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書かずにはいられない時には本当に毎日のように書きました、書けない時もありました、そして書きたくない忘れたいという時期もありました。それは今に続きました。しかし、今こうして日々生活している自分がいて子供がいるそして新たな展開を迎えた私、そして息子がいる。ある尺度で話をすれば、私たちはいまとても幸せかもしれない、しかしいろいろとおもうところもある。ほぼ十年が経ちました、この日記を書かなくなって随分と経ちました。また、書ける気がしてきましたので再開したいと思います。完結に向かって・・・もちろん人生の完結までにはまだ随分と時間はありそうですが。
November 28, 2015
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久しぶりに、ログインしました。いやー、2014年ですねー。早い早い、年はとるが老けてはいられん・・・ブログまた再開するぞーー今年こそは!これを新年の誓いとさせて頂きたいと思います!皆様本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
January 11, 2014
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1年って本当に早いですね・・・年が明けた、夏になって暑くなったと思ったらあっという間に年の瀬。そうやって、1年1年また年齢を積み重ねていくのでしょうね。とはいえ、どの国にいようとも年の瀬はワクワクするものです。日本でも、イギリスでもまたアメリカでもアジアの国々でも赴きは異なれど人々を新たに掻き立てる最終月それが12月ではないでしょうか?自身のこれまでを眺めるも良し、また新たな風景を描くも良し。ただ・・・・良き未来にする為の12月であってほしい。
December 3, 2011
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新しい芽が出る・・・、なんと美しく喜ばしい。また、ある(存在)穂も、言うまでもなく美しい。時は、否応なしに流れる、その時流に乗らぬばまた不幸であるし流されるもまた悲しい。いかに帆を進めるか、それが人生かな。
April 16, 2011
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本編再会!みなさま、あきらとダディーの冒険最終章ご覧あれ!(今度こそちゃんと書きます!)
September 24, 2010
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最近書いてないなと思っていたけど・・・なんと1年近くもほったらかしでした。だめだ、だめだ1度やらなくなるとまったく手をつけなくなってしまう。でも久しぶりに読み返してみるといろいろと甦って来る。いまだに心が締め付けられる感情がふっとフラッシュバックのようにしろく光ったかと思うともう感じることのできなくなった遠い記憶のかけらのようなことまで。でもいつもと変わらないのは、あれからもう5年近くもたってもそこにあるのは、のほほんとした、ちびすけの笑ってる顔!でも最近はもうちび助ともあなどれなくなってきた・・・頼もしくもあり、ちょっと寂しくもある今日この頃・・・
April 28, 2009
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「アキラ、初めてやから練習のつもりで勝ち負けとか気にせんでいいからな・・・」「楽しんでやり、まだ7歳やからいつでも出れるからな・・・」大会の朝は何やら私のほうが緊張をして息子にアドバイスをしているというのか逆にわたし自身を落ち着かせているような感じでした。とりあえずは彼にとっての初めての型の大会でしたので、多くの人が見ている中で緊張する中で競技をする貴重な経験を味わってくれればいいなと想っていました。ただもちろん彼はこれまで道場で最年少でもそれに言い訳をせずに年上の子や大人に混じって集中して練習をしていました。もちろん本音は1勝でもしてくれればとはおもいましたが・・・ところが、いざ大会が始まるとのびのび競技に没頭し。一回戦を突破し、2回戦・・・3回戦ではかなり接戦で2-1そして決勝では集中力も切れ始めながらもがんばりななななな なんと優勝してしましました。もちろん私も息子も嬉しいには嬉しかったのですが信じられないという思いと、息子は長時間の集中集中、父は緊張のあまりぐったりでした。何か1試合1試合、自分の実力以上の力を出し切るわが子にこの日は大きな大きな勇気をもらいました。ほんまよーがんばったな!!サムライの優勝トロフィーをもらって疲れた顔でパチリ!!家に戻り元気を取り戻してパチリ!!お疲れ様、また1から稽古しよな!
June 25, 2008
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今週末についにうちのチビが初めてのちびっ子型大会に出場します。子供達の間では決まった動作を何度も何度も繰り返して練習をしなければならない型はすこぶる不人気なのですが、なぜかうちの子は型が大好き・・・型の練習をするようになって、集中力や表現力も鍛えられて最近ではクラスメートにも披露しているようです。自信を持って人前で何かを表現をするというのはとても大切な事。とりあえず今週末は多くのギャラリーの前でそれを披露するわけで途中で緊張したり焦ってミスをしてしまうかもしれないけれど、これも本当に良い経験!思い切ってやってくれるとダディーは嬉しいな!!ちなみに彼が披露する型は、剛柔流の撃砕第一。おもいっきりがんばってやってや!!
June 19, 2008
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みなさま、明けましてオメデトウございます・・・・かなり、遅ればせながらですが。どうおすごしでしょうか?時は過ぎ行き今年は2008年ですね人によっては・・・まだまた人によってはもう時空の体感速度には十人十色?さてうちのチビ介の2008年やいかに!皆様にも幸あれ、2008年!!!
February 2, 2008
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皆様こんにちわ!回想記再開と言いつつも相変わらずのあわただしさに更新もかなりスローなのですが・・・申し訳ござません。現在ちょうど法的な絡みとして約一年前の状況を書いているのですが以外にも多くの方から多岐にわたるメッセージを頂いております。中にはもちろん私と晃に起こっているような状況に海外で酷似したことで悩んでらっしゃる方やまた法律家の方でアドヴァイスをくださる方や暖かい心でサポートしてくださる方の多さに驚きと感謝でいっぱいです。そこでもし・・・仮にこのような状況で海外で既に解決された方や何か良いアドバイスをお持ちの方が居られましたらぜひとも解決の糸口でもご教示下しましたら幸いです。日本と言う国が国際化や国際交流に積極的であるにもかかわらず、日本と言う先進国がそのなかで唯一親による児童誘拐の解決に同意していないがために私たちはこのように海外で苦渋をなめているのです。もしこれら解決する術をお持ちの方が居られましたらぜひともご連絡宜しくお願い申し上げます。
October 18, 2007
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<回想記 2006/4月中旬>人間と言うものは不思議なもので、逆風が次から次と吹き込むたびにその神経はタフになる・・・というのか私が思うにそれはマヒするというのでしょうか。一瞬の絶望の後には、すぐに次に前進するための知らず知らずの一歩を踏み込んでいる自分がありました。もちろんそれは、それだけの金銭を請求された事に対してその事象を教授して打ちのめされたと言うのではなく、これまでに培った自己防衛反応か自己の意識と反してこの現実に対して。「これでいいのか・・・?」という単純にしてそれは徐々に深層心理からの疑問が大ナタのような怒りへと変形していくのを冷静なはずの、というより冷静で居なくてはならないと言い聞かせた自分をも食い尽くしていくようにもう一人の自己を呼び起こしいったのでした・・・
October 15, 2007
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<回想記 2006/4月中旬> そこには閑散とした印字で請求額約7千ポンド(162万円)とおもむろに記されていました。ついこの間約2千5百ポンド(58万円)の保証金を払っていた私はたしか弁護士は今回の私の件では恐らく解決に5千から7千もあれば何とかなると聞いていました・・・その時ただただ私はこの請求書は何かの間違いに決まっているとしか考えられませんでした。本音として私が強く考えたのは。「なんじゃこりゃ・・・、ここまで何にも、いや1センチすら前進してないのにこんな請求額あるわけない・・・」ということでした。とはいえ現実に、目の前にその請求書は無機質に存在していましたから無視するにはあまりある恐怖でした。こんなもんあるわけないという強い気持ちが数分支配しましたがそれからまもなく現実感がまた私に押し寄せ「こんなもんおかしいやろ、今すぐ確認しな・・・」と少し焦りで震える手で電話の受話器をまさぐり掴みその弁護士へコンタクトを取るべく電話をしました。何度かコールを繰り返したもののとられる気配も無くそのまま留守番電話へと切り替わりました。焦りながらそんな事を数度繰り返しましたが結局弁護士を捕まえる事ができませんでした。少し呆然としながら・・・「このままじゃ、夜も寝ずに働かなどうしよも無いか・・・」などと現実的な思考がぐるぐると心のそこを駆け回りました。
