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この写真、どこだと思います?東京駅、歌舞伎座や三菱ビルディングのようにの由緒ある建物を保存しながら、後ろに近代的な病院のビルディングが聳えている形態ですね。実は、昨日ワクチン接種をしてきた御茶ノ水のJ大学病院7号館、接種会場なのです。前に流れている神田川の並木とあいまって、喧騒の東京とは思えない別世界の雰囲気でした。この神殿のような(おおげさ)玄関が、古色蒼然としていた昔も45年前わたしが「網膜剝離」で失明するかもしれないと、眼科で有名なこの病院に入院して、寝たきり状態で苦しんでおびえながら手術を受け、治療に耐えたところの病院だったのです。今と違ってレーザー光線治療がないそのころの治療法は、過酷でしたから苦しかった。それに幼い息子と娘と離れて入院しなければならない切ない思い出の病院なので。さて、おかげさまでそんなことも忘れるほど眼病は完治しまして病院にももう何十年とご無沙汰していてその隣の国立病院には治療手術(こないだね)なぞお世話になっているのにその先に足を延ばしていなかったので、しばらくぶりに遭遇したその変わりように驚きました。優雅で立派になった面影のある外観の病院玄関、それと当時の苦しさが一気に渦巻いてきましてね。感傷的追憶体験でございましたけどそれはこうして読書ブログをやっていられるほど視力が回復した感謝の気持ちでもありました。ワクチン接種注射そのものはみなさまのご感想通り、普通の予防接種と同じ翌日の本日は幹部の痛みが少々、それも時間とともに薄れていっておりますよ。神田川沿いの並木と向こうに見えるのは国立病院。ほんとにこの辺りは別世界の様子でございます。けれども、少し離れたJR御茶ノ水駅のそばのお茶の水橋付近はやっぱり排気ガス蔓延の騒々しさがあふれているのでありました。
2021年06月22日
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副題「心に残るロングセラー名作10話」という絵本です。「泣いた赤おに」「むく鳥のゆめ」「りゅうの目のなみだ」「ますとおじいさん」「花びらのたび」「ある島のきつね」「よぶこどり」「子ざるのかげぼうし」「光の星」「たぬきのちょうちん」実は小学低学年のころに読んで、ながく忘れられないひろすけ童話「花びらのたび」のことはずっと前にアップしました。ふと思い出してそのブログを読み返してみると、ものがたりをうろ覚えで書いているので本物はどうなんだっけと、またぞろ気になって正式に読んだというわけです。2006年4月1日のブログは花びらが散っている季節に感傷的に思い出したんですかねえこんな風です。さくらが散ってます。地面には花びらの山ができてます。早朝。ひとひらの花びらは川の中へ飛んでいきました。川の流れに身をまかせ、流れ流されて旅をしました。黄色一面の菜の花が「こんにちわ」「こんにちわ」小鳥が空で歌い「どこいくのー」昼どき。野原で牛がのんびり「モーゥ」子供が鏡で「ピカリ、キラリ」夕ぐれ。海が近づきごうごうと音が。青ざめた花びらは「あ、」と一声、沈んでいきました。---------小学校も低学年に読んだ童話。手元に本がないのでかなり創作したが。最後のところで子供心に死をイメージしましたね。印象深いさくらの花びらのイメージです。日本のアンデルセンといわれた浜田廣介(ひろすけ)。他にも童話がある。いまでも読まれているのだろうか。で、さっそく「花びらのたび」から読みました。ストーリーはもうすこし複雑でしたわよ!花びらがもう河口近くに流れ着いて、ながく川のたびをしてきたものがたりを河口付近の小魚に語るというしかけだったのです。わたしが子供心に「ピカッ」と光ったところの強烈な印象だったものは童話の中では花びらがまだ木にいるときにうつらうつらしていて、農作業の人が担いでくる鍬の刃がお日様にピカリと光ったのを見たのでありました。また、花びらは川に散って、すぐに落ちたのではなく舞散って、蝶のようだと嬉しくひらひらしているうちにすずめにくわえられて、川まではこばれたのだと。そんな風にものがたりは変化に富んでいました。ま、子供の記憶なんてそんなものですね。でも、最後、強い印象を与える大団円には違いありませんでした。赤い太陽が、海のはてに、もえていました。海も、まぶしくもえているかとおもわれました。けれども、どれが海か、空か、花びらは、見わけることができませんでした。ただぼんやりと、ひろいところに出たことだけわかりました。そうして、そのまま、花びらは、目をとじたのであります。(84ページ)*****ところでわたしが前にブログをアップしたのが2006年4月1日この絵本の初版発行が2006年7月1日いまでも読まれているのだろうか。と言っていたわたくし、そのころ全くきがつきません、知りませんでした。次に読んでアップするハルキ文庫『浜田廣介童話集』も初版発行日は2006年11月8日。こんな偶然ってあるかしらん!!
