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大土は動橋川(いぶりばしがわ)水系の一番奥にある集落です。さらにその奥の山道を行こうとすると、このような立札が。立てた「山中町」はもうありません。さらに、電波の届かない地域なので、ラジオも受信できません。大声で騒いだりすると、落石、春先なら加えてなだれに遭遇する危険性があるそうです。■ 吉祥やまなか■ 山中温泉 花紫■ 山代温泉 ゆのくに天祥(農協観光提供)■ 山中温泉 胡蝶
2008年09月29日
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先日の研修旅行で買求めました。1本330cc¥600。結構値は張ります。早速飲んでみました味も色もギネス風です。旨いかどうか、というと、これが微妙です。初めてギネスのスタウト黒を飲んだとき「うぇっ!なんだこりゃ」となりました。ところが、通に言わせると。この味が分からんようではビール党じゃないな、と言われた経験がありますので。■ 八丁味噌ラガービール■ 金しゃち 名古屋 赤味噌ラガー 330ml×12瓶■ ギネス・スタウト・黒
2008年09月28日
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ある金融機関の企業情報誌から原稿を頼まれ、昨日が締切日でした。ギリギリで脱肛、いや脱稿し、ふう~っ。テーマは秋の星空案内です。望遠鏡が発明されてちょうど400年。江戸時代、橘南谿が主催した星空観察会にも触れました。このお医者さんは寛政5年旧暦7月20日(1793年8月26日)、岩橋善兵衛が作った望遠鏡で月や惑星とともにアンドロメダ星雲・M31を観察しています。南谿らはさそり座の散開星団とM6、M7とM31が異なる天体であると気づいています。 ただ、史料を調べるうち、奇妙なことに気づきました。観測記録には鬼宿の白気、すなわち、かに座のプレセペ星団=M44 についての記述があり、「プレセペは28個の小さな星の集団」と記されています。一見正しいようですが、かに座は春の星座で、プレセペを伴い地平線から姿を現す頃は薄明が始まっています。人口灯火のない江戸時代とはいえ、これでは微光天体をとらえるのはムリというものでしょう。しかも、プレセペを通過中の火星について、なんの記述もありません。南谿が記録した「かに座のプレセペ」は別物だったのか、あるいは別夜の記録だったの。なんとも、フシギ。■ BORG 77S 天体望遠鏡 岩橋善兵衛が製作したのはこの規模の器械だっただろう。ただし、焦点距離はもっと長い。■ BORG 101EDSWII 天体望遠鏡 今一番ほしい。■ 双眼鏡 10x50mm 自分が一番使う器械■ ズバリお勧めの12x80mm双眼鏡(実質三脚が必要)
2008年09月27日
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子どもやヨメさんらは、毎日アイスクリームだの、煎餅だの、スイーツだの、と贅沢三昧ですが、私の唯一の「オヤツ」はこれです。これで、1週間はもちます。ちなみに、私がコンビに行くのは、これを買うためだけです。加賀市一円のコンビニではすべて194円です。ところが、先日スーパーに行ったところ、このFRISKが198円と4円高いのです。他のスーパーでも同じ価格でした。他の商品はコンビニの方が高いようですが、何故FRISKに限って、判で押したように4円安いのか、不思議でなりません。■ 楽天にあるFRISK
2008年09月24日
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あくる2009年7月22日には、いよいよわが日本でも皆既日食が見られます。ほとんどが洋上の現象ですが、1963年の北海道日食から実に46年ぶり。行きたいなあ。ムリか・・ しかし、待てば海路の日和あり。2035年9月2日にはわが石川県で待望の皆既日食が起こります。でも、残念ながら山中温泉は本影帯からわずかにずれてしまいます。そこで次は、ということになると、早くから2490年の日食が知られていたのですが、正確な月日はわかりませんでした。ところが、先日追加情報を発見。それによると、2490年の日食は9月15日。「おおお、偶然同じ日付だ。すなわち、482年後のまさに今日。早速シミュレーションやってみよう」 早朝の5時35分、日の出とともに太陽が欠け始め、みるみるうちに太陽が細くなっていきます。で、1時間後の6時40分・・・ あれ? 再び太陽が太っていく。 な、なんと、またもや加賀地方は皆既にならないのです。しかも、能登半島はバッチリ皆既帯に。これではあまりに不公平やがいね。こうなりゃ、100kmあまりの道のりを歩いてでも見に行ってやる。といって、そのとき私の年齢は500歳余り。能登半島までえっちらおっちら日食観望に出かける気力が残っているかどうか・・ ↓NASA Eclipseに掲載されていた、2490年9月15日の日食経路図。日時は世界時にあわせ9月14日になっている。
2008年09月18日
