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皆さんはジーパン1本にいったいいくらまでなら払ってもいいと考えているだろうか?またジーパン1本の適正な価格というものについて、具体的に頭に浮かべることができるだろうか?実際には、一言でジーパンといっても、様々な価格のものがある。ユニクロなら2,900円で買えるし、リーバイスやEDWINでも通常のものなら8,000円くらいでは買えるだろう。だが、ちょっとした加工、デザインが施されたドメスティックブランドや海外ブランドのものになれば、すぐに10,000円台を超え、20,000円台、30,000円台のものも出てくる。さらには、グッチやドルチェ&ガッバーナなどのブランドものになれば、10万円近いものも当たり前のようにある。ヴィンテージのジーパンなどになれば、価格などはピンキリだ。さて、では、このような状況で、ジーパン1本の適正価格とはいくらだろう?実際には、上記のような問いはほとんど無意味である。それは人によって、ジーパンに見出す価値は異なるからだ。その人がジーパンに支払うための予算によっても異なるし、また、購入するジーパンによって満たすべき目的(作業用、おしゃれ用etc.)によっても異なるだろう。おなじような収入を得ている人でも、ほんとうにジーパンが好きで、毎日、お気に入りのジーパンを穿いていたいと思う人と、あくまで楽だからという理由で穿いている人とは、適正と思える価格は異なる。そして、その場合、購入するジーパンそのものも価格のみならず、デザインや希少性などの要素において異なるものになるだろう。例えば、バンビがお気に入りのリーバイス・レッドのジーパンは、20,000円台から30,000円台の価格帯となっている。これを高いと思うか、安いと思うかは、上記のような理由によって異なる。だが、高いか安いかはともかくとしても、バンビ自身は他のジーパンとデザイン面、希少性などの理由により、実際、その値段を払って、買っている。気に入って、週に2、3度は穿いていることや、他人の評判もいいことを考えれば、決して、投資収益率(ROI)は悪くないとは言えると思っている。すくなくとも、好きでもなく、穿く気にもなれないユニクロのジーンズを7~10本買うよりマシだ。だが、実際に、そのジーパンの製造コストにそれだけかかっているかといえば、絶対にそうではないはずだ。ユニクロなみの製造コストとは言わないまでも、その価格を10,000円台にすることは、コスト面だけを考えれば、可能なはずだ。もちろん、その分、薄利になるため、販売数を増やすために、「希少性」という価値は、いくらか放棄する必要があるだろうが。結局のところ、価格とはそういうものなのだ。個別の商品には適正価格というものがあるだろうが、ジーパンなどといったあいまいなカテゴリーには適正価格など存在しない。もっと言えば、適正価格があるのは、個別の商品そのものではなく、個別の商品がもたらすソリューションの価値にこそ、適正価格がある。そして、それは商品を提供する側の内部事情(コスト)によるものというよりも、商品を買う側が見出す価値にこそ基準がある。だが、商品を買う側によって、個別に価格を設定するわけにはいかない。どのような販売チャネルを使うかによっても、価格は変わってくる。ジーパンではありえない話だが、ある情報システムを売る場合など、パッケージとして、小売業者を使って売る場合と、手厚いサービス、コンサルテーションを含めた直販で売る場合では、当然、価格設定は異なるし、それぞれの販売チャネルによって、適正な価格というものがある。こうしたところに価格設定のむずかしさと、おもしろさはある。いかに綿密な戦略がたてられたとしても、適正な価格を決める時点で、それが戦略とかけ離れたものになれば、すべては台無しになるおそれもある。かといって、値引き販売をすればいいというものではないだろう。それでは、自社のブランド性を損なうおそれもあるのだから。一言に価格といっても、実はこれほどおもしろいものもないだろう。
2003年03月31日
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バンビは最近、実行の大切さについて考えます。例えば、計画は実行されなければ意味がありません。また、他人のことを口で批難するばかりの人は自身の実行力のなさこそを改めるべきでしょう。かといって、闇雲に実行だけすればいいというものではありません。これまで何度も書いてきたように、目の前のルーティンワークをひたすら繰り返すだけで、その仕事が本質的な仕事かどうかを問わずにいるのなら、それは実行とはいえません。目的があり、それを具現化したアウトプットイメージがあり、それを具現化するのに必要なインプットをモレなくダブリなく収集した上で、明確な戦略の上で、実行することが重要です。計画と実行。マネジメントにはこの2つの面が揃っていることが不可欠です。そして、これも何度も繰り返してきたように、ひとりでは実行はできません。組織として働いているのだから、組織としての最大限の力を引き出した上での実行が重要です。そのためには、組織の最大限の力を引き出した場合に得られる成果を予測して、数値目標をあらかじめ高く設定しておけばいいでしょう。
2003年03月30日
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企業にとってブランド力は不可欠である。 他社の同様の製品と比べたとき、顧客がその製品にいくら払うかを調査することによって ブランド力を測ることができる。 (中略) ブランド力は通常、市場ごとにレファレンス・ポイントとなる他社ブランドと比較して調査する。 調査を実施した市場すべてにおいて日産はブランド力が不足していることが判明した。 アメリカではブランド力不足による価格差は約1000ドルだった。 日産はアメリカで75万台以上を売り上げているが、ブランド力不足という理由だけで、 この1市場だけで、みすみす7億5000万ドルの収益機会を失っているわけである。 カルロス・ゴーン 『ルネッサンス』よりブランド。それを一言で言いあらわすのはむずかしいが、ブランドほど、一瞬にして、その企業のイメージを伝えるものはないのではないだろうか。というより、ブランドを確立できている企業は、個別の商品・サービスをイメージできなくても、そこから提供される商品・サービスの質をイメージさせる力をもっている。バンビ自身、これまでそれほどブランドというものを意識してこなかったのだが、上に引用したカルロス・ゴーンの言葉を読んで、黙ってほっておくことはできないものだという認識ができた。さて、バンビはブランドというものをこう考えている。つまりそれは、企業のもつビジョンの裏返しなのだ、と。偉大な成功をおさめた企業は、明確なビジョンをもち、それを行動規範にしてビジネスを行なっている。ビジョンは、組織が、顧客や社会に対して、商品・サービスを提供するために行なうあらゆる活動の行動規範、価値判断基準として、組織ではたらくあらゆる人に浸透し、組織に一貫した強い力をもたらすことになる。それは結果として、提供する商品・サービスの質や内容を向上させ、顧客や社会が求める期待を裏切らなくなる。そうしたビジョンの結果を、外からみると、実はそれがブランドなのだろうと思うのだ。ようするに、組織の内側から見れば、それは組織の「ビジョン」であり、組織の外側から見れば、それは組織の「ブランド」になる。したがって、組織に深く浸透した明快なビジョンをもたない企業には、おそらくブランドを確立するのはむずかしいだろう。逆にいえば、ブランドを確立しようと全社一丸になることができれば、その組織は同時に規範となるビジョンを生み出すことができるのかもしれない。さて、ここまでは組織の話だったが、ひとりひとりの人間にとっても、自分のブランドのようなものを確立することは重要ではないだろうか。その際、ブランド名はもちろん、自分の名前である。そして、ブランドを確立するためには、組織同様に内側に明快なビジョンをもつことが必要だろう。いずれにせよ、決して忘れてはいけないのは、ブランドの価値を決めるのは、外側であるということだ。あくまで、内側にあるのは努力(コスト)でしかない。