2021年06月19日
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昔読んだときは気にしなかったが、この小説「日本推理サスペンス大賞」受賞作だった賞金1000万円!大賞受賞はともかく、金額にびっくり再読したこの古本のハードカバー本末尾に募集要項が出ていましてバブルだったのじゃないかしらん、時代もそうだったし、隔世の感ありですこの賞はもうありません、5~6回で打ち切られてますねそりゃそうでしょ このサスペンスにとんだストーリ展開は面白い力作(出世作)だけど携帯電話も普及していない平成色豊かな作品になってしまったというわけで、スマホなどがあればどうなっていたか、最近読んだ『冷血』そうなんだけどと、やくたいもなく思ったりして、、、20数年まえにこの本と『リビエラを撃て』から高村薫さんにはまったのですが高村さんのロマン結構が好きで、けっこうたくさん読んでいるのです
2021年06月15日
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若きチェーホフ、雑誌、新聞に短編や雑文を書きまくってモスクワ大学医学部学費や家計をささえたその数は7年間で400編!数で言うなら日本の星新一さんのほうが多いのではとは思うが生活がかかっているアルバイト、それで文学修行してしまったのだという後世に残る名戯曲を成功させたというのだから、何がきっかけになるか医者にもなったし、いい人生と思いきや無理が祟ったのか、44歳という若さで亡くなってしまったのが惜しいし、哀しいけどさてさて洒落てるお話、ユーモア小話、皮肉な話、ゾッとする結末、クスッとする1編この文庫本にも65編も収録してある10年前に読んでいるのだけど、初めて読むみたいなのにまたまた、読むそばから忘れるのよねそれでいいんでしょ
2021年06月10日
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「面白くて怖くて夢中に読める」と自家薬籠中の物にしていたクラーク本の第二弾。わたしがハマった最初のクラークの作品でありまして30年ぶりに再読すもちろん細かいところは忘れていましたから「面白く、怖く、夢中で読みました」しかし、しかしですあれれ、偶然が重なりすぎなんじゃない?そうですご近所に住んでいて知り合いの人が、元弁護士で隠居仕事に昔のナンシー・ハーモン事件を調べていたとかナンシーの亡くなった母の友人が精神科医で事件に乗り出すとか都合よすぎますよ。と、これって二度目に読む余裕なんでしょうね。で、余裕の夢中読書でも、やっぱりその深層の闇は考えさせられましたヒロインのナンシーが知らず知らずのうちにはまってしまう異常の夫婦関係。今ならこのような独特な心理解明のスピーディーな展開の本はたくさんありますけども、30年くらい前(初版1975年)の時代には少なかったからいえ、はしりだったように思いますから、印象深かったわけです。しかし、もう古典なのかも私の持っているのは新潮社の文庫初版本(1980年発行)いまのところ、その文庫しか古本市場にはありません。カバー裏にバーコードがありません、新中古書店ではもう引き取ってくれませんよもちろん個人通販すればいいのですね、しませんけど 笑
2021年06月06日
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「高台の家」「獄衣のない女囚」の中編二つ再読、この前の時は「獄衣のない女囚」が面白しろかった記憶があり、今回は「高台の家」の方が興深かった。解説者森村誠一氏の文章で「ストーリーに入る前の薀蓄が長いので、たどり着くときには脱力してしまうかも」と言ってらっしゃるようにプロローグが饒舌だ。主人公がその「高台の家」になぜ行くようになったかと「東洋史」の薀蓄、その家があるのは東京のどんな屋敷町か、そのお屋敷の形、周りの雰囲気等々、微に入り細に入りだ。しかし、清張好きにはその長い清張節が何ともたまらないということをあらためて思わされた。それともうひとつは懐かしの昭和の風景に、昭和期を過ごしたものにとっては、どっぷりと浸かれるのもうれしい。「高台の家」雑誌掲載は1972年、「獄衣のない女囚」雑誌掲載は1963年、ここがポイント。「獄衣のない女囚」は女性専用のアパートメントが舞台。古いアパートの部屋代が8千円、そこへいくとこの小説の女子公営集合住宅は6千円だから、3~40代のベテラン独身女性会社員の給料が3~4万円、電化商品や家具を揃えて優雅に暮らせるのだが、「女の楽園」ではなく「女の牢獄」かも、というストーリ展開。などと数字を読むだけでも懐かしいのは、わたくしだけかな 笑【中古】 高台の家 PHP文芸文庫/松本清張【著】 【中古】afb清張ミステリーの特色は、こんな悪いやつらが本当にいるのかとおもいながらも、等身大に描かれている登場人物に、ふと身の回りを見まわすような現実味があることである。(中略)現実は事実の中に噓がいっぱいはめ込まれているが、小説は虚構の中に、人間や人生の真実が鏤められている。上はこの文庫の解説者森村誠一氏の文章、このPHP文芸文庫は1979年の文春文庫を底本に2011年に出されたが、その時に森村氏が書き下ろした解説。清張ファンを自認するだけあって素晴らしい読み取りだなあと、ご本人も大作家なのに失礼を顧みず言ってしまうよ。松本清張は戦後の昭和と共生したような作家であった。という森村氏の言葉、大いにうなづいた。
2021年05月31日
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紀伊大島の網元のわがまま娘道子は、19歳の青春を出自のことで悩み、その思いに浸っていた、というプロローグ。太平洋に面した大島の風荒い気候風土の描写がいい(「大島」)、そして大島対岸の串本古座に話が進む(「聖餐」)。うん?紀伊大島?「ここは串本 向かいは大島 仲を取り持つ 巡行船・・・」わたしでも知ってる有名な宴会歌「串本節」の島、有名な潮岬、行ってみたい旅先でもあるし、気候風土を読むには趣があるが、ストーリー展開がさすが中上健次節、とてもとても濃いものであった。「大島」の章、まず最初は道子という女性(というより娘)の描き方に「そんな風に描いてはセクハラっぽい」などと辟易した。しかし「自分はどこからきたんだろう、何なんだろう」と悩む姿は青春永遠のテーマであって、殻(島)を飛び出す道筋には圧倒される。二章「聖餐」の方が長い。対岸の地で出奔した母親の跡姿を追っていくのだが、そこは「路地」という場所で、よそ者の道子は複雑な関係に巻き込まれるとになり、中上健次のテーマ、被差別部落や複雑な血縁関係が描かれる。悪徳と思われる展開なのだが、むしろ闇の中の真実に昇華されていくのがあらためてすごい文才だと思った次第。ここは串本 向かいは大島仲をとりもつ 巡航船アラヨイショ ヨイショヨイショ ヨイショ ヨイショここは串本 向かいは大島橋をかけましょ 船ばしをアラヨイショ ヨイショヨイショ ヨイショ ヨイショ潮岬に 灯台あれど恋の闇路は 照らしゃせぬアラヨイショ ヨイショヨイショ ヨイショ ヨイショこののんびりした雰囲気がぶっ飛んだ読後であった。中上健次集(8) 紀伊物語 [ 中上健次 ]わたしはたまたま初版の単行本を持っていたのだけど、この本高いですね古本がありました↓【中古】 紀伊物語 集英社文庫/中上健次【著】 【中古】afb
