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「後味の悪い~」ということで、ブログにするのを迷った小説さすが吉田修一さん、登場人物たちの描写がうまいのでそこら辺にいそうだから、困るのだがま、わたしゃ化石化しかかっている昔の人間だから、まともすぎるかわからんけど登場人物が全員理屈なしに小悪い、というか、上面(うわつら)のみで生きているどういうことかというと(ネタバレになりそうだが)あるきっかけでシェアハウスしている5人の若者たちのお話その人物たち杉本良介・・・大学三年生、実はほとんどストーカーまがい恋愛大垣内琴美・・・無職、実は人気俳優の秘密の恋人業相馬未来・・・イラストレーター、実はアル中寸前小窪サトル・・・男に男を売る仕事、実は空き巣ではない侵入魔伊原直輝・・・真面目な普通の会社員、ところがとんでもない人であったそのとんでもないことが気持ち悪くなったんだけど5人は実に和気あいあいと暮らしている上手に生きるには「なりたい人物像」を演じていくのが一番!とかなのか?
2018年09月11日
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『最後の一葉』は昔の教科書に、有名な作品ですからよく知っているような気がしておりましたが情緒たっぷりで、もっともっと激しく、わたしの中でふくらんでおりましたたぶんそれはリライトが、ドラマが、盛り上がりを大きくしていたのでしょうかページ数にして11ページ、こんなに短かったのですね簡潔な文章、とくに売れない絵描きの老人の描写のあっさりしていることとくに嵐の夜に老人の傑作が生まれる情景はしつこかったそれに、だからか老人が努力したのに、肺炎の娘さんがあえなく死んでしまいましたという結末だったと覚えており・・・(勝手に操作してはいけません)今回280編余りの作品のうちの91編を新潮文庫、大久保康彦訳で読みつくし構成といい、意外性といいやはり名短編作家であったと改めて思った次第ちなみにわたしの好きな作品は『緑の扉』『馭者台から』『人生は芝居だ』『人生の回転木馬』『二十年後』意外性の裏側というか、意表を突いているのに普遍性なんだよなあ
2018年09月09日
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山本周五郎さんと対極にあたる「めおと感」直木賞受賞作、この短編集にある小説の数々に思いました「夫婦ってなんだろう」と突き詰めれば様々に答えが出てくるのですしこれが決定版とか、超現代の様相だからとか結論付けはありません池波正太郎さんは洒脱の中に深くあたたかい愛情司馬遼太郎さんはユーモアにくるんだ慕情そして山本周五郎さんは厳しいまでの自律を経ての愛情「めおと感」を時代小説として表した過去の作家たちを見て思うときはて青山文平さんの「めおと感」はかなり異色突き放されて、突き放して何が何だかわからなくなってくるのが現代っぽいというか、現代に即しているというのかつまり、夫婦をやっておりますとポロポロこぼれ落ちるものや、ボロボロになるものがあって両者とも「私が正しい」「私は間違っていない」になるんだとさそう言えば藤沢周平さんの「めおと感」は何だっけ?わたしは感知していないよう、わからない、残念というのも、周五郎→周平→文平さんの印象だから
2018年09月02日
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権力を握ったら権力者に欲が出る権力欲はとどまるところを知らず、腐敗する一握りの権力者の権力を保つために、多くの人々を虐げる恐怖政治国を挙げての息が詰まるような監視と密告制度の克明な描写読み始めのうちは「えっ!これって北朝鮮のこと?」作品が書かれたのは1949年、だから違いますね1949年に1984年を未来として想像したのですからその1984年もとうに過ぎて、超未来の現代にも当てはまる権力闘争基本は変わってないのですね小はスポーツ団体や各種の学会や官庁、国の機構・政治権力闘争のような、はじき出すような地域の中もっと言えば、このごろはネットの中でもいろいろあります、やってます暴言、讒言、揶揄、など言いたい放題の様相「自由は隷属なり」とこの小説の仮想国家権力のスローガンあながち間違いではないです自由・自立とは何か?と考えさせられた一書
2018年08月27日
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「車生活」と涙の別れをしてきました~~!(笑)まだまだ別宅は売れてませんから時々見に行くのですが、車がないと少々不便なところでも、任意保険が今月で切れるのでついに手放すことにといっても娘にやるので、会いに行けるのですがね(大げさな~)わたしたちの世代は18歳になったら誰でも免許を取るという時代ではありませんでした結婚生活の半分は車のない生活でしたから、住処も電車の駅に歩いて行ける、買い物や病院も便利なところにしましたけど子育てや遊びの時にあったらいいなあ~の生活それが子供達も大学生になりそれぞれ免許を取り、車も購入ところが、子供とは勝手なものでこちらが必要な時に運転してくれませんその約束で親が車、購入したにもかかわらずね腹が立った夫が52歳で免許取り、わたしが49歳で追いかけてそれからは雨の日の迎え、買い物、そして遠出の遊びに楽しく便利に過ごしてきましたそして海や山に囲まれた空気のおいしいところでの生活が実現できたのも、車があったればこそそれは捨てがたくはありましたけれど、81歳と77歳では、おいおい困ったことになるのは火を見るよりも明らか住居も都会に車も手放して「断捨離・安全」の暮らしを目指したわけで悔いはありませんが車での最後の買い物をして、ガソリンを満タンにしているとあったものが無くなる、喪失感といっては大げさかな、一抹の寂しさはありましたよ
2018年08月19日
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「多彩な名文を実例に引きながら、豊かな蓄積と深い洞察によって文章の本質を明らかにし、作文のコツを具体的に説く。」いまさらなんですが、これでも少しは勉強しようかと読んだからとて、教養は一朝一夕にいかず、才能は生まれつきにしかず第1章から第12章までのうち、いいなと思った章は第2章 名文を読め第3章 ちょっと気取って書け第5章 新しい和漢混淆文第9章 文体とレトリック少々乱暴にまとめると名作名文をたくさん読んで意気込みと勇気をもって今の日本語、漢字かなカタカナ混じりの、時々はローマ字もいれて言いまわしを選び、リズムをもって書くのだつまり何はともかく、本をたくさん、たくさん読めってことで丸谷才一さんの『文章読本』はさながら高級な読書案内でもありましたよ
2018年08月16日
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「息もつかせず読み切る」これがあれば小説は成功していますねただ、では「何だったのか?」が立ち上がってこないとすっきりとした読後感にならないのですよ釈然としないのが世の中なんだよ、といいたいのか『悪人』のきゅっと詰まった小説をめでたわたしにすれば贅沢だけど物足りないという気持ちもほんと ところで作者には申し訳ない話この文庫本は古本屋で上下とも108円で購入上巻を開いてびっくり、著者サインがあるではないか!印鑑もついてあるしねこんなこともあるんだ~~!!
2018年08月13日
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ガラ~ン~~人が消えて、車が少なくなります朝のウオーキングにもご同輩に会いませんマンションもいつもよりも静か東京は相変わらずマンション建築ラッシュだがクレーン車が止まり、保安員も立っていませんもうすたれたと思うのにお正月とお盆は健在なんですねというか、長期休暇、夏休みを日本の風景に組み入れているま、わたくしのような老境には関係ございませんが・・・こんな夏もありました
2018年08月12日
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女探偵ヴィク(V・I・ウォーショースキー)のキャラクターで読ませるハードボイルド風活劇曰く等身大のキャリアウーマンウーマンリブ女性活躍大いに賛成差別反対すぐ発火する性格でバツイチ、子供なし、男関係自由ご丁寧に、家事嫌い強調ファッションに興味ありといえども、ままならないそれは働けど実入りのことを考えないため、いつも貧乏ま、女性が読めば面白いし、痛快なことは請け合いだ昨夜も半分徹夜してしまって『ガーディアン・エンジェル』を読了だから早朝の散歩をサボってしまった『ガーディアン・エンジェル』はシリーズの7番目今までののシリーズは『サマータイム・ブルース』(1)『レイクサイド・ストーリー』(2)『センチメンタル・シカゴ』(3)『レディ・ハートブレイク』(4)『ダウンタウン・シスター』(5)『バーニング・シーズン』(6)『バースデー・ブルー』(8)『ヴィク・ストーリーズ』(短編集)上記をわたしも2002年から気長に読み進めているのだが下記のようにまだまだ続いている『ハード・タイム』(9)『ビター・メモリ』(10)『ブラック・リスト』(11)『ウィンディ・ストリート』(12)『ミッドナイト・ララバイ』(13)『ウィンター・ビート』(14)『ナイト・ストーム』(15)『セプテンバー・ラプソディ」(16)大体こういうものは必ずマンネリになるのであるここらへんでやめるかどうか思案しているでも、夜更かしするほど面白かったのは確か
2018年08月05日
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「ダルタニャン物語 3」あの「三銃士物語」完結から20年後の物語です。少々古めのエンタテインメントですが前編の「三銃士物語」つまり「ダルタニャン物語 1 2」が面白かったので、引き続き購入して、でももうかれこれ30年近く放ってあった本なんですよ。きっと、完結しているのになんだ?という気持ちがあったのですね。物語は40代(今の60代ね、たぶん)になった三銃士たちはそれぞれが悠々自適に暮らしていてひとりダルタニャンだけが宮仕えしている。再び一旗揚げたいダルタニャンはみな(三銃士たち)をいっしょにと誘うが・・・なんだか変、それぞれ、考えも違うし方向が違ってしまっているのですね。当たり前です、そう、定年後の一旗揚げは若いころとは違うのです。爆発的に人気だった「三銃士物語」に気をよくして柳の下の泥鰌の二匹目を狙ったのですね。やはり、二番煎じは免れませんよね。でも、そのことと相まって当時、三銃士物語はヒーローたちも若かったし、読んだわたしも今より若かった。今から思えば若々しいノリの冒険が楽しかった。なんだかうら寂しい経過に思うのは、あきらめに近いやり直し。しかし解説によると、この本が出版された19世紀では再び人気作品だったとか。さすがデュマ、恐るべし。
2018年08月01日
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本日、東京でも早朝の歩きにはヒヤッとした空気でしたが、だんだん日が昇るにつれてじわっ~と暑くなってきました。一年で一番暑い時期といってもこれは暑すぎですよ!朝一番(5時)で散歩して、買い物など用事がなかったら、もうずっと閉じこもりです。今更ながらエアコンって大したものですね、なかったら死んでしまいますよ。ところが、本が読めてうれしい・・・なんて最初は思っているんですが、快適な温度というのは眠気が来るんですね。いつの間にやらぐっすり眠っているのですよ。本を読んでいるのやら、昼寝をしているのやら。去年までの汗を流しての畑作業から解放されたのはうれしいのですがこれでは老ボケが進んでしまいます。ほんとうは交通が便利になったので出歩きたいのですが、無理!ことはさように簡単ではありません。秋よ早く来い~~~!
