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1871年に琉球の漂流民が「台湾原住民」に殺害される事件が起き、これを口実に74年に日本が台湾出兵を強行して、属領民殺害に対する義挙であると清に認めさせた。一連の出来事を「牡丹社事件」という。清と日本に両属していた琉球王国を崩壊させ、日本が併合した79年の「琉球処分」の契機ともなった。
沖縄では、沖縄が出兵を引き起こした「加害者」で、その後の台湾植民地統治の「先兵」でもあったとみなす誤った解釈をする向きもある。
しかし、琉球処分以前の台湾出兵に、琉球人は一人たりとも出征してはいない。事件翌年に藩へ降格させられた琉球藩王の尚泰も、明治政府に出兵中止を要請していた。日清両属の現状維持を望み、清を刺激しないようにとの意図があったためだ。 日本の台湾出兵の目的は琉球の領有権を主張することにあり、問題の本質は琉球の帰属にあった。史実に即してみれば、琉球は台湾出兵の被害者であるというほかない。
台湾出兵には、史実がまだ正確に把握されていない点が多々ある。
日本の教科書では、殺害された琉球島民を長らく「漁民」と表記してきたが、実際には地方役人だったため「漂流民」と修正された。 近年も現地の「牡丹社事件紀念公園」の説明板に、漂流民殺害は原住民の正当防衛であるという趣旨の記述があったことに対し、漂流民の遺族の声を受けて宮古島市議会でも取り上げられた。修正後も不十分な記述が残り、問題は解決していない。
他方、 日本軍に討伐された牡丹社の住民は、原住民の口承と史資料に基づく研究によれば、実際の加害者ではなかった可能性もある。 台湾出兵が確証を持ってなされた「復仇(ふっきゅう)」なのか疑義が生じている。史実の究明は緒についたばかりなのである。
2021年、台湾で牡丹社事件ドキュメンタリー「SEVALITAN」が公開された。琉台日清米の多角的視点から検証した映像記録は、異なる歴史認識をもつ国や地域を架橋する意義があり、事件を正確に後世へ伝えようとする好例である。
台湾出兵150年を迎えるにあたり、将来的な和解に向けて、史実の究明のさらなる深化が求められる。日本と沖縄と台湾のこの不幸な出来事は、沖縄の命運が、沖縄の頭越しに、沖縄の意向を無視して、大国間で強行決定されていった初発の事件であった。今そこから得られる教訓を肝に銘じる必要がある。
<おおはま・いくこ 琉球大学准教授(日本近現代史)>
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