2021年05月27日
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さすが今回の大量放出にてワクチン接種予約完了。ま、打ってもらうのは一か月先ですけどね。なぜって、朝9:00ぴったりにアクセス開始、案の定集中待ち、ウオーキング時間となり外へ1時間半、帰ってきて昼食用意の片手間アクセスではスムースにいかず、昼食時間のだらだら(お昼の食事が我が家唯一の晩餐で、アルコールもはいって)過ごして、家事のあれやこれやで、やっと夕方アクセスに成功、取れた予約時期がすっかりお遅くなってしまったというわけです。その後の「いきなり情報」で防衛省は大手町での「大規模接種の予約」がありましたけど、考えてみれば「様子を見てから接種したい」と思っていたのですから、ゆっくりとでよかったわけで、取り直すということはしませんでした。面白いというかなんというか、娘と息子が「とれたか?」と心配してくれたこと。TVでやってましたね、代わりに子や孫がとってくれたというニュース。「あんたらワイのちから知らんのんか、へへ」もちろん何回か電話してイライラしている夫の分もとってあげましたし。ところでだんな「あれ?お昼何食べたっけ?」と忘れがちなので、時々「シャカッ」とスマホで写しておき、お見せしておりますのよ。今のところ、食べたことは忘れないのですが、、、💦手づくりですけど餃子にシュウマイに焼き魚、って平凡なんかなあ。「だから忘れてしまうのか」毎度お気楽で小癪なひとをぼやく日々。
2021年05月22日
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むかし高校生のころに読んだのは普及版、今回再読は深町眞理子訳完全版。第二次世界大戦ナチスドイツホロコースト、ユダヤ人ゆえの迫害の苦しみを知るのはもちろん、同年齢ゆえティーン女の子独特の吐露日記がまぶしかった記憶。でも、あれ?完璧な自立志向のしっかりした女の子の日記になっているではありませんか。ま、それはまえがきや解説にあるように最初の発行時1947年(わたしが読んだのは1958年!)の時代性で、アンネのオリジナル日記には現代において当たり前のこと、十代における女性の体のことやセックスの興味について忌憚なく書かれていたのを省いていたのであったということ。また他に対するはっきりした批判や自己主張が激しかったのであったから。ほんとにしっかりした女の子のアンネ・フランク。思索のしっかりした組み立てなどは将来物書きになりたかったそうだが、なれたよね。「わたしのしの望みは死んでからもなお生きつづけること!」と日記に綴ったその通りに、短い人生がぎゅっと詰まった日記はやはり青春の読書本なり。
2021年05月21日
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このタイトルはうまいなあ。はッとさせられ、とても読みたくなった。話題の作家だそうだが未知の作家、読み始めて文章能力に感心する。この短編集の最後に「男の子になりたかった女の子になりたかった女の子」があり、それから読む。単なるジェンダーギャップの話ではない。「気が付くのがゆっくりだったもどかしさ」「でも、そのほうがよかったかも」という思い、これからも気が行けばいいのよ、と。生まれたときにはひとりの人間個人と思っているはずなのに、知らずに作られていく自分に気づいたときの納得。男の子の格好をするのが「男の子になりたい女の子ではない」ということ。11編、それぞれにいいけれども、特に「ゼリーのエース」「向かい合わせの二つの部屋」「斧語り」が好きだ。「向かい合わせの二つの部屋」古い団地のお向かい同士の二人、漢字は違うがユキさんと呼ばれるふたり。片や20代のカップル、片や40代の女性ひとり暮らし。この二人の暮らしはTVドラマや雑誌やわたしたちが見聞きするものそっくり、つまりカップルはトレンディで、ひとり暮らし女性はクロワッサン記事で、色々あって結局、二人は自分のオリジナルで生きていく、ああ、そうなるよね。なのに味が出ているこの味はなんだろう。
2021年05月15日
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あの頃(1980年代)の雰囲気が漂う小説ですね、女性たちが「妻」であることに憤懣や、やるせなさを思いながら、思い切っての飛翔は怖いとグラグラふにゃふにゃしている。つまり「妻たちの思秋期」や「翔ぶのが怖い」という言葉が流行りましたね。そのことを上品に(おぼろげに)かつ果敢に表したファンタジー小説かと。神話の天智天皇、天武天、皇額田女王の世界に題材をとりながら、隣家の男兄弟と兄を失い家付き娘となって婿を迎えた女性とのご近所での恋愛模様。それは神話の世界にもあるし、『嵐が丘』にもあるし、古典的なみやびの世界でもあるので「谷崎潤一郎賞」というのもむべなるかな。*****「秘蔵本にしようかな」ある読書好きからいただいてきたこの本は、未読のまま永らくしまってあったのです。いよいよ読もうと、箱から取り出して蠟紙をはがしたらなんと贅沢な装丁とおどろきました。まるで紬のようなえんじ色布が表紙に貼ってあって、とても凝ってます。扉を開ければ藍色の中表紙と栞の紐も同色です。お値段は当時(1982年6月初版、83年1月8版)1300円、調べたら今はこの布だけでも1000円以上しますね。本がこういう風情があった時代が懐かしい。
2021年05月11日
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名作未読の一冊。160ページの薄い本で半日足らずの一気読み、息詰めて読んだからか頭がズキンズキンと痛くなってしまったのだった。名にたがわぬ重厚な作品。ぼんやり大男と小粒のピリッとした男の組み合わせ、カリフォルニアの農場を転々として働く二人は友情ならぬ助け合いや思いやりで離れがたい。スタインベック描くこの二人の人間関係は、緻密な風景背景描写と相まって人間のいとなみの奥深さを感じさせる。滑らかな大浦暁生氏訳も素晴らしい。力ばかり強くて頭の弱いレニーの愚かな行動は、胸震える痛ましさ。彼を見守るジョージの温かさは人間捨てたものではない思わされる。農場に雇われている黒人の孤独や農場でけがをして身体障害になった者の悲しみなどが、二人を取り巻く。威張りちらす農場の親方の息子が登場して事件が起こる。そして結末がアメリカらしいというか、銃なのがたまらなく重かった。
