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なんともう月末じゃ~!とにかく、日記をアップしなければ!で、取り急ぎ前回の続き↓私の兄妹は、妹と弟の3人兄妹で3才ずつ離れている。会社の移転先は、二つ先のブロックで歩いて数分の所だったので父親は、朝早くから夜遅くまで仕事で忙しくほとんど家にいなかった。家には、寝に帰る程度だったように記憶している。昭和30年代、家の前の道路もまだ砂利道で今のようにアスファルトでなかった。その上を三輪車でつま付きながら遊んでいた。今の様に車が、多くなかったので道路がもっぱら公園と言った所だった。叔父の社長の所に私と学年が同じ長男がいて、兄妹のように仲がよかった。いとこは、大変縁が深く父親同士がいとこで同じ会社の社長と専務でまた、母親同士が姉妹と言う関係で彼とは従兄弟、ハトコの間柄だった。母親は、お姉さんに叔父を通じて父親を紹介されて結婚したとの事だった。毋方の祖父は、大阪の裏地を扱う会社の社長で裏地を扱う傍ら、イヴ・サンローランとライセンス契約をして日本で輸入販売する販売会社やアルファー・キュービックという会社を起して一世を風靡したやり手の祖父だった。当時昭和40年代に海外のデザイナーブランドを日本に紹介し、インポートブランドのマーケット創設の先駆けとしては、業界では風雲児だったと聞いている。父親達は、毛織り物の表地の企画・生産・販売だったのでかなり祖父の力を借りたのではないかと今になって思う。私は、その頃小学生で父親は日曜も家にいる事はほとんどなかった。また、母親も家事子育てをしながら会社の手伝いに借り出される事も少なくなかった。そのため、私たち兄妹や従兄弟達の兄妹のは小学校が夏休みとか長期の休みになると毋方の祖父の所(まるで孫の合宿所)に預けられる事がしばしばあった。祖父はその頃、現場から退いていたので夏休み中の平日に私たちを連れて奈良や大阪を連れ歩いてくれた。その頃、70代の祖父は毎朝、自宅まで運転手さん(車はその頃まだ珍しいベンツ)が迎えに来て終日交通手段は車での移動だった。つづく・・・・・
November 30, 2004
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楽天日記を書きはじめてそろそろ4ヶ月になるが書込み率が非常に悪い。今まで日記をつけた事がなかったので不馴れな性もあるが、どうしても日記を書く為のネタを探してしまう。本来日記なんだから日々の出来事や思った事、感じた事を書き綴ればいいのだろうが、人に見られてると思うとかしこまってしまう。毎日メルマガを発行している人はさぞ大変なんだろうなとあらためて感心する。そこで、これからは暫く自分の生い立ちを書き綴ってみようかと思う。その間にリアルタイムの日記を入れていければいいなと思っている。私が生れたのは愛知県の一宮市と言う愛知県の西の方でどちらかと言うと岐阜県に近い。(ちなみに愛知県の人は場所を差す時方位で言う。)どこか場所を説明する時は、『西に真直ぐ行って、二本目の角を北に曲がってすぐ』とい言った具合で方向で言ってくるので方位が分からないと話にならない。でも、方位が分かっていると思って平気で言ってくるので心しておいて下さい。愛知県は、戦国時代西半分を尾張の国、東半分を三河の国に別れていた。一宮は全国に同じ地名が国毎にあり、私の生れた所のJRの駅は『尾張一宮』と言う。産業は、戦後毛織り物の産地として有名で昭和30年代、40年代は盛んで農家の人が納屋に織機を買って機屋(はたや)に業種転換する事も少なくなかったと聞く。(※機屋(はたや):生地を織る工場、この業界は分業で成り立っている。)戦後のガチャマン景気と言って織機がガチャンと動くたびに1万円が落ちてくるほど儲かったと言う比喩があるほどです。私は、まさにそのガチャマン景気の真只中に生地屋の長男として生れた。実家には反物(生地が棒状に巻かれた状態)がキャンプファイヤーの様に井桁状に天井近くまで積まれていた。子供の時は、その反物の上を飛び回って遊んでいて、反物の山が崩れたり、反物を包んであるクラフト紙を破ってしまったりして怒られた事が日常茶飯事だった。ここで生地屋さんの事業内容について説明したいと思います。洋服には大きく、下記のように3種類の製法がある。1、布帛(フハク):ウールや綿の生地(織物)をカットして縫い上げる商品 (コート、ジャケット、シャツ等)2、ニット ;いわゆるセーターの事3、カットソー :ニット生地をカットして縫い合わせてできた商品 (Tシャツとかジャージーと言われるもの)私の実家は、ジャケットやコートやスーツに使うウール生地を機屋に織らせて、生地の問屋やアパレルに納める業務で、私の叔父が社長で、父親が専務としてスタートした。私が生れる前から実家が事務所でそこに両親が住んでいた。そして私が生れ、家族が増えると同時に近くに社長宅兼事務所を移転。つづく・・・・