2018年07月31日
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不思議な魅力の短編集を読みました。その内容も創作であるのか、随筆風なのかはっきりしません。一応「アメリカの鱒釣り」を探す物語っていうテーマはあるのですけどね。釣り人でしょう、なぜ鱒なんでしょうね、アメリカ人は鱒釣りが普通なのか?訳者藤本和子さんの解説に「鯨ではない、鱒なんだ」とありましたのがヒントになりましたが。メルビル『白鯨』の広い海での大きく勇猛なたたかいではなく、川釣りの穏やかさというか、限られたなかでの比べれば小さなたたかい。でもそれも失われていく・・・。まあ、いろいろ意味づけはできるでしょうが、ぼーっと読むにはうってつけです。ちょっと俳句の解説のようにも取れました。芭蕉の句「古池や かわず飛び込む 水の音」の読み解きを思い出しました。
2018年07月28日
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和歌山毒カレー事件はもう20年前のことになるのですね。ちょうど今頃でした・・・。今でもそうですが、マスコミは熱していましたからいろいろ情報が錯綜してこの小説を読んでいると、わたしでも昨日のことのように思い出します。この本の前半、カレー事件とは別の彼女が起こしたとおもわれる保険金詐欺が次々と明るみに出てくる描写には、今でもそくそくとしたおぞけがきます。現在は死刑囚女性の心の暗闇に一歩でも近づきたいと思う著者の執念迫力を感じますこの本の語り手は、ひ素はもちろんいろいろの毒物の研究をしている、臨床医でもある教授、難しい医学的専門用語、毒物の種類、過去の事例を引いてリアルそのもの。実際に事件を下敷きにしてのそうさくは「彼女がなぜ毒カレー事件を起こしたのか?」グイグイ迫るエンタテインメントで、一気読み請け合いです。わたくしの見るところ、あのカポーティの『冷血』に迫ってます。 「心の闇」彼女(林眞須美死刑囚、この本では林真由美)は頭がいい人だとは思います。悪知恵が働くというのとも違うのでしょう。ただ、実際に手を下したと思われるのが、あさはかというか病気というか。そんなこと言っては何ですが、世の中、もっともっと悪いことをして平気な人はたくさんおりますね。毒を食らわば皿までも・・・おお怖い~~。
2018年07月24日
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昔流の言い方ですれば「娯楽小説」現代的言い方は「日本人によって書かれた中国三大古典のバスティーシュてきリライト作品」だそう中国の古典からとった「中国版女忍者の妻が、か弱き夫を助けるの巻」1966年の新聞小説で、この文庫本も2001年に再録だからか今頃読んだ私が悪いのか、その後の日本の作品に似たのがあってわたしも少しく読んでいるので、既視感に襲われた例えばこれってTV時代ドラマ「妻はくのいち」を見たものにとっては焼き直し感あの市川染五郎さんがはまり役でその印象を振り払うことが出来ない浅田次郎さんの『蒼穹の昴』に描かれる科挙試験時のすさまじき戦いぶりがそっくりとはいえ昔者のわたしはこっちが本家だと応援したくなる武田泰淳さんは『森と湖のまつり』を若いころ読んで、北海道、アイヌ民族を書き込んであって、印象深く好もしく思っていたのよこのような娯楽本も手掛けていらしたんだなあ
2018年07月17日
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映画なら見なかったと思いますが、18世紀末に生まれ、19世紀初頭20歳の美女が書いたという小説ならば興味ひかないわけはありませんところが、暑さも忘れるほどゾッとする怪奇な恐怖話ではないことむしろ、これは現代にも当てはまる事情ではないかと、そこに背筋が凍りましたねフランケンシュタイン青年科学者が人間に似た生命体を完成させるそれが怪物くん、フランケンシュタインが作った名無しの権兵衛解説にある通り、わたしも怪物の名前がフランケンシュタインと思っておりましたでも、フランケンシュタインが生んだようなもんだから、フランケンシュタインでいいんじゃないかそれはさておき、作品の生命体があまりにもおぞましいので(そこは詳しくは描写されていないので、想像で各自イメージする)製作者は拒否してしまう、つまり、捨ててしまうちょっと待って!仮にも人間に似た生命体だよ書き損じの小説や、作りかけの工作じゃないんだから・・・怪物くん見た目はひどい(おそましい)が掘り起こせば感性に溢れ、知性と情けを知る御仁あるきっかけで人間としての教養を積んでしまうそれではと人間社会で受け入れてもらいたいのがあだとなり本人の意向とは裏腹に恐れられますます孤立してしまう悲しさ生みの親にも嫌われ、誰も振り向かない、認めてもらえないそうなったときどうなるか?失意のどん底、復讐の魔物となるのか少々饒舌なところもありますが、三重構造の良さ語りてフランケンシュタイン怪物くんそれぞれの真に迫ったモノローグがグイグイと迫ってきます怪物とは「超現代科学技術のもう取り返しがつかない行方か!」との思いを強くしました
2018年07月14日
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過去、ヴォネガットは3作品を読んでいる『プレーヤー・ピアノ』『猫のゆりかご』『スローターハウス5』いま、このブログにある自分の感想を見てみると、どれも好もしくよろしい感触さもありなん、このもう最後の作品になるのかという、作者73歳か74歳発表の『タイムクエイク』やはり、なかなかの作物なり創作あり、随筆風あり、思い出あり、文学紹介あり幾層にも複雑化した構成の中に、いい年輪を感じさせる、その気持ちわたしたち年寄り(この本では「古手」といっている 笑)にはよくわかるのであるタイムクエイク(時空連続体)によってある時、詳しくは2001年2月23日、10年前逆戻りして1991年2月17日に戻ってしまい、やり直しできるのではなく、繰り返さなければならない日常になっていざ、タイムクエイクがストップしても、何をしていいか戸惑う設定人間繰り返しが続くと自分の頭で考えることを無くすしかも、随筆風の部分の2001年は作者の将来で、長生きするつもりで「そんな風に自分はこの世にいる」と想像するのであってこれもわたしがよくやる手(笑)いろいろ文学的な思い出やら、薀蓄もわたしにはおもしろかったですね
2018年07月10日
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タイトルは池波正太郎さんのパクリですが中身は池波流ではありませんこのごろは健康を兼ねて、夫婦であちらこちらご近所を探検のようにして歩いています。普段は地下鉄利用なのですが、山手線の内側に住んでいるのでかなり歩けば山手線の駅に行きつきますそんなわけでO駅という、新しく駅ビルが開発されたところに行ってみました。あのひなびたO駅がみちがえるように近代的になって「アトレヴィ」が出現。まあ、まあ!成城石井やユニクロなどなどにぎやかだこと。ほんと、近年どこも似たり寄ったりの駅ビル開発ですね、JRさんは。ま、その新しい「ドトールコーヒーショップ」でカフェオレを飲んで、書店の開店を待ちました。銀座にもある「旭屋書店」わたしのおきにいり書店 🎶やっぱり読みたい本がある『フランケンシュタイン』!今読んでいるカート・ヴォネガット『タイムクエイク』にフランケンシュタインは怪物ではない、それを作った科学者の名前、そして作者はメアリー・シェリーという、イギリス詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーの二度目の妻それが新潮文庫のスターコレクション新訳であったのだ、肖像画、美人だえ、え、えっ、、、面白いなあというわけで購入。しかしですな、散歩とて所持金が少ない、ところを持って来て「散歩の途中でなにかたべたくなって」お昼ご飯を食べようとわたしの小さなお財布と夫の小銭入れを覗いて(そうそう、本屋さんの前に靴下屋さんで夫のソックスを一足購入もしていてだから、夫には本購入を我慢してもらって)かき集めて約二千円あるかないか(笑)さあ、その駅ビルは近代化したけれども、古い街並みを歩き回ってありました、サラリーマン行きつけのチェーン店「ナントカ日高屋」ラーメンと冷やし中華と餃子、おまけに生ビール普通においしくてたっぷりでですからタイトルはお借りしたけれども、、、です(笑)
2018年07月09日
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先日、この本の冒頭と同じく『私にふさわしいホテル』すなわち「山の上ホテル」の近く、神保町を歩いてみて(時も同じ夏)「わたしにふさわしい街に帰ってきた」なんてね、悦に入ってるこのごろです。ほんとにどうしょうもないのが本好きのオタク、っていうような内容の作品です。売れっ子作家になるため、なんでもやる、なんでもありのエンタテインメントです。作者の柚木麻子さんがそうなさったとか、そうだったとは思えないのですが、ハチャメチャに苦労する新人作家の奮闘物語。軽くて面白かったですよ。ひとつ気になったことがありました。作家さんが作品についてのネット上の批評批判で落ち込むことがあるってこと。そりゃそうでしょうえね。ほいほい、わたしも遠慮なく書いてしまっているときもありますですよ。いくら「このど素人が!」って思っても気に病むのが人間。ネット上の勝手なおしゃべりは止まらないですから、むしろ「わたしにはこの作品は合わなかった」というオブラートの裏に「どへた!」があり、良いところの指摘にニンマリするように、ひそかに「わたしのどこがいけなかったのだろう」と考えた方が作家として成長すると思えるんですけどね。オタクって怖いほど知ってるひとでもあるんですもの。