2003年03月28日
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ドラッカーがマネジメントのために繰り返す質問のひとつに「われわれの仕事とは何か?」というものがある。これは、顧客の目を通して、外側から内側を見る「マーケティング的発想」に基づいた問いかけであり、自身のコア・コンピタンスが何かを問いかけるのと同時に、それを外からの視点でとらえるものである。また、この問いは、次につづく2つの問い、「顧客は誰か?」「顧客は何に価値を見出すか?」と大きく関連するものである。つまり、この3つの問いは、以下のように言い換えることができる。 ○ 何を売るのか? ○ 誰が買ってくれるのか? ○ 何故、買ってくれると思うのか?である。さて、「われわれの仕事とは何か?」の問いは、組織への問いであるが、おなじように、われわれは自身の自己管理マネジメントを行なうに際して、こう問い掛けることができるだろう。「わたしの仕事は何か?」と。そして、当然、この問いにも2つの問いが続く。「わたしの仕事は誰のためのものか?」「わたしの仕事を必要とする人は何に価値を見出すか?」と。昨日、友人と話していて、世のなかには、視点があちこちブレてしまう人とそうでない人の2種類がいるといった話になった。視点があちこちブレてしまう人は、ようするに自分が何をやっているのかを本質的に分かっていなかったり、自分が何が得意で、自分のどこが人に認められているか、役に立っているかがわかっていないのだということを話した。ブレをなくすためには、2つの方法がある。まずは感覚的、経験的になんとなく自分にとっての3つの問いの答えを知っている場合だ。ただ、この場合、完全にブレてしまうことはなくても、まだある程度のブレ幅がある。ついつい自分がそれほど得意としないものや、自分がやるべきではないことに手を出してしまったりする。特に人に頼まれたりしてしまうと、ついついという具合に。だが、実際にはいくら頼まれたからといって、それほど得意ではないことをやれば、出せる結果も大したものではなく、相手の満足もそれほど多くは望めない。もうひとつは3つの問いへの答えを完全にわかっていて、それを意識して行動している場合だ。この場合ははるかにブレ幅が小さくなる。ようするに自分が得意とし、相手からももっとも喜ばれることを、常に100%に近い状態で行なえるようになるということだ。そして、自分で意識してそれをコントロールできるようになれば、相手に対しても、それによる満足の提供をこちらから提案できるようにもなる。そうすることで逆に、得意でないことを頼まれることも減り、結果として、さらに自分のパフォーマンスが発揮できるようになり、相手からの信頼も勝ち取れるようになる。ブレないということは、それだけ良い方向への循環を加速させることになるのだ。もちろん、その反対にブレ幅が大きければ、悪循環に陥る。もちろん、「わたしの仕事は何か?」の問いに対する答えは常に一定ではない。むしろ、そんなものに一定の答えなど存在しない。人と関わり、その時間が長くなればなるほど、相手が求めることも変化してくる。そういう変化の中で「わたしの仕事は何か?」への答えを固定化させてしまうことは、他の2つの問い、「わたしの仕事は誰のためのものか?」「わたしの仕事を必要とする人は何に価値を見出すか?」を無視したものになるだろう。それを考慮しながらも、自分のコア・コンピタンスについては常に考え、そこからブレることのないよう、自己管理マネジメントを行なうことが重要だろう。
2003年03月27日
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私たちは日頃、知らぬ間に自分自身を型にはめてしまってはいないだろうか?情報化社会といいながらも、自分自身に関する重要な情報に関しては、ほとんどの人があまりに少なすぎる情報しか手にしていないような気がする。このことは人目を気にするということとは関係ないだろう。人目を気にするのは、しょせん、自分自身が何の根拠もなく、自分自身に課した視点に立って、まわりの人間の自分に対する評価を気にすることでしかない。それは人の目をきにしているようで、結局は単に自分自身の目を気にしているにすぎない。ほんとうに気にかけるべきは、相手が自分のどんなところを見ているか考えることだろう。自分という人間が相手にどういう風に感じられているか。そして、自分の問題を外から見るのを大事だが、それ以上に重要なのは、自分の強みを外(他人)の視点から知ることはとても重要なことだと思う。組織が、ある人間を雇うのは、その人が何ができるかによるもので、その人が何ができないかはそれほど重要ではない。組織は、人の強みにこそ、関心をしめすのであって、弱みに興味をもつものではない。もちろん、組織のなかにいる人間は同僚の弱みを指摘して、そのことに影で文句を言ったりすることもあるだろう。だが、実際にはそれは組織の発展、成果とはなんの関係もない。誰からの弱みが他の人の目にわるく映り、それで人間関係に問題が生じるとしても、それは人の弱みにあるというよりは、たがいの弱みを補いあえない組織的な問題であるのだ。だからこそ、私たちは自分、あるいは他人の弱みにではなく、強みにこそ、関心をもち、それをより伸ばせるよう注力しなくてはならない。単純な意味でも、人は弱い部分をあれこれ言われて、努力させられるより、自分の強みをほめられながら、そこを伸ばしていくことに努力するほうが、よりやる気をだせるものだから。さて、それにはまず自分の強みを、相手の目を通して知ろうとする意識を常にもっていなくてはならない。それには対人的な行動と対話の機会を数多く持ちながら、実践的に学び、鍛錬していくのがいちばんだろう。その際、自分はこういう人間だからと自分勝手に自分の評価を下すのは最悪だ。残念ながら、あなたの人生も、あなたの人間性も決してあなたのものではない。あなたを生かすも殺すも他人の心ひとつである。それをわかってあなたが他人に接しようとせず、自分勝手に自分の評価を決めているようでは、単なるひきこもりと変わらない。あなたが何の役に立つかは他人が決めることだ。もちろん、あなたの価値観(何が好きか)も重要だ。だが、それが役に立つかどうかはあくまで他人が決めることであり、逆にいえば、あなたも同様に他人のことにおなじ責任をもっている。そして、あなたはあなたに関わる人に、その人の長所を教えてあげなくてはいけない。そうやって人は成長するのだろうと思う。そこにこそ、人生における努力の源泉はあるように思う。