September 15, 2007
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<回想記 2006/4月上旬> ちょうどその頃イギリスの気候も肌寒い日と穏やかな小春日和が日替わりに交差し、日増しに本格的な春の訪れに胸を躍らせていました。その日は定時で仕事も終了し駅から続く緩やかな丘をゆるりと歩き少し平和な気分で辺りを見回すとそこはやはりイングランド、脇にある小さな緑の空き地で子供達が元気にボールを追いかけている風景が目に入ってきました。そのまま10分ほどで住まいまで到着しいつも通りドアのロックを開けるとポツンと1つあまり見慣れない白い封筒が郵便受けの真下に横たわっていました。「何だろう?」と思い恐る恐る拾い上げてみるとどうやら今回の件を依頼していた弁護士事務所からのものでした。そういえば、ここ1ヶ月ほどは私たちの件が前例も無く解決へ向けてあまり進展していないという事だけは担当弁護士から不本意にも聞かされていたので、これまでの状況報告か何かかと想いました。というのも今回の依頼でこれまでメールでの報告は何度かもらっていたものの正式な書面では1度も報告を受けていなかったからです。あまりすぐにそれを開封して中を確認する気にもならなかったのですが、そのときなぜかすぐに開けなくてはいけないという気がしておもむろにビリビリと上の方をやぶり中から紙の束を引き出しました。そして4、5秒程パラパラと目を通しその視線が最後のページの一番下のほうに差し掛かったとき一瞬思考が凍りつきました。なんと、そこには驚くべきものが記されていたのです・・・
August 27, 2007
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ここのところ、回想記を書こう書こうと想いながらもなぜか不思議と書けませんでした・・・気がつくと、「今日この頃」ばかりを自然と書いていました。なぜかな?とふと自分自身考えると、あまり進展していない状況に反比例してすくすくと成長する息子を見ていると刻々と過ぎ行く現在にばかり意識がウォーカスされていたのだと想います。もちろんそこには無力感や焦燥もありました・・・しかし、何となく書き始めた私の日記でしたが多くの方々から励ましのメッセージを日本やそして海外からも頂いたり、またこんな私の日記から逆にパワーをもらったといって頂いてくださったりして逆にまた私のほうがパワーを頂いたり・・・そろそろ何とかしたい。要はこの現状を打破したい、1日でも早く私たち親子の念願である2人そろって日本の地を踏みたいという大望を達成したい。・・・そして少し変化の兆しがみえ始めた今日この頃。とはいえこの兆しはまだ雲の切れ間に見え隠れする梅雨時のお日様のように、それは確固としたシルエットとして常に私たちの前でまどろんでいるわけでもないのですが・・・今年中に何とかしよう。今まであまりこれを解決するに、いついつまでにとは考えられなかったのですが、なぜかこの頃はっきりと今年中にと強く自身の心中で意識できるようになって来ました。最後の回想記の日時からはもう現在は1年半近くたちますが、ここから現在そして刻一刻と進行する今・・・これから真の最終章と導くべく回想記を再会したいと想います。(時折、今日この頃も日記したいと想いますが。)それでは・・・
August 22, 2007
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今日は本当に天気も最高、気温も文句なし!息子に今日は何したい?と聞くと・・・「あー、あっくんお魚と、カニとりたい!」と言う事で、歩いて3分でいける近くの海辺へ行く事にしました!!!息子から「ダディー、お魚とカニいっぱいとれるな?」と単刀直入に問われ、「うううう、うんまかしとけ!」と言ったものの、私が育ったのは琵琶湖のほとり・・・淡水での経験がイギリスの海で生かせるのか・・・と少し不安になりました。当時、私は子供達の間で魚やザリガニをとるのがかなりうまかった事を回帰しひとり「よっしゃ、お国違えど、塩水でも生物の生態は応用できるはず!」と気合を入れて海辺へ向かいました。とにもかくにも一番苦戦したのは、この辺りは塩の満ち引きが激しく、絶好のポイントを探している間に潮が満ちて撤退せざる負えないことでした。しかしやはり生物は生物、習性は似ているものですね!打ち杭や、テトラの底を網でリズム良くすくうと・・・「うわー!ダディーお魚とカニと、エビがいっぱい!!!」という絶叫と共に、釣果は大漁でした!!それはもう気がつけば小さなバケツにいっぱいの生き物達がところ狭しとうごめいているほどでした。正直に言って私もかなり楽しめましたし、彼もこれまでにお目にかかったことの無い生き物とも巡り合えていい勉強にもなったようです!!
August 5, 2007
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「ファイバー(5ポンド)、テナー(10ポンド)DVDーー!」毎週金曜の昼下がり、今では聞きなれたフレーズ。毎週金曜日の午後になるとこのお決まりの少しかすれた威勢のいい掛け声と共に、一人の中国人がやってくる。彼は私の職場のあるこの辺りに海賊版のDVDを違法に格安で売りに来ている。彼が来るとオフィスの同僚や近辺の職場の人たちが「おい、DVDマンがきてるぞ!」と声掛け合って外に出て皆お気に入りの最新のDVDを物色する。私は彼が大嫌いだった、もちろん彼のことを知っているわけでもなかったし接したことすらなかった、ただただ生理的に受け付けなかった。彼が来ても私だけは絶対に外に出て行かなかった。それにはいろいろとわけがあって、このアジア人の少ない近辺で歩いているだけでよく心無い人たちからDVDマン呼ばわりされたりと、よく周りのアジア人たちとはいい迷惑だと話していたこともあった・・・彼がこの辺りにDVDを売りに来るようになってちょうど1年くらいたったある時、ちょうどその日はひどい雨が降っていた、例のごとく彼はそこに居たのだがうちのスタッフが雨のせいで外に出るのをためらっているとボロボロのバッグから折りたたみのくたびれた傘を2本取り出すと大きく開けて商品のDVDとお客さんが濡れないように気をつかい少し微笑しながら自らが濡れることは全く気にも留めず商売を始めた。その日はなぜか気がつくと私も知らず知らずのうちに外に出ていた、初めて・・・彼は同じアジア人が目の前に出てきたので少し驚いたようだった。関西人のO型のせいか私はこういう状況になるとなぜかいじょうにこの対象に好奇心が芽生えて話し出してしまう。しかし彼はほとんど英語も話せなかったので、私のかたことの中国語に彼が分かる範囲の英語を交えてコミュニケートしだした。彼はどうやら福建省からイギリスに不法入国でやってきたらしくもう3年近くになるという、そして妻子を中国においてきているといって少し照れくさそうに古ぼけた財布の中に挟んでいた写真を見せてくれた。あと2年がんばって本国に帰るという、イギリスはきらいだと彼はいった。彼も私が日本人だというと同じアジア人に親近感を感じたのか少し嬉しそうだった。そんな彼の横顔を見ているとあることを思い出した、私が大学生の頃当時中華料理店でバイトをしていたのがそこに王さんとう若手の調理人が居た彼は大きな借金をしてまで大望を持って当時日本へやってきていた、私も血気盛んな頃で彼とはよく大喧嘩したのだが気もあって良くのみに出かけたりもした。お互いに日本語と中国語を教えあったりもした。そんな彼も今では神戸の中華街のレストランでで料理長をしているとつい先日、人伝いに聞いた。ふと記憶がシンクロした・・・私に6歳の息子が居ると聞くと今目の前にいる彼はまた微笑しながら。「いいのがあるんだ!」と最新のトランスフォーマーのDVDを私に差し出した。私も息子がこれを見たいと言っていたのを思い出して買う事にした。今夜、大興奮しながら映画に見入る息子を横目に、妙に10年前の王さんとの記憶ががゆっくりと懐かしく想い出された。「今度帰ったら久しぶりに神戸行って王さん探しにいかなあかんなー。」ちょっとノスタルジックな夜・・・
July 28, 2007
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金曜の夜・・・ちょいと一杯やりながらふと気になることが・・・「あー、そういえば来週誕生日なんだよな・・・」そうなんです来週で31になってしますんです、別に31歳が特別感慨があるとか、歳だとかそういう感覚に陥ってるわけではないのですが、ただただ少し疲れ気味の金曜の夜にボーツと一息入れるとついつい100mダッシュのように過ぎ去った20代からこれまでを回想してみたりそしてこれからの行く先に気合を入れてみたり・・・ただ今回の誕生日少し違うのが、これまであまり自分の誕生日など気にも留めていなかったのに・・・今回はこっちに戻ってきて約3年間でこんな自分を支えてくれた友人達が企画してくれて明日バースデーBBQをしてもらう事になりました。本当にいろいろな人たちからいただく優しさやパワー、素直に受け止めたいと想います。そしてまたこういった喜びを次の誰かに受け渡していきたいなと想います。「うん。」、人の優しさには国境も人種も無いですね。とりあえず明日は思いっきり楽しもうと想います!!!
