全7件 (7件中 1-7件目)
1
♫ ぼくらは みんな 生きている 生きているから 笑うんだ ぼくらは みんな 生きている 生きているから うれしいんだ 手のひらを 太陽に すかしてみれば まっかに 流れる ぼくの血潮 トンボだって カエルだって ミツバチだって みんな みんな 生きているんだ 友達なんだ ♫ 未だに時々口ずさんでしまう童謡であります。♫ミミズだって〜アメンボだって〜♫のサビの部分は、子供の頃みんな一斉に声を張り上げて歌っていたような記憶があります。↑それがない。はい、今回はあえて2番を載せてみました。2番はトンボとカエルとミツバチなんですねぇ。すっかり忘れていました。1番と2番の違いは、登場する動物たちと「(生きているから)笑うんだ」「(生きているから)うれしいんだ」です。2番の方がポジティブな感じなので、ちょいと出しゃばらせてみました。 多分応援歌っぽいムードがあるのでしょう。自分に向けての…。だからつい口ずさんでしまうのでは…。 さてさてカタツムリです。残念ながらこの歌には登場しませんが、この間バッタリお会いしたので、なつかしい限りでした。梅雨時になればまた出番もあるでしょう。 みんなみんな生きているんだ 友達なんだ とは思うんです。確かに正論です。でもゴキブリとかハエとか蚊とか…アタクシたちに害を運んで来る輩とは、友達にはなれない、なりたくないんですね。人の勝手でしょうかねぇ…。 太陽はそんな思惑とは無関係に、みな平等に照らしてくれます。太陽の光は幸せホルモンを放出しているとか……。この歌って、もしかして太陽目線で描かれたのか…う〜ん…。
2020.05.31
コメント(5)
♫ 通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神さまの 細道じゃ ちょっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ ♫ 地元の天神社。こちらもアタクシの散歩コースです。小高い丘の上にありまして、行きはちょっとだけ山道を、帰りは階段を降りて……数えたら五十段ありました。鳥居があって、こちらがどうも正門のようです。どうやらアタクシ逆コースを辿っているようです(*゚∀゚)。山道を少し行くと裏道?歌で歌われている細道ですかね↓ こんな時期なのでお参りを…と思ってから、ここを通る時には必ず…。お百度参りになる頃には終息していればいいな、なんて。いつになるやら…ですが。まぁこんなふうに気長に構えてもいいかな…とも。 いいかげんにしていた神社のお参りも、一応確認してにニ拝ニ拍手一拝というのを実践しています。時間にしては五分くらい。それを今までは敬遠していたのですから…何と慌ただしく生きていたのでしょう。 ↑この向こうに駅があり、ちょっとした町並みが見えます。天神さまはこうして人々を見守っているんですねぇ。 すると「行きはよいよい 帰りはこわい」というのは、天神さまの境地に立ち入って、これから人間界に帰るのですが、自分までも天神さまになったような気になって見下ろしちゃあいけませんよ…とか何とか、そんな戒めの意味合いもあるのでは…なんてふと…。 カラスも詣でておりました。そしてカァカァと見送ってくれたのでした。
2020.05.27
コメント(5)
♫知らず知らず 歩いて来た 細く長い この道 ふり返れば 遥か遠く 故郷が見える でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生 あゝ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて あゝ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏に 染まるだけ♫ 名前負けならぬ歌負けしてしまいそうな小さな川であります。少しは名の知れている?多摩川の支流で、アタクシの散歩コースでもあります。今日は川面に空が反映してか、きれいな色を映し出してくれています。時々鴨がやって来て泳いだりはできる程度の水量はありますね。それでも大雨に見舞われると、水嵩が増え、流れも激しくなります。雨の量やらお天気事情などを教えてくれます。 段差が流れを引き立てています。水の流れるさまは何とも心地良く、水音も和みます。だから人は川に惹かれるのか…それこそ多摩川のような大きな川になると、河原も、土手も、サイクリングロードまで備えて立派なスポットですよ。ゆったりと時の流れに身をまかせて〜ボゥ〜としていたくなります。 川を辿っての散策もそろそろ終わりにさしかかってきました。町近くになると、水の流れも滞るのか、水嵩も減り土が溜まって草花を咲かせたり…。 ここでまた水路が別れ、それぞれ流れて行きます。いつかは大きな川に流れつくのでしょう。あゝ人もそんな感じですかね。大きなものに向かっていく。それに呑み込まれるか、合流して更に勢いを得るか…それは己の気持ち次第。そうと思えばそう!でよろしいんじゃないでしょうか・ね。
2020.05.23
コメント(4)
♫ 線路は続くよ どこまでも 野を超え 山超え 谷超えて はるかな町まで ぼくたちの 楽しい 旅の夢 つないでる ♫ ふと、こんな歌を思い出すのもご時世ですねぇ。最近は横目で見るものの電車に乗る機会が減りました。災害時、帰宅困難になってしまったら、線路を歩けば家にたどり着けると言われますが、試したことはありません。あっ!今も災害時ですね、電車は動いていますけど(笑)。 この線路脇の道は鉄ちゃんにはベストショットスポットらしく、時々カメラを持って電車が来るのを待ち構えている鉄男クンを見かけます。アタクシも真似してスマホを構えましたが、ハハハ、こちらは電車ではなく線路をパシャ!と。被写体は動かないので安心(*^。^*)。 線路を隣に歩いていると、普段忘れていることが沸々と思い出されます。ちょっと盛り上がって石が轢かれ枕木が置かれた上を走るレール…懐かしいなぁ…脇には草が生えて、ちょいと前なら、つくしが生えていたでしょう…田舎じゃなきゃ味わえない、この風情! 当たり前に電車に乗ってちゃわからないですねぇ。 さて、続く線路の先に行けるのは、いつになることやら(*゚∀゚)。でも、まぁ、旅の夢を空想するのもまた良し!といたしましょう。