2018年07月03日
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日常に忙しいといいつつも、暇を見つけては読書してしまうのが本好きのサガ5~6月と荷物を片付けつつ9冊・・・「信兵衛」さんの「読書手帖」に「面白いなあ、おもしろいなあ」との感想から「そうなんだ~~」と興味を持って柚木麻子作品を3冊ほど、そのひとっ『名作なんかこわくない』本好きは名作といわれている本たちがずらりと並ぶと、とても喜ぶのは間違いない「あ、これ読んだ」「名作かな?これ!」「うむうむ、まだ読んでないのがあったぞ」なんてね、チェック入れたりして楽しむ「キラキラもギラギラも、すべて名作に詰まっている。」なるほどね、しかつめらしく名作を解説していない、文章が若いし翔んでいる感でもって、なにかほのぼのしているおもしろさがある「へ!こんな読み方あるの」本好きわたしも別の読みどころを教えられたような気分例えば『ボヴァリー夫人』のところ、いきなりこうおっしゃる「あー、ファム・ファタルになって遊んで暮らしたいなぁ」「ファム・ファタル」・・・男性の運命を変える女性(ふうん、知らなかった)で、ボヴァリー夫人「エンマ」がそうだという夫や付き合ってる男性をわがままいっぱい、破滅させるひとでも憎めないひと、バカでミーハーなだけなんだだって平穏な暮らしは退屈なばかり、心からの充実はないからね、と作者がそうなのか、今どきの女性ってこうなのか(偏見です)世界は自分中心に回っている感が強いかな、それでいいんだけどねと、ちょっと趣の違う50何編かの世界文学、フランス・日本・イギリス・アメリカの名作案内あ、ドイツ文学がないふむふむ、あれはロマンと哲学に分け入ってるのが多いからなぁ、愉しくならないしやっぱり柚木麻子流文学案内だったので・・・
2018年06月28日
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とりだめていたHDDで見ましたなんとこの器機アナログなんです、それでこの際処分をしようその前に見ておこうと、動機は不純なれど忙しい合間を縫っての、見ごたえ、手ごたえありました岸谷五朗がいい、肉体もそうですが、在日コリアンのたくましさがよく出ていますパブ勤めのフィリッピン人女性とのからみも濃厚でそれが嫌味に感じられないのが俳優の力かな、です大河ドラマ「お江」の時の秀吉もなかなか見ものでした映画全体も北・南なんての思想的なものではなくて、好感持てました小さなタクシー会社に働く人たちの人間模様と悲哀、でもエネルギーに満ちてま、1993年作成ですから4半世紀まえ、こんな風に牧歌的だったのかなあ
2018年06月26日
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山や海、森や林囲まれていた生活から雨雲に煙ったビル群もまた一興かな・・・東京で降りみ降らずの梅雨を迎えています荷物を移したころはいい天気で助かりましたが案の定へとへとになりました上空の寒気団の影響で全国的に涼しくなりなりましたね東京も高原のようになり、おかげで私も元気を取り戻しましたこちらでも相変わらずモノを捨てていますせっかく持ってきたのに、入りきらないので・・・ま、そんな非生産的なはなしはとにかく後期高齢者にとって手の届くところで生活ができるのは大変結構なことでこれなら健康寿命が伸びそうです(笑)コメント欄も放置していて申し訳なかったです通信環境は情報検索のためいち早く整えましたが、なにせやることが多くてゆっくり覗いている暇がありませんでしたここは10年前には事務所兼住居にしていましたし建て替え後も時々来ていたので知っているみたいだったのですが、来てもちょうど民泊の要領で、旅行気分このたびしっかり生活してみれば、買い物など都会はやはりいろいろ便利ですねというわけで、ふたたび読書ブログを開けるようになりました読書といえばここには図書部屋というような本ばかり集めた部屋を作っていたのですが余分な部屋は作れないというわけであえなく却下、その本の始末が大変でしたバーコードがついた本はダンボール箱に詰めて古本屋に送れば済みましたが、立派な装丁の全集モノ(古いのから新しいのまで)を古紙として出したときは泣けました夏目漱石、芥川龍之介、昭和の現代作家(全集)たち、松本清張、吉川英治、山本周五郎、世界名作全集のいろいろもう個人でこういう全集を持つ時代ではないのはわかっておりますがわたしたちの世代は郷愁分かちがたく、今後は図書館にて味わいましょうそうそう、図書館も歩いていけるようになりました‼
2018年06月16日
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夫の転勤での引っ越しも多かったし、転居も多かったので、その度に諸々の住所変更手続きをやってきました。それでも10年前までは、そんなことが好きなことゆえ、わたし得意げに嬉々としてやっていたような・・・気がしますが、今になってみるとその煩雑さに辟易しております。役所の手続き(健康保険、介護保険など)の他、電気水道ガスのライフライン、銀行、通信、カード会社、宅配便などなど、それにこのごろはネットのおかげで増えたネット通販関係、その数半端じゃありません、エクセルで網羅すると50件以上。誰かやってくれないかなぁ、なんて・・・。委任状一つで行政書士さんがやってくれるのでしょうが、弁護士さんもかな?いかんいかん、それが高齢者の甘えの始まりじゃ、お金もかかるし。母の時にはわたしたち娘が手伝いました。でも、わたしの娘は子育て、仕事で超忙しい。わたしがボケてはおりません(笑)要は、もうどこにも動きたくないって思ったことです。
2018年05月22日
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わたし、じゃないですよ引越しの箱詰めが忙しくて運動過剰なほどですから今日、サ高住にいる義姉から新茶のお礼の電話がありました88歳なんですが、前からたびたび転ぶので、とうとう車いすの生活になったとか「できたことができないとは、なさけない~~」と嘆いておりましたその弟の夫、80歳なんですがこのごろなんだか足腰が変によろよろや、やばいゴルフの回数が減り、坂道の多いこの辺の散歩はきつくなり車で運動公園に行ってフィールドの外周を5周(30分)していたのですがわたしが断捨離に忙しくなり、付き合えなくなったら行きません後は箱詰めなんですが、それが不器用な夫はできない、わたしだけが動いてる(笑)東京に行ったらジムに通うといってますが、これはわたしがついていかないとサボるなあわたし、ますます忙しくなる、強くなる、スマートになる(笑)
2018年05月12日
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有名人(?)の本を2冊読んだ高嶋秀武『高嶋ひでたけの読むラジオ』角野卓造『万事正解』「軽い読みものね」という感じは正解であるエッセイというより紙のブログというところか文学好きとしてはちょっとね、時間がもったいないかなあ(失礼!)スターたちの本とは違ってゴーストライターもいないのだろうが小学館という大手出版社が出してくれるのだからいいよね普通の人なら私家本?自費出版?というところよ(とやっかみ半分)貸してくれたとしてもこれからはこのような本読むのやめようかなあ活字好きはすぐ取り掛かってしまうから厄介なんだそして読み始めたら途中で放り出せない性格があだ(笑)
2018年05月10日
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瀬戸内さんの本は晴美さん時代のものがいいとわたしは思っているだから最近のものは読まないことにしているでも本好きの友人がドサッと貸してくれた中にあってパラパラとしていたら、つい引き込まれた91歳(現在は96歳)の時に書かれた『死に支度』って、ああた、充分お支度が出来ているのじゃございません?と言いたくなるような賑やかな身辺雑記風小説相変わらず達者、筆運び、文、構成、ボケてはおりませんま、晴美名義最後の作品『いずこより』の後編のような気もしないではないその作品をわたしが読んだのは1974年、その前年1973年に51歳で得度され寂聴尼になった華々しい記事などで随分喧伝されていたもうすこしひっそりとなさればよいのにとも思ったが興味を惹かれたのもほんと、わたしも若かった(33歳)そんな気持ちになるのはなぜゆえに・・・とさっそく自伝的小説『いずこより』を読んでしまったのだからその、週刊誌の記事のような人生遍歴はその後何度もあちらこちらで話されていて、もう珍しくもなんともないけど「子供を捨てて恋愛に走った」というその時はその率直な書きぶりに驚いた!『いずこより』わたしは来たのでだろうか?より「いずこへ」いくのだろうか?と思えるほどエネルギ溢れた小説だと感じた51歳の寂聴さんが91歳で『死に支度』へ来たのだろうかねでも、でも、この著書でもまだまだお元気なんだけど・・・
2018年05月05日