November 21, 2004
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いよいよテレビが寿命のようだ。画面全体が赤い。結婚の際、嫁さんが持ってきたテレビ。9年ぐらい使ってます。最近テレビは見ないので気付かなかったけどここ1ヶ月ぐらい前から調子悪いらしい。と言った訳で家電量販店に代替えを買いに行く。今のは32インチワイドなのでそれ相当を物色してみる。液晶は、1インチ一万程度と高額なので、とりあえず、ブラウン管で探すと安い!30インチ前後で4、5万円台である。一昔前なら10万から20万ぐらいしていた物じゃない。と言う訳で、定員さんに同じような性能値段の2つの私 :「何処がどう違うの?」と聞くと突然、店員:「このテレビはあと7年で見れなくなります。 それを考えたら、こちらの方がいいですよ!」といってブラウン管の地上波デジタル対応機種を進めて、店員:「でも、買わなくてもいいから聴いといて下さい。」と言って今度は液晶のデジタル対応の商品をすすめる。そのテレビは、なんと22インチで28万円!それも画面には20インチとシールが貼ってあり、店員:「これは、ブラウン管では22インチと同じです。 説明はできませんがそうなんです。」ともう絶好調!「へ~!」「へ~!」と返事する私をきょろきょろ見ながら店員:「何ならこのパンフレットを見て下さい。 デジタル放送の事が詳しく書いてあります。」とS社のカタログを渡してくる周到さ。私 :「でも今回は、アナログのブラウン管でいいです。」と言って、ブラウン管テレビの前で私 :「じゃあ、これ今日中に配達してくれる?」 (ここのお店では、当日配達を大きく唱っている。)と店員に告げると店員:「あ-!本日お届けの最後の一台枠は先程私が注文を 入れたので一杯になっていると思いますがちょっと 聞いてきます。」さっきから事あるたびに「確認してきます。」「聴いてきます。」 と何回も席をはずしておいて帰ってきて、とどめの1発店員:「やはり本日は無理でした!」間髪入れず私 :「じゃあ、今日はいいです!」そして、退店!Y電機の販売応援に来てた?S者の方私だって、地上波デジタルの事ぐらい知ってます。「あなた、Y電機の営業妨害してますから!」「残念!お客のニーズ全く無視斬り!」帰ってテレビをつけたら赤み直ってました。もうしばらく様子を見よう。
November 14, 2004
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今日、打ち合わせの後いつも使わせていただいている錦糸町丸井の裏にあるスポーツカフェ『タイフー』のオーナー社長と知り合いの人材派遣会社の社長と話で日本社会の高齢化の話で我々が年老いた時、日本に住めるのはお金持ちだけで中流の年寄りは、物価の安い海外移住の選択をしなければならなくなる。という話を聞かされた。実際、テレビなどで『豊かな老後の過ごし方』的なバラエティで『夫婦二人で月6万もあれば生活できるんですよ。』『余ったお金を貯金して、旅行に行ってます。』と言った番組を見た事がある。何となく、老後を豊かに過ごすと言われると聞こえはいいが、これって、現代版『楢山節考』じゃないの?夫婦のうちはいいけど、一人になったらやっぱり日本に帰ってくるのかな?その時、何処に世話になるのか一人で住むかしかない。で、葬式、お墓は日本?であれば、やはり日本で生活できる環境を整えたい。入居、月払いが高い老人ホーム的な施設でなく、畑仕事でも、園芸でも、洋裁でもいいから生産性のある場所を提供する事が自給自足の運営を可能にして海外で無理に優雅さを誇示するよりも自然ではないのかなと思うのだが?
November 10, 2004
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今日、六本木に商談に行った。久しぶりの六本木だった。相変わらず、この街はちょっと来ないと店が変わってしまう。商談先に行く前にパートナーと下打ち合わせでコーヒーショップに入った。この店は、昔からある有名なお店のようで連れてくれたパートナーの方が『通りの向こうにあった店からこちらにいつ移ったんですか?』と尋ねると『もう、8年になりますよ』と答え、サービスにコーヒーゼリーをいただいた。目まぐるしく変わる六本木の中で顧客に慕われてしっかり、永続できるお店のあり方を見せてもらった。話は変わって、商談先のビルの前にポルシェのショールームがあるのだが今日見たらランボルギーニに変わっていた。私が子供の頃『サーキットの狼』がはやってスーパーカーブームがあった時にスーパーカーの代名詞的存在の車だった。何となく、世の中の流れがあの頃とオーバーラップして見えるのは私だけでしょうか?ただ、大きく違うのはマスでなくニッチ?