2021年05月08日
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イギリスはコーンウォールの原野に建つ元宿屋の館「ジャマイカ・イン」は、建物も住む人も禍々しく謎めいていた。若き女性が孤独の身となって、叔母が住むその館に頼よるしかなかったのだから、叔母が息も絶え絶え、叔父が荒くれ男で、災禍がおこるのもやむなし、けれども自立心の強い女性であるゆえ、危険がせまっても、冒険をせずにはいられない、避けられない。なるべくして謎と暴力との目まぐるしい展開になるのを、息もつかせず読まされるのであった。コーンウォールの荒々しい風景描写と心理描写が巧みでグッと引きつけられ、設定は19世紀なのに現代をも彷彿させる困難な女性自身の自主独立へのあがきは心強いものがある。『レベッカ』の嫋々としたサスペンスとは違う面白さ、ローリングプレイング的の痛快さ。お馴染みモーリアの「館もの」なんだけど『レベッカ』の「マンダレイ」といい、この「ジャマイカ」といい、館のネーミング、今は昔だけど、さすがは世界に進出したイギリスらしいよ。
2021年05月05日
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周五郎新潮文庫版短編集、木村久邇典氏解説には周五郎の短編ジャンルが大まかにわかるものを選んでいるとのこと。そうですね「×××もの」と分類できます。再読ですが、ひさしぶりに周五郎ワールドにとっぷりと漬かりましたので、一編ごとの印象を。「ひやめし物語」武家の次男三男は跡継ぎになれない、養子に行くか部屋住みで終わるか、肩身が狭いのは現代のパラサイトも同じだけれど、甲斐性があれば何とかなるのであるという話。その甲斐性が古本集めというからおもしろい。「山椿」二組の男女のもつれあいというと、どろどろしているみたいだけれど、ここにはかしこい知恵とユーモアがあるのです。「おたふく」女性を信じるかどうか、男性はなかなかできないのでしょうか。清く生きているのに、切ないですね。でも明るい性格の姉妹だからか終わり良ければ総て良し。「よじょう」何にもしないことが有効になる?って噓からまことが。「大炊介始末」山崎豊子『華麗なる一族』を彷彿とさせる、武家もの編の苦しくにがい物語。「こんち午の日」このような一途な男性を描けるのは周五郎真骨頂なのだ。「なんの花か薫る」哀しい、悲しいなあ、世の中にはわかっているけど行き違いがあるんだね。「牛」天平ならず現代にもいる、あると納得の人間模様。「ちゃん」どうしょうもないおとうちゃんはどうしようもないんだよ。「落葉の隣」好きになるっていく過程の不思議さ、理屈じゃないの。ようするに周五郎ワールドをほめっぱなしにしてしまうような短編集。
2021年05月03日
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知らない作家の本を読む機会を本屋さんでひょいと見つけることがある。手に取って「これ好きかも」と本の方から呼びかけられたのがこれ。他の欲しい本と一緒に購入。案の定、ワクワクするような展開で秘密めいた人物が「どこでもない場所」へ行って「誰でもなく」なるなんて物語、本読みの醍醐味ですよ。想像力を搔き立てられ現実と遊離しているようでいて、しっかりと現実に即していて、ニューヨークの地形やアメリカの作家たちの挿話も面白く、やはり好みだったのだと。読み終わってネットで検索したら、読者も多いことがわかったが、惹かれる本というのは当たりになるんだな。
2021年04月28日
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ストーリーは5人もの養子をしたお金持ちの老婦人が殺された事件、養子の一人が逮捕有罪となり(獄死している)2年が過ぎたころ、その犯人養子のアリバイを証明する人が遺族たちの住む館に訪れて、終わったことなのにいまさらどうなのと、事件蒸し返しのさざなみが立つ。ミステリー的には遺産相続をめぐってではない肩透かしはいいけれど、結局犯人も平凡のよう、しかしそこじゃなかった。相変わらずの人間観察力秀逸なクリスティーなのだった。経済力の豊かな女性に、様々の劣悪な環境から救われて清潔で立派な住居、栄養の行き届いた食事、潤沢な教育環境など、何不自由なく育てられ、いまや大人になった養子たちの心理状況はどうあったかが丁寧に描かれ、子供たちと義理母親との感情のやり取りは、実子ではないという残酷な現実も、また、その殺された女性と夫との関係がどうだったのかも解き明かされ、人間模様の複雑難儀なところは、なかなか読み応えある。人間は正しいことだけでは生きられない。
2021年04月25日
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上野駅公園口オール日本人が一度は立った駅なんでしょうね、しかも外国の観光客もコースにあるのでしょう、だからこそ、翻訳され全米図書賞受賞となったのもうなづけます。わたしも子供のころからなじみが、むしろ日常的に使っていた、桜の時、見たい展覧会開催の時、音楽会、博物館、自分が子供のころのや孫を連れての動物園、キリがありません。いまだに使っているからこそ、この本にある「ホームレスたち」のことを、気が付いても、知っているけど、知らないふりをしているんですよね。あまりにも日常の一部となってしまって。ほんとこそばゆい。「ホームレス」ではなく「一人の男」です、高度経済成長期の波にまにまに流され運がなかったひとり、上野→東北→福島はちょっとあざとい気もしますが、あり得ないことじゃない、同時代をしっかり生きたわれわれに、運がいいとか悪いとか、そういうことでもないのが理解出来るんですよ。初めて柳美里さんの作品を読みました。読み始めはあまりにも散文的なので読み取れないのではと思いましたが、次第にその流れに乗り、最後まで読んでから冒頭に戻るといい調べになりました。
2021年04月15日
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本家のカポーティ『冷血』と同じく、普通に暮らしていた一家が強盗殺人に巻き込まれたのが痛々しい。そこに『リヴィエラを撃て』『照柿』『マークスの山』『レディ・ジョーカー』でおなじみの合田雄一郎が登場し、彼の人生模様も変化している。犯人たちの人生も描かれ、やりきれなさが増す。残忍な犯人たちであったのか?カポーティ『冷血』で怖さを経験しているのに、筆運びが真に迫っている(相変わらず緻密だ)恐ろしさ。刑事合田でなくとも悩んでしまうし、処理できない思いもする。普通に暮らしていると思っている自分自身に悪がないと言い切れるのかと。その合田の私生活心情の変化、朝早く農家の手伝いしに行く合田、「合田はわたしです」という、高村薫作家自身が主人公になって行く感がますます濃ゆい。