July 21, 2007
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先週の事。「あー・・・、ダディー・・・ビーチトリップいこ?」「???」「何それ?」「あー、学校のみんなとダディー、マミーとピーチに行くやつが・・・」「遠足?」「あー、うん・・・」良く聞いてみるとどうやら親子で参加する近くの海辺までの遠足とのことでした。私も少し考えて、そういえば今学年もとうとう今週で終了だし最後くらいはと想った瞬間少しあることがよぎりました。それは何度かクラスの子のお誕生会やなんかに参加した際にそのうちのほとんど参加した大人の大半はやはりお母様方で、それはそれでよかったのですが、案の定お母様方はすこぶる元気な上に世話焼きが多く、最年少で数少ない父親の中で私を不憫に想ったのか強引にわたしの腕を鷲づかみにするやいなや親達の陣取るテーブルの中央の席に着席させられました。その後はお決まりのマダム達の世間話に相槌をうちつつ際どいつっこみに四苦八苦したのを思い出しました。恐る恐る。「でどこの親達がくんの?」と聞くと。「えーっと、ティリーのマミーと、ルイのマミーと、ハービーのマミーと、・・・・」「えーまたマダム軍団ばっかりやん、どっかのダディーはけえへんの?」と焦る私を尻目に「あー、あっくん知らん・・・」ってな事で今週の水曜日に親子遠足に参加する事となりました・・・
July 17, 2007
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今学年も今月の19日を持って終了し9月からはイヤー2がスタート・・・ということは遂にうちのチビも日本で言うところのピッカピッカの小学1年生。(英国は日本より約半年早い。)どうりでわたし自身も年齢を重ねるわけです・・・この2年間は、同じクラスメート達とゆっくりゆっくりと成長してきたのにこれかららは少し年長のメンバー達とも混合でクラス割があり1番チビのクラスだったアキラやそのクラスメート達は少しナーバスになっているのかなと少し心配にもなりましたが・・・本人はいたって「あっくんは全然大丈夫やで!」と来年度に向けてポジティブに意気込んでいるようですが、そんなチビたちの心情をよそに過剰に神経質になっているのはどうやら私たち親の方なのかもしれません・・・先日もクラスメートの親達に誘われてバーベキュウに行って来たのですが、もー親達(特にお母様方。)の関心は完全に新学期のクラス割にフォーカスされていました。ある親が「とにかくあの子とだけは同じクラスにはなって欲しくないわ!」といえば、またあるマダムが「うちの子にはあの子だけとは話さないようにといってるのよ。」とか言いたい放題で、私は心の中で「なに言ってんねん、まだ6歳やのにいろんなタイプの人間ともうまくやるのが勉強やろ馬鹿チンが。」と胸くそ悪くも、うちの子もどこかで何か言われてなければとか頭をよぎりました・・・とりあえず先日クラス割の発表があり、うちのチビ介は”イエロー”クラスとの事、仲良しのローズともまたクラスが同じで大喜びでした。どうなる事やら一年生!!!
July 16, 2007
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この間の日曜日ついにうちのチビ助が空手の組み手(当て身の試合形式)デビューを果たしました。以前から本人はやってみたいと言っていたのですが、先生からとにかく6歳になってからと、”待て”がかかっていました。気合満点の本人。そして始めての組み手、結果は2つ年上の子から上段回し蹴りでポイントを取って勝利。ビギナーズラックか・・・怖いもの知らずかな・・・1回勝ってしまったからこれからは、他の子たちも油断もしないしアクシデントで鼻血がでたり、痛い思いをしたりするんだろうけど、それにへこたれたりもするんだろうけどがんばって欲しいと想います。彼は道場では未だに最年少、しかも体格は他の子より2回りも小さい。けど、今は恐怖心より組み手に挑んでいくのが楽しいみたいです。少し年上の子達もチビがガンガン来るのでびっくりしているようです。無邪気にがんばってる息子に何だか大切な事を少し教えられたような気がしました。がんばれチビ助!
June 20, 2007
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ってよく自分の息子を見ていて想います。私としては、なんやかんやこれまで色々とあったし、それからまだまだ解決しなくてはならない問題もあるけど、彼は素直に優しい子に成長していてくれて今のところ一安心ですが、ここイギリスでもまたニュースなどで伝え聞く日本でも十代の凶悪な犯罪や暴走を知らされるたびに不安にもなります。私の職場のあるとあるロンドンの東部の町は近頃イギリスでも知られる位に犯罪率が高くなり駅前の繁華街には目つきの悪い若者がうろつき、朝駅から外へでるとスカンクと言うそれはもう気持ちが悪くなるような異臭を漂わせるマリワナの類を吸って通学する中学生がうろつき今では見慣れたものの当初はぞっとしたものです。それから一番私を憂鬱にさせるのが、十代の妊娠率がこの辺りでは以上に高い事です。本当に驚かされます・・・大袈裟ではなく、14、15、16歳くらいでベビーカーを押しているお母さんを本当によく見かけるのです。先日私の部署のスタッフの女の子の一人が言っていたのですが、彼女はまだ22歳なのに学生時代の同級生のほとんどが既に子持ちと言うのです、多い子で既に子供が4人もいてしかも全ての父親が違うという子もいると聞かされてどうもこうも言葉を失いました・・・逆に現在私たちが住むこの辺りは結構ファッショナブルな地域になってきているのですが日本よろしく親達は幼稚園くらいからどこの小学校がいいやらどの中学校が進学率が高いやらで子供達にプレッシャーをかけているといった具合です。親としての子供への願いとは本当に難しいものだなと感じずにいられません。親の自己満足での期待過剰ではいかんし・・・今私が息子に伝えているのが、日本語をがんばること!「あきら、ほらダディー見てみ日本語とイングリッシュがんばってるからいろんなお友達できるやろ?」と言って出来るだけなぜそれをがんばったほうがいいのかを説明するようにしています。分かりやすいほうが良いのだと想います。こどもを凶悪犯にしてしまうのも、がんばるマンに育てるのも親の責任ちゃうかな?それくらいの覚悟なかったら子供生んだらあかんのちゃうかなって想う今日この頃です。
June 4, 2007
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この間の日曜日うちのチビ助の6歳のバースデーパーティーを 催しました! タイトルは「爬虫類の不思議」 業者に頼んで移動動物園よろしくいっぱい蛇やらカメレオン やら、イグアナなんかが登場しました・・・ (不覚にもアクシデントで女の子が蛇にかまれて一同顔面蒼白・・・、大事には至りませんでしたが・・・) 運よく空も晴天この小難しいイギリスの天気をも味方に付けた わが子はそりゃもうご機嫌でした。 クラスメートや方々の友人が集まってくれ子供達の数はざっと30人・・・ 1年ほど前からチビ助から 「ダディー、あっくんガールフレンドいるよ!」 と聞いていたものの紹介してもらう機会も無かったのですがついに今回息子の小さなガールフレンドを紹介してもらいました! 彼女の名は「ローズ」というのですがそりゃもうしっかりした女の子で、両親が学校の先生というだけあって私が彼女に自己紹介すると気品に満ちた態度で彼女も自己紹介してくれました! ほんと6歳児とは思えんラブラブぶりでおとっつあんも少し 微笑ましいやら末恐ろしいやら・・・ (最初から最後までずっとベタベタくっついてました・・・)まー本人がハッピーやったんやしええか! 想い出に残るといいな二人のツーショット
May 22, 2007
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ほんまに子供の成長は早いもんですねー。つくづくそう想います。最近では少しずつ生意気な口をきいたりでもそれがけっこう的を射ていたり・・・空手でも最初の頃はすねをぶつけてあざになると泣いたり、べそをかいたり、あんまりハッピーじゃなかったのに近頃はすねのあざを見つけるたびに「ダディー、あっ君いっぱいあおいのあるから強くなってるなー」なんていって誇らしげで・・・確かに、いつも顔を合わせていると気づかんかったけど確かにこのBlogの最初の頃の写真と最近の写真を比べると、幼児から少年へと変わってきてんのかな・・・
March 1, 2007
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先週の事ですが・・・近頃FX(為替取引)にはまってインターネットとにらめっこしている私の元に少しモジモジしながら息子がしのび足で近寄り。少し照れくさそうにこっちをチラチラ。私が「どうしたん?」と始めると。「ダディー、・・・・」もぞもぞしながら。「あ、あ、あ、あっ君、バレンタインが・・・・・」意表をつかれたわたしが。「はーーーーーーーー、ババババババババ、バレンタインがなんやって?」さらに照れくさそうに・・・「あーーーー、あっ君ローズにバレンタインしたい・・・」と・・・よく真相を聞いてみると、どうやら幼稚園のクラスでは来たるべくバレンタインデーに向けて男女入り乱れてプレゼントを交換するらしく(イギリスではバレンタインデーは男女のイベント)、彼もガールフレンドのローズに当たり前のごとく気前よく約束したとのことでした。そこで「で、君は彼女に何をプレゼントする気なのかね?」と聞いてみると・・・わが子はタブーを破り・・・「あー、ダディーは幼稚園ととき何プレゼントしたん?」あー、無常・・・さすがに、ダディーは5歳の彼女はおろか頃幼稚園の頃おサルのように木登りと、スカートめくりが一番じょうずだったんだよなど白状できるはずも無く・・・「あきら、ローズが一番好きなものは何や?それでいいんやぞ!難しく考える事はない!」とかなり怪しいアドバイスをすると。「あーーーーーーそうかー!!、ローズはチョコレートとジェリービーンズが大好き!!」と言う事で週末に彼女が虫歯にならない程度のスィーツを買い込み来るべきバレンタインデーに備えました!あー正直ダディーは焦ったけどホンマ、彼女が喜んでくれたらええなー!!
