<5>よりつづく
「禅宣言」
<6> Osho
人々は悟った人間たちを手酷く扱う。一度たりとも、愛と尊敬をもって接したことがない。悟った人間がもっとたくさん増えるなど、期待すべくもない。全体の空気が悟りに敵対している。
p430
このような言葉には、ただただ敬して伏すのみだ。
ここで私たちのしていることは、ブッダを創り出すことだ----ひとりやふたりではなく、何百万も。そうすれば、そう易々と壊されることもない。私たちの望みは、地球全体を取り巻く覚醒の野火を創り出すことだ。これほど大きな実験は、いまだかつて行われたことがない。今まではただ個々の人間が悟りを開き、そして大衆によって虐げられてきた。
私は世界に知って欲しい。この場所は、ひとりの悟った師で満足するような場所ではない。何千ものサニヤシンにブッダになってもらいたい。
これら21の国々の、私を入れぬよう邪魔だてすることならできようが、私のサニヤシンたちがここにやって来るのは邪魔できない。わざわざ私が出かけて、彼らの道徳を腐敗させることもない。私は自分の天使たち、使者たちを送ろう。私のサニヤシンたちにはそれができる。私がするまでもない。私のサニヤシンたちでさえ、彼のいわゆる宗教を破壊できる----そうした宗教には、何の深みもない。
p430
Oshoのサニヤシンたちひとりひとりに対する信頼は半端なものではない。
こうしたピラミッドが創られたのはエジプトの神秘家たちによってだが、その元はアトランティス大陸の非常に古い文書にあった。この大陸は、自然災害か人間の愚かさによって沈んでしまった。しかしエジプトのアレキサンドリアには、失われた大陸レムリアと、アトランティスの価値あるものすべてが残されていた。アレキサンドリアの図書館は、非常に大きかった----多分、世界で一番大きな図書館だった。イスラム教徒が、カリフ・オマールが、それを燃やしてしまった。
p467
アトランティスやアレキサンドリアはともかくとして、Oshoがレムリアに触れることは珍しいのではないだろうか。そして、この講話をしたつぎの日の講話で、Oshoの全講話が終わる。
この 同じであること
、この あるがまま
こそ、禅の宣言(マニュフェスト)だ。それは「個」としてのあなたの美しさの宣言であり、また同時に、その「個」が普遍へと消え去ることの宣言だ。
いなくなればなるほど、あなたは在る。
まったくの無になれば、そのときあなたはすべてになる。
これが禅のマニュフェストだ。
p476
Oshoは禅の伝統を愛しつつ、その伝統を超えていく。それは、かつての禅マスターたちなら、当たり前のことであった。
禅は宗教ではない それはまさにあなたの本性の宣言(マニフェスト)だ
それはあらゆる社会構造からの自由だ
それは自分自身からの自由でさえある
それは純粋な自由だ
この自由のなかから 創造的なものすべてが生じる
美しいものすべて 意味あるものすべてが 花開く
今まで一度も気づいたことのなかった優雅さがあなたを取り巻く
光のオーラがあなたに従う
p485
不用意に言葉を挟むことは憚れる。
必要なのは、現代人を魅きつけるように禅を変えていくことだ。楽で、くつろいだものにする----厳しくすることはない。そのような古い伝統的な形はもはや可能ではないし、その必要もない。いったん探求されたら、いったんひとりの人間が悟りを開いたら、その道は容易になる。たとえば電気は何度も何度も発見する必要はない。いったん発見されたら、あとはそれを使えばいい----別に偉大な科学者である必要はない。
p494
<7>につづく
究極の旅 <1> 2008.04.29
一休道歌 <5> 2008.04.29
OSHO ZEN TAROT <2> 2008.04.27
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