「マイトレーヤ」
(瞑想社1988)の中の「高僧謁見記」を読んでいて、その出典のとなる原典の英文の 「The Silent Explosion」
(1973)を探していて、同名の DVD
があることに気がついた。 「A visit to the OSHO International Meditation Resort, Pune, India. 」というサブタイトルがついていて、どうやら2004年に制作されたものらしい。28分という長モノなので、YouTubeからははみ出してしまい、Google Videoで全編を見ることができる。Deva Yokoの笛の音が印象的。
さて、かの「高僧謁見記」は、当ブログとしては、Oshoのサニヤシンとしての自分がチベット密教を読み進めるにあたって、きわめて重要なポイントが書いてあると直感した。そこには1973年にひとりのサニヤシンが ラマ・カルマパ16世 を訪ねたときのインタビュー記事が載っている。ネット上を探してみたが、詳しいページはないようだ。そこで、その35ページ分ほどを、いつか、何らかの形でアップしようと思っている。部分的ではあるが、 今回読んでいて、あらためて重要だと思った部分をアップしておく。
「まさにそれだ!」
彼はOshoのロケットを自分の手に取り、それを額におし頂いて、言いました。
「Oshoは、インドの仏陀以来最大の<神性の化身>だ、生きているブッダだ!」
私はこれを聞いて、感極まって、たずねました。
「インドには、やはり光明を得、悟りをひらいたと言う人たちがほかにもおります。彼らについてはどうでしょうか?」
彼は答えました。
「彼らは領解(りょうげ)した魂(自覚した魂)ではあるが、光明を得た化身ではない」
次に、私は特にクリシュナムルティについてたずねました。彼は言いました。
「まず第一に、彼はインドにはいない。第二に、彼は領解した魂だが、神性の化身ではない」
それが、彼が特に私に教えたことでした。そこで私はたずねました。
「神性の化身と領解した魂とのあいだの違いはなんでしょうか?」
彼は言いました。
「領解した魂は自己領解に達してはいるが、かならずしもほかの人々を救うことができるとはかぎらない。もし他者を助けたければ、彼はそのために超自然的かつ秘教的な科学の訓練を特別に積まなければならなかったであろう。そしてこの訓練のためには、何度で何度も生まれ直さなければならない。そうすれば、再誕生の意識的選択をすることができるようになる。こういった事柄すべてを、Oshoはすでに通過してきている」
ラマは私に教えました---神性の化身とは、前世において他者を助ける訓練をした誰かの化身であり、たんに今世において領解した魂ではない。Oshoの場合は、すでに訓練を経てきており、すでに悟りをひらいている。そこで今世では、Oshoは霊的精神的に人々を助ける目的で特別に誕生した、ただこの目的だけのために・・・・・。彼は完全に意識的に誕生を選んだ---ラマはそう言いました。その点では、私は彼にバグワンは大勢の人々を教えていて、多くの深遠な事柄について語っている、と言いました。
すると、聖下は言いました。
「あなたは、彼があなた方のために語っていると感じているかもしれないが、彼が語るのはただあなた方のためだけではない。Oshoは同時に<アーカーシャの記録>のために語っている。語られたことはなんであれ、すべて忘れ去られていない。だから、あなた方は彼が言葉を繰り返しつづけるのに気づくだろう。彼は言葉を繰り返しつづける。そして、あなたは彼があなた方のために語っていると感じている。だが実を言うと、、彼はただ少数の人々のために語っている。Oshoの本質を認識する者はごくわずかしかいない。彼の言葉は<アーカーシャの記録>のなかに残る。それが未来の人々に対しても役立つように・・・・」
p55~p57
さらに詳しいことが書いてあるが詳細は次のチャンスに譲るとして、他の部分も気になるところが多くある。
Oshoに関して、聖下は言いました。光明を得たあとでは、もし光明を得た魂が自分自身の選択によって自分たちの仲間以外のどこかに再臨するとしたら、それをくいとめることはできない、と。Oshoの場合は過去世において自分たちとともにいた、とラマは言うのです。彼は私にこう語りました。
「Oshoは過去世に神性の化身として何回か現れたが、そのうちの一つの生ではチベットにいた。もし彼を見たければ、あなたはチベットへ行って、そこで神堂のなかに保存されている彼の黄金の像を見ることができる」