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断捨離のようなモノやコトの整理が進んでみると、こころにゆとりや余裕が出てくるからおもしろい。自分は誰かさんのように家にモノを溜めていず、ごちゃごちゃにしていないで整理整頓、物事や事務的にもキチンと処理していたのだ、というのはとんでもない思い込み、自信過剰であったということです。何事も見直しをするということが大切なのだと。(って、自分のばかさ加減を披露しているのだろうが・・・)具体的に言えばこの家のいらないものは処分し、ガランとスッキリした家の中、広々と暮らしてみると、昔の田舎の家みたいで心地いい。嫌だった農作業(菜園ライフ 畑作り 笑)をやめて、残ったわずかな庭木の手入れと下草刈りをしていると、それは何の苦もなかったのだと思うのだから不思議。むしろ楽しいの。ええっ!?わたしはいったい何をしたかったのか?どこで間違ったのだろう?もともとここは別荘のつもりで作ったのであって、東京の小さなマンションが定住地であった。ま、その時は事務所でもあったのだけど。そこが、古くなって建物ごと建て替えになり、工事は2年はかかるので、みな様どこかに仮住まい。うちは幸いここに移ればいいと、とりあえず住民票を移した。数多くの銀行や契約している諸々の住所変更もしなければならなかった。それがいまだにここ。戻すのが面倒だったのもある。家財道具も2軒分ダブってその時はゴミ屋敷の様相だったけど、2年たって東京が完成した時にそれは解消した・・・はず。でもね、結婚50云年、捨てられない当初からの使い勝手の悪い家具やら、大量の本やら、食器やら、ま、整理整頓、キチンと置いてはあったのだけど、何せ二人には使い切れない。それに、夫はここのほうがゴルフに行くには都合がよい。夫思いの(自分で言うか)わたしも喜ぶことならと(笑)ずるずると。年年歳歳、去年の出来事。いろいろ身体の不調はでる、運転はできなくなる、これは少々便利なところへ行かねば、わたしが困ることになる。それで今回の決心。予定に通りにいろいろ進んでくるにしたがって、もう一度方向を少し変えてもいいかなと、ゆとりが出てきたのもほんとうだ。どうも、一度決めたことはきちんとしなければ気が済まない性格が、融通が利かないことになるときと、それだから物事が進むだというときもあるのじゃないか。ミカンの花の芳香がただよい、五月晴れの元、茶摘みに精を出していらっしゃる姿を見ながら、贅沢な思い。さあ、わたしも若芽が伸びすぎたボケの枝でも掃いましょ。
2018年04月29日
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キャンプやテントの遊び心の話です近所で庭を一面芝生になさっているお宅がある。あれは手入れが大変なのよね。横浜で建売に住んでいた時、初めての庭経験、舞い上がって芝生を植えたのだけど、だんだん草の方が多くなってしまって、手が付けられなくなってしまったものだ。そのお宅は今のところご主人が熱心に手入れをしていらっしゃるので、順調のようだ。と思っていたら、ある日、青いテントをふたつも張ってる光景をみた。何をするのかと思っていたら、子供たちが大勢、テントに出たり入ったり遊んでいて楽しそう。きっとテントの中でお昼やお八つを楽しんだのでしょうね。そのあとテントはたたんで芝生の上、はだしでボール遊び。こどもたちはさぞ満足したでしょうね。水撒き、間の草取り(監視しているわけじゃないけど 笑)ご主人が(つまりお父さんがお子様のために)熱心かつ丁寧になさってというのが、遊び心の真髄じゃないかと思いました。女(お母さん)だとそうはいかないような、一面芝生の庭は見栄えはいいし、素敵だけど、それにテントを張ったり、遊びまわられたら台無しだと思うのではないか。けだし、奥さんは(お母さんは)芝生のために何かしている姿を見かけませんから。似たような経験を我が家もやりました。庭やベランダでの食事のためのテーブルやいす。鉄製だと風情がないから木製にしたのだけど、雨ざらしにしていると塗料が剥げる。わたしも一度ぐらいはでやすりをかけて本格的にオイルステン塗りましたけど、鼻炎のわたくしシンナーには弱く、根を上げていまやモノははげちょろけ。これって男の仕事ですよね、はい例によってズボラなうちの夫はしません(笑)おまけにベランダで朝日を浴びて朝食だ、海風受けて昼食だと乙なこと言います。誰が準備するんですか!夫は運ぶだけでも嫌がりましたよ(笑)となると、どこで食べても同じ。結局はダイニングテーブルで・・・。だんだんお茶だけでも外ではしなくなりました。今では断捨離のおかげでダイニングテーブルは友人宅にいってしまって、そのはげちょろけの外用テーブルで食事してるんですけどね(爆そういう遊び心、女には向かない。わたしに向かないだけ?う~む、ゆとりがないなあ・・・。
2018年04月24日
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引越し準備は順調なんですが、この別宅なかなか売れません。そりゃそうでしょう。この近くだってあちらもこちらも空き家がありますからね。それどころか、日本中空き家だらけですものね。夫曰く「値段のつけ方次第」でもね、設計から設備、心いくまで手掛けた家、そして丁寧に使ってきたので不備なところは一つもない。別荘仕様にしてなくて定住にいいし、土地も広い。と思い入れたっぷり、昔のように土地神話が無くなったことはわかるから、儲けようとは思っていませんが、叩き売るのもね・・・。というわけで、しばらく持っていることになりそうだけど、その間の管理というか、見回りというかをしなければなりません。2軒の家の管理が大変だから一か所にするのに、まだまだ手数がかかります。思い切って家財道具は(例えば冷蔵庫や洗濯機)をすっかり無しにしようと思っていますが、見回りに来るのに日帰りは年齢から言っても大変だ。考えあぐねていましたら、alexさんのキャンプブログにヒントがありました。そうだ!キャンプに来たと思えばいい。ううん、それよりも状況はいいかも。基本料を払えばライフラインは使えるから、(ひよこさんのブログで水道を止めちゃうとトイレが困るとのお話)食料は持ち込み、下着などの洗濯は手ですればいい。究極の選択必要最小限の、しかも処分しやすい生活道具は、何か?さあ、リストアップ寝具 敷布団&掛け布団類 2組(シーツなど洗濯の時は持ち帰りする)普通のタオル 4枚 ハンドタオル 2枚(バスタオルは洗濯が大変)バス用品 1式トイレ用品(トイレットペーパー・簡単な掃除用品)なべ一つ(湯沸かし、レトルト温め用)紙コップ・紙皿・割りばし・プラスチックスプーン箒 1本 塵取り・ぼろきれ ゴミ袋 一泊二日だったら、こんなところかな。なんだかちょっと楽しくなってきたよ。
2018年04月22日
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知り合いにある宗教に入信している者がいる。何かにつけて、会話や行動をその宗教に結び付けるので違和感はあったが、性格がよく、むしろ親切でいい人なのである。わたしは仏教でも神道でもどちらでも構わない日本人的無宗教派。特にうるさく勧誘もしないし、普通の付き合いには差し支えない。ただ、終末思想をひたすら信じていてその宗教に帰依していれば、自分だけは生き延びると本当に思っているのには心底驚いたし、しかもその他の宗教ではだめだそうで、その自分勝手なその狭さがなんだかうそ寒い。そんなことを思いながら、松本サリンや地下鉄サリンテロを起こした「オウム真理教」とは何だったのだろうか?というテーマを採り上げた田口ランディさんらしい切り口の小説を読んだ。らしいとは、率直で分かり易く、歯切れがいい文章を書く小説家と思っているから。***サリンをまいた実行犯死刑因Yとの、10年を超える面会や手紙のやり取りの交流をもとに、私小説風に描いている。Yもこの作家の本が好きで、死刑因の外部交流者に望まれたのだ。死刑因Yを拘置所に面会すれば、穏やかで理知的でいい人なのだとわかる作者。それなら「オウム真理教」とは何だったのだろうか?なぜテロにまで走ってしまったのか?がわかるのではないかと作家は期待した。Yとやり取りを重ね、識者に会い、専門書を調べ、脱退者と行動を共にするうちに作家は「オオウム真理」に飲み込まれしまったかのようになる。かえって拘置所いるYに「大丈夫ですか、もう調べるのやめてください」と心配されるほどになってしまった。***また、私の知り合い話に戻るけれども、その人はあちこち身体が弱い。すぐ寝込む。アレルギー性も強い。初めはシックハウス症候群だった。その次は芳香剤に息苦しくなった。そして農薬の弊害を訴えだし、しまいには電磁波過敏症を言っていた。でも、電磁波なんて今やそこら中に飛び交っているからどーするんだろうと思った。第一その人はスマホを四六時中使っているのだ。ドリンク剤だの、石のパワーだの次々と怪しげな(とわたしには思える)対処を自分でしていた。そしてわたしもその内に症状が出るから、そのドリンク剤や効果があるという石をわたしにもくれる。わたしは「症状はないし、そういう石だの飲み物は嫌いだから」と断るから、もう勧めすすめなくなったが。その宗教の集会場に行くと具合が悪くなるようになって、行かなくなったのだけどつながりはほかの方法であるという、それがスマホのアプリなのである。それにそれにそのひとの宗教のお仲間は同じような症状の人が多いような話!!それって、ほっといていいのか?話半分に聞いているわたしでも本当に心配になってきて、「もしかして難病かもしれない」「きちんと医学的に調べた方がいい」とアドバイスするが、お医者さんにはわからないし、いい加減なことされるから行かないという。「ああ、これなんだなぁ」何かを信じるということは、その信じたものを外から見られなくなるということ。***『逆さに吊るされた男』というのはタロットカードの絵札12番の図柄だそう。その図柄はとても奇妙で二本の木に渡した棒に片足を吊るされた男、手も後ろで縛られて身動きできない。そんなにしていたら死んでしまうだろうに。「なのに、男はどこか楽しげ。まるで、自らが望んで吊るされているかのように。」(P145)作者はそのような意味で思いついて題名にしたという。この小説にはその他、あっと思うような、ひらめいたような解きあかしがある。松本サリンや地下鉄サリンテロを起こした「オウム真理教」事件は、カルト集団の行き過ぎた事件で、事件を起こした人々を処罰すれば終わり、ということではない。
