地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2007.06.19
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カテゴリ: チェロキー
ようこそ三内丸山へ.jpg


「ようこそ三内丸山へ」 -1994~2000-


 三内丸山縄文遺跡が全国の注目を集めたのは1994年。縄文時代の前期1500年間、人々はここで平穏に暮らしていた。円筒土器、丈夫で固くできている。いずれも縄目模様からできている。栗や木の実のあく抜きや煮炊きに使われた。子どもの遺体もこの土器に詰められて埋葬されたという。人骨もわずかながら発掘される。

 大人の墓は、海に向かって12~15mの道路の脇に作られていた。縄文人はは小集落を作ってすんでいたという常識は、三内丸山の遺跡で覆された。大きな6つの栗の柱が発見された。物見やぐらだったのか、トーテンポールだったのか。現代より平均温度で2度たかく、海面も3m高かったと推測される。

 当時の縄文人は土木の技術も持っていた。縄文時代にはもっともっと海も豊かだった。広葉樹の森が、豊かな実りを人々に与えていた。ヒエやひょうたんの種もたくさん見つかっている。ここには農業があり人々は定住していたようだ。腰にさげるポシェットも見つかっている。織物、組みひも、部ブレスレット、耳飾り、ヘアピン(かんざし)、ヒスイのネックレス、し鹿角のハンマー、クジラの骨、掘り棒、火おこし棒、ウルシ塗りの鉢などがでてきている。

 板状土偶もでてきた。当時のデザインはどこかヨーロッパ風で、現代の日本人の感覚とはすこし違ってもいるようだ。冬の間、遺跡を保存するのは難しい。ストーンサークルも発見されている。墓とされている。平等社会と想われていた縄文社会には、階級もあったようだということもわかってきた。海の近くに船付き場のようなものもあったらしい。栗も栽培された種類であったらしい。でてくる柱もほとんど栗だ。三内丸山にはきの文化、森の文化があったのだ。詳しいことは、さらにこれからわかってくるだろう。北の大地に縄文のまほろばがあった。





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Last updated  2009.02.11 11:25:36
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