February 13, 2007
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日本からイギリスへ戻り本当にバタバタしていました。たまりまくっていた仕事や、新規案件うー頭が痛い・・・せくせく追いつかんとばかりに仕事に 没頭していたある日。会議から帰りなにげに携帯のスクリーンを一瞥すると・・・見慣れない着信履歴が・・・「なんやこの番号・・・」一先ずGoogleで検索すると何と・・、アキラの幼稚園・・・・すこしあせりました・・・「何や学校からって」「まさか・・・・、何かあったんか・・・」すぐに、彼の学校へ確認足しました。すると、アキラがすこし気分が悪くなり医務室へ来たらしく30分程休憩してまた教室へ戻ったとことでした。多少焦った自分がそこにはいましたが、ふと思い出しました。まだ日本に住んでいた頃、彼が2歳くらいのときに自ら車にぶっかって救急車で運ばれ・・・それを聞いた私は動転して救急隊員に電話で「どうなってるんですか?、助からんかったら許さん・・・」なんでどなりちらしてたっけ・・・。今回は俺かなり落ち着いてたなーこうやって親の自分も成長してるんやなって想いました。
February 1, 2007
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遅れましたが皆様明けましておめでとうございます!2週間の日本での正月休暇からイギリスへ戻ってまた現実と言う日常がリスタートしました。日本で多くの友人や家族にもらった大きなパワー!まさにパッション!!皆さん如何お過ごしでしょうか?よく新年に今年は良い年でありますようにと願いますが私は近頃新年いい年にしようと誓います。人生良くするも、落ち込ますのも自己の感情や心構えではないでしょうか?願ってほったらかしではなく、プラス行動が大切だと最近考えさせられます。ではでは皆様、今年も良い年にしましょう!!!
January 21, 2007
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今週一週間、イギリスはパーティーラッシュ・・・昼間仕事して夜はクリスマスパーティー。もちろん気の合う仲間と呑んで食べてとかなりエンジョイしていたのですが今週後半辺りから少しずつばて始めました。遅くまで飲み明かして、ほぼ眠らずに出勤なんて事も2日ほど続きさすがにダウン寸前。今夜は息子の幼馴染宅に出かけましたが帰宅は深夜、彼は凄く楽しんだ上にその後気ままにすやすや夢の中ですがおとっつあんはクタクタです。27日から私は2週間ほど日本へ休暇で帰国ですがゆっくり過ごそうなんて想ってますがたぶんそんなことにはならないんだろうなー。パーティー疲れでバタンキューのチビ介・・・まっ、楽しけりゃいいか!
December 24, 2006
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この間の金曜日に息子の空手の7級の昇級試験がありました。先生や有段者達からはAKIRAは7級を飛び級して6級を受けてもいいと言われたのですがあまり急いでもとおもい7級を受けさせました。先生より名前を呼ばれると技を披露するのですが自信満々の彼は声がかかるとこのポーズ今では相当空手に心酔しているらしく家でもわたしと組み手をしたり型を教えて欲しいと自分から聞いてきたりとかなり熱心です。来年6歳になるのでちびっ子組み手大会にエントリーできるのですが彼はいつも私に「ダディー、あっくんはチャンピオンになるよ!!」と言っていますが年長の子や、もっと上手い子もいるだろうからそう簡単にはいかないでしょう。そういえば最近はトランプで私に負けても、ボーリング場にいっても何かと勝敗にこだわるようになってきました。クラスでは英語の読み書きが一番出来て、日本語もできて先生からも褒められて大好きな空手も上手くいって最近少し天狗になってるチビ介。しかしそのうちに上には上がいて打ちのめされる日が来るんだろうなと想ってみています。そこで腐らずに気長にまた一つずつステップアップしてゆけばいい。「君の人生まだまだ長いんや、焦らず気長にいけばええやんか。」っていってもまだ分からんやろな・・・俺もそうやった。
December 19, 2006
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<回想記 2006/2月上旬> 近くにある昔の漁港をそのまま海辺の公園にアレンジしたOld-Leighのパブへ3人で入ると落ち着きそうな一番奥のテーブルを選んで座りました。さっそく息子はもうどのデザートにしようかとメニューに載っている写真を凝視しながら選び始めていました。ポールと顔を見合わせて笑うと、私たちも好きなエール(香りの良い炭酸の少ないビール)をお互いに決めました。そしてポールが注文をしてくるといい少しうすくらい通路を抜けてカウンターの方へ消えていきました。(イギリスのパブでは注文はカウンターで誰かがまとめてするのが普通)ポールがエール2杯とアキラのコークをかかえて戻ると3人で「カンパーイ!」ちょうど私も彼には確か1歳くらいの男の子がいることを思い出したので子供の事を彼に聞くとなんと第2子までもが今年の夏には誕生するというではありませんか。そのときふと心の中で「あー、彼はきっと今幸せも昇り龍なんだろうな。」と想ったその時「でも日本にいる子供達とはもう1年半も会ってないんだ・・・」と全く予期していなかった彼の一言に驚きのあまりに目を丸くしたまま言葉を失ってしまいました。「日本の子供達って・・・?」それからポールより彼が21歳の頃イギリスで剣道に出会いそれに魅了されその時の日本人師範の紹介で1年の日本への剣道留学のつもりが日本にも魅了されてしまい15年も日本に滞在した事そして結婚、二人の子供達に恵まれた後の家族の崩壊・・・お互いに自分の子供達との間に何か壁がある現在を話しているうちに、自然な感情としてこれをどうにかしたいと想いました。ちょっと話がシリアスになった刹那にパッと我が息子に目をやると例のごとく口の周りにサンタクロースも顔負けの大きな口ひげを生やしながらアイスクリームをほうばっていました。しかし、この日の偶然の再会を機にその後ちょっとした展開を迎えるのでした。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
December 5, 2006
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<回想記 2006/2月上旬>「ピッピー、ピッピー」息子と商店街を2人で歩いていると車のクラクション2回とともに赤いセダンがぱっと私たちのもとへ横付けされました。 息子と2人で顔を見合わせてなんだろうかとその車を凝視してみるとドアが開き中からツルッパゲの愛想のよさそうな白人男性が人なつっこい笑みを浮かべて「あれ、Akiさんでしょ?元気?」と少し訛った日本語で話しかけてきました。 はて、どこかで見たような・・・・誰だったっけ、と私がどこか困惑していると 「ポールやけど、おぼえとらん?」と今度ははっきりと分かる九州弁で一言、そのあまりにも流暢な九州弁で私の記憶もよみがえり 「あー、ポールあの時の?いやーもー1年半ぶりじゃない?」 ようやく記憶を手繰り寄せた私は少しの驚きと共にその時の記憶を思い起こしました。彼と出会ったのはちょうど子供をイギリスへ連れさらわれてすぐに2週間だけ急遽イギリスへ飛んできたときのことでした。彼がその時ちょうど私が泊めて貰っていた友人の家へたまたま立ち寄り、その際にいろいろと話が盛り上がり何だかんだと語り合ったのを想い出しました。「いつこっちへ来てたの?」「いやー実はもう1年ちょっと経つんだ。」そんなやり取りをいくつか交わすとポールの方から。「もし良かったら後でパブでご飯でも食べへん?」息子にも聞いてみると彼もパブでデザートが食べたいということで、三者三様文句なしその足でパブへ出かける事となりました。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
November 25, 2006
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<回想記 2006年/2月上旬> その頃つくずく感じたのが、こういった弁護士だの、裁判沙汰だのといった事から生じてくる疲労というのはこれまで感じてきた疲労とは全く異質のものだということでした。例えば弁護士とディスカッションしているときに、なれない日本や英国の家庭法の説明やそれに関わるもろもろの展開を彼らと話している時の疲労というものはどちらかといえば仕事で例えるところの顧客と商談をしているときや、社内でのミーティングで感じるような疲労でした。しかし一たび帰宅し、缶ビールを渇いたのどに流し込み少し落ち着いた後にドッと覆いかぶさる疲労というのは凄く哀しく虚しいものでした。一度は幸せだった家族が崩壊したその後でのもう双方に歩み寄れない大きな傷を残した上での理解不能な現在。何度も心の中で俺はただ子供にとって最良の状況を作ってやりたいだけだ・・・とつぶやき、そして時には叫びましたが満たされるはずは無く。子供を日本へ連れ帰ってやろうかとよぎった事もありましたが過去に国際結婚の末の破綻で、そうして来た日本人が大勢いたそして日本という国が先進国で唯一、国際間での親による子供の無断誘拐阻止に対して国際的に調印していないがために私やその他の大勢のモラルある日本人の親達が海外で休暇ですら子供達と里帰りできずに苦しんでいるそう考えるとそんな理不尽な事は到底できるはずもありませんでした。もちろん子供の前では暗い顔などは絶対に見せませんでした。そしてただただ訪れるのはこれまでの人生で味わった事のない虚しい疲労だけでした。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