2018年04月18日
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<朝日新聞昭和32年(1962年)「わが小説」シリーズ切り抜きより>若いころのこと、好んで読んでいる世界文学や古今の名作ばかりではなく、今活躍している作家の作品はどのようなものがあるかとその頃、家が購読していた(といっても結婚前だから実家)新聞から切り抜きをしていました。きちんとノートに貼り付けて143回分もとってあったのです。今回の整理片付けに「捨てようかな」とパラパラと見てみると、ちょっとおもしろい。当時の文壇・出版界で活躍の作家が、自分の(自信作の?)小説を紹介する記事です。その「わが小説」シリーズは№1から№143で終わっていて、多分毎日連載されていたのだと思います。その後50幾年、これを参考に当時の現代作家の作品をわたしがどれだけ読んだか?それに今も平成の(もう終わりだけど)作家さんたちをちゃんと感知しているか、あやしいものだと相変わらず偏った本好きなのではありますが。ところでその「わが小説」記事を書いた作家が、すっかり昭和作家辞典の様相になってます。物故された方がほとんどですし、ブレイクせずに忘れられたようになっている方もありそうです。述懐をふくめて勉強になりますし、その作家たちをウイキペディアなどでで調べながら、ときどきアップしてみようと思っています。では№1 上林 暁<かんばやし あかつき>(1902~1980)78歳で没わたしの知らない作家さんです。次回に続く・・・
2018年04月15日
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物騒なタイトルで気が引けるが、警察ものやハードボイルドはこうなる。舞台はニューヨークはセントラルパーク。その公園の森の中で事件が起こる。宙吊り人間袋詰めが三つ発見される(うわ!)おまけに幼女誘拐も加わって・・・。セントラルパークはもちろん新宿御苑より広いんでしょうね。森がやたらと広く、木々がうっそうとしている描写があり、いかにもおぞましいことが起こりそうな・・・さすがにニューヨーク!って、知らないんだけど。そこに登場して活躍するのはキャシー・マロリー=ニューヨーク市警ソーホー署巡査部長。知らんかったけれど、これシリーズもので10作目、4半世紀も続いているとか。このヒロインの波乱にとんだ出自やとっぴな性格がシリーズが進むにしたがってだんだんわかる仕掛け。こういう時、シリーズの最初の本から読みたくなるのがわたしだけど、解説にこのシリーズに限ってどこから読んでもいいとあったので、まいいか。クリスティのような清張のような古典に親しんでいる者にとって、場面の展開の目まぐるしさ、仕掛けの複雑さに慣れるまでが、ちょっと読みづらいけどね。魔術的文章に魅せられてっていうのとは(サラ・ウォ-ターズ『半身』がそうだけど)また違う。猟奇的事件の陰に「いじめ」や「家庭崩壊」「組織」「賄賂」「政治家」・・・など、どこにでもありそうなことをさらりと盛り込んで、読ませる。
2018年04月13日
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今年は桜の季節が駆け足で行ってしまいました。早く散ってしまった桜を惜しみつつ、源氏物語絵巻から取ったこの表紙絵が印象的な文庫本白洲正子さんの『西行』です。幹に対してちょっと桜の花房が大きすぎ、なんて写実的を言ってはいけません。桜といえば西行の「ねがわくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」だけではありません、というのが白洲さんの読み解き。漂泊、放浪の西行軌跡を歌に沿って追って自身も旅する。京都から吉野、熊野、東海、みちのく、果ては四国まで旅の紀行文のような趣。だけではなく、西行の心のひだに分け入るようなうたを次々と繰り出され「世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都離れぬ我身なりけり」「行えなく月に心のすみすみて 果はいかにかならんとすらん」西行が白洲さんに乗り移ったような鬼気迫る著書でもありました。といっても白洲さんの文章はシンプルかつ端正で、味わい深くございました。この著書をお書きになったのが、昭和ももう終わりという時代、ご本人78歳ころ。そのこともわたしには感じ入ることです。
2018年04月08日
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家ががら~んとなってくると、不思議なことに住みやすくなってくる。だんだんこの住処が惜しくなってきてしまったりしてます(笑)スカスカの食器戸棚、押し入れ、引き出し。大きな食卓テーブルやでかいソファーがない広々した床。どれだけいらないものに囲まれていたのでしょうかね。ところが見えない部分、物置から驚くほどいろんなものがでてきた。夫のものは赤ん坊の時からの結婚までの写真アルバム、小学校から高校までの通信簿、賞状、卒業証書、卒業アルバム。わたしのも同様。息子・娘の幼稚園から大学までの、全通信簿、卒業証書。低学年時代の絵日記。おまけに息子の預り荷物段ボール7個(これは本人に責任取ってもらわなきゃ)娘は全部処分してくれとのこと。えっ!卒業証書も捨てちゃうの、とは思ったけど・・・。わたしはまだ考慮中。夫は取っておく主義だろう。こいのぼりや兜。自分の水彩画の額多々、母の日本画の額数点、友人の油絵多々。人形ガラスケース、置物ガラスケース、飾り皿、花瓶の数々。もう飾らなくなったこういう古いものってほんとに困るね。しまっておくなら本物を、だよね、それなら売れる(笑)というわけで、昔なら2~3日で、いや1週間で終わるところをしずしずとやっているのでございます。
2018年04月06日
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実話でないけれど、太平洋戦争後、日本人がこんな風に暮らした、生きたということを彷彿させる、映画らしい映画でした。たぶんわたしより少し上の年齢(4歳上の夫ぐらいの)ひとたちがストリーのあちらこちらを「真実だ!」と思ったに違いありません。わたしたちの行ったのが平日だからか、その年配の人が多かったですね。一緒に行った夫が特に同感したと思います。夫は4歳のとき病気で父親を亡くしましたので、出征して亡くなってしまうこの映画のストーリとは違いますが、状況は同じ戦中戦後を過ごしたわけです。姑に話を聞かされているわたしにもそれがよくわかりました。というか、ほろ苦く思い出ながら・・・。篠原涼子演じる息子の嫁ほどぶっ飛んではいませんでしたが、似たり寄ったりだったかもしれません。あの混乱時代に男手なく生きる女親懸命で毅然としていたら、自然と独立独歩になりますね。息子にも厳しいのですよ。それを吉永小百合は賢く美しくうまく演じています。(姑も美人だった 口も達者で、厳しくて 汗)いじめ、布製のグローブの逸話など何度聞かされたか(これは夫)疎開していた田舎から農作物を担いで東京に売りに行った。(これは姑)再婚話があっても絶対に「否」というのも同じ(これも姑)そんな風に思い出しながら、身につまされながらも、映画の醍醐味を味わい尽くし、真剣に鑑賞させられたので、感動でくたびれたふたりでございました。「映写機壊れた事件」のリベンジは東京にしました。銀座「丸の内TOEI」東京なら他にもいっぱい映画館がありますからね(笑)感動というか、圧倒されてくたびれましたが、鑑賞後、交通会館のあの回転レストラン「銀座スカイラウンジ」で遅い昼食。はじめのうちはぼっーとしておりましたが、ランチワインで気付。実はこれ初体験なんです!(笑)古い古い元祖回転レストランなのにね。80分で一周、夜景がいいのですね。でも、昼間は高い新しい知らないビルディングばかり、銀座はよく知っているのに見知らぬ街になってました・・・。そのうち東京タワーも登ってみよう(笑)
2018年03月26日
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昨日は忙中閑ありで映画を見るとて映画館に出かけました。「北の桜守」チケットをプレゼントされたんです。回転寿司で腹ごしらえ、おいしいソフトクリームのデザートをすませ、いざ、「12:00開演」に備えてシネマホールへ・・・入場カウンターで「映写機の不調で上映中止、いつ再開するかわかりません」えっ!この時代にそんなことあるいのかい!昔ならフイルムが切れたとか、ありそうだけどもね。怒りの払い戻しにはなりません。非売品のプレゼントチケットですから(笑)というわけで帰宅することにもちろん田舎ですから1時間弱、車でいったところの集合商業地シネマホール。ところが行きはスイスイだったのに、大渋滞にはまりました。ラジオ情報や情報パネルをみると事故。片側海、片側崖の逃れるすべのない自動車専用道路です。2時間後、やっと片側通行で通り抜けると車同士がぐちゃぐちゃと壊れてひどいし、燃えた跡もあるような。事故された方にはお気の毒ですが、消防車、救急車2台が通りましたから。帰宅はもう夕方、散々な一日でしたよ。たくさん映画館にいらっしゃっているひよこさんに伺いたいです。映画館で機械が故障して上演中止になったことありますか?