2021年04月14日
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「昭和の作家」探訪の読書、石川達三『青春の蹉跌』時代背景は1960年代後半どっぷり昭和に漬かった、しかし古びていない題材。いつの世も経済的に不如意な青年が、勉学、容姿に自信あり、上昇志向があるとすると、手っ取り早いのは後ろ盾を見つけること。いわゆる「逆玉の輿」を狙うのもその一つ。法律を学んで国家試験を目指している青年が、学費を援助してもらい、その支援者の娘と結婚の運びの実現となったところで、その道は安易ではなくなった。そのつまずきはこっそり付き合っていた元カノが妊娠「生みたい」と言われ、万策尽きて・・・そしてどんでん返し。斎藤美奈子氏が文学論『妊娠小説』で「妊娠サスペンス」と名付けているほどの緊迫感だ。石川氏はけっこう結婚つまずき小説を書いていて(『薔薇と荊の細道』『僕たちの失敗』など)、石川達三の特徴は堅苦しく理詰めと言うけれど、法律を学んでいる青年が主人公のこの小説では、それがよく発揮されていてなかなか読ませるものである。古いからもう読む人もいないのではと思っていたら、昭和4年5月初版のこの文庫本、令和2年3月に76刷だというから。見つけたわたしもびっくり。たぶんこういう状況はこの超現代にも転がっているだろう、だから読み継がれているのだと。
2021年04月10日
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No3 石川達三 <いしかわ たつぞう>(1905~1985)80歳で歿小説家。秋田県生。早稲田大学中退。昭和10年『蒼氓』で昭和10年度第一回芥川賞受賞、作家として認められる。14年『結婚の生態』、15年『母系家族』、16年『風樹』を発表、戦後も『望みなきに非ず』『風にそよぐ葦』『人間の壁』『四十八歳の抵抗』などを著した。その他の作品『青春の蹉跌』『幸福の限界』『僕たちの失敗』*****「わが小説」(1962年朝日新聞コラム)に『人間の壁』をとりあげている。書いたのは57歳、だから氏がまさに脂が乗りきっている時、だが、 一つの小説を書くという事は、一つの闘いを完成することだ。私は自分の作品の一つ一つに新しい主題を置き、新しい問題を追求する。 外科手術のように、人間生活のなかの幹部を切り開いて、病根を取り出そうと努力する。手術がうまく行くこともあり、何とも手ぎわの悪いこともある。 私の創作態度は人体の美を鑑賞するものではなくて、人体の患部を切開しようとする種類の仕事だ。一見残酷に見えることもある。しかし医家は鬼手仏心という。わたしの残酷さは、人間への愛情、というよりは人間への欲だ。と、何とも堅苦しい理詰めの作家に思われる。しかし面白みばかりが小説ではない。渾身の力を込めて二年半がかりで『人間の壁』を執筆、名も知れぬ大勢の人たちに支えられ、当時の教育問題をえぐった作品になったのであるという。*****当時わたしはやはりちょっとねと敬遠しており、それでも読まなくてはならない作家には思っていて、中年になってから『幸福の限界』という作品を読んでいるが、内容はもうすっかり忘れている。最近『青春の蹉跌』という文庫本が目に飛び込んできたので、先ずはそれを読もうと思った。*****このシリーズ、放置していたのだが自分のために再開。なにしろ50年以上も前の切り抜きだから、根気の長い話だ。
2021年04月07日
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ウォーキング中に桜の満開を見ていたが、早いもので黄緑の葉が混じった赤いガクだけが目立つようになった。昔に撮った写真だが、こんな感じですよ。そのウォーキング、距離を伸ばして毎日4kmを歩くようにしていると、すこし疲れが残ってゴロゴロしてしまい、日常の家事や趣味自由時間が減ってしまうこともしばしばだから、それはやはりやりすぎのようで、距離の短い日も作ろうと思い始めている。ダラダラしているときには自然とTVになってしまう。まとまったものを見るわけではないので、ワイドショーなどになってしまうが、前からもそうだったんですけどね、コロナが蔓延してからのその中身は虚しいといえるぐらい騒々しくて白々しいわ。もういい加減、この形式は古臭くなっているのではと思う。元々「お笑い芸人トーク」は見ないし、昼間はやってないし、映画は時間とられるし、好きなドキュメンタリーも午後はないもよう。だからこの頃はTVをつけないけど。本は読むけれどもこの頃感想が億劫になってきた。専門家でもないのにあれやこれや言うのもおこがましいし、この頃、匿名の無責任といわれることにも、こういうブログもそうじゃないか、と今さらだがはずかしい気もする。いくら「個人の感想です!」と言っても、アクセスはあって誰かが見ているのですから。年年歳歳、面倒になってきたというのが根底にあるのとも思うし、また、いつ店じまいするのだ、という思いもある。先夜中に洗面所でずっこけた。手を洗ってくるりと振り返ってタオルを取ろうとしたらよろめいて、狭い洗面所なのにどこの壁にも手がつかず、入口をまたいで廊下へ後ろ向きに伸びてしまった。後頭部に「ゴツン」と音がはっきりと聞こえるほどのコブをつくり、右手、腕に青あざ。高齢者が家の中で事故死するなんてのも大有りの常識。そんなこんなの想いは「桜の憂鬱」のころというところですか。ソメイヨシノもいいけれど、こんな山桜というかサトザクラも好きだ。
2021年04月04日
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読み継がれている名作でありますから、いろいろの示唆があるんですね。ある家族の生きざまを通して、人間社会の仕組みに翻弄され、艱難刻苦に向わせられ、なお襲い掛かる天災災害の非情なる仕打ちにどうするのか!というようなすごい物語のように思われるのだが、読めば読むほど、この家族それぞれの身勝手さは腹立たしいほどで、精神性の崇高さを感じれば感じるほど、人間の生態の愚かしさもくっきりと浮き上がってくるのが面白い。まず、「お母」が家族集団13人の中心なのはわかる。しかし、殺人を犯し、刑務所から仮出所のトムという次男もしょうがないが、まあ骨がある。おじいさんおばあさんは旅の難儀さに死んでしまい。はかなげな長男は何考えてるのか、旅の途中で行方不明に(家族はあきらめてしまうのだ!)、長女(16)は若くして結婚、ふたりとも夢る夢子さんで妊娠中に夫に逃げられてしまう。三男は浮気性でふらふらしているし、次女(12)と四男(10)はいたずら盛りで手に負えない、「お父」は空威張りの他人ごと、「お父」の兄ジョンはアル中の役立たず、おまけに元「説教師」の他人も加わって、それぞれが勝手なことを言い、やってしまって艱難辛苦の旅を余計に複雑にさせる。「なんでそこでそれをやってしまうのぉ~!!」と「お母」の気持ちに感情移入してしまうが、「大丈夫だよ、なんとかするから」と、おおらかなのか!?偉大なのか!?その「お母」が何とかしてしまうのが、おかしいようなほっとする救いのような、そんな読み方もいいかなと。この頃の、いや、ずっとそうだったけど、我が家族集団でもそんなふうなんだよね。
