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それは昇一お兄ちゃんがまだ中学生、珠子や正樹は小学生低学年のころだった。
『龍王』の調理場に、一匹の黒い子猫が迷い込んできたことがあって、一人っ子の昇一お兄ちゃんは、この子猫を本当の弟みたいに可愛がっていた。
それが『クロちゃん』だ。
でも、昇一お兄ちゃんの家はお客さんに料理を出すお店。
店の中や調理場を猫がうろついていたら不衛生に見える、と、どうしても飼うことを許してもらえず、どこかに捨ててこい、とお父さんにきびしく言い渡されてしまったのだった。
それでも昇一お兄ちゃんは、クロが可愛くてどうしても捨てることができず、お父さんにもお母さんにも内緒で、こっそり、古い毛布を敷いた段ボール箱に入れて、店の駐車場裏の藪に隠して、朝に夕に、ご飯を運んでいた。
だけどある日、昇一お兄ちゃんが学校に行ってる間に、クロはさびしくなったのだろうか、ひとりで段ボール箱から這い出して、駐車場から国道に迷い出、事故に遭ってしまったらしい。
お兄ちゃんが、給食の残りをお土産に学校から走って帰って来た時、クロはもう、車道の隅の縁石の横に、ぼろきれみたいに投げ出されて、動かなくなっていたそうだ。
――― あの、かわいそうなクロちゃんのことを、あたしったら、どうして今まで忘れていたんだろう!
クロちゃんの魂はきっと、車に轢かれたあの日のまま、あの場所でずっと昇一お兄ちゃんを待っていたに違いないのに!
そう思うと、クロちゃんがかわいそうで、涙がこみ上げてきた。
そんな悲惨な出来事をすっかり忘れていた自分に、どうしようもなく腹が立った。