「ウィキペディアで何が起こっているのか」
変わり始めるソーシャルメディア信仰
山本まさき /古田雄介 2008/09 オーム社 単行本 226p
Vol.2 No.408 ★★★★☆
当ブログを始めるきっかけはいくつかあったが、絞ればそれほど多くはない。ひとつには、当然、ブログという機能が便利な形で提供されたから、ということがあった。次には、図書館がネット化され、数年前より、はるかに利用しやすくなったということがあった。 分類でいえば、当ブログは読書ブログである。新刊、旧刊を問わず、乱読したものを記録してメモしていく、公開型の読書ノートといってもいい。
でも最初から、読書ノート型にしようと思ったわけではない。むしろ最初はネット完結型のスタイルを狙っていた。気にいったブログやHPを見つけたら、それに重ねる形で情報を積み上げていくことが十分に可能であろうと思っていた。 しかし、実際にやってみるとそれはうまくいかなかった。ネット上の情報はあまりに流動的であり、そのうえにレンガを積んでもすぐ崩れてしまうのだ。
それは、メーリングリストでも、SNSのコミュ二ティでも、セカンドライフのシムにしてもそうだった。地水火風でいうと、まさに風。迅速でスピード感も味わえるし、スマートでもある。ところが、すぐに消えてしまう。方向性が定まらない。
その点、読書ノート型は、実際に手にとることのできる図書があり、一定以上のクオリティを維持した情報が、どんどん提供されていて、これを積み上げることのほうが、私には具体的で実際的である、と思えるうようになってきた。地水火風でいうと地だ。だが、読書型は、どうしても情報が古くなりがちであり、しかも二次的情報になりやすい。だから、双方向性といいながら、白ヤギさんと黒ヤギさんのお手紙交換、ということになりやすく、しょせん、昔のスタイルを電気器具を使ってやっているだけではないか、という悪口がでやすくなる。
その中に登場してきたものの一つが、ウィキペディアだ。地水火風でいうと、風のように融通が効いて、地のようにしっかりしている。そんなイメージだった。実際には、当ブログもかなりお世話になっていて、一時的な検索作業には大いに役立っている。
ところが、出典や根拠をウィキペディア、とすることは、場合によってはかなりはばかれることが多い。むしろ、ウィキペディア出典、とすることで、自らの記事のクオリティの程度をエクスキューズしているような状態になる時さえある。ウィキペディアは、地+風、というより、現在では、水、あるいは水+火、あたりのレベルだろうか。ウィキペディアには、水のように流動的だが、方向性はやや定まっており、ひとをエキサイトさせる火の要素も十分あるからだ。
玉川信明 という人は、1930年生まれで2005年になくなってしまったが、彼はOshoの読書をすすめるにあたって、 KJ法 を活用したという。いまでは「KJ法」をグーグルで検索すると、すぐにウィキペディアのページがトップにくる。便利な世の中だ。まぁ、それはともかくとして、彼はいかんせん、ネットを活用する年代ではなかった。もし彼のような発想をするのだったら、現在ならもっとKJ法とは別なやり方でOshoの情報を集め、よりビビッドな方法でOshoを再現することができたのではないだろうか。現在では、ネット上でかなりのことが可能となっている。実際のレクチャーを見ることができるYoutubeもかなりの数があるし、PDFファイルで、テキストも読める。
この本にはウィキペディアが抱える問題点が数多く指摘されている。いたづらに「ソーシャルメディア信仰」を深める必要はないが、より純化され、進化されたなら、ウィキペディアは、未来の図書館になる。当ブログも、そのころには読書ノート・ブログからは脱出することになるだろう。ウィキペディアは問題点も多いが、また可能性も大だ。少なくとも即時的な近未来に有効手段になるかどうか、という視点から考えれば、セカンドライフの比ではない。
グルジェフ伝 神話の解剖 2009.01.14
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グルジェフ・ワーク 生涯と思想 2009.01.12 コメント(1)
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