「漂泊者(さすらいびと)」
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カリール・ジブラン /小森健太郎・他 1993/05 壮神社 単行本 315p
Vol.2 No.509 ★★★★☆
ジブランの代表作「預言者」は何人にも翻訳されている。この本の巻末にも紹介されているが、 「プロフェット」1972小林薫・訳 、 「預言者」1984佐久間彪・訳 、 「生きる糧の言葉」1985岩男寿美子・訳 の三冊がある。さらには、この本には紹介されていないが 「預言者アルムスタファは語る」1993堀内利美・訳 があり、これら四冊すべてが今私の手元にある。一冊一冊メモしようかな、とも思ったが、残りのエントリー数も限られてきたので、 次の機会に譲る ことにしよう。
堀内訳が、この本に紹介されていないのは、この本とほぼ同時の1993年に出版されているからであり、ひょっとすると、その後には、その他の翻訳もあるかもしれない。最近では、 「よく生きる智慧 完全新訳版『預言者』」2008.12柳澤桂子・訳 がでた。
これほどに、ジブランと言えば「預言者」と、すぐでてくるのだが、他にもいくつかも著書があることは、日本においてはあまり知られていない。Oshoは 「私が愛した本」 の中で、ジブランの本のうち9冊にふれているが、この本の巻末の解説で小森健太郎は、ジブランには16冊の本があると推測している。正確なリストは、英語圏にもないようだ。
さて、いたって詩情を理解しない無粋な当ブログではあるが、ざっと読んだ場合、やはり「預言者」の「完成度」は相当に高いと思われる。10代で下書きを完成し、亡くなる40代までジブラン自身が手を入れ続けたというだけに、これ以上いじれないというほど、すでに出来上がっている感じがする。
それに比して、この本に紹介されている、「狂人(きぐるいびと)」、「先駆者(さきがけびと)」、「漂泊者(さすらいびと)」の三冊は、それぞれに、星新一のショートショートみたいで、ちょっとひねりのきいたSFみたいに読みやすいが、決して文章的に過剰な装飾はない。素朴で、ジブランの生地レバノンの風が吹いてくるような、土地のかおりがただよってくるような、不思議なリアリティがある。
私がどうして狂人になったかとお訊ねか。それはこういうわけだ。多くの神々が生まれるよりさらに昔のある日のこと、深い眠りから覚めた私は、自分の仮面が----7つの人生の間にこしらえ、かぶってきた7つの仮面が----みんな盗まれているのに気づいた。仮面をつけぬまま、私はごった返す通りを駆け抜けながら叫んだ。「泥棒だ、泥棒だ、いまいましい泥棒だ」 p11
ここで最初からドキッとさせられる。実は、当ブログでは、転生魂agarta-davidの7つの人生が底流として流れているからだ。もし、この7つの仮面が「盗まれて」しまったら、計りしれない惨事ということになろう。 しかし、よくよく考えてみれば、この7つの仮面は、本当は「盗まれなくては」ならないのだ。
男も女も私を見て笑った。私を恐れ、家へ駆け込む者もいた。
市場に来ると、屋根の上に立った若者が叫んだ。「やつは狂人だ」。その若者を見ようと顔を上げたとき、初めて太陽が私の素顔にくちづけし、私の魂は太陽への愛で燃え上がった。もはや私は仮面を欲しなかった。憑かれたごとく私は叫んだ。「幸いなるかな、わが仮面を奪いし者は幸いなるかな」
こうして私は狂人となった。
p11
私は狂人になれるだろうか。7つの仮面を盗まれてしまったら、8つ目の仮面を急いでつくるのではないだろうか。当ブログは、仮面のひとつであるかもしれない。だからこそ、当ブログは、この仮面をそろそろ脱ごうと思う。泥棒がやってくることさえ、待ち望んでいるかもしれない。
そして私は、自分の狂気の内に自由と安全とを見いだした。それは、孤独なるがゆえの自由、理解されないがゆえの安全だ。なぜなら私たちを理解する者は、私たちの内なる何かを隷属させるからである。
しかし、おのれの安全をあまりに誇るのはよそう。牢の中の盗人でさえ、別の盗人からは安全なのだから。
p12
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