2003年03月25日
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バンビはこの日記の中で、くりかえし「作業」と「仕事」の区別を明確にせよといったことを指摘してきたが、では、実際に「仕事をする」とはいったい何のことだろう?バンビが意識していた「作業」と「仕事」の区別は、 ①「仕事」の目的は明確に外部(顧客や株主などのステークスホルダー)にある ②「仕事」は仕事のための仕事ではない。仕事のための仕事が「作業」であるという2点であった。だが、具体的に「仕事」をするにはどうしたらいいだろう?例えば、現在の一般的な仕事環境は、数多くのツールや情報、知識、そして、会議などで貴重な仕事の時間をずいぶんと浪費させられている。1日に膨大な量のメールが届き、週に何度も会議がある。データはあちこちに散乱した状態で放置され、共有されるべき情報がスムーズに流れない。コミュニケーション・ツールだけを考えても、「直接の対話」、「電話」、「携帯電話」、「Eメール」、「郵便」など、数多く存在することで、本来なら便利になりそうなところが、実際にはその使い方が明確でないことなどにより、かえって不便になり、時間の浪費を避けられなくなっている。情報にしても、データベースに格納されたものから、メールベースやエクセルなどのファイルベースのもの、手書きメモなどの紙ベース、個人の頭にしかない情報など、さまざまな形があり、それが伝達の可能性/不可能性を大きく左右する。いうまでもなく、仕事をするには、A.個人で思考=作業すること、B.他の人と協働することの2つが求められる。その際に、このようなコミュニケーション・ツールや情報の多さはほっとけとば、非常にやっかいなものとなるだろう。いま、バンビはこれを整理して、自分なりのうまいやり方を見つけようと思っている。A.の個人で思考=作業することに関しては、主にツールの使い方について整理しようと思っている。B.の他の人と協働することに関しては、自分のファシリテーション能力をより高めようと思っている。さて、そこでまずはA.を対象にしたツールに関する整理について、すこし書いてみたいと思う。思考=作業するシーンを思い浮かべることで、それに応じたツールとして何が適しているかを考えようと思う。例えば、個人が思考=作業する、もしくはそのために必要な行動のシーンとしては、以下のようなパターンが考えられないだろうか。思考=作業━┳━意思決定的な思考┳━アイディアの立案(問題解決) ┃ ┃ ┃ ┗━問題発見、現状把握 ┃ ┣━情報を暗黙知に ┳━情報の収集(外から内へ) ┃ ┃ ┃ ┗━情報の伝達(内から外へ) ┃ ┗━情報を形式知に ┳━情報の入力、記入作業(ノート、DB化) ┃ ┗━情報のまとめ、集計~分析その際に、「情報を暗黙知に」といった枝では、基本的に、自分から他人へ、あるいは、逆に、他人から自分への情報の移動を行なうことになる。ここで使えるツールは、「電話」や「メール」といったものだろう。次に、「情報を形式知に」といった枝のシーンでは、インプットされた情報をきちんとした形(ノートもしくはデジタル・データ)に定着させ、それを整理する作業が発生する。だとすれば、その作業を容易にするツールはなんといってもPCになるだろう。もちろん、紙ベースでもきちんと整理できればいいが、その場合、あとで他人と共有するときに、面倒になるおそれがある。そして、最後に「意思決定的な思考」の枝では、基本的には、個人の頭のなかでの判断になるが、その思考の過程をより鮮明にするためには、図式化などの作業が必須だろう。思考とはおそらく事実と事実のあいだで行なうものだ。例えば、ある月の月次のデータと前月の月次データのあいだで行なうものであり、自社の実績と他社の実績のあいだで行なうものだ。頭のなかで行なうか、実際に紙などを見ながら行なうかは別として、異なる複数のデータを2ペイン、3ペインのフレームのなかで見比べながら、そのあいだを埋める作業が思考である。アイディアとは異なる複数の事実のあいだをつなげる創造の掛け橋であり、それは実際に物理的作業をともなわかったとしても、接続、連結を行なう作業としての物理性をもっている。それを容易にするツールとしては、紙ベースやホワイトボードなどをつかった図式化が役立つだろう。このように考えると、電話&メール、PC、紙の3つをうまく連携・同期できるツールがあると、仕事がとてもしやすくなるのではないだろうかと思う。テキストベースの話に限れば、基本的なメールの受信、振り分け処理、ステイタス付けを携帯で行ない、返信や整理などはPCで、そして、ある程度、まとまった内容はほかの情報とあわせて、紙ベースで検討を行なうなどのフローを簡単にできる連携ツールができるようになれば、個人での情報の自己管理マネジメントは随分と楽になるのではないだろうか。
2003年03月24日
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今日の日記は、昨日の日記の続きである。昨日、サービスの改善案リストを作成して、知人にみせたところ、 ネガティブな意見に注目してはダメ。 それをやると、組織が弱くなる。 ポジティブな意見に注目しなくてはダメ。と言われた。確かにそのとおりである。ネガティブなものも、ポジティブなものもあわせて、改善できる点をリスト化したのだが、それでは、彼のいうとおり、サービスのよさがぼやけてしまう。また、良い部分を強化する明確な意思がないと、サービスの方向性が曖昧化してしまう。結局はサービスが弱体化させてしまい、組織そのものが弱体化する。なんでもかんでも気づいたことをやればいいのではない。自分たちの強みをより伸ばしていくことこそ考えていかなくてはならない。バンビは自分でもよくわかっていたはずのことをどうやらここ数ヶ月で忘れてしまっていたらしい。人を育てることを考えれば、なおさらそのことを考えなくてはならない。結局は「自分なのだ」ということ、そして、「自分で考える」ことで成果をあげることを身をもって示すためにも、自分の強みに集中し、ゆっくりと迷わずにそこを伸ばすことを考えなくてはならないのだ。
2003年03月20日
