「英知の辞典」
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OSHO, スワミ・アナンド・ソパン 1996/05 めるくまーる 単行本 579p
禅 ZEN
禅は言う---禅とは自分がすでにかけている眼鏡を探すようなものだ、と。
ときおり人々が急いでいるときにそれが起こる---列車に乗らなければならない何かで---彼らは自分の眼鏡を探しはじめる。彼らは眼鏡を通して見ている。眼鏡は彼らの鼻の上にかかっている。だが、彼らはあまりにも急いでいるのでそれを忘れている。
禅は言う---仏性はどこか遠くにあるものではない、と。あなたはその真上に坐っている。あなたがそれだ! だからどこかへ行く必要はない。あなたはただ自分が誰であるかにすこし敏感にならなければいけない。それはすでに起こっている! 何ひとつ達成されるべきでものはないし、何ひとつ実践されるべきものはない! ただひとつだけ、あなたは自分が誰であるのかにもう少し敏感にならなければならない。
禅は、それゆえに、言葉では教えない。禅は、そえゆえに、目標を立てては教えない。禅は直接指し示すことによって教える。禅はあなたをじかに叩く。それは状況をつくりだす。それは方便をつくりだす。
ある男が禅師のもとにやって来て、尋ねた。「私はブッダになりたいのです」 すると師は彼を激しく打った。
男は訳がわからなかった。彼は外に出ると古い弟子のひとりに尋ねた。「あの方はどういう方なのですか? 私はごく簡単なことを訪ねたのに、ひどく腹をたてられたのです。私をこっぴどく叩かれました! まだほおがひりひりしています。どうやったらブッダになれるのかと尋ねてはいけないのですか? あの方はひどく無慈悲で乱暴なように見えます!」
弟子は笑った。彼は言った。「あなたはあの方の慈しみがわからないのです。あなたをこっぴどく叩かれたのは、慈しみからです。師は年老いて、もはや90歳です。彼の手のことも考えるがいい! さぁ、帰りなさい!」
だが、男は尋ねた。「でも、そこにはどんな教えがこめられているのですか?」
すると弟子は言った。「教えは単純です。ブッダがやって来て、どうやってブッダになれるのかと尋ねたら、ほかに何ができるでしょう? 相手を叩いて、あなたがそれなのだということを気づかせるしかありません。おまえは何というばかげたことを言っているのか! とね」
バラの繁みがバラの繁みになろうとしはじめたら、それは狂ってしまう。それはすでにバラの繁みだ。あなたは忘れているのかもしれない。禅は、あなたは仮眠状態にあり、自分が誰であるかを忘れているだけだと言う。何ひとつなされるべきことはない、ただ思い出すだけだ。それがナーナクの言うスラティ、カビールの言うスラティだ---ただ思い出すこと。あなたはただ自分が誰であるかを思いだすだけでよい!
だから禅は言葉によっても、経典によっても、理論によっても教えず、じかに指し示すことによって、唯一の教えが意識の新しいレベルであるゲームに私たちを携わることによって教える。 OSHO
ZEN : THE PATH OF PARADOX,Vol.3
p359
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