2021年03月23日
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むかし読んだのは1962年。作者案内にはその年にノーベル賞受賞とあります。映画化もあり、話題だったのでしょうか。でもストーリーをすっかり忘れており、初めて読むような感じになりましたのが、個人的などうでもいいことですがわたしとしまして不思議。なぜなら社会機構の矛盾というような題材に関心があった若い時代、記憶の底に残ってもいいのだろうに、ということです。ま、未熟だったのですかね。さて、上巻を読み終えて、もちろん底辺にある近代資本主義の矛盾を突いているのは痛いほど分かります。でもねえ、ジョードー一家がオクラホマからテキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州そしてカリフォルニア州へと、故郷を捨て新天地へ困難な旅するさまを、簡易地図でたどりながら読んでいると、その情景描写の目に浮かぶような筆運びに魅了されてしまうのです。この一家13人は苦しい悲惨な旅なんですよ、老人たちは旅に病み死に、若者は怒り、かたや無気力になり失踪し、一家がバラバラになっていく。しかし、それも時代を超えていつの世にもある。その普遍性をある物語に圧縮して解きほぐしていく、これぞ文学の骨頂というのですなと、感心してしまうのでもあります。『エデンの東』の読書メモ
2021年03月21日
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藤沢周平さんの初期短編作品には圧倒されます。発表順に言えば1.「溟い海」2.「囮」3.「黒い縄」と次々と直木賞候補になる作品を書かれ、4.「暗殺の年輪」でついに直木賞というラインアップ。言い方は悪いけど、手練れないまえの力のこもった作品がいい、好きですね。収録順に「黒い縄」若くして夫に先立たれたり、事情で離婚したばかりの女性は、何故か男性の目に留まるような魅力をかもすらしいのです。そんな女性は男性を相談相手にしてはいけない、まして憎からず思っている相手にはですねえ。決して幸せな結果にはならないんですから、という見本みたいな一遍。しかもどんでん返しミステリー。「暗殺の年輪」「海坂藩」発祥の地、もとい発祥の譚。武士のおきてに逆らえない苦しみと瀬戸際の解放。「ただ一撃」わたくしが藤沢周平さんの作品をいいなあと思ったきっかけは、『三屋清左衛門残日禄』もう30年近く前の話です。まさしくこの短編が発展したものと思ってしまいますね。「溟い海」葛飾北斎の晩年の芸術的苦しみによせて、作家自身の模索がわかるような気がして痛ましい。でもこれらの短編によって世に出たのであるから。「囮」殺人犯人が逃亡中に別れた恋人に会うだろうと張り込む岡っ引の手下。江戸時代の下っ引を刑事に変えれば、ちょっと松本清張さんの短編「張り込み」を思い出すが、ひとひねりもふたひねりも奥深い。感想にも力がこもってしまいます。山本周五郎とはまた微妙に違った文章のうまさと筋立て。作家にとって「ここから」というこの短編集は読者にとっても重要なのです。早く読めばよかった。
2021年03月15日
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もう古くなってしまった時代の産物のような「紳士と従僕」に庶民は憧れるのだよね。あくまでも主人公は従僕のジーヴズである。ちょっとゆるーい金持ち若者に、やや意地悪な仕えかたで、本人並びに友人の事件・難問を解決しながら働いているのが、なんともおかしみがある、ユーモア光る軽い読み物で、そこが心地いい。今時、時代離れしているからね。この作者はそのような作品を膨大な数をものして、イギリスをはじめアメリカでたくさん発表しつづけたという。しかも93歳の長生きだった(1881~1975)から、その全作品をまとめるのはなかなか容易ではないというが、してやられるお坊ちゃんという構図が好まれる心理はわかるから人気だったのだろう。
2021年03月07日
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語り手の姉「巻子」はシングルマザーで生活に疲れているし、娘ともうまくいってない。娘「緑子」は声に出して会話せず、メモで意思疎している異常さ。緑子のノートに書き連ねた文章と、叔母の独白で綴られる、もの哀しい女の身体の変化と切ない気持ち。すなわち思春期のゆれる娘心と39歳母親の経年へのあがきに加えて、語り手叔母すらもあせっていたのであったという現実。けれども、独特の語り口はねっとりしているようで軽妙さが伝わってくる。この文章が魅力をかもしているのだろうと思う。叔母の名前が明るさを想わせる「夏ちゃん」と最後にわかるのが印象に残った。
2021年03月01日
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山本周五郎の婦道記もの。作家自身が厳選した11編『小説 日本婦道記』は昔読みました。今回の文庫本は埋もれていた20編が加えられて31編に増えて、あの感動をたくさん味わえる、ファンにはありがたい完全版です。しかも「婦道記=女性のあるべき道」と前なら解釈したでしょうが、わたくしも今は違います「人間のあるべき理想の姿」に気づかされる作品なのです。作者が言論統制ある戦時下の中で苦しみながら作品を書いたというのも理由、周五郎さんの言いたいことはずっと変わらないので、それが戦後の素晴らしい作品、例えば『長い坂』や『樅ノ木は残った』に結晶されたのをわたくしたちは読むことが出来るのです。
2021年02月27日