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現在、あるビジネス・スクールの仕事を手伝っている。昨年秋からはじまったばかりのプログラムなので、まだまだサービス(プログラム)に改善する余地があるようだ。バンビはWEBサイト作成の関係上、そこに紹介する「受講者の声」を大量に読み込んだのだが、そこにはサービス(プログラム)改善のヒントがたくさん埋まっていると感じた。そこで、仕事の依頼者にその旨を伝えたところ、 僕が読むと感知力が弱まるの、これは一般論ね。 プログラムをよくしようと集中するでしょ。 すると、このアイディアがうまく頭に感知されにくいんだよ。 だから、むしろ外野から全部ざーと読んだ君のほうが 全体感がうまく感知できるものなんですよ。 たとえをあげるために、改善案リストを君が簡単にリストにしてみてください。 きっと僕以上の感知力になっているはずです。 僕はそこまで思わなかったというリストがいくつか見つかるはずです。といった答えが返ってきた。なるほど。そのとおりだと思った。システムの内部にいると、外の世界を感知する際、バイアスがかかってしまう。どんなに外にいる顧客の声に耳を傾けようと思っても、顧客の思いそのものを理解しようとしても、その耳には、聞く側のバイアスがかかってしまう。内部のシステムに通じていればいるほど、それはバイアスを生じさせる足枷となる。だとすれば、このバイアスを元に戻すツールが必要になる。彼がバンビに依頼したのは、バンビにそのツールになってくれということだ。そして、この話の肝は、これがすべての企業に関係する話ということだ。顧客志向で顧客の話に耳を傾けようとする。だが、そこで耳に入ってくる顧客の話にはバイアスがかかってしまい、顧客の真のニーズとは異なっている。もちろん、それでもまったく顧客の声に耳を傾けない企業にくらべれば、随分マシである。だが、本当に顧客の満足を考えていて、そのための努力を行なっているのに、そのバイアスのために結局は顧客を逃がしてしまうということは起こりうる。これはとても残念なことだ。これを回避するには、「バイアスを元に戻すツール」をあらかじめ用意しておく必要がある。顧客の声に耳を傾けるだけでなく、「バイアスを元に戻すツール」を効果的に利用し、真の顧客のニーズを探らなくてはならない。マネジメントはそうして顧客のニーズを定期的にチェックしなくてはならない。
2003年03月19日
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ここで疑問をもつ読者もいるだろう。 「厳しい現実を明らかにして、どうやって人びとの意欲を引き出すのか。 意欲を引き出す動機付けで中心になるのは、説得力のあるビジョンではないのか」。 答えは意外なことに、そうでないというものである。 (中略) 適正な人たちがバスに乗るようにすれば、全員が偉大なものを築こうという意欲をもっている。 したがって、ほんとうの問題はこうなる。 「従業員の意欲を挫かないようにするにはどうすればいいのか」である。 そして、やる気をなくさせる行動のなかでも、 すぐに失望させられる根拠のない期待を主張することほど最悪なものはない。 ジェームズ・C・コリンズ 著 『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』は、それまで凡庸な優良企業であった企業を、偉大な企業に飛躍させ、かつ、それを持続するものは何かを問うた本である。本書では、通常ほとんどの企業がよかれと思ってやっていることが、実際には、偉大への飛躍の条件などではなく、かえってそれを阻むものであったりすることが多くの調査を元にした分析から導き出されている。上で引用した文にしても、説得力あるビジョンは決して飛躍への必須条件ではなく、むしろ、「厳しい現実を直視する」ことの重要性が説かれている。その前提条件としては、上にもあるように、「適正な人たちがバスに乗る」ことである。バンビはこのところの日記で「人こそが重要だ」と書いてきたが、本書では、 「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言は間違っている。 人材は最重要の資産ではない。 適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。としており、どんな人を雇用するか(「適正な人たちがバスに乗る」)が飛躍への必須条件であることを述べている。確かにそのとおりだろう。マネジメントとは管理ではない。本書でも書かれているとおり、はじめに「適正な人たちがバスに乗」せてしまえば、管理はほとんど必要ない。適切な人たちは自ら努力して、会社を偉大さへ導こうとする。そういう人たちが集まる環境においては、彼らの意欲を鼓舞するのに労力を費やすより、彼らの意欲を挫けないようにほうへと労力を傾けたほうがよいのは明らかだ。それには根拠のない展望を掲げるよりは、どんなに現実が厳しかろうと、それを直視し、そのなかの事実から光明を見出すほうが重要だろう。それさえ怠らなければ、あとは発見された光明に対し、適切なひとが喜んで努力するのだろうから。きっとこれはごくごく当たり前のことである。だが、この当たり前のことができないからこそ、「優良(good)は偉大(great)の敵」なのだろう。
2003年03月18日
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お世話になっている知人にむかし、こんなことを言われたことがある。「運は性格だよ」そのときはよく理解できなかったのだが、いまはそれがなんとなくわかる。よい運はよい性格が運んでくるものなのだ。性格がその人の運命を左右する。まさに、その発言をした知人などはその典型だ。その知人は驚くくらいに人との出会い運がある。普通はそんな人と知り合いになんかなれないだろうという人となぜか知り合いになってしまう。近々、その知り合いの結婚披露宴があるのだが、そこにもその脅威の出会い運を反映したそうそうたるメンバーが出席するらしい。でも、その脅威の出会い運も彼と長年つきあいのあるバンビには、それほど驚くことでもないような気がしてきた。彼の性格を思えば、その運はまさに彼の性格が引き寄せているものなのだ。そして、彼は自分の性格=運を知っているから、その運を必ずつかんでしまうのだ。性格とはそのようなものだ。さて、ところで、人の性格を変えるのは結構むずかしいことだろう。バンビはむかしから「性格は変えられない」という人の意見をつねに否定してきた人間だ。いまでもその考えは変わらない。「性格は変えられない」のではなく、「性格は変えるのがむずかしい」のだ。その違いは微妙だが決定的に大きい。「変えられない」と考えれば、その時点で変えることは絶対に不可能になる。そのことがなにより性格を変えるのをむずかしくしている。また、そのことを違う視点からみると、人は自分の性格も、他人の性格も結局よくわかっていないということなのだ。特に、自分の性格となると、ほとんど一面的にしかわかっておらず、そのため全体像としてはデタラメな理解しか、自分の性格に対してはできていない。理解していないものを変えられるわけがない。その意味でも、性格は変えるのがむずかしい。だが、理解しているかいないかにかかわらず、人にはそれぞれ性格があるのも確かだ。そして、それは理解しているかしていないかにかかわらず、ほとんど常にその人の行動を規定している。人はみずからの性格にしたがって生きるのだ。それを意識しているかいないかにかかわらず。そして、性格は変えるのがむずかしい。では、そういうやっかいな「性格」というものをもち、それに行動を規定されている人間をマネジメントするにはいったいどうすればいいのだろう?