2018年03月16日
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まあ~、まあ~片付け・整理って、どんだけ大変なことをやるんでございましょうかこんなことなら「片付かない実家」でいたいわなあそれで子どもたちに迷惑かけたいよ(笑)ということはさておいて近所の友人が先に引越しするので、いろいろもらってもらい、家具は少し減りました友人はその代わりに捨てるものが多くなりましたが~~でもまだまだ処分するものがいっぱい!整理していると書類というか紙類が以外に多いんですよ50年ですからね、何回かの過去不動産購入時のまであるのですからまた、アルバム類はどうしますかファミリーのもあるし、それぞれの卒業アルバムや親戚の結婚記念写真子どもたちの成人までのは電子テータにしましたが、モニターではなくて、わたしたちが焼きつけ写真になれているってのもあるしう~~んって、わけで読書はボチボチしているのですが、ブログまで手が回りません!
2018年03月08日
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シンプルに暮らす日常生活、究極の必需品はなにか?旅行に行って泊まることを考えればいいわたしなら、まず洗面化粧用具着換え読むものちょっとしたホテルなどの部屋を思い浮かべるベッド(寝具)小テーブル・いす冷蔵庫テレビ・ラジオチェスト(小ダンス)ごみ箱湯沸かしポット加えて生活に必要なもの炊飯器、電子レンジキッチン用品食卓と椅子衣類洗濯機、物干しあ、仏壇!残しておかないといけない書類(通帳など)贅沢品、うるおいになるもの音響設備 CD本(少々)趣味の道具(ゴルフ用品、絵の道具)アルバムそして出来るなら客用寝具少々上記究極の生活必需品を選ぶにあたって50年の生活を支えてきた家具調度品などの雑多なものが、なんと多いことか!引越しのたびに捨ててきたはずなんだけど、この最後に建てた家は押入れ、物入を豊富に作ってしまい、広さも充分にしてしまったので、バブル状態もいいところである。大型ソファ、小型ソファー、テーブル、6人掛けダイニングテーブル、漆塗りの大きな座卓、フカフカ客座布団・・・セミダブルベッド2台、両袖書斎机に革張り椅子・・・全部で60点余り・・・もらってもらえるものはあげて、売れるものは売って、あとは「居宅廃棄物収集許可業者」に・・・多すぎて困る不用品の上位3位は衣類本食器という調査もあるけれども、そんなものはわたしには簡単だった。50年の所帯を縮めるのは容易ではない。言っておくけど、うちはゴミ屋敷にはなってないのよ。
2018年02月23日
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副題「新撰組 篠崎泰之進 日録」葉室麟さん去年の12月にお亡くなりになってしまいました。実は本の貸借する友人が好きで読んだのを貸してくれるのと、夫が作者初期の頃好み、家に本があったりで、かなり読んでいます。(たしか、わたし葉室さんはもういい、といったような 笑)でも、もう作品は増えないのですね。司馬遼太郎さんような強い個性ではなく、臭みがないというのでしょうか、さわやかな人間観察なのにちょっとおかしみのある描写、真摯な筆はこび。この本の解説(朝井まかて)によると葉室さんも司馬さんに啓発を受けていらっしゃったそうです。「新撰組」という、映画に芝居に超有名な幕末の組織を近藤、土方、沖田というお決まりの登場人物が中心ではなくて、組織が瓦解する後半を篠原泰之進という人から見ています。あの幕末はほんとうに混とんとしていたのですね。武士社会が崩壊して、農工商の人々が武力修行して台頭できる世界。でもそれは弱肉強食、邪魔者は殺して自分が生き残るっていう世界でもありました。新撰組はそのモデルのような組織で、思想などあってないようなもの、結局権力欲に収れんし、崩壊の憂き目を見るのです。新撰組はちょっとアウトローな組織、と思ってましたが、幕末に一つの役割は果たしているわけで、作家が描きたくなるのも、もっともとわかりました。
2018年02月22日
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ひとつ前のブログに書いた「なんとない不安」っていうのは結局のところ、「介護はしたくないなあ」という自分本位のエゴなのである。親の介護もつらいし、夫婦介護もつらい。その大変さがまず頭に浮かんでしまい、避けたい、やりたくない気持ちなのである。親は子より先に老いるし、病気になる。夫婦もお互い様、老いが来るし、いつ病気になるかわからない。「健やかなるときも、病めるときも、ともに・・・」う~ん、わかっちゃいるけど、つらいことは嫌だ。さんざんこれまでに日常の面倒を見てきたと思う。それを「もっとやれ」ということだ。本人は「しれっと」しているにくさ。度量がないけどね、不公平が嫌いなんだ。とは言っても夫婦を全うしたいなら、やるっきゃない。ならば、出来るということを幸せに思って、喜んでやりなさいということ。
2018年02月20日
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『渡良瀬』にすっかりはまって、続きのような(私)小説を読む。前作は冷え冷えとした夫婦関係が印象的で、小説を彩っていたと同時に圧倒された。ところがこの『還れぬ家』によると、その後、主人公は離婚したのだった。新しい妻を迎えて、この度はなかなかいい関係なのである。(私小説だから前作の続きすると)「えっ!」しかも、若いときに家出した生家は父親が心臓病と認知症がからみ、母親が困窮している。それをこの夫婦は助けているのである。妻にとっては苦労と思いきや、妻は賢く、和気あいあいと、協力しているのである。「ええっ!こういう展開?」と考え込んでしまうが、人間味にあふれその描写が妙に好もしいのでもある。時代設定が2009~12011年、舞台が仙台なので東日本大震災にも遭遇する苦難もある。ほんとに私小説というよりも実録のように思ってしまう。とにかく私小説であって私小説でない気がますますしてくる。もちろん、文学であるわけで、普遍を描いている。だから私小説であるということは関係ないのである。筆力の凄さなのだと思う。
2018年02月17日
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夫の様子に認知度低下の疑いが・・・。例えば薬を服用したばかりなのに「あれっ、ぼく、薬飲んだっけ?」食事が終わって果物などを食べたばかりなのに「デザートは?」これなんかわざとぼけてもっと食べたいのかと思わないでもないけど(笑)もうだいぶ前からおなじ話を繰り返すのは気が付いておりました。思い出話の繰り返し、話が回りくどい(話し上手で家族の定評があったのに)家電の使い方をすぐ忘れる。これもね、苦手なのはわかっておりましたけど、電子レンジは毎日の生活必需品ですよ。だいたいね、普通の家のだんな様がやるようなこと(機器関係、配線関係等)はわたしがやるんですよ。こないだも夫のガラ携帯が壊れたので保証サービスを受けたのですが、送って来た機器への交換は(ショップ店員よろしく)わたしがするんですよ(笑)予定を何度もわたしに確かめる。手帳に書いてあってもよく見ない。現役なら失業しますよね。わたしはブチ切れて言いますよ「いいかげんにして!もっと緊張感を持って生活してね!」その直後は一旦、治ります。もしかして確信犯?まあね、80歳ですからこんなもんかもしれないけど、わたし「地底から湧き上がってくる不安な気持ち」が・・・そんな気持ちがしてくるのもほんとうです。なのに運転免許書き換えでは認知症検査も実技も通ってしまった!(もしかしてその検査、信用ならないのか 笑)ま、もうすぐ東京が主の生活になりますから、車がいらなくなりますが・・・。いよいよ老々介護の始まりかな?ちなみにわたしはよくウオークインクローゼットの照明電気を消し忘れるのですが、それを見つけた時は「だめじゃないか!」と鬼の首を取ったように言います。
2018年02月16日