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青春は未来への希望、正義感からの闘い、などあるが、異性への渇望も大きなひとつ。藤沢周平描く立花登はこうだ。巻(一)『春秋の檻』の中の「女牢」での物語が印象深い。それは患者の妻ではあるけれども、登がひそかに惹かれてて初恋のひとになった「おしの」との場面。獄医の登は女牢でその人と再会。「夫殺し」の罪ある「おしの」。あした死刑を受けるその女性の望みは登に抱い欲しいと。そして実行する。「これでいいんだ」と思った登の青春。有名な漱石の『三四郎』での、旅宿の同部屋になった女性に悶々とした三四郎、結局「いくじなし」と言われた不甲斐ないような青春の真逆に比べると、一段とみずみずしくほんとうを感じる。だからこそ、身近な「おちえ」と結ばれる最終章の盛り上がりの場面にちらと描写される、表町の不動様の位置に、登は心あたりがあった。登の心に、今も消えがたい傷を残している女、亭主殺しのおしの。その殺された亭主の友だちだった参吉をさがし回ったときに、通りかかった場所だ。ここを読んで「登」青春の終わりへのもの悲しさ、なんともいえない情緒漂うのを味わった。突拍子もないけど、こんな唄を思い出す赤いサラファン縫うてみても楽しいあの日は帰りゃせぬたとえ若い娘じゃとて何でその日が長かろう燃えるようなその頬も今にごらん 色あせるその時きっと思い当たる笑(わろ)たりしないで母さんの言っとく言葉をよくお聞きとは言え サラファン縫うているとお前といっしょに若返る(ロシア民謡、作曲:A.ワルラーモフ、日本語詞:津川主一)
2021年02月22日
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え~~、、、舌を蛇やトカゲのように二股にする、、、わたしはピアス穴あけも嫌なのに、、、悲鳴をこらえながらの読み始めはつらかったが、スピードのある才能がキラキラしている巧な文章で、なかなかおもしろい、あっという間に読了、終わってみればSMの世界にとっぷり漬かっていたらしい。引きずり込まれてしまったというか、サディスティックにしろマゾヒズムしろ、文学的世界に身近な人生が関わってくるのかもしれない。金原ひとみさんの次作を読んでみたくなった。
2021年02月19日
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桐野夏生さんの小説は突き抜けているから好きだ。欲を言えば最近は少し勢いがないか。今はイタリアのナポリのスラムで生活しているマイコは、母親とアジアやヨーロッパのスラム街を転々と移り住み、教育も受けられず、友達も持ってはいけない、母親には秘密がある、という中で成長した。「日本人の娘」らしいと思うのに、国籍もIDもないマイコは淋しい根無し草か?あるきっかけからマンガカフェを経営する日本人に出会い、カフェで日本のマンガに魅せられ耽読する。自意識の発見、家出、友人、事件展開、変化していくマイコ。桐野さんのスピード感ある筆は、しだいにマイコはどこの誰でもないと粋がっているデラシネではない、解き放たれるデラシネだと気が付かされでいくのを描いている。巻末、金原ひとみさんの解説がいい。積んである『蛇にピアス』を読もう。
2021年02月18日
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申し分なくうまい筋立てうまい文章の続き短編です。TVドラマ「立花登青春手控え」の溝端淳平さん立花登イメージもピッタリ。病院に持っていって読み、帰ってからの養生中に読むのにもピッタリ(笑)でした。随分読んでいる藤沢さんもこのシリーズはまだでしたし。(一)の『春秋の檻』目次を見て「おや?」と気づいたこと「雨上がり」(藤沢周平)→「雨あがる」(山本周五郎)「落葉降る」(藤沢周平)→「落葉の隣り」(山本周五郎)おもしろいなあ~「雨上がり」と「雨あがる」の内容は全く似てませんけども、「落葉降る」がこの巻では一番良かったのに「落葉の隣り」のストーリーを忘れてしまってて比べられない。何とも言えない情緒と前向きの希望は似ているのかも、でも周五郎、読み直さなくては。なるほどシリーズ(二)『風雪の檻』の「押し込み」にも「落葉降る」の好もしいヒロイン「おしん」が登場でした。「登」の周りの人々だけではない人物発見も面白い。
2021年02月09日
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離婚した佐藤愛子が母シナと老耄になってしまった紅緑を看取り、血は争えず小説家になろうとする。かたやサトウハチローという異母兄はあんなに美しい詩を醸すのに、ケチで下劣で最低男なんだと、愛子に聞こえてくる。ハチローの妻や子たちの尋常ならざる生きざまを知り、自身の再婚相手にはこれまた、けたはずれの借金に悩まされる運命。観察者(語り手・作者)兼中心人物愛子が老境になり、紅緑ハチローのかかわった女たち、紅緑の孫子たちの運命を見定めていく、圧巻だった。若い頃の私は紅緑の小説を造り物だと批判しハチローの詩を噓つきの詩だと軽蔑していた。だが『血脈』を書くにつれてだんだんわかってきた。欲望に流された紅緑も本当の紅緑なら、情熱こめて理想を謳った紅緑も本当であることが。ハチローのエゴイズムには無邪気でナイーブな感情が背中合わせになっていたことも。・・・・・・この始末に負えない血に引きずられて死んでいった私の一族への何ともいえない辛い哀しい愛が湧き出・・・世間の誰もが理解しなくてもこの私だけがわかる。我がはらからよ。この著者のあとがきは秀逸である。読む者にとても響き『血脈』を書きたかった著者の胸中がわかるのである。これでもかこれでもかの波乱万丈人生模様。「自己中」のようで「鼻持ちならない」と読み捨てられないおもしろさ。平易な文章なのに誰でも書けるかというと、書けやしまい軽妙さ、やはり才能だなあ。というか、愛子さんの生まれ育った阪神間の土地風土に関係あるかと。「阪神間」、関東人のわたしには土地的には漠然としているが、文学ではおおいに出てくるので理解はできる。「風がちがうのよ」と須賀敦子さんは言ったそう。谷崎潤一郎『細雪』の時代と世界も思い出す。文学でもなくても、わたしのそこ出身の友人たちの言動、立ち居振る舞いは、良くも悪くも独特で、どぎもをぬかれた経験がある。今思うとおもしろくもなつかしい、いい異文化経験だったと。違うものには新鮮味、深い興味とを感じる。
2021年02月08日
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「これから入院手術してきます」と気が小さいわたしは言えませんでしたから、唐突でございますが手術退院後やっと、ブログの時間がとれるところまできました。このコロナウイルス感染禍、通常医療の逼迫中の病院で生き残ってきましたよ(おおげさ)コロナで遅れたということもありますけど自身の躊躇もあり、10年以上も待った手術でしたからホッとしているところです。これから残りの人生楽しまなくては!と言ってもやり方は色々変えなくてはいけませんね。旅行、外食、会合など、この1~2年は思うように出来ません。やはり読書ですか(笑)病院に持って行った本は藤沢周平の『獄医立花登手控え』でもこういう時ってサクサクとは読めないものですね。外の光がまぶしかった病院の窓から
2021年02月07日