November 5, 2006
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<回想記 2006/2月上旬>受話器をとった私は固唾を呑み耳の神経が破裂しそうなくらいその一点に集中させました。その後わたしが何と弁護士へ挨拶をしたのかとか、あちらが何から話し出したのか全く憶えていません。もちろんお互いに挨拶らしい会話をしたことは確かですが、本当にそれが何であったか全く思い出せません。ただ不思議なもので、その相手の声のニュアンスや話し出しを聴いた瞬間、いや・・それを感じた瞬間わたしの中で潜在的にあまり喜ばしい話がこれから私の耳には入らないであろうということを直感的に悟りました。そして、あちらもそれはそれで私に気を使ったのでしょうが、あまりに回りくどい言い回しに痺れを切らした私が。「それで結論としてどういう報告書があがってきたんですか?」と強い口調で言い寄ると、弁護士の口から予想外の回答が返ってきました。「前例がありませんでした・・・。」「・・・」一瞬完全に言葉を失ってしまった私でしたが、ただただ冷静に何とか状況を理解しようと勤め。「前例が全く無いということですか?」・・・・過去に日本人男性で国際結婚の末に無断で子供を国外へ連れ出されたケースはあったらしいのですが、その後子供を追って、日本での生活を捨てて国を飛び出したというケースは記録には無いと言う事でした。弁護士のほうより「私達の時代には考えられなかったことです、子供のために仕事や国を去るということは・・・」という慰めなのか、嘲りなのか分からない一言にいらだちながらただ私の心に去来したのはそれは、これから0からすべてを築き上げる・・・法的な前例をイギリスと日本というさも遠く離れた国をまたがって創造しなくてはこれを果たせないという想いだけでした・・・。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
October 31, 2006
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芸術の秋(そろそろ冬ですが・・・)ということで、昨日は息子を連れてトッテナム・コートロード駅近くにある大英博物館へ足を運びました。大英博物館も入場料無料の募金制なのですが、子供を連れてゆっくりまわるととても回りきれないほどの大きさと展示数にはいつも驚かされます。とはいえ館内のリラックスした自由な雰囲気はほんとうに心地よいほどです。以前ロンドンに住んでいた頃は気分が鬱蒼とした日などはよく博物館や美術館回りをしたものです。しかも世界各国の興味深い展示品は子供の興味を釘付けにするには十分で親子共々異文化や歴史を学べて得した気分です!とても回りきれなかったので第二段を企画しなくては・・・日本コーナーの展示品の前で応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
October 30, 2006
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<回想記 2006/2月上旬>ちょうどその頃わたしは痺れを切らしながらまだかまだかと日本からの報告を待っていました。弁護士のほうからはこの、私と息子の直面する問題はそう難しくはないと伝えられていたからです。大きな期待と、不安が入り混じっていました。この苦悩から早く開放されたいそして再び息子と2人で日本へ帰国したいその一心だけでした。 この件に日本のほうで調査に当たってもらっていた弁護士は、国際法のスペシャリストで国連でも職務にあたっているような経験と人脈も豊富なかたと聞かせれていた私の期待は日増しに高まりました。ようはこの方を通して過去の私と同じケースまたはそれに近似する案件を探り出してその成功事例から活路を見出すという戦略でした。 果報は寝て待てではありませんでしたが、英国側の日本人弁護士から報告書が日本より上がり次第至急連絡すると伝えられていた私は電話がなるたびに又新着メールが通知されるたびに”ハッ”としました。 そしてついにある日の夕刻その弁護士よりの連絡が私の携帯電話へ入りました。 応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
October 25, 2006
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明日は息子の担任の先生と面談があり今からすこし楽しみにしています。もちろん子供には毎日学校はどうだったかとこちらから聞いてみたり、また時には息子の方からいろいろと教えてくれるのですが、やはり毎日長時間見てくれている担任の先生からの情報は興味深いです。ちなみに息子のクラスには担任の先生の他に2人のアシスタントの先生がいるらしいのですがもしそのお2人も面談へ加わっていただけるのなら3者三様のお話が聞けるのではと楽しみにしています。とはいえまだ日本で言うところの幼稚園児ですから、学校で元気にそして素直で明るい日常を送っていれば親としてはハッピーです!応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
October 17, 2006
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来月に次回の7級(赤帯)の昇級試験を控えて、息子の稽古も徐々に気合が入ってきました。空手をはじめてようやく1年を経過してその動きにも慣れてきたようで見ていても日に日にその動きを身につけていくのが分かるほどです。これは来月の昇級試験も期待できるなと今から楽しみです。 ところでこれは日本の子供空手教室には無いのかもしれませんが。(息子の右肩の緑色のマークに注目!)これは、各空手のテクニック課題を先生が子供達にそれぞれ与え、2週間以内にみんなの前でそれを披露し見事パスすると先生よりこのバッジをいただけるという仕組み。これ本当にいいアイデアだと想います、帯の昇級試験は約4ヶ月に1回と子供にしてみれば少し長く感じるもの、そこでこの課題達成式のバッジテストが1ヶ月に1回あれば子供達も常に目標を持ってがんばれるというわけです。武道は厳しさばかりに意識がフォーカスされがちですが、子供のうちはやはりそこに楽しさも同居していなくてはだめなのかなと。バッジをもらって大喜びしているちびっ子達を見て感じられずにはいられませんでした。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
October 9, 2006
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<回想記 2006/1月上旬>ほんとうに私は子供を連れてたとえ1日であろうとも日本へ帰国する事を夢見ていました。子供に自分の国を見せたい、育った風景を見て欲しい。ただそれだけでした。弁護士の方からは、支払いから数週間経っても何ら連絡がありませんでした。私にとってそれまでに支払った金額は莫大であったばかりではなくそこには例えようもないほどの大きな希望と息子の未来がこめられていました。片時も片時もただ進行状況はどうなっているのだろうと、仕事をしていても何をしていてもそれだけがただただ気がかりでした。そのころ息子がよく「ダディー、あっくんザリガニとったなー、ニホンで!!」と、断片的な記憶で唐突に私にぶつけてきました。それは紛れも無く小さい彼の記憶の中ではハッピーな想いでなのだと私は悟りました。はやく何とかならないのか、何とかしてくれ・・・・時にはそういつた鬱蒼としたエモーションに精神をバラバラに解体されそうになりました。1秒たりともムダにはできない・・・焦る感情だけがわたしを不安という泥沼におし沈めていくのでした。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
October 5, 2006