実際、多くの人を「人材」としてあずかる経営者やマネージャーはそのことをちゃんと考えにいれているのだろうか?仕事の多くの出来/不出来は、人の働きによって異なる。そして、その成果は、個人の力というよりも、複数の人の係わり合いによる組織力によって、より大きく異なってくる。マネジメントとはその人の力を最大限に有効な形に導くのが仕事である。だとしたら、あらゆる人の行動を規定する「性格」を考慮にいれるということはマネジメントをする上での重要事項のひとつだとはいえないだろうか。だが、現状では、人の性格を本当の意味で考慮に入れて、人材のマネジメントや、そもそもの人材の登用を行なっている組織はどれだけあるだろうか?「性格は変えられない」わけではないが、「性格は変えるのがむずかしい」ものだ。だとしたら、自身の組織がどんな性格の人を雇用するかは、真っ先に考慮にいれるべきことではないだろうか?いま読んでいる『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』にも、飛躍した企業では、適切な人材を雇用するために、人の性格をもっとも重視していたことが記されている。バンビはいまその重要さが非常に骨身に染みている。働く人のモチベーションをどうするかとか、価値観をどうするかということではないのだ。もちろん、それらも大切だが、その基盤には人それぞれの性格がある。それをまず認めない限り、適切なマネジメントもできるはずがない。そして、変えることがむずかしい性格をもった人間というものに対して、マネジメントを行なおうとすれば、それははじめに人の性格を考慮する以外に方法はない。ようするに、人を雇用する際には、学歴やスキルや経験などより前に、性格を判断しなくてはならないのだ。そして、性格で判断する以上、組織はその人が「人として生きる」ためのパートナーになることを覚悟しないといけない。結局、マネジメントの本質はそういうところにしかない。いや、マネジメントどころか、人が人として生きる以上、人は他人が「人として生きる」ことを大なり小なりサポートする義務がある。まわりの誰かが落ち込んでいたら、それはほかでもなく、あなたのせいだ。直接的な原因があるかどうかなど関係なく、その一部はあなたのせいなのだ。それぐらいの覚悟が必要なのではないか。いや、覚悟というよりは、そんなものはごくごく当たり前のことのような気がする。生きている人は、生きている他の人の「生」に責任がある。それが普通に意識できるていることが、いまもっとも必要にされていることではないのだろうか?そのためにもまずは、自分のものも他人のものもふくめて「人の性格」というものを真剣にあつかう必要があるだろう。
2003年03月16日
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ピーター・ドラッカーは、経営について「人を通して正しいことを行なうこと」と定義している。では、正しいこととは何なのだろう?昨日も書いたが、企業の目的、使命は「価値を創造する」ことだ。経営は「価値を創造する」という企業の正しい目的を、従業員を通して実行することだろう。何度でも言うが、創造する「価値」は他人にとっての価値である。自分が勝手に「価値」があるだろうと決め込んだものではない。それゆえ、価値の創造、提供には、かならず他人とのコミュニケーションが必要となる。正しいことを行なうためには、まず自分の前にほかの人が存在していて、その人とのコミュニケーションを通じて、価値を創造しなくてはならない。ひとりよがりで、他人の話に耳を貸さないようでは、「正しいこと」などできるはずがない。「正しいこと」を行なうためには、自分以外の他人の人としての尊厳を認めて、その人の生活、人生について貢献しようと本気で考えるしかない。 実はこれからの時代、もっとも成功するのは製品だけではなく、 サービスもいっしょに売ろうとする企業ではないだろうか。 顧客に自社の製品やサービスを買いつづけてもらうには、 自社のサービスを役立つもの、得になるものと認識してもらわなければならない。 だから、こちらは顧客の期待を聞き出し、形のないものを形のあるものにしていかなければならない。 ウィリアム・ポラード 『企業のすべては人に始まる―サービスマスター・社員の成長に献身する会社』製品だけでなく、サービスもいっしょに売ろうとする企業が成功する可能性があるのは、そのほうが人とのコミュニケーションが容易だからではないだろうか?価値を価値として判断するのは、サービスや商品を買った顧客であり、人である。あなたが何ができるか、何を売りたいかなどということはいっさい関係ない。何が相手のためになるか、相手が何を価値として感じるか、重要なのはそれだけであり、あなたにとっては、そうした相手に何ができるか、そうした相手の声を聞き入れられるかを考えなくてはならない。もし、あなたが自分のオフィスにいて、会社の外の人とまったくコミュニケーションをしていないなら、いますぐにでも営業に出かけるべきだ。あなたが営業マンかどうかなど関係ない。むしろ、営業マンでないなら、ノルマがない分だけ、顧客の声に耳を傾けることに集中できて好都合だ。オフィスの中でいくら作業をしたところで、そんなものから「価値」は生まれない。一生懸命働いているつもりでも、残念だが、それには何の価値もない。あなたのしていることが、会社の外の誰の役に立っているか知らないのなら、あなたの行為はまったく「価値」を創造していないといっていいだろう。ひとりでもいい。あなたの仕事が具体的に誰の役に立ち、誰に価値を提供できているかどうか、今すぐ外に出て行って、その人とコミュニケーションをとり、確かめてみるべきだ。サービスでお金をとるかどうかは別としても、あなたはそのひとりの人と真剣にコミュニケーションをとることで、その人がほんとうに必要とするサービスが何かを理解し、そのための行動を準備するべきだろう。そのことはあなたが現在行なっているどんな仕事より価値があるものになるはずだ。自分の作業が仕事だなどと思わないことだ。正しいこととは、生きた人間に対して、価値のある行為を行なおうとし、実際、行なうことだ。割り振られた作業を黙々とこなしたり、上司の言うがままに動くことなど、正しい行為ではまったくない。「20代OL」なんていう抽象的な人はいないのだ。ターゲットとは、実際に生活し、その人固有の人生をもった具体的な人である。ひとりでもいい。そういう人の存在を見つけ、その人のために働くことを考えたほうがいい。そのひとりのことを人間として考えることで、あなたの仕事はほかの多くの人にとっても「価値」を生み出すものになるだろう。「正しいこと」はそうやって、具体的な人に対して、面と向かって行なうものだ。ピーター・ドラッカーは、経営について「人を通して正しいことを行なうこと」と定義している。あなたが経営者であるのなら、あなたはあなたの会社の従業員たちに、そうした正しいことを行なわせるべきだ。
2003年03月14日
