「哲学者廣松渉の告白的回想録」
広松渉 /小林敏明 2006/03 河出書房新社 単行本 221p 2006年03月
Vol.2 No.0014 ★★★☆☆
「廣松渉 - 近代の超克」
を書いた小林が、晩年の廣松を、その病床に尋ね、長時間インタビューした記事が中心になっている。左翼活動に生涯に渡ってかかわってきた人物の過去を洗って、個人史を書こうというのだから、それは確かに容易なことではない。思い立ってから四半世紀の時間がかかったという。
逆の立場から言わせてもらえば、ネット社会→マルチチュード→荒岱介→廣松渉と流れてきた、わが数ヶ月の読書の側から見ると、この人はそんなに重要な人だったのだろうか、と、ちょっと失礼(かな?)なことを考えてしまう。たしかに稀有な家庭環境の中で、ミドルティーンにしてすでにコミュニストたらんとし、その主義主張に生涯をささげたのだから、もの珍しい、といえばいえるのかもしれない。
しかし、そのささげた対象が、さて、人類史の中で今後どのように評価されるかはわからないが、60年余りの廣松の存命中にあっても、すでに命脈がきれたかに見えていたことは事実だ。どのような心境でその生涯を閉じたのだろう、と思い図りたくなるのは、誰しもおなじことだろう。
「日本共産党」
の筆坂秀世にせよ
、「破天荒伝」
、
「大逆のゲリラ」
の荒岱介せよ、あるいはあまた数いる「かくめいか」たちにとって、その立場はほぼ対極に位置しているとは言え、重要な回転軸として共産主義に重きをおいてきた人生にとって、かんたんに「さらば共産党」と言えるのだろうか。「されど共産党」と居直ることはできないのか。 「共産党が見た夢」
はつに幻と霧消してしまったのだろうか。
マルクス・エンゲルス、あるいはレーニンやトロッキー、毛沢東やゲバラ、はては大小数あるコミュニスト群像が闊歩した20世紀は、過ぎ去っていく。しかし、その動きをコミュニズムと言わずとも、その動きをささえた人類の思いは、形を変えて今後何度も繰り返し噴出してくるに違いない。その一つの変形がネグり&ハートの「<帝国>」と「マルチチュード」という対比の中に現れているだろう。
「吉本隆明などと並」び称せられたp2という事実は、不勉強にして知らなかったが、廣松渉という人、これだけの影響力を残して去っていったのか、と本書を読んで、あらためて認識した。しかし、同時代に生きて、ここまで知らなかったのだから、私自身との人生とクロスするところは、ほぼ皆無と言っていいようだ。
ただ、廣松の母方の伯父が若い頃「東洋経済新聞社」に勤めていたp38というあたりは、ちょっと面白そうな引っかかりを感じる。私と縁浅からぬ友人の祖父が、この当時、この雑誌の編集長などをつとめていたからだ。まぁ、このあたりは、もっと周辺の事実を掘り起こしてからじゃないと、確たることは何も言えない。他日を期す。

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