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山中温泉、秋の例大祭が執り行われた夜はたまたま中秋の名月。雲に隠れ、また出ては、また隠れ・・ 夜はめっきり涼しくなり、虫の声はフォルテッシモ。
2008年09月16日
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昨日、大土町を訪れたら棚田の稲刈りが終わっていました(4、5)。聞けば、棚田の上手2枚半が収穫直前にイノシシの被害にあったとのこと(1)。イノシシの出没は以前からも目撃されていたのですが、稲を食い荒らされたのは今年が始めてです。イノシシが田んぼの中に入ると、残った稲にも異臭がついて、全滅になるそうです。(1)まさに、地球温暖化の被害がのどかな山村にも及んでいるました。 それだけでなく、熊が柿を食い荒らす始末。クマが腰を下ろし、木を手繰り寄せた様子を説明する二枚田さん(3)。柿の木に爪跡が残っています(2)。 のどかな田園風景の影にはこんな厳しい自然との闘いが隠されています。
2008年09月15日
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温泉街でにょっきり飛び出したこのビル、六本木ヒルズなどものの敵ではないくらいの威容を誇っています。一部の人々から「山中銀座跡」と親しまれていたこの建物が、中心街再開発事業の本格化により、先日取壊しが始まりました。当時、表通りに抜ける通路は「山中銀座」とよばれ、山中温泉繁栄の象徴でした。いずれにしろ、このあと新しい山中温泉の名所になってほしいものです。
2008年09月12日
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たわわに稔った稲。稲刈りはもうすぐでしょう。ここは農村の原風景が広がる、東谷奥村地区です。温泉街から車で10分余り。豊かな田園風景が広がります。近年はさまざまな活性化事業が展開されています。でも、ある人いわく。「環境をブチ壊した張本人と、今のエコロジストは時として同一人物だ。彼らは罪滅ぼしからエコロジストになった訳ではない。環境を壊して一儲け、環境保護の名目でもう一儲けを企んでいるんだから、気をつけたほうがいい」はあ~っ。今はこんな世知辛い世の中・・・
2008年09月09日
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ようやく晴れたので、医王寺(お薬師)の裏山にある城跡を再び訪ねてみました。地図を頼りにあちこち気をつけて歩いたのですが、な、な、なに? どう想像を逞しくしても、お城の姿は浮かんできません。ふつうの山尾根とどう違うのか・・? 呆然と立ちすくんでいると、蚊が来襲。食べ物が豊富な市街では蚊も寄らないのですが、さすがに食糧事情の悪い山の中では、背に腹変えられぬのか、蚊がたかってきます。適当に写真を取り終え、早々と退散です。(※左は2、あるいは3の曲輪となっている地点。右は通路の端っこ。昔フィールドアスレチックかなんかで整備したことがあり、立札はその名残だろう)
2008年09月07日
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天正8年(1580年)3月、柴田勝家らは朝倉残党の掃討作戦に打ってでました。下の地図1,2近辺が勝家軍の居城で、対する一向宗の首魁、岸田常徳が立籠もった山中城、黒谷城は両方をあわせると、山中温泉街を包括するような大規模な城郭です。 柴田城跡はまったく整備されておらず、殆どの地元住民もその存在すら知りません。途中、朽ちた木標が横たわっており、「あら、こんなものがあるけどがいね・・」という感じです。 山中温泉市街の眺望は●の地点からで、中世にはこの広範なフレーム全体の尾根伝いに城郭が点在したことになります。※訂正 図上1と2の位置が入替わってしましました。(図は国土地理院の25,000分の1地形図に上書きしたもの。城の位置などは 高井勝己氏著 『続・加賀の山城』を参考にした。)
2008年09月03日
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山中温泉には有名な城跡がいくつか残っています。そのひとつ、黒谷城(山中城)は、福井の一乗谷にも匹敵する名城とのことです。また、医王寺(お薬師)の裏山には織田信長の命を受け、柴田勝家が一向宗掃討のための城を築いたというのです。地元の人々は城郭の存在を殆ど知りません。私もそんな話を知ったのはつい先日です。ところが、ネットで知り合った方が先日山中にお越しになり、泊まった宿が偶然その城址のすぐそばでした。さっそく、柴田勝家の付城を踏査されました。その方によりますと「小さいが、なかなか良い形で残っている」と感想を述べられていました。山中温泉にはヘンな遺産がまだまだ残されているようですね。(中央の赤いマークがかつて柴田勝家の付城があった地点。調査をされたのは『図説茨城の城郭』を発行した茨城城郭研究会事務局のN氏。ちなみに、画像はYahoo地図より)図説茨城の城郭
2008年09月02日
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