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バンビはこの日記をはじめた当初に「飲食店は"客をつくる"」というタイトルで日記を書いた。今日は初心に戻る意味合いもこめて、「企業は"顧客をつくる"」と題して書いてみようと思う。企業に限らず、組織は「価値を創造する」ことが目的であり、使命である。企業はそこに関わるあらゆるステークスホルダー(利害関係者)にむけて「価値を創造する」目的、使命がある。 ○商品、サービスの提供を通じて、「顧客」に対して、価値を創造し ○利益を増大し株価を向上させることで企業そのものの価値を高めることで、「株主」に対しての価値を創造 ○供給業者などとWIN WINの関係を築くことで、関連パートナーに対し、価値を創造 ○従業員に対して、彼らが成長する機会を与え、報酬を与えることを通じ、彼ら自身の価値を創造するなど。企業はその活動を通じて、さまざまな方面に「価値の創造」を行なわなければならない。利益や配当といった金銭的な価値だけではなく、顧客の満足するような価値、従業員が働く喜びを見出せる価値なども企業が目的、使命として創造の対象とする価値だといえるだろう。昨日、紹介した『企業のすべては人に始まる―サービスマスター・社員の成長に献身する会社』にもこんなことが書かれている。 企業では人は少なくとも三方に自分の価値を伝えることができる。 まず製品を生産したり、サービスを提供したりすれば、顧客に価値が伝わる。 次に、全員がひとつにまとまることで、一人一人の個別の営みでは生まれない大きな価値を生み出せば、 株主にもその価値が伝わる。 そして、仲間とともに学び、達成や前進の喜びを分かち合い、誇りを共有すれば、 いっしょに働く者同士の間でも価値を伝え合うことができる。 わが社では、従業員全員に、顧客に対するサービスの改善に積極的に参加し、 自分たちのもたらす利益の分配にも株主として参加し、ともに働く人材の育成にも参加することを奨励している。 このように従業員の価値をうまく三方に発揮させながら、企業のこころを育てているのだ。価値を創造するのもひとりひとりの人なら、価値を受け取るのもひとりひとりの人である。そもそも、価値などというものは人以外には理解できないものだ。「顧客をつくる」ということは、商品、サービスを通じて、人に満足してもらえる「価値を創造する」ことにほかならない。企業は「価値の創造」を通じて、企業の外部の普通の人とのあいだに、よい関係を築くのだ。「顧客」とはその関係性のことでしかありえないし、「顧客をつくる」ということは、その関係性をつくること以外の何ものでもないだろう。俗にいうCRMなどというのはそれくらい当たり前のことでしかない。その本質は、顧客を相手としての人間関係をどう考えるかということにすぎない。CRMは決して新しい考えでもなければ、単なる経営ツールでもないのだ。昨年まで働いて会社の同僚だった人が、いま、社内のチームワークに悩んでいるという。話を聞くところによると、そこには目的を見失った組織の、官僚的な姿勢が見え隠れする。バンビからすれば、そうなるのは当然のこととしか思えない。顧客のほうを向いて仕事をしていなければ「目的」は見失われるし、チームワークは崩れ、官僚制の不透明な判断基準が横行する。その状態を脱却するには、顧客のほうに目を向けるしかない。とにかく顧客のところに行き、顧客を見て、顧客の声を聞くしかない。自分たちがいま持っているものなど、いったん忘れてしまっていい。現状で自分たちの能力を枠にはめて、制限する必要などこれっぽっちもない。自分たちが「自分たちの仕事は何か?」を見失ってしまっているなら、そのヒントを顧客に教えてもらえばいい。それぐらいの謙虚さが必要だし、また同時に、たとえ見失っていたとしても、自分たちに何か力があるというプライドだけは忘れてはいけない。顧客のほうを向いて仕事をしていたのなら、自分たちの無力さを嘆いたり、悩ましく思ったりしているヒマなどないはずだ。顧客が望む価値を提供しようという奉仕の気持ちをもって、仕事にのぞむなら、悩んでいるヒマがあれば、自分たちのできることからはじめているはずだ。チームワークや合意などはすべてそこからはじまる。はじめからカッコイイことをするのではなく、はじめは自分たちができる(誰にでもできそうな)バタくさいとこからみんなで協力してはじめるのだ。それさえできないなら、カッコイイことなどできるはずはないのだから。
2003年03月13日
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どんな仕事でも、つまらない仕事にもなれば、おもしろい仕事にもなる。 それは与えられた仕事の内容では決まらない。 決めるのはその仕事をする人のこころであり、気持ちだ。 わたしたちはどこかで自分の生活や仕事に意味を見出そうとする。 自分の仕事に満足感ややりがいを見出し、 会社の目指す方向が自分の人間的な成長や発展の方向と一致していることが確信できれば、 大きな力が湧いてきて、それが結果的に、 独創性や、生産性や、サービスや、品質や、成長や、利益や、価値をもたらす。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ サービス企業では、現場の人間がいちばん偉いのだ。 顧客との関係を維持できるかどうかは、 現場の人間が顧客の予想される期待や予想外の要望にどう対応するかにかかっている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 顧客のいない企業はない。 どの企業でも、顧客を開拓し、つなぎとめておくのが事業の基本だ。 簡単なことではないが、これを忘れないことが仕事をより良いものにする最善の方法のひとつである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 仕事の内容と、それが会社の使命や目標の達成にいかに役立つかを理解している作業員は、 不測の事態にもうまく対応できる可能性が高い。 不測の事態が生じたときに、前記のような作業員は、最低限の基準を満たすばかりか、 顧客の予測を超えることまでする。 そうして不測の事態を乗り越えることにより、 その作業員はますます自分の可能性や価値に気付き、自尊心を強くする。 仕事に発見の喜びやおもしろみをもたらすのは、生産性のひとつの側面なのだ。 ウィリアム・ポラード 『企業のすべては人に始まる―サービスマスター・社員の成長に献身する会社』ピーター・ドラッカーは「われわれの仕事は何か?」を繰り返し、問うことが必要だといっている。「われわれの仕事とは何か?」の先には、さらに「顧客とは誰か?」、「顧客は何に価値を見出すか?」といった質問が続く。自分たちの仕事を問うことは同時に、顧客を問うこと、顧客の関心、問題について問うことになる。顧客がいなければ、そして、顧客がそこに価値を見出さなければ、われわれの仕事は成り立たないのだから当然だろう。そして、顧客が時間とともに変化することを思えば、「われわれの仕事は何か?」を繰り返し問う必要があるのはこれまた当然のことだ。さて、上記にいくつか引用した文章は、アメリカをはじめとする世界のいくつかの国で、清掃業を中心とするサービスの提供で50億ドル超の売上高を誇る優良企業サービスマスターの元CEO、現名誉会長が書いた本からの抜粋だ。