「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」
「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」
が割と面白かったので、著者の過去の類書2冊を読むことになった。パラパラめくってみて、目次に違和感は無かったけど、『「捨てる!」技術を一刀両断する」p371のところに、一等最初に目がいってしまった。ここをまず読まねばならない。
「一刀両断する」という限り、やはり相当に切り込まれてしまっている。ここまで言われたら絶命しているに違いない。私はこの『「捨てる!」技術』は好きだった。新書本としてもマーケティング的に成功した一冊だろう。しかし、家族には不評だった。まず捨てるとしたら、そんな本をまず捨てるべきだわ、などと言われる始末。
その後、出た
「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ 」
がもっと面白くて、もっと私にぴったりで非常に役立ったので、実は今でも座右の書として、机のすぐ脇においてある。今じゃぁ、ほとんど内容に目新しさはなくなったが、この本の背表紙をみているだけで、毎朝のお題目をあげるような効果があるのかもしれない。
しかし、まぁ、2001年という時代背景もあるのだろうが、立花がここまで、この「捨てる」本を言うほどでもないのではないか。なにも捨てたくない人には捨てろという必要もなく、捨てたくても捨てられない人への、意思決断要求と読めば、この本は結構役に立つはずだ。立花のように、自分の蔵書を収めるために、地上三階地下二階のビルを建てられる人など、一般人ではない。
通常の人間は、本に埋もれて、本当に大事なものが見えなくなってしまっている人が多いのだ。そして本当に役に立たないものも多い。 MOTTAINAI 、とは意味が違う。ここでの立花の論旨に、私は賛同しかねる。
かくいう私は、朝刊の自宅配達を停止して、今月末でちょうど1年になる。テレビ番組欄が見れない、近所のスーパーのチラシが入らない、というデメリットより、情報過多、廃棄物過多の環境を排除できたという意味では、「捨てる」効果がだいぶあった。実は新聞もあればあったで便利なのだが、この実験はもうすこしつづけようと思っている。
さて、巻頭から読み始めていると、書評というより2001年当時の出版界の情報が満載されていて、なるほどなかなか面白い。面白いが、はてさて、そんなことをこの著者にいちいち聞かなくてはならないのかな、とちょっと気が重くなる。まぁ、すくなくとも、 「私が愛した本」 を前後左右から比較するために、松岡正剛の 「千夜千冊」 と、この立花隆の書評本3冊を読んでおくことも悪くはあるまい。すくなくとも、この二人は現代日本の読書人としての巨人たちだ。

「ぼくはこんな本を読んできた」
も読んでみるつもり。
かけがえのない人間 2008.05.22
生きる意味 2008.05.21
「生きる力」としての仏教 2008.05.21
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