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「こんな短期間でよくもここまで……」。戦後補償問題を長く取材する中、動きの鈍い政府に対して、主体的に物事を進めていく市民団体の行動力と粘り強さに何度も驚かされてきた。だが、今回はことさら大きな衝撃を受けた。
1942年2月3日朝、坑口から約1キロ沖合で落盤による水没事故が起き、朝鮮人労働者136人、日本人労働者47人が犠牲となった。事故後、遺体も遺骨も収容されずに炭鉱は閉鎖された。
地元の人たちが「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」を結成したのは91年。 資料を発掘し、証言の収集を重ねた。慰霊碑を建て、韓国からも遺族を招いて毎年、追悼式を開いてきた。坑道に多数の遺体や遺骨が残っているとみて、ダイバーを雇っての海中調査や地中の坑道探査もしてきた。
日本の植民地だった朝鮮の民間徴用者らの遺骨は、日韓合意に基づいて日本政府が調査する。ただし対象は寺院などにある「見える遺骨」だけ。長生炭鉱では何の調査もしていない。遺骨がどこにあるのか分からない、というのが理由だ。2016年に議員立法で成立した戦没者遺骨収集推進法は、遺骨収容を「国の責務」と定める。だが、厚生労働省は「長生炭鉱で事故死した人たちは戦没者ではない」として事実上放置している。私の考えは異なる。戦時下、国策に基づいて戦略物資を採掘している中で亡くなった人たちだ。戦没者だと思う。
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刻む会は繰り返し調査を求めてきたが、日本政府はまったく動かなかった。井上洋子共同代表(74)らは「待っている間に遺族はどんどん亡くなる。自分たちで遺骨を一片でも見つけ、国を動かしたい」と、7月からクラウドファンディングで資金を集め、調査に乗り出した。 土地の複雑な権利関係の問題も見通しをつけ、業者の協力を得て雑木林に重機を入れ、地面を掘削した。証言などを基に坑口があった場所を推測し、地下約4メートルから縦1・6メートル、横2・2メートルの坑口を掘り出した。
10月26日に坑口前で営まれた犠牲者追悼式には、日韓の犠牲者の遺族20人近くを含む約250人が参列した。45歳で命を落とした權道文さんのひ孫、鄭歩美さん(37)も東京から駆けつけた。かつてはゴミ捨て場のようになっていたところが切り開かれ、親族が眠っているであろう坑道の入り口が見つかったことに驚き、心が動かされたという。
同29、30日にはダイバーが潜って坑道内を調査し、1月末~2月初めの本格調査に備えた。ここまででも驚異的な成果で、市民の熱意を感じる。だが、政府は動こうとしない。 福岡資麿厚労相は11月5日、国として調査をしないとの考えを改めて示した。
翌日、刻む会は国会内で集会を開いた。井上さんは「来年の日韓国交正常化60周年に、ご遺骨を残したまま『未来志向』などと言ってほしくない」と訴えた。
鄭さんもあいさつした。「遺族はみんな『このまま葬り去られていくんだろうな』と諦めていましたが、みなさまが生活や人生をかけて取り組んでこられて……。もちろん目標は遺骨を故郷に眠らせてあげることですけれども、この日を迎えられただけで……。亡くなった遺族に報告したら、どんなに喜んでくれることでしょうか」
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鄭さんの話を聞いて思い出したのは、シベリア抑留者への補償だ。敗戦後、ソ連によって日本人およそ60万人が最長11年間拘束され、6万人が命を落としたとされる。抑留経験者が国に補償を求める訴訟が相次いだが、いずれも敗訴した。民主党が救済法案を出したものの、自公連立政権の同意が得られず実現しなかった。民主党が政権を取り、10年に議員立法で「シベリア特措法」が成立した。
抑留期間の長さに応じて約7万人に25万~150万円、平均約28万円の特別給付金が支給された。人生を狂わされた人々への補償としては少な過ぎると、私は思った。だが立法が実現し、涙を流して喜ぶ抑留体験者と遺族がいた。
「シベリア立法推進会議」世話人として立法に尽力した有光健さん(73)は話す。「重要なのは金額だけではありません。 当事者たちは立法のために多くの議員が奔走する姿を見て、気持ちを受けとめてもらえたと実感できたのでしょう。放置されてきた被害者や遺族の心情を受けとめる。非人道的な苦痛を国や私たちの社会が認知し、報いるというプロセスが大切です」
刻む会の人たちは、30年以上かけて新しい戦後補償の「プロセス」を築いてきたと言えるのではないだろうか。悲しい歴史を悲しいままにせず、日本と朝鮮半島の間に新しい心の橋が懸かることを願う。
(専門記者)
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