この本ではとにかく、ビジネスを形作っているのは結局は「人」だということが繰り返し説かれている。顧客も人であり、株主も人である。従業員も人であるし、従業員の家族も人である。いっしょに働く同僚も人だし、自分の上司や部下も人である。そして、リーダーとしての経営者もおなじく人なのだ。結局のところ、ビジネスをつかさどっているのはどこを見ても人ばかりなのだ。だとしたら、ビジネスをうまく行なおうとすれば、人を重視するしかない。人のこころ、人の考え、感情、そして、人の生活や人生について、真剣に考え、ともに強調しあい、助け合うことを考えなくてはいけない。人を相手にするのだから、いい加減な考え、姿勢ではうまくいくはずがない。だが、逆に人を相手にするのだから、誠意をもって、相手のことをよく考えて、自分の力を精一杯使って貢献すれば、予測していた以上の効果が、貢献されたほうにも、貢献したほうにも発生する。ようするに、これはビジネスの話であるのはもちろんのこと、ビジネスを通じたビジネス以上の人生の話でもあるのだ。そして、これからの世の中、こうした考えで生きていこうとしなければ、おそらくビジネス上の成功も、人生における幸福もあまり期待できないのではないかと思われる。とにかく、人の成功を妬んだり、人の欠点の揚げ足をとったり、そんな暗いゲームばかりやってるアンフェアな人ばかりだと企業の業績も、日本っていう国の経済も、お先は暗いんだろうなと思う。バンビはそろそろそういうつまらないゲームからは「一抜けた」って言おうと思っている。
2003年03月12日
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人は何のために仕事をしているのだろうか。食べるため、生きていくためのお金を稼ぐためという答えはもちろんあるだろう。だが、本当にそんなことでお金を稼ぐということができるのだろうか。与えられた仕事をこなすだけでも、確かに労働に対する賃金は支払うべきかもしれない。だが、その程度の労働なら機械化、自動化できればいい。ヘンリ・フォードはかつて「ほんとうは二本の手だけあればいいのに、どうしていつも人間をまるごと雇わなきゃならんのだ」と言ったと言われているが、二本の手としての役にしか立たず、ましてや、フォードが嘆いたように、二本の手マイナス役立たずで文句ばかりを考え出す頭としての人間が働くなら、機械のほうがはるかに優れているだろう。それでも、企業は人を雇って働かせている。だが、その場合、何を雇っているのだろうか?二本の手だけでは雇えないので、仕方なく人間ごと雇っているのだろうか?それとも、すこしは人間の頭に期待していたりするのだろうか?おそらく後者なのだろうが、どうもそのための準備が企業の側にも、雇われる個人の側にもできていない気がする。あなたはいったい何故働いているのだろうか?また、企業はなぜ人間を雇うのだろうか?何のために人を雇う努力を行い、また同時になんで雇われようとするのか?そのことをほんとうに考えているだろうか?あなたの権限は何で、あなたの指名は何なのか?なぜ働くのか?働くことであなたは何をしようとしているのか?あなたの人生のうち、働くことに費やす時間はかなりのものだろう?あなたはその時間を有効に使っているといえるのか?その時間はあなたの人生において貴重で有意義なものなのか?そして、そもそも、あなたは自信をもって自分の仕事をしているのか?スキルや能力の話ではなく、真にその仕事をすることで、あなたの人間性は高められているのか?そうあなたは自分に問い掛けているだろうか?そして、企業の側からすれば、従業員の人生の貴重な時間を自分たちの事業のために費やさせていることに対し、それなりの責任をもっているのだろうか?従業員本人、そして、その家族の人生のなかの貴重な時間をあなたの事業に関わらせることを、自信をもって有意義なことだと言えるだけの考えが、あなたにあるだろうか?いま、足りないのはそうした覚悟である。顧客にベネフィットを与えるためのあなたの事業が本気であるのなら、そうした覚悟くらいできるはずだ。それがないなら、その事業は所詮その程度のものだということだろう。
2003年03月11日
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みなさん、重要なことを忘れてはいないだろうか?自分が人間であり、そして、また他人も人間であるということを。仕事をするのは、おそらく、あなたが人間であり、自分の人生、そして、家族の人生を生きなくてはならないからではないだろうか。人生において、人として成長するために、人としての自分の価値を高めるために、人は自分の人生において、さまざまな努力をするのだろうし、勉強をしていくのだろう。自分を磨くと同時に、他人が自分を磨くために協力をし、自分の人間としての尊厳と価値を認めるように、他人のそれを認めることは人間としてきわめて普通のことだったりするのではないだろうか。だが、そうしたことがなぜか組織の中にいると忘れられている節がある。人材という言葉は単に人手ということを意味しないはずだ。また、顧客とは単に商品を買ってくれる頭数ではないはずだ。株主は財布ではないし、供給業者だって単なる物売りではないはずだ。それらの人々にはそれぞれ人生があり、たがいに尊厳と価値を認め合い、人としての成長を助け合う関係であっていいはずだ。社会における多くの価値は人が創り出すものであるにもかかわらず、それを創り出す人自身の価値を高めていこうとする意識がこれほどまでに低いのはいったいどうしたことだろう?マネジメントにおいて重要なことは、人それぞれの力を最大限に引き出すよう努め、また、それぞれが人として育っていくことに助力することではないだろうか。そして、働く人、顧客、株主、関係するパートナーそれぞれがおたがいに協力し合い、それぞれの人としての価値を高めていく環境を準備してあげることではないだろうか。結局、組織の価値もそこからしか生まれないはずだし、それを拒む理由など、なにひとつとしてないように思う。やはり、みなさん、重要なことを忘れているようですね。自分が人間であり、そして、また他人も人間であるということを。
2003年03月07日
