「ハイデガー解釈」
荒岱介 1996/05 社会評論社 単行本 206p
No.992
★★☆☆☆
ハ
イデガーで思い出すのは
木田元
だが、その「ハイデガーが今世紀最大の哲学者だということについては、あまり異論はないと思う」という言葉を受けて、廣松渉哲学を援用しながら、実践家=アクティヴィストとしての荒岱介が、90年代前半の「かげきは」戦旗・共産同のセミナーなどで講演している。
一人の作家を追っかけしていて、ますます面白いなぁ、と盛り上がり続ける作家と、次第に読み手としてエナジーダウンしていく自分を感じてしまう作家といるが、この作家はどちらかというと後者。思想や行動の鋭敏さと、その後の「てんこう」の落差があまりに大きい。この本は、ちょうど、その境目にある本で、てんこう以前の苦しい苦しい「ぜっきょう」さえ聞こえてくる。
機
械文明というものは、行くところまで行ってしまって、これ以上悪無限な自我の拡張願望を人間が達成しようとしたら、それは人類が死滅するということとくっついるところに、いまや人間は直面しています。これから直面するんじゃなくて、もう直面しているのです。たとえば排気ガスや工場煤煙での大気汚染の問題とか、さらには環境破壊の問題となっている。熱帯雨林の乱伐やオゾン層の破壊も進んでいます。そしてそれに対する警告としては、ハイデガーの問題意識との共有化がはかられるべきだと著者はおもいます。
p204
この文章は、ながいながい「ことばあそび」の
一冊の中で、最後の最後の部分でようやくでてくる言葉だ。90年代中盤での、しかも仲間内へむけてのアジテーションであったとしても、これだけの理解とセンスでは、アジラれている人たちも、いったいどのような人達なのか、と不可思議な気分になる。環境破壊とハイデガーを結びつけようとする努力はしているのだろうが、それ以後、本当に「共有化」がはかられたのだろうか。
とは思いつつ、当ブログはよそ様の言説をあげつらって楽しんでいる余裕は本当はなかったのだった。こちらにおいてもいろいろな暗礁に乗り上げているテーマがある。例えば、「私=アガータ=アバター多火手」+「彼=『彼』=[ OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2 ]」+「私たち=やって来る人々=環境心理学」などという自分しか分らない図式をもう少し「共」化することを考える時期に来ているのだった(自分でもよくわからなくなっている、というのが実態だが)。
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