「テクノストレス」
コンピュータ革命が人間につきつける代償
クレイグ・ブロード (著), 池 央耿, 高見 浩 1984/01 新潮社 単行本 309ページ
Vol.2 No.0054 ★★★☆☆
1984年といえば、パソコン文明の黎明期で、コンピュータそのものは話題にこそなれ、まだまだ一般人の生活に入り込んできていた時代ではない。しかし、マイコンあるいはパソコンがそうとうの肝いりで登場してきた時代であり、その可能性はすでに多くの識者によって預言されていた。アップルのパソコンがようやく脚光を浴び、いまや世界一の長者ビル・ゲイツでさえ、まだパソコンOSを手がけ始めていた段階であっただろうか。
この「テクノストレス」は、かならずしもパソコンの世界だけを調査したのではない。スーパーコンピュータに連なった端末や、オフコン、あるいはワープロや、単純入力装置にいたるまでの、いわゆる「コンピュータ」と総称される危機と接しながら働く労働者たちの心身の変化をもとに独自の論旨を展開したものだ。その労働下にある人々に、必要以上にかかる負荷を著者は「テクノストレス」と名づけた。
2冊しかない
ようだ。
1984年に発行されたこの本は、3年間の調査によるとされるが、まさに1980年代はじめは、いままでのオフィスがどんどんテクノロジーの波をかぶり始めているときであり、また アルビン・トフラー
の「第三の波」的楽天主義が横行しはじめていた時代である。これから社会にでようとする世代にとってはまさに千載一遇のチャンスではあっただろうが、すでに社会の中に自らの地位を確保していた世代にとっては、その地盤が足元から奪われていく体験をすることになった。
社会や仕事の変化についていこうとして感じるストレスと、IT危機がもともと持っているストレス性は、区別して考慮される必要があるだろうが、すくなくともテクノストレスという言葉が一般名詞化したことを考えると、この本が象徴している時代の分水嶺は記録しておく価値はあるだろう。
その後、パソコン自体はもっともっと一般化し、21世紀においては、パソコンがなければ、仕事も生活も趣味も成立しない時代になりつつある。その変化に合わせて、いわゆるストレッサーになるような要素はどんどん軽減されてきたと考えたいし、社会や仕事の仕組みもどんどん改革されてきたと思いたい。当然、いままでのほうがよかった、と考える人々は一定程度存在するのはいつの時代でもありえることだが、よくも悪くも時代は変貌を遂げた。
逆に考えれば、それではいわゆるテクノが発達しなければストレッサーが減るのか、というとそれも違うだろう。どの時代にもどの社会にもストレスは発生した。基本的には、社会の変化はやむを得ないことなのだ。ただ、この本が1980年代の時代の裏側をレポートしていたことは価値のあることだと思う。また、ついついものごとを過小評価しがちなテクノ依存症の強い人間のひとりとして、私は、現在の身の回りにある自らのテクノストレスの軽減については、充分配慮しなくてはならない。

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