2020.05.20
コメント(4)
桜んぼ実る頃は うぐいすやつぐみたち お祭り気分よ 恋人は胸の中に お陽様を抱きしめて うららかな春の日に 酔いながら歌うよ 桜んぼ実る頃は つかのまに流れ去り 帰らぬ時よ 若者も娘たちも 摘むために出かけるよ つややかな丸い実で 胸や耳を飾るよ 桜んぼ実る頃は 胸いたむ悩ましい 恋の季節よ 離れれば胸はうずき よりそえば苦しくて 色づいた桜んぼの 実のように悩むよ 桜んぼ実る頃は なつかしい思い出の よみがえる時 喜びや悩みさえも 想い出はほろ苦く 桜んぼゆする風に むせながらしのぶよ 〜♫「桜んぼの実る頃」より〜 ※ジブリ「紅の豚」の挿入歌だったとか… 河津桜の並木道。河津桜は早咲きの桜で有名ですね。今年も2月頃には咲いていたでしょうか。ふと足下を見ると紅い実があちらこちらに落ちていました。それが桜んぼだと気づくのに少し時間がかかりました。たぶん初めて見た、というか気づいたのだと思います(*゚∀゚)。 お恥ずかしい話。花見の後は桜には見向きもしなかった…確かになぁ…だから実がなるなんて改めて実感した次第。桜んぼは食べるくせに、それがあの桜から…なんて想像の範疇になかったんです(ーー;)。 これこれ。桜んぼは食品売り場でしか見たことがなかった!日本産の品種改良されて丁寧に作られたものより、アメリカ産の方が、道で見かけたものと似ている感じ。と言ってもここまで大きく実らせるには人の手も必要でしょうね。アタクシが見た桜んぼは、たぶん鳥が頂くか、地に還るかでしょう。でもしばらくは散歩道を彩ってくれます。ひとつ、アタクシの風物詩が増えました。
2020.05.15
コメント(4)
今年もまたバラが咲きました。友人が大切に育てていたバラが咲いたので、一輪くださいました。 まだ蕾もたくさんあり、一堂に咲き誇るのが楽しみです。世間はコロナ一色に染まるが如く、自粛ムードに溢れています。そんな中、全く無関係に咲く花を見て心温まる思いではございます。色々と制限をやむなくされると、普段気がつかないことに目が止まります。そしてちょっとしたことでも嬉しくなってしまう、ささやかな幸せってこういうことなんでしょうかね…ちょっと偽善的な物言いで自分的には好ましくないのですが、たまには正攻法的に見るのもいいかも(笑)。 ベコニアと仲良く肩を並べて記念撮影。照れてあるのか、ちょいとシュールに写りました。窓越しに撮ったらこんな感じに。向こうの建物まで参加しちゃって…。虚偽といえばそう、ありえない…でもこうして存在しちゃっているのだから事実。 かつてペストが流行った頃、その後にルネッサンスが訪れる人々は自由を手にしたと言う。するとコロナは警告であって、その後に何かをもたられてくれる…なんて都合良く考える、今を乗り越えれば…何となくどんな世の中が来ようとしているのか、想像がつかなくもないけれど…そしてそれが本当に良い時代の幕開けなのかはわからないけれど…。 ♫まばゆい5月 紅いバラは 思い出のバラは 君の庭に咲くだろうか♫
2020.05.11
コメント(5)
2020年頃、子供が学習のために通っていた施設だそうだ。7歳から15歳まで、誰もが必ず受けなければならない義務教育とやらのもと存在していたとか。7歳から12歳までを小学校、それ以降を中学校と言い、施設は建物の他に野外の広場があり、そこでは子供たちが一堂に集まり運動をしていたようだ。今では特定の人間しかできないサッカーや野球が人気だったとか。広場を駆け回り転んでは泥だらけになっていたと…信じられない光景だ。野外は危険に溢れている。大気汚染やらウイルスだの、数え上げればキリがない。そんなところで子供たちが…よく父兄がクレームも言わず黙っていたものだ、と首を傾げる。 そもそもスポーツは見るものだ。幼少期にその才を認められた人間だけが訓練を積んで、他の人々を喜ばすためのいわば国家事業の一環。それでも興奮がおさまらなければ、PCで疑似体験する、それでいいのだ。 今は廃虚のごとく時に置き去りにされている。こういう施設が全国に多々あるらしい。重要機密の研究施設に、という話が出ては消え、その繰返しでどのくらいたつか…。さすが我が国の政府は慎重である。何事も安易に決定しない。これでもか、これでもかという具合に討議し合う。そのためにかかる時間がなんだろうか…。 不思議といえば不思議。青いビニールに包まれているのは花壇と言う。この聞き慣れないものは、花や野菜を育てる場所だとか。かつて花や野菜が野外で作られていたなんて、誰が信じられようか。ましてやそれを学校という施設で子供たちが…となると、色々な問題が出てきて想像を絶する次第だ。 不思議ついでに、その施設の中にあった白い箱。何故か必ずこの学校なる施設(小学校)にある。何でしょね〜。学校、白い箱で検索してみると…百葉箱だって。気象観測のため野外に設けられ、白塗りで鎧戸がトレードマーク。気象を観測していたとか理科教育の一環とかと、まぁご苦労なことで…。当時もこれはナニ?ってギモンに思う子供たちが多かったんじゃなかろうかというシロモノ。 そんな遠い昔ではないのに、こんなにも様変わりしていたなんて、「れいわ・あれこれ」。面白いアプリを見つけたものだと感心している。
2020.05.02
コメント(5)
全7件 (7件中 1-7件目)
1