「20世紀の神秘思想家たち」
アイデンティティの探求友人の車のアラームが鳴った。ピピピ・・・・・と、かなりの音量だ。見渡してみたが友人はいない。ちょっとうるさいので、車に乗り込んで、アラームのストップ・スイッチを押した。でも騒音は鳴り止まない。しかたがないので、アラームを取り外してみたが、それでも音は鳴り止まない。ああ、これか。いつも友人が「困った、困った」と言っていた。このアラームを止めることができたら、きっと彼の私を見る目も変わるだろう。信頼感も高まるかもしれない。
よし、ここはひとつ腕の見せ所。裏を見ると電池ボックスがあったので、電池を取り外してみたのだが、それでも音は鳴り止まない。そんなことはないだろう。おかしい。路上に放り投げてみた。それでも変わらない。おかしい。踏んづけてみた。それでも音は止まらない。バラバラして、こなごなにしてもアラームは依然として鳴り続けている。やれることはやりつくした。お手上げだ。
・・・・・ってところで目が覚めた。鳴っていたのは私の枕もとの目覚まし時計だった。
問題は、そこに「いない」友人が困っていたアラームではなかった。自分自身が目を覚まし、私自身の目覚まし時計を止めるところにあった。
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「自分が知っていることに 気づいている
人は驚嘆しているにちがいない」とアラン・ワッツは語る。本書の背景をなしているのは、まさにこういった実存的驚嘆である。私がいるという自覚からは「私は誰か?」そして「私がいるこの世界は何か?」という疑問が生まれてくる。その答えを見出すには、言葉を超えて自分たち自身に関する事実を 体験する
必要があると、われわれは感じる。数多くの人が高名な神秘主義や賢者に指導を仰ぐのは、この真の意義に対する渇望のためである。
p1
日本語訳のこの本がでたのは1984年である。まだ日本の「精神世界の本」もあまり成熟していなかった。出版社もすくなく、翻訳者たちも限定されていた。どこかに的を絞るというより、網羅的なガイド・ブック的書物が好まれていたようだ。その中でも、ラマナ・マハリシの「私は誰か?」の「公案」も、まだ新鮮な響きが初々しい。
ワッツは少年のころ、キング・スクールに在学中、ヒンドゥー教と仏教経典を読みはじめた。彼の精力的な哲学・精神的生活の発端はそこにあった。すでに17歳のころ、禅に関する小冊子を発表している。彼はケンブリッジ大学の奨学金が受けられずに、17歳で学校をやめて、社会にでた。
p36
Oshoのアラン・ワッツ
とは、かなりイメージが違う。 「彼は一度、キリスト教の牧師に任命された。」
、 「アラン・ワッツは、キリスト教の宣教師としての訓練を受けた人だ。」
とOshoは言うのだが・・。
ワッツは型にはまった職業を断固として拒否し、仕事上の役割に自分を合わせるといった考え方を毛嫌いした。自活するために仕事につきはしたが、自己流の激しい生き方にいかなる干渉も許さない。生まれながらの異端者(ドロップ・アウト)であった。しかし、ルース・フラーの娘で、禅の老師佐々木慶庵の義理の娘にあたるエレナ・フラーと結婚しアメリカへ渡ってからは、家族を養う手段を見つけなければならなかった。彼には監督教会(エピスコーバル・チャーチ)の聖職者が最も理想的に思えた。それに変に生真面目にやらなくても、誠実かつ自然にふるまえそうなので牧師になることに決めた。
p37
1978年に58歳で亡くなったアラン・ワッツのことだから、1950年前後のことか。
数年間ノースウェスト大学で礼拝堂付き牧師を勤めたのち、ワッツはその地位および聖職から正式に退いた。ヴェーダーンタ哲学、仏教、道教への昔ながらの愛着は、生涯を通じて変わることがなかった。禅経典の偉大な翻訳家、鈴木大拙との何度かの出会いから、ワッツは禅を深く理解するようになる。そして『禅の道』、『禅の精神』などの著作で、アメリカ最初の禅の普及者のひとりとなる。
p40
「アメリカ最初の禅の普及者のひとりとなる」とは、なんとも名誉な賛辞だ。
実践的な試みとして、彼は読書を提案する。本を読みながら、読書をしている自分を考えてみる。そうすると、「私は読書をしている」という思考が実際の読書にとってかわり、現在の体験になってしまうと彼は語る。
p42
いつの間にか、読書ノートと化している当ブログにとっては、ありがたい救いの言葉であるが、「行住坐臥」すべてが禅なのであり、、別に読書だけが、特別の「体験」であるはずがない。

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