<1>より続く 「タントラ 叡智の曙光」
タントラ仏教の哲学と実践 <2>
H・ギュンター /チョギャム・トゥルンパ 宮坂宥洪・翻訳 1992/08 人文書院 単行本 207p 原書 The Dawn of Tantra 1975
★★★★☆
ヒンドゥー教の伝統におけるタントラと仏教におけるタントラとを区別しなければなりません。これらは二つの伝統はともにインド固有のものでして、長い時代にわたって同じ言語を用いてきました。すなわち、サンスクリット語です。けれども、いずれの伝統もその用語の特殊な使い方を定めています。ですから、ある特定の用語で一方の伝統が理解していることを、他方の伝統でも同じように理解しているとはかぎりません。 p14
なにはともあれ、誤解は理解の始まりだ。地球人スピリット時代にあって、さまざまな文化が融合していくことになるだろうが、その前に互いの差異に気づくことも大切だ。
ギュンター教授と私は共にタントラというテーマに取り組む方法を話し合った結果、教授がプラジャニャー(般若)について、すなわちタントラの知的側面を論じ、私がウパーヤ(方便)について、すなわちその技法的手段、言いかえれば実践的応用の側面を論じるのが最良の方法であろうということになりました。 p23
「般若」と「方便」、という言葉の使い方も、まだまだ気になるところ。
ヨーガチャクラ派は「アーラヤ識」(阿羅耶識)という概念を用いました。この概念は仏教の様々な学派で異なった意味で用いられてきていますが、タントラの伝統では非常な重要な概念となります。「アーラヤ識」自体はすでに「基本的拠り所」を意味する「アーラヤ」そのものとは違うのです。単に「アーラヤ」といえば、われわれはそれが存在論的な意味での実体であることを明言しなくても、話をするうえで、そのようなものと決めてかかってしまいます。そうではなくて、アーラヤ識とは、われわれの思考がいつも主観と客観というふうに分離していく<心的傾向>のことです。
p39
ツォンカパのクンシ・カンテル 「アーラヤ識とマナ識の研究」 なんて本もあったから、次第次第にこの領域についても、すこしづつ足を踏み入れていくことになるだろう。
マハームドラー(大印)の実践は、建設的な体験と消極的な体験をともに微細なシンボリズム、すなわち基本的存在の微細な表現として知り味わうこと、つまりは微細な基本的状況を理解することなのです。
p85
シンボリズムと暗喩は、さまざまな誤解と曲解を生み出してしまう可能性もある。マハムドラーとは、16才の少女を意味するなんていう研究もあり、ゆめゆめ油断はできない。Oshoにも 「マハムドラー瞑想」
というものがあるが、メソッドとしては、実にシンプルですぐに誰でもできるものだ。「ラティハン」と「祈りの瞑想」の組み合わせだが、実にパワフルな瞑想である。
インド仏教ならびにチベット仏教の歴史上、もっとも重要な人物の一人はナーローパです。仏教の相承系譜の中で異彩を放つ名高い他の人たちとは異なり、ナーローパは疑いなく実在した人物でした。ナーローパはチベット仏教のカギュ派の系統に属し、師はティローパといい、彼の弟子はマルパといい、この順番でいずれも相承系譜の祖師として仰がれています。ナーローパはまたチベットにおけるすべての宗派の人々から、お手本となるべき弟子の理想像として見做されて崇められています。 p91
カギュ派の人々のお話であれば、せめてこの辺の話はでてこないと、カッコがつかない。
澄みきった仲秋の満月輪の上にひとつの種字を思い描きなさい。その種字より涼しげな青い光線が放射され、限りない静かな慈悲の心がはるか天空の境を超えて大きく広がっていきます。それは諸々の妄執を解消する根源的な思いやりをもたらし、生きとして生ける者が必要とし願うところのものを満たしてくれるでしょう。
次に、その種字からマハーヴァィローチャナ(大日如来)を生み出しなさい。色は白。貴族の風貌。年頃は八歳の少年。美しく無垢で純粋で力強く、気品に満ちたまなざしをしています。インド中世時代の王の衣装を身にまとい、あらゆる願いをかなえる宝石のちりばめられた黄金のまばゆく輝く王冠を頭上につけています。黒々とした長髪の一部は両肩と背中に垂れ下がり、あとの残りは頭頂で束ねられ、その周囲はきらきら輝くブルーダイヤモンドで飾らえれています。月輪の台座のうえに両脚を組んで座し、両手は定印を結び、その手中に純白の水晶で作られた金剛杵を保ち持たれています。
p104
先日から、この大日如来と、当ブログの主人公たるアバター多火手がシンパシーを持ち始めている。もし当ブログが今後さらに密教に近づいていくなら、このアバター多火手が縦横に動きだすことになるだろう。
伝統にしたがいますと、金剛乗の教えをインドからチベットにもたらした主要な指導者の一人はアティーシャ・ディーパンカラという人でした。アティーシャは「放棄の教え」をもって金剛乗の根拠を示しました。事実、アティーシャほど仏法僧の三宝に帰依することを強く重視した人はいないという点で、それゆえ彼は「帰依」する指導者として有名でした。 p111
いずれアティーシャについては、メインテーマとして追っかけをする時もあるだろう。せっかくの 書き込み もまだ対応できていない。
仏教の道はわれわれが自分自身の状況を一つのマンダラとしてみることができるようにしてくれるものであって、それはまず帰依する行為から始まります。 p120
そういえば、当ブログにもオリジナルな 曼荼羅 があった。かならずしも帰依のプロセスとして存在したわけではないが、自分自身の状況を、マンダラとして見ることは有効だ。
----ヒンドゥー教と仏教のタントラは同時に興起したのであって、一方が他方に先行して起こったのではないと言われていますが、これは正しいでしょうか。
☆:はい、それは間違っていないと思います。両者はまったく別のものであり、どちらかが他方に由来しているとはちょっと言えないでしょう。ヒンドゥー教タントラの力点は行為、すなわち創造におかれています。仏教タントラでは、鑑賞眼的識別力ともいうべきプラジュニャー(般若、智慧)の理論と、それと同等に重要なウパーヤすなわち方便の理論をそなえ、まったく力点のおきどころが異なっています。
p151
なにはともあれ、混沌とした中を歩み続けるしかない。
希望的に見て、次の20年から30年ぐらいの間には、マンダラの創造や仏尊との一体化を説く金剛乗の原理は正しく紹介されることでしょう。現在のところ、まだきわめて時期尚早の感を拭えません。ギュンター教授がおっしゃったように、タントラはその始まりから誤解され続けてきました。ですから、何よりもまずこの根本的な誤解を説いていかなければなりません。誤解が正されたとき、人々は何かを感じ始めるでしょう。やがて、それを咀嚼し始めて、そして呑み込むのです。それからやがて消化し始めるという段取りです。この全体のプロセスはかなり時間を要することでしょうね。 p174
この本の原書が出されたのが1975年であってみれば、その20年から30年後と言えば、まさに現在のことを意味している。さぁ、金剛乗の原理は「正しく紹介されて」いるだろうか。
奥付をみると、この本の翻訳者・宮坂宥洪は1950年生まれだが、1977年~81年の間、インド・プーナ大学に留学したとなっている。なんと、この辺、 立川武蔵教授 とかぶっている。ひょっとすると宮坂氏もPune1についてどこかで言及しているかもしれない。
悟りへの階梯 2008.10.27
ツォンカパ チベットの密教ヨーガ 2008.10.26
聖ツォンカパ伝<2> 2008.10.25
PR
Freepage List
Category
Comments