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近頃うちでブームになっているのが・・・神経衰弱。少し地味なのですが、以前たまたま誰かにトランプを貰っていたのに封すら切っておらず何だかもったいないなと息子とババ抜きをしてみたのですがさすがに2人では・・・何か5歳児にでも簡単にできてしかも少し頭の体操になるようなゲームは無いかと考えると真っ先に浮かんだのがこれでした。5歳児にできるのかななどと少し心配したのですがなんのなんの、さすがにプリンプリンの新鮮な脳みそちゃんは飲み込みも、記憶力もすばらしく回を重ねるうちに記憶力低下著しいおとっつあんのスカスカ脳みそ爺さんに何度も危ない場面も・・・快調に枚数を重ね絶好調のチビ助!わざと最初は負けてやっていたのですが・・・チビ助に「ダディー、次はダディー勝てるよ!」と言われ、「いかん父の威厳が」と・・・ついついコテンパにしてしまうと。大人気ない父にコテンパにされべそをかくチビ助・・・とはいえ、何度かほんとうに負けそうになりました。確実にチビ助の影は迫ってきてます。がんばらねば・・・応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
October 1, 2006
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<回想記 2006/1月上旬>ちょうど年が明けて早々より弁護士には動いてもらうということで話を進めていました。当初のミーティングの席でも日英の両ベテラン弁護士から今回の私と息子のケースはそう難しいケースでは無いだろうと言われていたため、ひょっとして春、遅くても夏までには遂に二人して2年ぶりに帰国できるのではないかと胸が高まりました。年末に費用の約半分を小切手で納め、年が明けてすぐに弁護士事務所より受領の手紙が届き早速日本側での調査及び今後の戦略を弁護士の方で勧めているとのリポートが伝えられました。そのレターを一瞥するとただ「これで何とかなるんだ。」と自分に言い聞かせるように目を閉じて力強くうなずきました。2006年はこうして大きな期待と共に動き出しました。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
September 25, 2006
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今朝もまた電車が遅れた・・・といってもこれはイギリスではしょっちゅう起こる話で別段めずらしいことではないのですが。6年ほど前に最初にイギリスに来た頃はほんとうにこのダイアの乱れが許せずに憤慨してプンプンしていました。しかしここイギリスでは電車が遅れたからと言って、おもむろに怒りを駅員やそこいらへぶちまける人などあまり居ません。みんな遅れがわかると携帯電話をゴソゴソととりだして電話をする。そしてそれを聞いた上司は「そうか、それはお気の毒に気をつけてな。」といういつものやりとりが行われるだけ・・・いつのまにか自分も、お気の毒な一人になっている。ふと昨年関西で起こった、脱線事故を想い出しました。(大学生の頃に時々使っていた線でした・・・。)頻繁にミスをしていたドライバーがミスを取り戻すためにスピードを上げてコーナーへ飛び込んだときに起こった事故でした・・・。ミスは誰でもしでかすこと、しかしどこまで追求するべきか。とはいえ、時間の定まらない時刻表などあってはならないもの。何をもってちょうどよしとするべきか・・・応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
September 15, 2006
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今年の7月に100Km自転車ラリーに挑戦した際に息子から「ダディー、あっ君も今度したいー!」と言われ、自転車に乗ってはいつも今度のラリーはいつかと聞かれ続ける始末何かいいイベントは無いものかと探していると・・・ありました、隣町でこの間の日曜日にSouthend Bikeathon 20Kmこのイベントは、Leukaemia Research(白血病治験)に関するチャリティーイベントで5歳児も後ろのチャイルドシートに載せて参加しても構わないとの許可を頂き息子と二人でエントリーしてきました。距離も20キロほどでしたので、イージーライダーよろしくのんびりと走行していたのですがあまりチャリティーの意味を理解していなかった息子は、後ろから抜かれると「あーーーー、ダディー負けてるーーー」と泣きそうになり・・・はたまた、誰かを追い越すと「YES!YES!」と大興奮。私も見かねて、これはレースではなくてみんなで一緒に自転車で走って病気の人たちを助けてるんだよ。と伝えると「あー、じゃーみんなWinner?」と聞かれて「そーそー、ゴールまで行けたらみんなメダルがもらえるからがんばろな!」それから約1時間ほどで無事にゴールまでたどり着き念願のメダルを首にかけてもらったチビ助はご満悦、その晩はメダルを枕元へ大事に置いてねむりました・・・。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
September 13, 2006
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ジェニーとアルフィー(仮名)と出会ったのはちょうど今年の5月のこと。 息子のクラスメイトのバースデイパーティーでのことでした。 大勢のクラスメート達が来ていたのですが彼女たちは、そのうちのどの子かの友人ということでした。 パーティーに来ていた顔見知りの父兄たちと雑談を交わした後、子供にせがまれてジュースを取りにテーブルの方へ向かうと少し斜め後ろから私に声をかけてくれたのがジェニーでした。アキラも彼女の息子であるアルフィーとは学校でたまに一緒に遊ぶらしく顔見知りのようでした。お互いに簡単に自己紹介をし世間話をしていると彼女が息子のアルフィーがここのところ少し泣き虫で心配だという話を聞き、ちょうどアキラも空手を始めてからすごく逞しくなったという話をすると彼女も1度アルフィーを連れて行ってみたいということで稽古の日程とホールの住所を伝えました。それからしばらくしてから、アルフィーもジェニーに連れられて空手へ来るようになりました。ある日の事、偶然出会ったアキラのクラスメイトのお母さんにアルフィーが空手へ来るようになったことを話した際に衝撃的なことを伝えられました。「あー、あのレズビアンのお母さんの・・・。」「・・・・・」「あら知らなかったの?有名なはなしなのよ。」何のことかすぐには分からずに、しばし呆然としたわたしを尻目に「ほんとに、あの子もかわいそうよねー、今は小さいから分からないけどもう少し大きくなったらきっと悩むわよ。」・・・・・それからしばらく、暗闇に閉じこもったかのような心のそこでさまざまな想いというのか感情が私の中でうごめきはじめました・・・。わたしは時々フッと息子に対して、普通の家庭を創ってあげられなかったという罪悪感に襲われたりして自己嫌悪に陥る事があるのですが、あのお母さんが言った言葉がもう一度、脳裏に去来し意識したわけではなかったのですが刹那にアルフィーに対する同情心のような感情を確かに感じました。週末の空手の稽古、スーパーマーケット、商店街、朝の学校で・・・それからというもの不思議にジェニーとアルフィーにバッタリ出会う機会が頻繁にありました。しかし、いつこの2人と出会っても彼女達には元気ですてきな笑顔がありました。うたがう余地もなく「あー、この母子は幸せなんだ。」と心のそこから確信すると同時に「そういえば、アキラが生まれたときに、おめでとうと言う前にこの子もハーフだから苦労するなんて俺に言った人もいたな・・・。」と思い出しました。私はいつも息子には「アキラはラッキーやな!日本とイギリスのバックグラウンドがあって、ちびっ子やのにもう2つも言葉はなせるもんな!」と念仏のように言うのですが、彼は彼で「うーん、ダディーあっくんすごいなー!」なんていってますから半分ずっこけながらも、これでいいのだと信じています。そしてハッとその時日本からイギリスへ行く決心をしたときに心のそこで自分自身と約束をした”二つの幸せ”の事を想いだし、きっと彼女もそのような何かがあるのかもしれないと想いました。世間には、一般的であるということ、普通であるという事、それからはずれるとネガティブなモノとして扱われることがあります。それが正しい場合もあります、しかしそれは固定観念という幻想であって真実でない場合もあるはずです。そしてたった1度でも同情心を感じてしまったことを悔いました。・・・それから先週末に、友人達と日本の鍋をしたのですがジェニーとアルフィーも招待しました。もちろん、やっぱり2人は幸せな親子でした!!応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
September 6, 2006