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イワン・イリイチという裁判官が死んだ。その知らせを受けた同僚たちが、それぞれいろいろのことを考える。「空いた席に自分が昇進するかも」「その席を親戚の若い者に紹介できるかもしれない」「いや、席がずれて空席に自分が入れるかも」・・・イリイチの死を悲しむのではなく自分の都合のことばかり。同僚が弔問に訪れても、イリイチ家において未亡人すら現実的なのだ。お葬式の段取りだ、やれ手続きだと悲しんでいる暇がない。そして夫人から夫の死の苦しみを聞いて同僚の男は恐ろしくなったものの、それは自分じゃないのだと思う。「死は必ずやってくる。しかし他人の死はこわくない」あげくにあろうことか夫の死に際しての年金額を吊り上げるにはなどの相談も、しかし夫人がすでに調べつくしていることを同僚は見抜いてしまった・・・。何たるむきだしのエゴとエゴ!つまりトルストイが人間のエゴを、近代文学世界のレベルに乗せたのであって、なんとまっとうなしかし普遍的な気付きではある。先日のブログ「伊藤整『文学入門』より抜き書き」で「読んでいなかったか」と気になったトルストイの小説。なにしろ、伊藤整が人間のエゴをこれでもかと描き出すこと近代文学のお手本のような小説と挙げているし、光文社古典新訳文庫から新訳も出ていることだしと。『イワン・イリイチの死』は短い小説。この文庫には『クロイツェル・ソナタ』併収されてあり、これは若いころ読んでいたのだが、ストーリーをまったく忘れてしまっていたことがわかり、それも新鮮な驚き。トルストイの小説ではやはり『アンナ・カレーニナ』が印象深すぎということかもしれないし、『イワンのばか』や『人は何で生きるのか』などの寓話の方に気を取られたのある。近々(と言っても約10年前だけど)読んだ『戦争と平和』にも圧倒されている。(ところで、わたしの『あらすじ戦争と平和』のブログページ、アクセスがいつも多い、不思議だ。)『クロイツェル・ソナタ』「夫婦喧嘩にしろ、夫婦円満にしろ、夫婦間のずれはある」というこれも夫婦の普遍的事実小説で(簡単にまとめて、ちょっと乱暴だが)感想はまた今度。
2018年02月11日
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どこまでも私小説風だし、起伏あるストーリー運びでもないのに一気に読めてしまう不思議な小説。仇やおろそかには読めない文芸作品というか・・・。知らなかった!佐伯一麦さんの作品。たしかに若い頃はあのだらだら感が我慢できず私小説が嫌いで、世界文学を好んでいたのだからっていうのもあるけれど、佐伯さんは昔の作家ではない。年経て、私小説だってよく読み込めば文芸世界なのだとわかってきているし、文芸雑誌を読むほどにはなっていないけど、小説読みとしては一丁前のつもりだったが、まだまだ。帯に「私小説系の文学の頂点と絶賛された」とあるから周知のことだったのだろうが。文学評はともかく、ある点について印象深かったことを。主人公南條拓(電気工)と妻幸子との凍えるような不仲の描写が真に迫って悲しく、その原因が夫の小説にあるというのが切なかった。子供の健康を考え田舎に引っ越しして、そのために転職の苦労をし、でも、自分の技術を信じ工場の歯車になりながらも、懸命に仕事をしてまじめに働き、ちゃんと一家を養ってなお、家事を手伝う模範的な夫。だけど、思いやりがないのではなく、思いやれないのだから。彼が自分の世界を持って、自分の到達点を目指して知らず知らずのうちにそこに閉じこもってしまう。到達点とは文学芸の世界、小説の成功を願う。そしてその「私生活=実生活の文芸化」を書いて、その小説が傑作になり、小説家として成功する。でも描かれた家族・・・小説家の妻やまわりはやりきれないこともあるだろう。私小説家って因果な商売、あな恐ろしい。
2018年02月06日
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伊藤整の『文学入門』で取り上げてある近代小説のうちのこの本を読んだ20歳のころは未読で、そのうちに読みたいと思ってメモした書名田山花袋『蒲団』(1907年)トルストイ『イワン・イリイチの死』(1886年)ドストエフスキー『罪と罰』フランツ・カフカ『変身』二葉亭四迷『浮雲』D・H・ロレンス『チャタレー夫人の恋人』谷崎潤一郎『痴人の愛』『卍』『武州公秘話』夏目漱石『明暗』『こころ』『則天去私』森鷗外『渋江抽斎』(1916年)『伊沢蘭軒』(1917年)宮本百合子『播州平野』(1946年)『道標』(1947年)志賀直哉『城崎にて』堀辰雄『風立ちぬ』(1936年)尾崎一雄『虫のいろいろ』(1948年)梶井基次郎『ある崖上の感情』(1928年)島木健作『赤蛙』(1946年)徳田秋声『仮装人物』(1935年)横光利一『機械』(1930年)佐藤春夫『のんしゃらん記録』(1929年)川端康成『禽獣』(1933年)長い年月をかけて緑色が読了本になったが、もう一度『文学入門』を読む前にその他未読本をなくしたい。こうしてみてみるとわたしの近代文学を読む動機がわかってくる。*****実は18歳から始めた簡単な「読書ノート」その赤いタータンチェック表紙のノート一冊目がもうボロボロ、バラバラ。散逸する前に自分用にブログにしといてもいいかなと思って。見開き左ページに縦罫線を引き、「書名・作者・読了日」と簡単に記録右ページは余白にして、その時々の読本に関係したことを記してきた。感想はほとんどないけど、それをしていたら76歳まで続けられないからね。去年の11月19日のブログ世界近代小説五十選(桑原武夫)と11月28日のブログ『キュリー夫人伝』もそのメモを基にしたもの。
2018年01月31日
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大雪が降ったすぐ後に東京で一週間過ごしましたが極寒、その冷凍庫状態に参ってしまい、すっかり風邪をひいてしまい散々でした。もちろん室内は暖かいのですが、原因は乾燥。コンクリートのマンションはしばらく住んでいないとカラカラに乾くのですね。と、ちょっと風邪の症状を軽視してました。こちらに帰ってきて熱が37.3度ほど出たので念のため、先ほど医院に行ったら、が~ん「インフルエンザ B型」とすぐわかりました!くすりをたくさんと、外出禁止令が出てしまいましたよ。おかげで、閉じこもって本はよく読めますが、要件が片付かないのでは困りますね。その点ネットはいいですね、うつしませんから。*****さて、タイトルの本について前にも書きましたように司馬遼太郎さんの歴史文学を読むと、他の方の歴史文学が「あれ?違うよ」と思ってしまう影響がありました。世間でも「司馬史観」といわれ、インパクトの強い個性的な作家の定評です。この磯田さんの新書『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』はそれを読み解いてくれます。司馬遼太郎さんは膨大な歴史の資料から独特の歴史を作った作家だということです。しかし、「司馬遼太郎を読めば日本史がわかる」というのは、半分は正しくて、半部は間違いです。(P5「はじめに」より)当然ですね。作家ですから想像力たくましく、そこに個性が照射されてお書きになったのですね。その個性というのが、司馬さんの戦争体験(太平洋戦争)で暗い青春を送った昭和の初期時代の記憶が色濃く影を落として、「どうしてそうなったのだろう」という疑問から明治維新期、そしてそれよりまえの戦国時代に起因を求めてさまよったのが司馬さんの文学になったという、磯田さんの読み解きです。そして司馬さんは昭和の時代戦争に突入していった歴史ものはお書きになれず(ならず)、遺言のようなものを「21世紀に生きる君たちへ」という文章で「小学国語6年下」(1989年大阪書籍)にもう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして”たのもしい君たち”なっていくのである。と書いて1996年21世紀を迎える前にお亡くなりになったといいます。あたりまえのことですが、明治維新期の無私の心で日本のことを考えた人々の史実からさぐりだされたのでしょう。それを考えると重みがあります。この本を読まなければ小学生向けの教科書は知らなかったと思いますので。
2018年01月29日
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歴史に名を遺した人物像を描くには、どのような作家がいいのだろうか?と、つらつら考えてしまう読後感であった。林真理子さんがうまく描けていないのではない。むしろ、そつなくわかりやすく読みやすかった。ただ林真理子流のつぼというか、らしさというかは感じられなかった。現代小説でのくすぐられるようなおもしろみがないのは仕方がないのか。歴史上の人物を描くこと、その人物に寄り添って、とくに女性ではわかりにくい人物を描くのは難しいと思う。ところで、わたしはこんなことも思った。いくら天才でも「こんな人、わけわからん」と思えるような人物だね、西郷さんてのは。でも、おおぜいの日本人に好かれているのでしょ。*****いち早く大河ドラマが始まる前に読んでしまった友人が例によって貸してくれたので、興味津々だったのだけど。
2018年01月21日
