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会社にいれば、内側なんて黙っていても目につく。それなら、むしろ、積極的に外に目を向けている必要がある。「意味は外にある」(あるいは「社内にはコストしかない」byドラッカー)昨日、ひとつ書き忘れていたが、おととい、こんな話を教えてもらったのだった。「小さい女の子」「おばあちゃん」「お花畑」「狼」この4つを使って物語を考えなさい。こんなゲームをすると、ほとんどの人が「赤ずきんちゃん」のバリエーションでしかない物語をつくってくるそうだ。中にはわざと「赤ずきんちゃん」を避けようとした痕跡が見受けられる物語もあるそうだが、結局、それも「赤ずきんちゃん」を脱しきれないそうだ。ようするに、頭のなかにある既存の知識、イメージの呪縛とはそれほど強力なものなのだ。きっとおなじゲームを「赤ずきんちゃん」を知らない子供にやらせれば、まったく予想外の物語が出てくるだろう。外を見るというのはそれほどむずかしいことなのだ。ただ見ていただけでは、いずれおなじようにしか見えなくなってくる。だが、クリティカルなことほど、内側の目からは見えないところに隠れていたりする。見えない外を見えるようにするためには、外の情報を一杯に浴びるなかで、隠れたメッセージを抽出する作業が必要になる。いずれにせよ、社内にはコストしかない。コストをかけて動く組織という仕組みが作りだすものに意味があるかどうかは、外に問うしかない。戦略思考。絶え間ない仮設(内)と検証(外)のループ。戦略とはミッションへたどり着くための道筋、方法だ。そして、そもそもミッションは外部に依存するから、戦略はとうぜん環境適応能力でもある。そして戦略の実行には、とうぜん、マネジメント層だけでなく、従業員それぞれが環境適応能力(外部への視線)をもっていなくてはとてもこのスピーディーに変化する世の中で組織は環境適応してはいけないだろう。戦略、人、組織(システム)。つまり、この三位一体がどれだけ環境適応能力をもっているかがビジネスがカギだ。
2003年08月13日
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昨日、独自の人力テキストマイニングにより、消費者の中に埋もれている貴重な暗黙知(経験のりそく)を掘り起こすことを事業にしている方に先方の業務の流れについて教えてもらった。メールでのインタビュー(not enquete)で集めた定性データをひたすら読み込んで、下線を引く(キーワードの抽出)。それを元にディスカッションを行ないながら、抽出されたキーワードを分類(体系化)する。ようするに商品の生きた経験者である消費者の声から彼らの関心を抽出して体系化することで、ことばに意味を見出すのだ。そうした蓄積をもとにして「ことば辞書」システムをつくりたいということで相談を受けたのだが、昨日はもうすこし考えてからでないとシステム化は危険ですねという話をした。なぜなら、それは抽出~体系化という作業に意味(=価値)があるのであって、抽出されたことばの体系自体に意味があるわけではないからだ。ようするに「辞書には意味が書かれていない」のだ。そのことばを口にしたのは、この日記にもたびたび登場のK。彼いわく「意味は外にある」。当たり前のことですね。商品には意味(価値)はない。それは顧客が買って評価してくれてこそ意味(価値)がある。アイスクリームの素材や製法がなんだとか、どういう技術によってシステムが構築されているかなんてとこには意味はない。意味はあくまで外にある。彼のたとえは、さらに納得するものだった。「癌で余命3ヶ月の人の残りの人生に意味はあるか?」「その人がいくら自分の内側だけで考えても絶対に意味は見つからない」「残りの3ヶ月を生きるあいだで外の人と関わることにしか意味はない」考えるまでもなく、余命が何年あろうといっしょです。だからこそ、人力テキストマイニングの事業には価値がある。それは外部のことばを大量に読み込むことで、意味を生み出す作業だから。外部の情報を頭に大量につめこむ以外に、凝り固まった意識の中で新しいものを発見することはむずかしい。もちろん、自分自身、外の人間とおなじ経験が可能なら、大量の情報は必要ない。だからこそ、消費者の声(それはVOCですらない)を大量に脳に浴びることが必要となる。この過程は決して、データマイニングソフトでは代用できない。さて、先の彼がいつも言っていることにもうひとつこういうのがある。「行為が合意だ」ようするに「見えない暗黙知」を共有し、そこに意味を見出し、そこからアクションプランを導き出すためには、経験もしくは行為の共有なくしては、ありえないということだ。
2003年08月12日
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日曜日に映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』を観た。そこで、印象に残ったのが「掟」を「ガイドライン」として捉えるということだ。通常、「掟」というものは厳格な「ルール」として捉えられ、タテ社会における命令、指揮系統の秩序の基盤となるものだ。しかしながら、「掟」を「ガイドライン」として捉えるようになると、そこにはいわゆる権限委譲が発生し、同時に個々の責任の下での判断という状況が発生する。ようするにこれはこれまでのタテ社会の命令・指揮系統から現在移行期にあるヨコ社会での個人権限・責任に関する言及としてみることもできるだろう。そんな中で活躍するジョニー・デップ扮する一匹狼の海賊の船長の位置づけもとても印象的だ。ジョニー・デップが演じる役どころは非常にユニークでユーモラスなものだ。それは強くて、カッコイイ、よくあるスター像とは明らかに異なるものだ。そして、何より重要に思えたのは、「掟」が守るべき「ルール」という解釈から参照すべき「ガイドライン」へと解釈が変わった瞬間、それまで一匹狼だった船長は、晴れて海賊仲間と自分の船をみずから取り戻すことになる。ようするに、ユニークでユーモラスな船長がその環境下では仲間に慕われるリーダーとして舵をとる役割に復帰するのだ。ようするに、ヨコ社会におけるリーダー像とはこういうものなんだろうなという気がする。
2003年08月06日
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