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中国の「監視社会化」を考える(参章)
= NewsWeek_Column 2019年01月11日(金) 梶谷懐(神戸大学大学院経済学研究科教授=中国経済論) 


功利主義と監視社会
中国社会といえば、アグレッシブで、決まりがあってもみんな守らないで自分の解釈で行動する、そんな「民間」のエネルギーにあふれている社会だ、というイメージがあったのが、統治のための様々なテクノロジーや、「向社会的行動」に対する動機付けを提供する信用スコアなどのレイティングシステムの浸透によって、特に大都市では「行儀がよくて予測可能な社会」になりつつあるのではないか──前回の連載で、以上のようなことを述べました。

もちろん、こうした現状認識への異論もありうるでしょう。ですが、ここでは上記のような中国社会の変化が実際に起きていることを認めたうえで、そういった「(広い意味での)監視を通じた社会秩序の実現」という現象について、その意味を考えてみたいと思います。 

まず、こういった動きを基本的には肯定する、そこに裏付けを与えるような思想について検討しましょう。監視社会を肯定するような思想なんて存在するのか?と思われたかもしれません。ここで想定しているのは私たちにとって比較的身近な考え方、すなわち「功利主義」です。この功利主義の考え方を推し進めていくと、究極的には監視社会を肯定せざるを得ないところに行きつくのではないか、という話をしたいと思います。

さて、よく知られているように、功利主義の主張のコアの部分は、1.帰結主義、2.幸福(厚生)主義、3.集計主義という3つの要素に帰着します。1.の帰結主義は、ある行為の(道徳的)「正しさ」は、その行為選択の結果生じる事態の良し悪しのみによって決まる、という考え方です。2.の幸福主義は、道徳的な善悪は社会を構成する一人ひとりの個人が感じる主観的幸福(厚生)のみによって決まり、それ以外の要素は本質的ではない、とする考え方のことです。そして3.の集計主義は、社会状態の良し悪しや行為選択の(道徳的)正しさは、社会を構成する一人ひとりの個人が感じる幸福の総量によって決まる、という考え方です。

図1:Moral Machine実験

では、なぜこれが監視社会を肯定する思想になるのでしょうか。統治思想としての功利主義を再評価する法哲学者の安藤馨さんの言葉を借りれば、それは「功利主義によれば諸個人の自由や自立といったものは統治者が何を為すべきかに於いては本質的に無関係」であり、そのため「そうした方が結局は幸福の総計の最大化に資すると思うならば、諸個人の自由や自立を侵害するような統治や立法をよしとするだろう」からです(安藤2010:74頁)。

安藤さんはまた、監視テクノロジーの進歩により、例えば犯罪や暴力的行為の予防的措置が可能になり、それが人々の身体の拘束の機会をむしろ減らす可能性があることを挙げて、このように指摘しています。「仮に監視技術が発達し、当該の行為に及ぶ前に(中略)それを制止できるようになれば、物理的に刑務所やその他の施設に閉じ込めておくことで事後規制を実行するという方法を採る必要はなくなる。監視による事前規制は彼らの自由を大幅に回復し、厚生の増大に資するに違いない。監視こそがむしろ彼らを自由にする(同89頁)。
つまり、個人の属性や行動パターンによって反社会的行動を取りそうな人たちに対しては、あらかじめ行動の自由をあらかじめ奪っておくことが、そういった人たちが違法行為を犯して刑務所に入れられる可能性を減らすので、むしろその人たちのためになる、というわけです。

前回の連載でも触れたように、中国ではすでに「信用度の低い」個人や企業(「失信被執行人(信用喪失被執行人)」)のブラックリストが公表され、銀行からの融資や、自動車や不動産の購入、さらには飛行機や鉄道の一等車のチケットが買えないといった行政措置を受ける動きが広がっていますが、その背景には基本的に、このようなある種の功利主義に基づくパターナリスティックな思想があるように思います。中国の「社会信用システム」が持つパターナリスティクな性格については、社会学者の堀内進之介さんが「情報技術と規律権力の交差点──中国の『社会信用システム』を紐解く」という論考で詳しく論じています(堀内、2019)。



心の二重過程理論と道徳的ジレンマ
こういった功利主義の考え方に反発を感じる人も多いと思いますが、もう少し議論を進めてみましょう。ノンフィクションライターの吉川浩満さんは、進化論や認知科学の観点から現代社会を問い直した『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』という著書の中で、このような功利主義を「優れたディストピア小説に似ている」と、人々の感情を逆なでする側面を持ちながらも圧倒的なリアリティを持つ思想だとして紹介しています。そして、現在において功利主義に「追い風が吹いている」ことの背景として、「自己責任」を強調する時代の風潮や、人工知能(AI)関連技術の発展という技術環境の変化にくわえ、「道徳(公共心)の科学的解明」が進んできたこと、を挙げています(吉川、2018)。

ここでいう「道徳(公共心)の科学的解明」とは、道徳的な善悪の判断や正義(感)といった、それまでは哲学とか倫理学の対象だと思われていた領域に対して、科学的な方法によって扱うことができる、より具体的に言うと進化心理学や認知科学の枠組みを用いて、その成り立ちを説明しようとする議論が次第に広がってきた事態を指します。

そういった理論の中でも代表的なものとして、いわゆる「心の二重過程理論」があります。これはエイモス・トベルスキーと共に「プロスペクト理論」の提唱者として知られ2002年に共にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンによる『ファースト・アンド・スロー』と言う本で一般的にもよく知られるようになった議論で、行動経済学による知見がそのベースとなっています(カーネマン、2012)。

二重過程理論は、人間の脳内に「システム1(速いシステム)」と「システム2(遅いシステム)」という二つの異なる認知システムを想定します。前者は演算能力をそれほど必要とせず、迅速な判断が可能、そして自動的かつ無意識的かつ非言語的に機能します。  ・・・・・・・つづく


古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 
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