November 9, 2004
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かつおくんのメルマガ登録よろしくね!『年収3000万円プロジェクトの戦略戦術をつづります。』登録はこちらから http://www.mag2.com/m/0000142678.htm今日、ベンチャーSUMIDAの入居の人Hさんの紹介で大久保の会社に連れていってもらった。24才の社長Oさんと25才の統括本部長のYさんと商談。完璧にやられた。もう、今までの自分を全否定しなければいけないぐらいの衝撃!レベルが違いすぎる。一回り以上も年の違う人たちが既に今から私がやろうとしている事を終わっていた。なにこれ?知らないのは、自分だけ?凄すぎ!でもこれで今から自分が目指す事の確信を再確認できた。でもって今から、老体にむち打ってがんばるだけ!Do my best!
November 8, 2004
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かつおくんのメルマガ登録よろしくね!『年収3000万円プロジェクトの戦略戦術をつづります。』登録はこちらから http://www.mag2.com/m/0000142678.htm6、7の2日間出張で名古屋に行ってきました。名古屋は今、万博や空港でもりあっがてます。電車の中の女性のスタイルも東京と違う。これが、名古屋嬢?りかちゃんっぽい?皆が、カリスマ読者っぽい。ところで、今回の出張で名古屋の事務所のパソコンが古くていよいよダウンしたので、新しいのを買いました。随分安くていいのが出てるんですね!そこで7日朝からセッティング小一時間で完了。さあ、立ち上げてネットに繋いで?ダイヤルできません!今どき、ISDNでルーターに接続しているのですが、OSがXPでルーターが古すぎて反能無し。ドライバーも一番初期の古いもの。ルーターの取り扱い業者のサポートセンターに電話する。ところが、指事道理やってもだめ!XPのサービスパック2がどうたらこうたら。あげくのはて、ルーターの製造メーカーのサポートに電話して下さいとの事。ちなみに日曜はやってません。今日中に東京に帰らないといけないし、私以外この状況を処理できる人間もいない。次に名古屋に来るのは、1ヶ月後。困り果てて、古いパソコンをもう一度接続し直してネットで検索、あった!ルーターの業者のページでXP対応のセッティングのマニュアル。ふむふむ・・・・できた!よかった!なんとか最終電車に間に合う。サポートセンターさん、おたくのホームページに載ってますから!残念!あてにならないサポートセンター斬り!みなさん、パソコン買い替える時は、古いの捨てる前に新しいのセッティング完了してからにしましょう。
November 7, 2004
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かつおくんのメルマガ登録よろしくね!『年収3000万円プロジェクトの戦略戦術をつづります。』登録はこちらから http://www.mag2.com/m/0000142678.htm先日、ビーウィッシュの事務所があるベンチャーSUMIDAの施設公開の件を書きましたがその模様がTOKYO MX TVにて紹介されました。その模様は下記から↓http://www.mxtv.co.jp/tokyotoday/200410198.htmlそして、その時来てくれた中学生の生徒さんから感想文が送られてきました。『仕事や将来に向けて目標を持つきっかけになりました。』『自分のやりたい事で仕事をしていきたいと思います。』といった大変うれしい感想を頂きました。そう思うと私たちが、中学の時はまさに受験地獄で将来どんな仕事をしたいとか考えた事もなかったように記憶しています。これからの教育は、社会に適応できる教育がもっと必要だと実感した施設公開でした。この日記を読んだ方、今から少しづつでも好きな事をしてみませんか?
November 5, 2004
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既に日記はべたべたに遅れているので取急ぎ、急ぎを要する事から記述していきます。今度、今私たちが進めている明確化協会の一番若手で一番やり手のかつおくんがメルマガデビューします。1年掛かりになると思いますが壮大なプロジェクトです。ぜひ、登録して応援してあげて下さい。詳細は、下記より↓自分の強みと、自分の売る商品の強みを明確化したバカな27歳がとんでもないことを思いついた。それは「年収3000万円に挑戦して、成功したあかつきには1000万円を使った大宴会を開く」というもの。実践の日々や、年収3000万円プロジェクトの戦略戦術をつづります。登録はこちらから http://www.mag2.com/m/0000142678.htmみなさん、よろしくお願いします。
November 4, 2004
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