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ある人が、人を雇うときに必要なのは、誠実さ、知性、そしてエネルギーという 3つの素質だと言ったことがある。 そして、最初の素質が欠けている場合、あとのふたつがあるのは最悪だと。 考えてみればその通りだ。 「誠実さ」のない人間を雇ったとしたら、その人間が鈍くて怠け者であってくれるよう祈ることになるだろう。 ウォーレン・バフェット組織を、事業を動かすのは、結局はその内部にいる人の力であるのは間違いない。だが、再三、この日記でも書いてきたように、個人個人がそれぞれ努力をしただけでは、組織としての結果は必ずしも生まれない。組織の目的、事業部門の目的、そして個人の目的、これらが一致してはじめて、個人の力は組織の力、事業部門の力となる。とうぜん、これを調整するのこそがマネジメントの仕事だ。そして、個人はマネジメントがそのためにあることを理解し、それに対して、誠実な対応をしなくてはならない。マネジメントがその組織で働く個人に対し、不誠実さをみせたら、個人は決して力を発揮しないだろう。また、マネジメントが誠実に努力しても、個人が不誠実にその努力をふいにするような態度を示せば、全体の士気が乱れることにもなるだろう。組織は外に価値を創造するのがその使命だが、内部でその価値を共有できていなければ、その活力は生じない。どの価値が重要か、それはなぜかを共有できていない組織はみずからの持てる力を十分に発揮することがむずかしいだろう。マネジメントはそこにこそ注力するべきで、そこにはっきりとした責任をもつべきである。 ■ウォーレン・バフェット( 1930 ~ ) ・1950年、ベンジャミン・グレアム(バリュー株投資(=割安株投資)の先駆者)に師事。コロンビア大学入学。 バフェット自身「私の85%はベンジャミン・グレアムで15%はフィル・フィシャー(グロース株投資(=成長株投資)の 達人)である。」といっている。 ・1965年、家庭用繊維製品メーカー「バークシャー・ハサウェイ」(現在は投資会社)の経営権を取得、 現在同社の会長兼最高経営責任者を務める。 株式投資だけではなく、実業の世界でも実績を上げている。 ・投資実績としては、1965年以来1999年まで34年間に渡って年25%ずつ儲け続けた。
2003年03月06日
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ビジネスモデルという言葉は、ここ数年来のインターネットビジネスの流行と衰退の流れのなかで、すっかり汚れてしまった感がある。だが、その言葉がいくら汚れてしまったとしても、その言葉の意味するものは、インターネットビジネスなどが登場する、はるか以前から存在していたものであるのだし、ビジネスを行なう上で決して不要なものとなることはない。そう。ビジネスモデルとは、企業がみずからが定めた目的(使命)をいかにして実行し、いかにして、そこから利益を得るのかということを、必要な登場人物、ツール、それらの動きなどを明確にすることで、ビジネスの流れをはっきりと物語れるようにしたものである。逆にいえば、自分たちのビジネスをはっきり物語れないようであれば、そのビジネスにはどこかうまくいかない原因としてのあいまいさがあるといえるだろう。例えば、それは、登場人物の一部が明確になっていないことかもしれない。あるいは、登場人物の行動がまったく現実離れしたものとして描かれているのかもしれない。いずれにせよ、自分たちのビジネスの流れをシンプルに物語ることができないような企業はかならずどこかに問題があるのだと思う。商品と顧客の側だけを描いても、それはビジネスではない。それでは商品の原材料をどこから仕入れてくるのか、わからない。また、資金はいったいどこから集めてくるのかもわからない。ビジネスモデルという物語はビジネス全体の流れとそこに必要な登場人物すべてを描いたものでなくては意味がない。インターネットビジネスにおいては、そうした正しいビジネスモデルが描けなかったことにこそ衰退の原因があるのだろう。それは個々のインターネットビジネス企業のマネジメントの失敗であって、ビジネスモデルという考え方自体の問題ではない。むしろ、ビジネスモデルの必要性はより重要になっているのだとバンビは考える。みなさんはいかがだろうか?
2003年03月03日
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さて、前回の日記で書いた「合意」について、すこし補足的なことを書いてみよう。「合意」はなにより組織の生産性を高めるものだが、現実には「合意」を形成するのはむずかしいことである場合が多い。だが、それをむずかしくしている理由は、意外と明確だったりする。多くの場合、「合意」形成をむずかしくしてる要因は、「何のために、誰のために、その仕事をしているか」が明確になっていないからだ。そこからはじめなくては、おそらく、「合意」はむずかしい。ようするに、自分たちが何を、どうやって行うかを合意するには、自分たちの内部だけを考えてみても、決して答えは見つからないのだ。では、どうしたら合意が形成しやすいか?それは自分たちの仕事の目的を外の目から見て考えることだろう。仕事は基本的に外の人たちのためにやるものである。お客さんのためだ。なぜならお客さんからしか、売上も利益も発生しない。いくら自分たちががんばったところで、その結果をお客さんが認めてくれなければそれは働いたことにはならない。自分たちの仕事の質を決めるのはお客さんだ。自分たちが何ができるかではなく、お客さんが何を求めているかこそが重要である。お客さんが求めているものを、低コスト高パフォーマンスで提供しようとすれば、内部でもめているヒマなんてないはずだ。内部でもめている時間にも、もめている人間の人件費コストは発生している。そして、そのコストは結局、お客さんが購入する際の価格に上乗せされてしまう。こんなおかしな話はない。内部がもめているせいで、なぜお客さんの購入金額が高くなってしまうのか。ばかげている。お客さんのことを考えれば、一刻も早く「合意」して、すぐさま、お客さんのための行動をはじめなくてはならないはずだろう。結局、「お客さんが誰で、そのお客さんの求める何に対して貢献する」のが自分たちの仕事かを考えなくては、「合意」などしようがない。合意のための共通の目的を見出すには、自分たちの内を見るのではなく、外からの視点でものを見ることが重要だろう。外の人たちから見たら、自分たちをほっといて、内輪もめしている人たちはいったい、どんな風に見えるかくらい、想像できるだろう。そういうことだ。とにかく、気をつけるのは次の3点だ。 ①利益は外からしかやってこないのだから、まずは外のお客さんを最優先させること ②内輪もめなどで合意が遅れれば、それだけコストがかかり、 結果、お客さんへの販売価格が高くなるか、利益率が下がってしまうことを意識する ③合意においては「目的」を明確にした上で、 「役割分担(リーダーが誰かを含む)」と「スケジュール」を決め、 そのとおり、行動する。①については、もはや「ビジネスの基本」だろう。「売れる」ものをつくるのではなく、「買ってもらえる」ものをいかに提供するかだ。②については、いかに自分たちの仕事を評価するかということになるだろう。お客さんへの貢献を自分たちがどれだけ効率よくできているかということだ。③については、「目的」という言葉を「使命」という言葉に置き換えてもいい。自分たちが外の社会に対して、どんな使命を果たすのかということだ。そして、組織で協力してやるためには、役割分担とスケジュールといった行動指標がなければ、行動が非効率になり、使命の達成度合いに影響するだろう。というわけで、上記を明確にできれば、ほとんど問題はないはずである。逆にいえば、ほとんどの問題は、上記があやふやなことから来ているのだ。細かいことはさておき、シンプルに上記の基本的な面を見直すのがいいだろう。
2003年03月02日
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