「一休とは何か」
今泉淑夫 2007/12 吉川弘文館 全集・双書 229p
発行年月: 2007年12月
Vol.2 No.0064 ★★★☆☆
どうしてもテレビ番組を見てしまうが、見すぎるとウンザリしてしまう。特に昨日から今朝の北京オリンピックの聖火リレーの報道は、どうなったのか気にはなるが、その結果や、その報道のされかたには、どんと気落ちしてしまう。私はオリンピック推進派でもなければ反対派でもない。サッカーのワールドカップの推進派でもないし、反対派でもないのと同じくらい、ほどほどの関心をもっている、というだけだ。
だけど、チベットには関心がある。チベットがより理想に近いかたちで私のハートを打ち続けてくれるかぎり、私はチベットにあこがれ続ける。あこがれ続けるが、暴力や政治的圧制との関連でチベットが報道されるのは、とてもつらい。どういう経緯であろうと、私のチベットは暴力や政治とは無縁のところにある。
一休はあえて世塵にまみれる逆行の人として酒肆婬坊(酒場と遊里)の世界に入ることをしきりに勧めた。市中の喧噪が身にあっていたようでもある。あるいは修道が静寂を必要とするにもかかわらず、市中の明るさに馴れた人にとって、遠く離れた地方と山中の暗闇は気持ちの落ちつかない空間であったかもしれない。
p9
歴史に、もしもはないが、もし一休が今生きていたら、今朝のテレビをどう見ていることだろうか。いまこそ、旗印を明確にして街中にでるべきか。それとも遠く離れた山中に隠れるべきか。
応仁12年(1405)、12歳の時、一休は宝幢寺の前で、清
叟師仁蔵主が『維摩経』を講じるのを聴いた。
p15
ふう、わずかこの一行を書き込むだけで、30分もかかった。私は特段に仏教用語にはくわしくはないが、それにしても、この一文をスで読み取れる人はどれだけいるのか。禅は不立文字、教外別伝といいつつ、その用語や名前がやたらと面倒くさい。通常なら読めない。
維摩詰だって、通常なら「ゆいまきつ」なんて読めない。それは仏教を学んでいないから、学がないからだ、といわれればそれまでだが、ここはもっと現代的にビマールキルティ、あるいはビマーラキルティとしてしまっていいのではないか。単に名前なのだから。ましてや、ビマールキルティは在家仏教の範として紹介されることが多い。
仏教や教えが、どんどん専門化=カルト化して、自分達にしかわからない地方語をつくり、バリアを張ってしまう。たしかに奥深いところは、つっこんで学ばなくてはならないだろう。しかし、いわゆる禅に語られた本を、かりに文庫本一冊であろうと、ニューズレターの類であろうと、ルビに頼らずに読みきれる人間は、まずいないだろう。仏教関係の専門家だって、多分そうだ。
OshoのZenを読んでいて、いきなり日本の禅本を読むときのとまどいは、まず
ここにある。一般向けの入門書を読んでもこのとおり。あまりに周辺情報が煩雑すぎて、目くらましを食らったような感じになる。読者や求道者は、ほんとうにほしいと思う智にたどり着く前に、挫折してしまうことが多いだろう。専門家達も、そのことをいいことに、まやかしの中に逃げてしまっているのではないか。
日本における禅宗修道の世界はすでに細部にいたるまで制度化されていた。鎌倉時代に中国からやってきた渡来僧によって本格的に「禅宗」が入って来たときに、法論問答、座禅などの訓練とともに、禅宗としての日常規範が定着した。日常生活のすべてが修道であるという認識は禅宗にかぎらないのであったが、禅宗は役職と規範をとくに意識して、日常の作法、作務に厳格であった。
こんな時代に室町時代に生まれたヒッピーこそ一休だった。それを壊したはずの一休が、ガラス張りの博物館に閉じ込められている。一休だけでなく、禅が、仏陀が、泥つきのワゴンセールではなくて、付加価値を限りなくつけられ、上げ底の飾り箱に入れられ、一部の好事家のためにだけ高値で競り落とされていく。
戒にそむいて慈明和尚は婆さんと同棲していた。しかしこれをすぐに破戒と思うのはまちがいで、男女の仲、とくに禅僧の場合には深いわけがある。唐のj台、宰相が五人の娘からひとりを選んで郭元振を婿にするのに、五本の糸を引かせ、紅糸にあたった第三女と結婚させたという。笛の上手い妓女緑珠は、家臣の偽りのことばに乗せられ趙王倫の誤解から、楼の下に身を投げて果てた。そのようなところが分からねばならないのだ、という。
p139
なにもそこまで特別視しなくてもよさそうだが、いまから5~600年前ことだ。その時代の実情をかんがみなければなるまい。しかし、だとするなら、一休から5~600年後である、この21世紀も、キチンとかんがみられなければならない。
維摩は、みずからが酒肆婬坊に入って酒に酔い、女犯をなすのではなく、法敵を罵倒するのでもなかった。恋愛と性愛に身を焦がしたわけでもなく、相手は菩薩たちであり、政僧、町人、傾城遊女ではなかった。一休のように、俗世の利欲によって頽廃する修道を嘆くのでもなかった。現実の歴史から遊離して静臥する維摩の手は、汚れようがなかった。その「酒肆魚行」は、観念としての「酒肆魚行」であり、「非道を行ずる」も、理の世界の事柄でしかなかった。そこに一休と維摩の根本的な異質がある。
p219

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