「気流の鳴る音」
交響するコミューン <1>
真木悠介 初版1977/5 筑摩書房
小生にも、それほど多くはないけれど、ずいぶんと長く交流を保ってもらっている知人というものがある。その人々は、友人とか知人とか旧友とか、ありきたりの紹介を超えて、あるいは同志とか仲間とか朋友とか、いう言葉も超えて、なにやら、自分と一体化してしまっている場合がある。当然、恋人や伴侶でもないので、一定程度の距離は保たれているのだが、手を伸ばせば、いつもそこにいる関係というか、そのような存在である。
そのような貴重な存在の一人である、H倉女史の紹介にあった一冊。有名な、真木悠介=見田宗介については、当然のごとく名前は知っているし、その活動の一旦はとうぜんのごとく知っている。しかし、本来あまり本を読まない上に、面倒くさがりで、もの知らずの私は、この有名な本を今回初めて読むことになった。
読んで初めてわかったことは、ほぼ全編、カルロス・カスタネダの「ドン・ファンの教え」にかかわる文章だった。1973~1976年に「展望」「朝日新聞」や「朝日ジャーナル」に掲載された文章を一つにまとめたものである。なるほど、この時期であれば、コミューン、というモダニズム、ドン・ファンの教え、という新潮流が、全編これ影響力が濃く反映されているのは、当然だろうと思う。
1980年初頭 からでてくる
中沢新一
や
村上春樹
などを読むよりも、この真木悠介の方にノスタルジアを感じるのも、当然といえば当然のことだ。伊東乾の
「さよなら、サイレント・ネービー」
の中にも、真木(見田)はでてくる。あるいは、ドン・ファンは
林郁夫の本の中
にもさかんにでてくる
。70年代中半にあっては、これらのことが、まだまだ発芽がはじまったばかりの、一体渾然とした未明の時代であったのかも知れない。
60年代~70年代の政治の時代から、カウンターカルチャーへの変換期としてでてきた真木の存在は、80年代の中沢や村上によってニューカルチャーとして社会の中に根ざし、成長過程において、林郁夫 や
早川紀代秀
らの精神風土を育て、90年代においては、その名も鬼っ子にふさわしい松本智津夫によって、戯画化され、実践的に反証されたと言えるかもしれない。しかし、社会は、この問題をゆっくりと時間をかけて解決しようと努めており、21世紀初頭に起きた9.11をみるにつけ、かつての
「全共闘」
にもその類を
発見しながら、これらの時代性を克服しようとしているかに、私には見える。
ないしは、そのように時代を捉えている私がおり、そのような展開にこのブログをもっていこうとしているのだが、はて、どうなるか。思うところの多い一冊である。コミューンという言葉の使い方が初々しい。
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