「ツァラトゥストラ(上)」
<1>
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ /小山修一・訳 2002/12 鳥影社 単行本 252p
No.958
★★★★★
先
日、デパートの美術品展示場を覗いたら、たくさんの絵画や掛け軸の中で、ひとつだけやたらと興味を引かれたのが、「龍虎相克の画」だった。なにやら名前のある画家の手によるものらしく、なかなかの迫力だった。我が家の床の間にも、この掛け軸を書けたらどうだろうか、と想像してみたり、茶室では、この絵は合わないだろうなぁ、と思ってみたり。
龍と虎の対峙する姿をみていて、自分はどちらに身を寄せるだろうかと思うと、龍のほうだった。というのも、私が生涯を通じて対峙しているひとつの人物は、寅年の獅子座だからだ。しかもライオンズクラブのドン、と来ている。やはり、どうしてもここは、あの虎をなんともやっつけたい、と気力を奮い起こすには、自らを龍に喩えるほうが、わかりやすいようだ。
そ
れにしても虎、寅、獅子、ライオン、などなど、いろいろな表現があるが、はて、どれがどれやらわからなくなる時がある。ニーチェは、駱駝→獅子→子供の「三つの変化」を説く。
獅子となった精神はここで、かつて自分を支配した者を探し求める。この精神はかつての支配者とかつての神を宿敵とみなし、本性をあらわした巨大な龍と勝利を賭けて格闘するのだ。
獅子の精神がもはや支配者と認めず、神と呼ぼうとしない巨大な龍とは、何ものであろうか? 「おまえを意のままにしてやる」これが巨大な龍の名前である。一方、獅子の精神は「わたしの意志を貫く」と主張する。
「おまえを意のままにしてやる」と言いながら、金鱗燦然たる怪獣が身を横たえて、獅子の精神の行く手を遮る。一つ一つの鱗には、「おまえを意のままにしてやる」という魔性が金色に輝いている。
こ
こでニーチェの言わんとすることは分るが、喩え話としても、なにも龍を化け物にしてしまわなくてもいいのに、と勝手なえこひいきをしてしまう(笑)。私はどうも寅年の獅子座のライオンズクラブのドンは、嫌いだ。彼は本当は、次の「子供」へと変化しなくてはならないはずなのだ。しかし、寅、虎、獅子、ライオン、と、自らを剛一点張りに固める姿は、美的ではないと思う。
Oshoが
「私が愛した本」
の168冊の中のトップに持ってくる限り、この本には敬意を表わさなくてはならない。「かく語りき」「こう言った」「かく語れり」などと訳されるニーチェの本だが、この本ではズバリ「ツァラトゥストラ」だけだ。余分な文を廃しているだけ、現代文としては読みやすく大意をつかみやすい。
<2>につづく
悟りへの階梯 2008.10.27
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