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だいぶ歳とっていろいろとわかってきたなあと思う。もちろん、わたしの能力の範囲内のことで、広汎に通用することではない。そのわかってきた範囲内で、まだまだ努力が足りない、能力を発揮していないと思うことがある。それとも能力がないのか?と落ち込むときもある。それは一日の過ごし方に現れる。朝、5時半起床、体重測って、仏壇のお水を変えてお線香を立てる。キッチンにて生野菜サラダを作る。(レタス、水菜、タイコン、ニンジン、コーン、キュウリ、玉ねぎ、バナナ、トマト、干しレーズン、ハムの等々を千切りし自家製ドレッシングで)顔を洗い、パン・牛乳・ヨーグルト。お茶の朝食が6時になる。ところが顔を洗う湯でプロパンガスが使えないというハプニング。ま、飲む湯は電気ケトルだし、トースターに電子レンジだから朝食には差支えなし。なんだが、そして午前中はガス屋さんとの応対になって時間が過ぎたのだった。結論から言えばガス欠による不具合らしいとわたしは思っているのだが、業者の説明は釈然とはしなかった。いい加減で手打ちにしてしまった(笑)知識の不足を思う。だけども、時間も惜しい。その間に洗濯・掃除。10時半の昼食が遅くなって11時になる。卵焼きに小松菜のお浸し、盛りそば。12時から車にて運動公園に。ウオーキング30分、5000歩。その後、本日は食品買い出しで商店街に。2時帰宅。3時半までPCと読書。3時半から夕食の支度、4時頃夕食、(懇意の魚屋で刺身盛り合わせを作ってもらったので今夕は簡単、でもスパークリングワインを開けてしまったのでちょっといい気分かも 笑)片づけを終わり、今こうしてブログを打っている。ま、今日は出だしはトラブったが無駄はないような。とにかく時間が惜しいと思う気持ちが強くなった。なーあんにもしなかった!(本だけは読んだけど)と、思う恐怖は日々追いかけてくる。戒めなら良いが、一つ間違うとなにやらややこしいような。
2018年01月18日
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ミステリー仕立ての警察もの。いわゆる孤島密室のハードボイルド風推理小説。大沢在昌氏の作品は『新宿鮫』で強烈な印象があり、次は何を読もうかなと物色中、新中古店で購入のを読んだ。外と遮断されている不便な島で事件が起こる、ってのは横溝正史さんだけではなくミステリー作家が一度は挑戦なさるので、平凡さは否めない。ま、ぜいたくを言ってはいけない。ストーリーが緻密であるし筆力があるから面白くて一気に読んだけどね。東京都の南海遠くの離れ小島、占領していた米軍から最後に返還された島という設定。そこへ警察を辞めた男が「保安官」として臨時雇いになる。この「保安官」を設定する島の役場がふるっている。いかにもアメリカン、けん銃片手に何か起こりそうではないか。南の島といっても人口900人の村社会。色欲、物欲、権力欲。島という狭い世間を渡るにゃ、うまーく調子を取って、丸く収めて知らぬ顔 。よそ者は最初からはみ出ている。事件が起こっても、情報(うわさ)が回るほどには真実が現れない。そこで正義の味方「保安官」の犯人探しが始まるわけである。パンドラの箱を開けるように、次々と意表を突く展開ではなくて、人間の営みがパンドラの箱のようなものだというのか。
2018年01月15日
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今再び話題になって読まれているのはうれしい。わたしは前にもアップしたような気がしていたが、それは2004年のお正月に読みたくなるという、ただ書名をあげただけの内容だった。それでこの小説にまつわる思い出を書いてみる。この小説を知ったのは中学二年(1956年)の国語の教科書。コペル君がお豆腐屋の同級生が兄弟の子守で学校を休むことに疑問を感じることや、豆腐屋の手伝いで手が真っ赤だったことで、いじめなどを見聞きしたり、そんな悩みを抱えるコペル君が、おじさんに(お父さん代わりの)デーパートの屋上で人間の営みについて教えてもらう場面が印象的だった。ちょうど、わたしは東京に転居・転校して、当時でも都会の人の多さに驚いていた時期でもあった。特に、デパートの屋上から見る人間の小ささと動きに哀愁のようなものを感じたのであった。なぜか、これからだ!という希望も幼いながら感じた。それから急に大人になったのだけれども・・・。教科書の一文も生徒におおきな影響を与えるものだと、後に思う。原作をすっかり読んだのはもう中年(1980年代)になってからだが。その時も何か話題になったような、貸してほしいという友人が何人かいたのを覚えている。たびたびブームになるらしい。そして今回。どうやらマンガになって知られたらしいが。なぜ思い出したかというと、新しく始まったTV朝日のひるおびドラマ「越路吹雪物語」を見ていて、転校したためにいじめられたり、家のために手伝いをしなければならない同級生の友達が学校を休んだりするのに同情したりと世間を幼くも経験する、そのドラマを子役がうまく演じていたので、思わずほろりとして。まあ、世の中そんなに甘くないんだけれども。そんなことは後になって(大人になって)知ればいいい。
2018年01月13日
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2017年に読了したのは58作品。そのうちの23作品は友人から借りた本。残りの35作品は自分が新規に購入したり、積読本だったりしたもの。遠いということもあり、去年は図書館には行かなかった。友人から借りた本(23)友人が読んだものを回してくれるのだ。良い点はわたしが選ばなかったような本があり、興味そそられる。困る点は友人の選んだ本を読んでいると、私の選んだ本を読む時間が減ってしまうこと。借りたものを全部読まなくてもいいではないかと思うが、今のところ全部読んでる。今回こうして分類してみると友人の読書傾向がわかるのは面白い。時代物(11)『井伊直虎 女にこそあれ次郎法師』梓澤要『山吹の炎 更紗屋おりん雛形帖』篠綾子『黒幕』池波正太郎『峠道』上田秀人『海の祭礼』吉村昭『赤猫異聞』浅田次郎『おごそかな渇き 他短編』山本周五郎『花も刀も 他短編』山本周五郎『正妻 慶喜と美賀子』林真理子『似たものどうし』北原亞以子『利休の闇』加藤廣現代小説(3)『北斗 ある殺人者の回心』石田衣良『悪医』久坂部羊『女のそろばん』平岩弓枝エッセイ&解説書(9)『九十歳何がめでたい』佐藤愛子『京都ぎらい』井上章一『薬のやめどき』長尾和宏『夏目漱石』十川信介『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行『「暮らしの手帖」とわたし』大橋鎭子『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』ケント・ギルバート『痛くない死に方』長尾和宏『本当は怖ろしい韓国の歴史』豊田隆雄山本周五郎はすべて読んでいるので再読になったが、もういいということはないのである。と再確認した。わたしの購入本&積読本(35)どうも積読本の消化のようでもある。それにどうしても古いものに手が出る傾向。今年はもう少し現代の活きのよいものを読みたい。現代小説(9)『ファミレス』上下重松清『ビブリア古書堂の事件手帖7』三上延『コンカツ!』石田衣良『蹴りたい背中』(130回芥川賞) 綿矢りさ『スティル・ライフ(』98回芥川賞)池澤夏樹『ホロスコープ物語』森瑤子『セブンデイズ イン バリ』田口ランディ『わりなき恋』岸恵子『失われた眠り』南部樹未子時代物(1)『刺客請負人』森村誠一もはや古典名作 一定の評価があるもの(5)『楡家の人々』(第一二三部)北杜夫『海市』福永武彦『岬にての物語』三島由紀夫『月山・鳥海山』森敦『箱根山』獅子文六エッセイ&解説書(4)『三浦半島記』司馬遼太郎『文庫解説ワンダーランド』斎藤美奈子『歴史再検証日韓併合ー漢民族を救った「日帝36年」の真実』崔基鎬(チェケイホ)『朝鮮と日本に生きる ー済州島から猪飼野』金時鐘外国文学(16)古典少女文学(5)『若草物語』L・M・オルコット『続若草物語』L・M・オルコット『第三若草物語』L・M・オルコット『第四若草物語』L・M・オルコット『パットの夢』 モンゴメリミステリー&ハードボイルド(7)『ポアロのクリスマス』アガサ・クリスティ『アメリカの友人』パトリシア・ハイスミス『バーニング・シーズン』(6) サラ・パレツキー『スズメバチの巣』パトリシア・コーンウェル『業火』(9)パトリシア・コーンウェル『警告』(10) パトリシア・コーンウェル『審問』(11)(上下)パトリシア・コーンウェル世界名作&文豪(4)『北の愛人』M・デュラス『牝猫』コレット『最初の人間』カミュ『八月の光』フォークナーさて去年のベスト3は『八月の光』フォークナー『三浦半島記』司馬遼太郎『利休の闇』加藤廣次点『夏目漱石』十川信介『文庫解説ワンダーランド』斎藤美奈子番外編(こだわりの好み)は『若草物語』L・M・オルコット『続若草物語』L・M・オルコット『第三若草物語』L・M・オルコット『第四若草物語』L・M・オルコット
2018年01月12日
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