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たまにふと考えたりするのですが・・・「自分って何歳くらいから、ガムで風船膨らませるようになったんだろう?」とか「缶ジュースをはじめて自分で開けられたのはいつかな?」とか、想いだそうとするのですがさっぱりで時々親にもそのような事を尋ねてみるのですがあまりにも些細な事で、こんなことって誰も覚えていないもんですね。昨日の晩のことですが、冷蔵庫に入っていた未開封のペットボトル入りコーラを息子が持ち出し「ダディー、これ飲んでいい?」と聞くもので、小さなコップに1杯だけという約束でOKしました。例のごとく、チビ助が力いっぱいキャップをひねり始めました。これまで1度たりとも一人で開けられたためしが無いばかりか、つい3、4日前もトライしたのですがあきませんでした。相変わらず真っ赤な顔で踏ん張る姿に見かねた私が。「こっちに持っておいで。」と言ったとほぼ同時に”パキパキ”という乾いた音と共にフタが空きました。「やったーダディー!あっくん一人であけたーーーー!!」二人で大喜びした後に、うーんこの4日間くらいのうちに少し力が強くなったのかななどとも考えてみたりしました。そういえば最近、これまで届かなかったマンションのエレベーターのボタンに届くようになったりひょっとして急成長中かもしれませんね。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
August 29, 2006
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イギリスは現在Bank Holidayの休日を合わせて3連休の真っ只中そこで昨日(日曜日)はArt day だった事もあって・・・おっと、これを説明しますと3連休なので毎日何かテーマを決めようと言う事で以下のように26日(土曜)Break day ゆっくり適当にダラダラと過ごす!27日(日曜)Art day芸術の秋アートに触れる!28日(月曜)Sports dayスポーツの秋、身体を動かそう!と決めました。そして昨日はArt dayでしたので小さな子でも興味の持ちやすそうなロンドンのBlackfriarsにあるTATE Modern(近代美術館)へ足を運びました。外観は見ての通り発電所(旧バンクサイド発電所)を改築したためにこのインパクト!基本的に入場料は無料なのですがゲート付近に募金箱が置いてあります。(基本的にロンドンの博物館や美術館は特別展示を除いて無料です。)最上階のCafe&Barより、テムズを挟んで後ろに見える白い建物がセントポール大聖堂。わたしはこのTATE Modernがとても気に入っていてもう何度も来ているのですが、チビ助はこれが2度目、とはいえ最初に来たのはまだ彼が1歳くらいのときでしたからもちろん記憶にあるはずも無く帰り際に。「どうやった?」と尋ねると・・・「うん、オモシロかった・・・Funny Museumやなー」確かにただ壁から義足が突き出していているだけの作品や、ウンコのような粘土がフロアーに散らばっているだけの作品など。まさにモダンアートと、Funny Museumは表裏かもしれない・・・。ロンドンへ来られる機会がありましたらぜひ足を運んでいただきたい名所であります。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
August 28, 2006
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誰かからエネルギーをもらう、そういう経験って誰にでもあると想うのですが私も先日ある人から元気を頂きました!その方と知り合ったのは、仕事上でのことでした。簡単に説明すると、彼はわたしにとってはお客さんにあたる存在、しかもある大手小売企業アパレル部門のマーチャンダイザーでかなり熱い人柄の超熱血漢です。アパレル業界と言うのは、季節や流行をいつもケアしながら常に一日寸分狂わずに商品をプランどおりに店舗へ出荷していく必要があり、それに間に合わないと言うのは賞味期限の切れ掛かった刺身よろしくまさに生ものの世界。それだけにそれら商品の国際物流や、イギリス国内でのストックコントロールから店舗へのトランスポーテーションはこの業界の動脈のようなものでそれを任されている私自身ももちろん大きなプレッシャーなのですが、それら全ての最終責任はやはりマーチャンダイザーのものでありこの方の重圧は相当なものです。そういう世界と言う事もあり時には私もこの方からは厳しい言葉を頂いたりするのですが、この業界の臨場感をいつも感じさせてもらい、そして全てがプラン通りに成功したときの充実感はたとえ会社は違えどお互いチームでやり遂げたのだという共通の達成感があります。 ちょうど先々週に、今年一番の大きな山がありそれを何とかやり遂げた際に電話でお互い。「いやー、何とか乗り越えましたねー・・・。」とホッと一息ついた時、この方から「来週にでも飲みに行きませんか?」と誘って頂き、ちょうど先日オックスフォード・サーカスのかいわいで待ち合わせました。飲みに行く前にもしよかったらということで、メイン通りにある店舗に案内して頂きいろいろと商品やマーケティングなどの説明をして頂いているとイギリス人のストアーマネージャー現れました。わたしも彼とは顔見知りでしたので軽く挨拶だけ済ませました。するとこの日はどうやら売り上げがあまり思わしく無かったらしく少し沈んだトーンで、マーチャンダイザーへいろいろと報告をし始めました。その2人のやりとりを私もそばで見ていたのですが、この方が店長をとにかく熱く励ましどんな些細な事でも現場の声を生かそうとする姿勢に共感しました。そうこうする内に店も閉店しましたが、だれかれとも無く店員達が集まりだし、その方を囲んでアルバイトも含め皆がいろいろとその日の気づきを口にしだしました。それを見ていて、この方は相当現場から信頼があるのだろうなということが分かりました。その後で飲みの席で色々と伺っていると・・・。その方が2年前に、日本から来られてマーチャンダイザーに就かれた時には、それが面白くなかった現地のスタッフ達と信頼関係を構築するのが難しく何かできる事からと考えて英国の店舗のみではなくヨーロッパ中の店舗までも毎日のように回り、現場とコミュニケーションをとり続けて多くの改善案をロンドンの本部へ持ち帰り徐々に信頼関係を構築したとの事でした。やはりそれが出来たのもこの方の熱い人柄があったからこそだと想い、さっき店員達がこの方に対してかなり積極的だったのも2年間かけて築いてこられた信頼関係なのだと納得できました。この夜はお互いに関西人であるということもあってか共通の話題も多く話も弾みあっという間に時間も過ぎました。それとやはり、何かに熱く前向きに打ち込んでいる人と接していると、ほんとうにこちらにまでその熱くポジティブなエネルギーが乗り移るようで凄く晴れ晴れとした気分で家路へとつきました。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
August 27, 2006
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日本は恐らくまだまだ夏真っ盛りといったかんじでしょうが、ここイギリスは既に肌寒くなってきています。日が照っていれば日中はかなり過ごしやすいのですが、暑い夏が大好きな私には少し物足りない気もします・・・。息子の夏休みも残すところあとわずか、学校が大好きな彼はそんな事も意に介してはいないようです。 しかし私にとってあまりしっくり来ないのがイギリスの入学式(日本のように式というほどのモノではない。)が9月という事。まっ、春と桜が日本の入学式や新学年の象徴みたいなもので、秋口にそれがあるとしっくりこないのも日本で育ったものには当然といや当然なのかもしれません。ちなみに友人のジンバブエ人は、ジンバブエの入学式は1月だと言っていました、お国により違った時期やそれに伴うシンボリックなアイテムがあるというのはとても興味深いです。ところで息子の幼稚園では1つ面白いシステムがありこれがなかなか的を射ていると想いますので紹介させてください。それは1学年を3クラスに分けているのですが、これを生まれた月の順に4ヶ月ごとに分けているのです。(日本でもそうしているところがあるかもしれません。)私も最初は細かく分けすぎじゃないのか、子供なんだからそんなにしなくてもと想っていたのですが何度か早生まれの子供と遅生まれの子とに接する機会があったのですが確かに4歳や5歳くらいでは半年や1年近く年の差があると精神的にも肉体的にも大きな差が出てしまうケースがあるようで、小さいうちから変なコンプレックスを植えつけないためにもこれは1つの良策なのだと納得しました。そして息子も新学年からは年少組のレインボークラスから、年長組のブルークラスへと移り・・・ということは来年は小学生になるのか・・・信じられん・・・本当に子供の成長は早いものです、そりゃわたしも年取るわけだ・・・応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
August 22, 2006
