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実は・・・、
これまで彼との交際の件を両親に話していなかったのです・・・。
なかなか言い出す機会がなくて・・・なんて子どもじみた言い訳など
するべきでないのでしょうが、これまで、何となく言い出せなくて。
彼との関係が進展するにつれ、そして再来月には彼が来日することもあり、
ついに 昨日
、両親を食事に誘い、彼のことを話しました。
思い返せば、子どもの頃から、妹と私はいわゆる「 鍵っ子
」。
両親は共働きで、いつも園や学校から帰ると、家の裏口の鍵を開け
暗くなるまで、2人で両親の帰りを待っていました・・・。
冬の夕刻、時には心細さを感じることもあったけど、ただひたすら妹と2人、親の帰りを待っていた記憶があります。
そして、小学校も高学年。 「 部活
」「 部活
」・・・、それ一辺倒の毎日。
ろくに家の手伝いをするわけでもなく、部活から帰ると、母が作った夕食を食べ、宿題をやって、風呂に入って、また朝練・・・。
そんなすれ違いの生活からか、家族とのコミュニケーションを遠ざけるようになっていきました。
きっと両親は、子どもに何不自由ない生活をさせるのに、必死だったと思います。
そんな仕事に追われる両親でしたが、部活の試合があると、きまって仲間の分まで「お弁当」や「おやつ」を差し入れ、懸命に応援に駆けつけてくれたことを、今でも鮮明に覚えています。
そして思春期に入り、妹が大きな病気を患いました。
入退院を繰り返し、両親は病院に付き添ったまま・・・
当時、治療費も随分、嵩んだことと思います。
やがて、家に帰っても話題の中心は・・・常に 妹
。
それが面白くなかった自分は、ますます親と口を利かなくなりました
特に父親に対してはひどい反抗でして、実に14歳の頃から社会人になるまで・・・。
「高校受験、大学受験、就職」
それら学生の最も重要な分岐点にも拘らず、父親の意見を一切聞かず、すべて自分で勝手に決めました・・・。
そうです。 私は本当に親不孝な娘だったんです。
なんで、あんなに親を遠ざけていたのか・・・
おそらく、もっと愛情を注いで欲しかったのだと思います
やがて社会人となり、自分も一端の「大人」として、自分で給料を貰うようになりこれまでを振り返ることで、ようやく親の有難みに気づきました。
「お金を稼ぐって、こんなに大変なんだ・・・」
それが分かるようになり初めて、素直に両親に 「ありがとう」
という言葉が
言えたのです。
それ以来、数年ぶりに父親と話すようになり、自分の給料で一緒に飲みに行ったり、家族に食事をご馳走するのが楽しみになりました。
「もっと沢山美味しいものを両親と一緒に食べたい。」
・・・ご恩を返したい一心で、ここまでやってきた気がします。
両親は、これまでの私の仕事ぶりを、誰よりも応援してくれていました。
だからこそ、この先、自分が遠い国に行くかも・・・ということが言い出せなかったのです。
どんな反応を示すのかが怖かったのです・・・。
一方、彼はいつも私に 「両親に話した?」
と心配していました。
なかなか言い出さない私に対し、
「きっと交際を反対されるから言い出せないんだ」 と思っていたようです。
そんな板挟みが続いていた私・・・。 ついにすべてを明かしたのです。
昨日、某焼肉店にて・・・。
「あのね、ちょっと話したいことがあるんだけど。」
「?(父)」
「えぇっと、この先ね、 嫁
に行こうかなぁって思っているんだよね。」
「へぇっ?! 本当に?」(呆然)
次の瞬間、驚きました・・・。
なんと、父親の目に 涙 が・・・。
「やだ、お父さん!泣くことないでしょ!」 と母親。
しばし呆然・・・
無論、反対する筈ありません。 2人は心から喜んでくれました。
「おめでとう。 ・・・とはいえ、まぁこれからだな。」 言葉少なにつぶやく父。
今まで色んな心配をかけてきたけれど、自分が仕事で成功したとき、昇進したとき、それらの報告など比べものにならないくらい。
心から祝福してくれました。
幸せになること ・・・それが 親への最大のご恩返しなんだ 、と分かった昨日。
今、心の底から両親に伝えたい。
本当に 「 ありがとう 」 そして・・・2人の子でよかった。私は幸せです。
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