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chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2009.03.28
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 著者が、死に瀕している患者二百人以上にインタビューを重ね、
 死に至る人間の心の動きを研究し、まとめた一冊。
 扱っているテーマが重いだけに、読み手の心も自然と重くなる……。

 インタビューに答えているのは、ほとんどが悪性腫瘍、
 即ちガンと診断された、末期の患者である。
 そして、米国で精神科医を務める著者が、患者にインタビューする時、
 その側には、必ずと言っていいほど、病院牧師という存在がある。

さらに、インタビューを受ける患者たちの口からは、

キリスト教圏における、キリスト教の存在の大きさを、強く感じずにはおれない。
日本で、このような研究を行えば、全く趣の違うものが出来上がるだろう。

   ***

第一段階/否認と孤立
第二段階/怒り
第三段階/取り引き
第四段階/抑鬱
第五段階/受容

死に瀕した患者は、このような段階を経て、死に至るという。
中には、ある段階を経ずして、次の段階に至ったり、
あるいは、ある段階と別の段階が、逆転してしまったり、


人が、自分にとって最も受け入れがたい現実が、自分の「死」である。
それ故、この五段階は、その他の自分にとって受け入れがたい現実についても、
かなり当てはまるのではないかと感じた。
もちろん、患者の家族が、患者の死を受け入れるときにも当てはまる。

  患者が怒りの段階を経るように、家族も同様の情緒的な反応を経験する。

  悲しい現実を突きつけた医師に交互に向けられる。
  また病院のスタッフにも怒りをぶつけ、
  実際は行き届いた看護が行われていても、けっして十分ではないという。(中略)
  また、この反応には、
  過去に患者のためにしようと思っていて機会を逃したことに対する罪悪感や、
  それを埋め合わせたいという願望も含まれている。(p.278)

   ***

死に瀕した人間に共通する、次のような感情は、
受け入れがたい現実と向き合い、それをじっと耐え忍んでいる人間の、
色々な場面に当てはまると感じた。

  末期患者の話を聞いていて、私たちがいつも心を動かされるのは、
  どんなに現実を認め、受け入れることのできる人でも、
  新しい治療法や新薬の発見、あるいはJ氏の言葉を借りれば、
  「ぎりぎりで間に合う研究プロジェクトの成功」などの可能性をあきらめていないことである。
  こうした一筋の希望が、何日も、何週間も、
  ときには何か月も続く苦痛の中で患者たちを支えている。
  この苦しみには何らかの意味があるに違いない、
  もうあと少し耐えることができれば最後にはきっと報われる、
  彼らはそうした思いを支えにしているのだ。(p.233)

こうして、「死」に関する本を読んでみても、
私は、依然として、死ぬことがとても怖いし、
実際に、それと向き合う状況になったら、自分がどうなってしまうか予想がつかない。
もちろん、家族が、そういう状況に置かれたときにも。

  私はこんな体になってここにいます。
  社会に背を向けて生きることもできるし、また、泣いて暮らすこともできますが、
  病状の許す限り、生活の中で面白いことや、
  楽しいことを見出そうとしながら生きることだってできます。(中略)
  飛び上がって叫び、わめきたてて壁に頭をぶつけたって、
  それでかゆみが取れるわけでなし、惨めさも変わらないんです。(p.252)

このような境地に至ることが、私に果たしてできるのだろうか。
先日読んだ 『甲子園への遺言』 の高畠導宏さんのように、振る舞えるだろうか。

  一般に、教育や教養、社会的束縛、職業的責任のあまりない人は、
  物質的な豊かさ、楽しみ、対人関係などの面でより多くを失うことになる裕福な人に比べると、
  この最終的な危機を直視するのがいくぶん楽なようだ。
  苦労の多い人生やつらい仕事、重労働に耐えてきた人、
  子どもを育て上げ、自分の仕事に満足している人は、
  野心的にまわりの人々を支配し、物質的財産をため、
  多くの社会的関係はあっても
  人生の最後に必要となる有意義な対人関係はほとんどない人にくらべ、
  尊厳のうちに穏やかな死を迎えるのが容易である。(中略)
  信仰をもっている患者でも、もっていない患者でも、ほとんど違いがないようだ。(中略)
  信念によって自らを支えきれるほどの人は、真の無神論者と同様、ほとんどいないのである。
  患者の大部分はその中間で、何らかの信仰をもってはいるが、
  心の葛藤や恐怖を軽減できるほどではないのだ。(p.432)

私は、上記部分については、「本当かな?」と感じてしまった。
それでも、キリスト教信者の信仰の力というものが、
一般的には、その程度のものであったと知り、
なぜだかよく分からないが、幾分ホッとした気分になった。

  死は死にいたる過程が終わる瞬間いすぎない、と言ったのはモンテーニュではなかったか。
  患者にとって死そのものは問題ではなく、
  死を恐れるのは、
  それに伴う絶望感や無力感、孤独感のためであるということがわかった。(p.435)

この部分についても、「本当にそうなのか?」と思った。
私は、この世に存在しなくなってしまうということが、
この世と繋がっていられなくなってしまうということが、
今のところ、一番怖く、嫌なことなので。





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Last updated  2009.03.28 23:10:17 コメントを書く
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