<8>よりつづく
「私が愛した本」
OSHO <9>
ど
ういうわけかは知らないが、私は何度も何度も、自分がバートランド・ラッセルを入れなければならないということを思い出す。私と彼がかけ離れていることはよく知っているが、いつもこの人を愛してきた。実際は、我々は180度反対だ。おそらくそのためなのだろう。対極は互いに引き合う。
p178
西 洋哲学に関する限り、彼以前にこんな仕事をしたものはいない。哲学者にしかこんなことはできない。歴史家は試みたことがある。だから哲学史はたくさんある。だがその歴史家たちの一人として哲学者ではなかった。これはバートランド・ラッセルほどの哲学者が歴史書---「西洋哲学史」---も書いたという初めての例だ。しかも彼は実に誠実で、その書を「哲学史」とは呼んでいない。自分が東洋哲学については何ひとつ知らないことをよく知っているからだ。彼はただ謙虚に自分が知っていることを述べ、しかもそれが全哲学史ではなく、アリストレスからバートランド・ラッセルに至る西洋的部分にすぎないことを言明している。 p178
私 は哲学は愛さない。だがこのラッセルの本は歴史書に止まらずひとつの芸術作品だ。それは非常に体系的、かつ美的で、実にすばらしい。おそらく根本的にはラッセルが数学者だったからだろう。 p178
バ
ートランド・ラッセルのような人が、インドと中国によって必要とされている・・・・特にこのふたつの国だ。西洋はバートランド・ラッセルのような革命的な思想家を持つことができて幸運だ。彼はアリストレスから自分自身までの西洋思想の全発展をこの上なくすばらしい物語として描き上げる能力を持ち、そして実際に描き上げた。
p179
O
shoの「私が愛した本」の中には168冊がリストアップされている。その中で、約一割の17冊が西洋哲学史の中に属すると思われる。しかし、その他には、さまざまなカテゴリが含まれている。「東洋哲学(中国・インド)」「禅」「仏教」「小説(文学)」「心理学」「神秘主義」などの切り口で、他のいくつかのリストをつくるることができるだろう。この次やってみたいと思っているのは「禅」シリーズだろうか。そして「神秘主義」も一度は整理してみたい。「心理学」だって、再確認が必要だろう。
バ
ートラド・ラッセルとホワイトヘッドのふたりによって書かれた本だ。それを読む人はいない。タイトルは「数学原理(プリンキピア・マテマティカ)」だ。その題名だけで人を恐れさせるには充分だ。そしてこの本は、存在する中で最も難解なものに違いない。だから、私はできるかぎりこの書を読解しようと試みた。難しいものはどんなものでも、いつも私を誘惑する。魅力的な、人をそそる本だ。だが私はサニヤシンたちにあれを薦めることはしない。避けるがいい! 私はあの何千ページを読み通したが、数学以外に、ついに何も発見しなかった。数学、特に高等数学に興味があるというのなら別だが。私はこの本を入れておきたいと思ったのは、それがひとつの傑作---数学の傑作だからだ。
p236
<10>につづく
究極の旅 <1> 2008.04.29
一休道歌 <5> 2008.04.29
OSHO ZEN TAROT <2> 2008.04.27
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