ワイマールは、旧東ドイツで、地理的には、ドイツのちょうど中央に位置します。フランクフルト、ベルリン、ドレスデンのどこからでも3時間ほどのところです。近く?には、エアフルト、イエナ、ライプチッヒっと言った都市があります。 ワイマールっていうと、日本人には、1919年に制定された民主的憲法「ワイマール憲法」で馴染み深い所です。 けれども、ワイマールは、文豪ゲーテやシラー、画家クラーナッハ、そして、作曲家のリストやバッハ等ゆかりの地であり、また、バウハウス理論発祥の地でもあり、 人口6万人の小さな街にして、その内容は凝縮され、 大変、文化的多い、見所多い魅力的なステキな街です。 街の中央にはイルム川が流れ、ゲーテの可愛らしい山荘が建つ、大きなゲーテ公園があります。 旧市街は、ぐるっと歩いても簡単にまわれるくらいの大きさです。 ただ、私の住んだ寮やワイマール駅は、旧市街からハズれた位置にあったので、そうすると、バスに乗る方が良いといった具合でした。 私の住んでいた当時、ワイマールは、欧州文化都市に指定され、様々なイベントが開かれ、また、それに伴い、旧東ドイツ時代を経て残っていた遺産、賜物、残骸の修復、復興が進められ、綺麗に生まれ変わった観光都市に発展しました。 私はリストゆかりの音楽大学に留学しました。 リストと言えば生まれはハンガリーであり、ハンガリーにも 有名な音楽院があるのですが、宮廷楽師長として、また、死を迎えた街でもあるワイマールにも、彼が教育の場をと提供した音楽大学があるのです。 私の留学したタイミングは、面白くて、入学試験は、改築前の本校舎であり、街のド真ん中にある、観光スポットに面した校舎で、素晴らしい外観とは裏腹に、今考えると、アスベストの塊ではなかったと思うようなオンボロな内部でした。 しかし、そこにあった、4本ペダルのグランドピアノ(ファチオリというリスト弾きのラザール・ベルマン教授愛好のイタリアのブランドで、世界一を誇る長いピアノでした)を気分良く弾かせて頂き、無事に合格いたしました。 入学した年に、そのオンボロ校舎は、改築大工事となり、ピアノ科の仮校舎は、リストがカロリーネ公爵夫人と不倫関係にあった当時にひっそりと暮らしていたアルテンブルクという宮殿でした。そこで、リストは、彼の傑作ソナタhmollを作曲したそうです。 そして、私が卒業する頃には、本校舎の改築工事が終わり、 ピアノ科や弦楽器科の生徒達は、新しい校舎へと引っ越しました。そこには、あの、ファチオリを置くのに相応しい、大きな大変よく響くホールも付属されました。 でも、ドイツの改築技術のお見事なこと!外観は、ほぼ改修前と同じ状態。歴史的遺産の趣はちゃんと残されていました。 ワイマールには、音楽大学以外に、バウハウス大学という主に建築や映像関係を学ぶ大学がありました。 どちらもの学生でも共通に出入り可能な学食があり、お昼休みは皆そこでくつろぎ、交流の場としていました。 私の住んでいた頃は、日本人も含めたアジア人はとても少なく、どちらかというと、旧ソ連からやって来た学生が多く在籍していました。色々な国の言葉がいつも飛び交っていました。 慣れない外国人を相手に、役所のvisa申請にいるおばさんや学校の手続きする事務所のおばさんは、いつもイライラ手こずっていました。でも、そんな、おばさん達も、外国人留学生の為に時折、パーティー(中身はほとんどディスコ状態)を開催してくれたりして、小さな田舎街ならでは、学生のコミュニケーションは、とても円滑に運ばれたと思います。 そんなこんなで、ワイマールに移り住むまでに、西ドイツ生活を体験した私にとって、デパート、ディスコ、映画館、アジア食材店が少ない、ワイマール生活は最初は不便に感じましたが、住み慣れると、とても楽しい生活と感じるようになりました。学校までの緑豊かな道のりをのんびり満喫し、街に出れば知り合いに遭遇でき、そのアットホームな雰囲気全てがステキでした。 ワイマール生活については、また書きたいと思います。 wikipedia ワイマール weimar
September 26, 2005
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ピアノ教室の指導教材について書いていきます。導入期、バイエル中過程、バイエル修了程度、大人の教材、副教材に分けて御説明致しますのでテーマ別にご覧下さい。☆子どものピアノのレッスンで使用する教材●導入期私自身、バイエルを弾いた事がありません。また、レッスンでバイエルを勧めた事もありません。バイエルは長い伝統がありますので、おそらく長所も沢山あるでしょう。しかし、最近の店頭では、バイエルを使わないでも指導を進める事のできる素晴らしい教材が並んでいます。そんな教材からピックアップして私なりに良いと思った指導システムです。テクニックと音楽基礎教材の下記2冊を ほとんどのお子さんに併用して使っています。 この教材は、真ん中のドに両手の親指を置いて、 その上下、右手ドレミファソ 左手ドシラソファ と学んでいくものです。 途中から、ヘ音記号の低いドも登場して、 両手の動きが平行になります。 別の先生から引き継ぐ場合には、以前からその方が使用していたバイエルやトンプソンンやメトードローズを続ける場合もあります。 ○「バーナムピアノテクニック」 ミニブック(紫)・導入(オレンジ)・1巻(ピンク) ○「知ってる曲でどんどん弾ける ピアノひけるよ」シリーズ (橋本晃一編 ドレミ楽譜出版)ジュニア1・2・3巻 ワークブック1・2・3巻 ちなみに、私の音楽教室の同僚の間でも、 バイエルよりも、このようなやり方で指導されている方が 多いように思います。 導入のタイミングとしては、ひらがなが読めるようになる子で、 とりあえず、イスに少なくても15分は座っていられる子。 それもダメであるのでしたら、下の教材よりももっと 簡単なものから進めた方が良いかもしれません。 そして、きっと、嫌でも工夫が必要ですよね。 カード作ったりして音符遊びさせたり、リトミックしたり、、、みたいな。 私のお仕事させて頂いている音楽教室は、もともとは、 リトミックの教室で、オーナーが熱心に リトミックを指導しています。 リトミックを幼少期に熱心にやってらしたお子さんは、 結構、楽器の導入がスムーズですし、 とてもいいように思います。 それから、早いうちから、様々な楽譜に対応できる というのも大事かと思います。 その為には、各年代バロックから現代までの音楽を同時期に 勉強するべきだと考えています。 バーナムやグレーバのような楽譜は、早い段階で、 指をくぐったり、手を交差したり、ト音記号やヘ音記号が 入り乱れたり、そういう意味で理想的です。
September 25, 2005
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