「アーラヤ的世界とその神」
仏教思想像の転回
津田真一 1998/07 大蔵出版 単行本 418p
Vol.2 No.443 ★★★★★
津田真一はその 「反密教学」 において非凡なるその反逆性を示し、この本においても論争的な本質を強く押し出している。本の書き手としては寡作と思われる著者において、出版の機会はそれほど多くなく、この本においても、時期がずれた多様な論文等が混在している。だが、逆にいうと、長い年月における著者の論点のブレの少なさを際立たせる良い結果を生んでいる。
私は私自身の仏教学を素朴古典解釈学であると自覚している。その場合、すべての解釈は循環論的に先行する理解の全体像によって導かれる。 そして私はその全体像、すなわち、密教思想史を包含する仏教思想史の全体像(それはいまだ骨格的なものにすぎないのであるが・・・)を<行の軸>と<criticalityの稜線>という二つの形成原理において、そして、その仏教思想史の<最初の展開>を説明する原理である<生の被規定性の根拠>という第三の視点を俟って提示するものである。 p141
檀家をつれてインドを旅するくだりがあるので、どこぞのお寺の住職でもあるのだろうが、生業としての仏教生活はなにも語られない。その旅も、なれたインド通にして見れば、いかにも「観光旅行」レベルであろうし、研究の仕方もひたすら文献を読みこむというスタイルである。しかし、著者の達した結論は驚くべきものであった。
今日でもチベットの一部の大寺院で行われている如く、中観派的空の観想もしくは論議が修道生活の実質を形成することは勿論、充分に、あり得ることではある。しかし、それはすでに純粋な認識的営為=観ではない。それはあくまで智ギのいう観行に対しての行行なのであり、それは私たちの思想の学のレヴェルにおいてはさらにその上位の行の観念においてその本質(それこそがブッダのいう「現法的梵行」なのである・・・)を特定され、根拠づけられねばならないのである。 p236
「今日でもチベットの一部の大寺院で行われている如く」と言ってしまうところに、著者のフィールドワークの弱さを感じてしまう。これだけチベット情報のあふれている時代である。このあたりの傍証を強めれば、著者に対するいたずらな抵抗の風は弱まると思うのだが。
彼らに事実、救済はあったのか、なかったのか、その究極の場面は、はじめに申しましたインド密教思想史の帰結であるサンヴァラ系密教において設定されます。そしてそれを設定するものが、ブッダに始まり、必然のシナリオに従って展開してそこに帰結するインドにおける仏教思想史の全体なのです。私はその究極の場面、私たちの思想の学としての仏教学において唯一、実証的に設定された場面において、彼らサンヴァラ密教の徒に救済はあったと考えます。そして、私が救済はあったと考えることを唯一の事実的な根拠として、<開放系>の神の存在はその神の観念の必然性というかたちで、実証的に措定され得た、と考えているのです。彼らサンヴァラ教徒はその場面で救済されたか否か、私が事実彼らは救済された、と考えてその考えに安住し得るなら、その信において、私自身もまた私たちすべての人間も救済され得るのです。また、その私の信において、<開放系>の神の存在は学問として多分唯一可能なかたち、ないしは制約において、証明され得るのです。 p269
著者におけるcriticalityとは、AB両項が<両立不可能、且つ、二者択一不可避>の関係にある、という規定(p249)である。サンヴァラ系密教と前後するヘーヴァジュラやカーラチャクラとの対比の中で、なぜにことさらcriticality規定に基づいてサンヴァラ系を持ち上げるのかは、当ブログとしては、もっと深堀りしていく必要があろう。
本書の表題における「アーラヤ的世界」とは、なにを持って総称するのか不明だが、これまで当ブログで読み込んできたアラヤ識に類する概念だとすると、著者もまたサンヴァラ系の行者であった可能性があるのではないか、と推測することができる。また、直観的にagarta-davidは サンヴァラ系密教の流れにあったと認識するとすれば、そのマスターもまたその流れにあったということである。
ツォンカパは第四潅頂の思想的、思想史的な意味が全然解っていない、という趣旨で喋っていた最中に突然、私自身がこの第四潅頂の命題に関して、まだ何か(私はその段階ですでに<開放系>のB命題を把握しておりました)、決定的なことが解っていないのだ、という気がしてきて、表面はともかく、内面では大いに周章狼狽したのです。 p281
当ブログにおけるツォンカパ読み込みは、究極の「文献」を「発見」するに至りながら、遅遅としてすすまない。もともと読み手としての素養が決定的に不足しているのは仕方ないとしても、内から湧いてくる反発心はいったいどうしたことだろうか、といつも不思議に思ってきた。ここで著者は、実に示唆的な思索に入る。
私は、いま「サンヴァラ系密教においてインド仏教思想史は完結するのだ」という意味のことを申し上げました。私はこのサンヴァラ系密教を<反密教>と規定するのですが、この<反密教>という言葉には、自らの密教の論理を否定するものであり、しかも依然としてそれ自体密教である、という自己矛盾的な意味が込められております。しかし、実はこの密教による密教の論理の自己否定は、サンヴァラ系密教の直前の「ヘーヴァジュラ・タントラ」で起きているのです。 p305
つまり、ヘーヴァジュラ以前では「反密教」とは呼べないということになる。つまり、母タントラに来て初めてブッダの一サイクルが見えるのであって、ツォンカパが立脚した父タントラまででは、ゴータマ・ブッダの流れは直線的であり、一向にサイクルとして円環しないということになる。ある意味ではツォンカパは「正しい」結論を出したとも言える。
著者の思索はまだまだ展開し、親鸞やスピノザまで続いていき、当ブログにもうすこし読解力があるなら、とんでもない結末と、どんでん返しの大団円となる可能性もある。この本は10年前の本である。現在の著者の思索はどの辺にあるだろうか。
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