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<回想記 2005/12月中旬> とっさにそのドアへ目を向けると、2人の弁護士が入室し、にこやかに私に近づくと手短にお互い自己紹介をすませました。この日のミーティングはちょうどファーストコンサルテーションと言う事で、事前に私が提出しておいた依頼内容をまとめたドキュメントを元に、これからの方向性や戦略を話し合いそのうえでこの件にかかる大よその費用が見えてくるとのことでした。もちろん全ては費用の問題が先にありきでしたので、例え魅力的なストラテジーを提案してもらってもそれが予算をオーバーしてしまっては、絵に描いた餅さながらいみをなしませんでした。基本的に私と息子のケースでは、イギリスの裁判所より不当に出された判決を翻すためには、その争点である、日本国やその裁判所が通例として外国人に対して差別的であるという陳述をかわした上で、私が休暇等で息子と日本へ帰国したのちに確実に再度英国へ戻るという保障のようなものを英国の裁判所へ提示しなくてはならず、そういった理由もあって日本側の調査を日本人弁護士に依頼をして、その情報や法的な観点をもとに英国人弁護士に英国法をからめて法廷へ立ってもらうという戦略がベストであるのではないかという説明をその2人の弁護士より受けました。私の方が少し難しい顔で考え込んでいると、右斜め前に座っていた日本人弁護士の方が。「我々は今回のこのケースはそれほど難しいものではないと考えています。」とサラリと言い放ちました。意外なその言葉に私もうれしさがこみ上げると同時に本当にそうであってほしいと強く願いました。そして大きいな焦点であるその費用に関して私の方より。「それで、コストはどれくらいになりそうでしょうか?」と尋ねると。少し2人の弁護士が少し話し合った末に。「3000ポンド(60万円)から5000ポンド(100万円)の間でいけるとおもいます。」もちろんポケットから”ハイどうぞ”と出せる金額では決してありませんでしたが、何とかならない額ではありませんでした。そして、これで息子に日英を自由に行き来させてやれる、彼の大好きな日本の家族にも会わせてやれると想うと何も迷わずに。「それでは宜しくお願いします。」と2人の弁護士の目を見て答えました。こうして法というもののスペシャリストの力を借りる決心をした私は何か大きな心の推進力を得たかのようにその事務所を後にしました。しかしこれが私のいに反して、意外な方向へと進んでいくのでした・・・。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
August 20, 2006
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<回想記 2005/12月中旬>まさか自分が弁護士などと呼ばれる人たちの世話にイギリスでなるなんて想像すらしていなかったわたしでしたが、これで何か少しでも糸口がつかめるかもしれないと一度考え始めるともうその高揚した期待感を抑える事はできませんでした。職場の方へはかくかくしかじか事情を説明し、3時間ほど定時前に帰宅させてもらいロンドンセントラルに位置するその弁護士事務所へ向かいました。以前であれば多少は緊張してドキドキもしたのでしょうが、当時既に連続して多くの厄介ごとに直面していたおかげもあってか以外に冷静な自分がそこにはいました。「これで何とかなるかもしれない!」ただその一心だけでした・・・。職場からその弁護士事務所まで大よそ1時間ほどで到着しました。レセプションでアポイントメントの確認を無事済ませると、シックにアンティーク調のファーニチャーでデコレートされた応接室へ通されました。そして静かにチェアへ着席すると、徐々に精神が研ぎ澄まされて目を閉じて子供と日本で釣りをしているシーンや日本の家族と楽しく過ごしているシーンを瞼にうかべながらこれをただただ成功裏に導く事だけに集中しました。そして程なくして私のイマジネーションを遮るかのように、いやおう無しに応接室のドアがこじ開けられました。宜しければ一押しお願い致します。人気blogランキングへ
August 17, 2006
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10日ほど前までの熱気はどこえやら、ここイギリスは5日ほど前から肌寒くなり始め空の気配も秋模様、今年は早くもこれで夏は終わりかともはや私はあきらめモードです。とはいえ中には、暑い1週間がもう一波やってくるなんて言っている人たちもいますので、できればそっちに賭けたいものです。 何か秋の訪れと言うのは、エネルギーに満ち溢れた祭りのような開放感の夏の後と言う事もあり少し切ないような寂しいもののようにいつも感じてしまいます。しかもイギリスの秋はどんよりとした分厚い雲に覆われ小雨日が多く本当に鬱蒼としていてまさにしみったれ・・・。これから、夏本番の日本が本当に羨ましいです。徐々に風景や気温が変化していく日本の四季は本当にすばらしいと想います。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
August 14, 2006
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そのおっちゃんは、すごく人懐こい笑顔を私に向けると間髪を入れずに「やあ、君は日本人かい?」と私に話しかけました。「ええそうです、それからこのチビが息子のAkiraです。」と返すと、モニークの父親フィルがこちらに歩み寄って「Akiうちの親父だ、先日ジンバブエからやってきたんだよ。」と言われわたしもようやくこの陽気なおっちゃんがモニークのおじいちゃんであることが分かりました。するとこのおじいちゃんは少し微笑み直すと、ゆるやかに語り始めました。「君のような若い日本人を目の前にすると、30年前の記憶が昨日の事のように想い出されよ!」わたしも何のことかピンと来ずにポカーンとしていると、モニークのおじいちゃんは話を続けました。「実はね、わたしは1970年代の半ばから、80年代の前半まで南アフリカの日系企業JVCで働いていたんだよ。」えっ、と少し驚いた私の顔を見て嬉しそうに彼は話し続けました。「当時南アフリカには本当に大きな立派なJVCの支社があった、わしはそこで現地のエンジニアとして働いていたんだがそこにただ一人だけ日本人エンジニアで駐在員のNasuさんという人がいたんだ。若いエンジニアだった。今でこそ、多少はましにはなったが当時の南アフリカは毎日当然のごとく数回の停電が起こった、そう電気や水源のインフラがまだまだ完全に整備されていなかったんだよ。そんな時に現地のエンジニアは、あーまた停電だとあくびしながら回復するのを待つんだがNasuさんだけはせくせくと仕事をしていて皆目を丸くした。ある時わしがヨーロッパから来た客にプレゼンするためプロジェクターを用意していたんだが悪い事に壊れていたんだ、プレゼンは40分後こりゃダメかとひきっつていたわしのそばをNasuさんが通り過ぎ何も言わずにプロジェクターをいじくり始めるとものの10分ほどで直してしまった。ホッとしたわしがお礼を言おうとすると、彼はいたずらっぽくニヤッと笑ってもう壊さないでくださいといって部屋を出て行った。彼は本当に優秀なエンジニアだったけどわしらにもいつも礼儀正しくて、尊重してくれた。ある時かれのお母さんがはるばる日本から来ると言う事でわしら現地のスタッフが日ごろのお礼に何かしたいというとNasuさんは、お母さんにおいしいステーキを食べさせてやりたいと言ったんだ、それでわしら現地スタッフで街で一番おいしいレストランへ2人を招待したんだ、そしたら彼のお母さんはあまりの肉の大きさにびっくりして、こんなに大きなおいしい肉が食べられたら私はいつ死んでもいいなんていうものだから皆で大笑いしたよ!」それからもこのモニークのおじいちゃんから、日本へ1度出張へ行ったときの楽しかった出来事や、ちょっとシャイだけど親切な日本人に感動した話などを聞かされるうちになぜ今日この家族だけのパティーに私と息子が呼んでもらったのかということが理解できました。きっとこの家族がまだ南アフリカに住んでいた頃、このNasuさんという日本人のおかげでこの家庭では日本人に対して本当に好意的に受け入れられていたのでしょう。そしてその息子のフィルが英国に移り娘のモニークのクラスメートに日本の血を引く子がいて、その父親と意気投合した。きっと彼はそれを自分の父親であるこのおじいちゃんに見せたかったのではないのかなと想うと。30年前に遠いアフリカの地で日本人として現地の人々に愛されたNasuさんの恩恵を今日受けているのだろうと想うと、嬉しくて感動しました。そしてこりゃ海外に住む1人の日本人として素直に見習いたいと想いました。本当にこころ温まる楽しいバービーでした。応援クリック宜しくお願い致します!人気blogランキングへ
August 12, 2006
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