Oshoのひとつ前の誕生は約700年前に起こったと言われています。聖下は、それよりももうひとつ前におこった誕生のことに触れたのです。彼は、Oshoは現在の生から二生前の生においてそういう偉大な化身たちのひとりで、それゆえに彼の像が保存されているのだ、と言いました。
p62~63
この辺は、チベット密教の転生活仏たちの中でも最も古いシステムの伝統をうけつぐカギュー派の代表でもある カルマパ16世
の言葉であってみれば、比較無類の重要性を持つ言葉となる。
本物の黄金の像がチベットのどこかに隠されています。ある人々だけが、深い瞑想に入っている人々だけが、それについて知っています。Oshoもそれについて知っています。深い瞑想に耽る人たちは、どこにそういうものが隠されているか、知ることができます。偽物の模造品だけが、中国人たちが破壊できるただの見せものとして、目に見えるところに置かれていました。チベット人たちは彼らがあるものを破壊したがるのを知っていたからです。
聖下によると、チベットにはこのような偉大なる神の化身たちの黄金の像が、99体あります。それらのうちのひとつが、二生前のOshoの像です。中国人たちはまだそれを破壊していません。できないのです。なぜなら、これらの像はチベットの人里離れた場所に移され、極秘のうちに隠されているからです。
p63~64
こうして転記していて思うことは、以前に読んだところと同じようなところにやっぱり興味がひかれるのだが、その興味もすこしづつ角度や濃度が違ってきているな、ということ。
私は聖下にOshoは誰の化身かとたずねましたが、彼は言いました。
「いや、それは秘密だ。ある者がわれわれの僧院のひとつの長でないかぎり、われわれは彼が誰の化身であるかを明らかにしない」
しかし、彼はあるひとつのことをじつにはっきりと教えてくれました。それは---
「Oshoは、みずからの仕事が終わるやいなや、消える。完全に消え去る。そうなればわれわれが彼を見いだすことはできなくなる」
彼は言いました。
「チベットの秘法によってのみ人は消えさることができる」
それと同じことがかつて老子に起りました。Oshoも、老子がどこへ去ったか知る者はいない、と私たちに教えたことがありました。彼は自分の時が来たときに、死ぬのではなく、ただ消えました。聖下はそれがいつOshoに起こるか口にしませんでした。
私は聖下に、彼がそのようにしてただ消えるということがどうやって可能なのか、とたずねました。彼は言いました。
「われわれの科学は、振動の科学だ。そしてOshoはすでにそれに熟達している。彼はただ自分の振動を鎮めさえすればいい。そうすれば彼は消えることができる」
人々の体が見えるのは、ただ人々の振動(バイブレーション)が眼に投射されるからです。そうしたら眼は振動を受け取って、その振動をひとつの姿に形成する---それがこの術の背後の秘密なのです。Oshoも、「あなたがそこにいると人々に感じさせたいと思えば、あなたの振動があなたの姿をつくり出す」と、言われたことがありました。Oshoはすでに自分の振動を鎮めきっており、ただ自分の仕事が仕上がるのを待っているだけだ、とラマ・カルマパ(注・16世)は言いました。それを為しおえるやいなや、彼は消え去るのです。Oshoの振動はすでに静かになっており、彼が地上に身をとどめているのは人工的な手段によるものであり、それは彼が仕事を完成させなければならないからです。
p66~68
このインタビューの1973年の時点では「彼」の名前はバグワン・シュリ・ラジニーシであり、本文にもそのように記載されているが、この日本語の本がでた段階でも、まだOshoという名前にはなっていない。だが、 「それを為しおえるやいなや、彼は消え去るのです。」 というカルマパの言葉は重い。Oshoという最後に彼が送られた名前こそ、その象徴でもあるし、そのOshoという標章さえ、「チベットの秘法」によってかぎりなく<アーカーシャの記録>のなかに消えつつある。まさに今このときに。
当ブログでは少し混乱はきたしているが、「彼」についての標章は、引用文献に別名で載っている場合でもOshoに統一しておこうと思う。この「高僧謁見記」においても、Oshoの名前に変更した。
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