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なまけもので、金遣いが荒く平気で借金を繰り返し、暴力沙汰を起こす、ハチャメチャな元妻の四息子たちのしりぬぐいをつねにしなければならない佐藤紅緑と二人目の妻シナ。豪快で直情径行なお父さんの遺伝子を受け継いだから、サトウハチローをはじめとする不良4人息子たちが出来てしまったのか、またシナ(三笠真理子)という女優に異常に執着して、元妻を追い出し、病死させてまでしまった紅緑の仕打ち、息子たちの寂しさ、その環境がそうさせるのか。ほとんどをシナの目から見た佐藤家の行く末が、この中編のストーリー。もちろん作者がシナさんと紅緑の娘愛子だから、その視点になるのだろうが。視点といえば主にはシナさんであるが、多々の登場人物にくるくると視点が変わるところに面白さを増している佐藤愛子の筆力、うまさがあると思う。また、昭和時代の始まりから敗戦までのこの小説の時代背景が、敗戦の時にわたしは四歳だったので、「そうかこんな時代模様だったのだ」といまさらながら目を開かせてくれた。わたしの両親の話からではうすぼんやりしていた記憶がよみがえるような気がした。卑近さがよかった。いや、こんな派手な状態ではなかっただろうが、生活している姿が生き生きと立ち現れているからなのだ。この小説はちょっと日本版『カラマーゾフの兄弟』を意識しているようなと思っていたら、下編でシナと愛子のそんな会話が出てきたよ。
2021年01月20日
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虚実ないまぜなのか、どれだけ強烈に描けば済むのだ。家族たちのハチャメチャ不良ぶり。こんな血脈は大変だ、どこの家にもあるってもんじゃない。変態家族の父「佐藤紅緑」作家はわたしの読む時代ではなかったけど、異母兄のサトウハチロー詩人の作品は知らないうちに歌っている。佐藤愛子随筆家は何冊か読んでいる。そこに沢山のきょうだいとその連れ合い、しかもその連れ合いはとっかえひっかえの大人数で、一筋縄ではいかない気質の人達がずらり、文字通りのくんずほぐれつ、だけどなぜか憎めない大家族だなと、佐藤愛子の筆運びに誘導されてしまうのだ。(上)のあらすじ物語は大正4年、当代随一の人気作家・佐藤紅緑が妻子を捨て、新進女優の横田シナを激しく愛したことに始まる。父親・紅緑への屈折した思いを胸に、散り散りになっていく八郎、節、弥、久の4人の息子たち。シナのつれなさに苦悩する紅緑が半ば別れを覚悟した矢先、シナの妊娠が判明。大正12年、愛子の誕生で、シナは紅緑と離れられぬ宿命をようやく受け入れる。
2021年01月07日
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本年もよろしくお願いいたします今年は傘寿なのでもう賀状じまいと言いつつ絵手紙教室などに通っている矛盾多き人生は面白かりき
2021年01月01日
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短編集で「スペイン風邪をめぐる小説集」を集めたもので「100年前の日本人は、疫病とどう戦ったのか?」というこんなご時世柄、文春文庫さんが文庫オリジナル版を編みなさったわけ。「マスク」「神の如く弱し」「簡単な死去」「船医の立場」「身投げ救助業」「島原心中」「忠直卿行状記」「仇討禁止令」「私の日常道徳」「マスク」見かけは太っていて頑健そうに見えるが、実は弱いからだなんだ、と菊池寛らしい主人公は言う。何ですか、太っていたら成人病予備軍だよ、と突っ込みたくなるが100年前はね、栄養を取るのも大変だったでしょうからね、みんなガラガラにやせていたし、美味しいもの好きの主人公、ガッチリ美食していたのだね。案の定「インフルエンザにかかったら死にますよ」とお医者様に脅かされて、だから用心してマスクは手放せない。外出も避ける。死亡者数の増加に憂える。あら、今とおんなじだ。しかし、暑いような初夏にはとうとうマスクを外した。まだまだ感冒は流行していると新聞に書かれているのに、みんなしていないし・・・つける勇気が・・・でもでも、ある日、人だまりの野球場でマスクをしている人を一人みつけたよ!さあ、主人公はどう思ったか?「スペイン風邪流行」ネタなのは「神の如く弱し」「簡単な死去」くらいで「船医の立場」「島原心中」は広義の意味で病気もの、「忠直卿行状記」「仇討禁止令」は有名時代ものだし「私の日常道徳」は作家の矜持がわかり、菊池寛は人間性を突く、おもしろい短編を書いた作家なのです。 帯を取ると→
2020年12月25日
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昨夜の夕食はクリスマスイブらしくしましたよ。ちかごろ夕食はほんとに軽いもの(かけそばか、うどん)にしおりますのでちょっと豪華な晩餐。「トリュフとマッシュルーム入りピザ」イタリアン「中華くらげ酢の物」中華「生ハムサラダ」フランス料理風と白ワイン1本を開けてデザート「いちご」まあ、大したことはないシンプルな献立です。ほろ酔い気分で暢気のようですが、心は穏やかじゃございません。コロナウイルス感染状況が心にかかります。おととしの一月にインフルエンザにかかりました。ワクチンを打っているし、ありがたいことにお薬も進化しておりだから症状も軽くて、あまり深刻には考えていませんでした。5~6日自粛をしていた後、行ったある集まりで「休んだのはインフルエンザだった」というと、何人かに身を引くような動作をされてしまったのが、かなりショックでしたなんだかとても悲しい嫌な気持ちになったものでしたよ。そんなことで、手洗いうがいなどの極力注意をしていたのに、「なぜかかってしまったか!」と考え込んでしまいました。湯河原と東京を行き来していましたから、確かに東京駅のあの人混みにまみれちょうど昼食時だったので、「グランスタ」という駅地下の「寿司屋」で食事をしたことがその機会だったのだ、と思い至っています。その時は一人で食べたのですが、やはり密閉空間での飲食はウイルス感染の機会なのだと、今ならわかります。まして今、流行りなのは未知の強いウイルスなのです。ワイドショーなどで政治家たちが5人以上集まって会食した、と騒いでいますが、人のことはどうでもいいわけではありませんが高齢者、基礎疾患の方はもちろん、若くても会食だけはやめないとダメでしょうとつくづく思うのですがね。
2020年12月25日
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金融機関の横領事件、容疑者が女性で億単位の金額となると、陰に男あり好奇の目。それをまことに切なく描ききる角田光代さんの作品です。憎めないんですヒロインを、同情ではなく、突き抜けてしまったところにむしろ羨望かな。主人公梅澤梨花と夫との関係、その友人たち3人の夫婦関係を描いたところがおもしろいです。満たされざる者のあがき。でも、他者に与えてもらい、ときほぐしてもらうのではない、自己の中にある気付きを、探り当てなくてはいけないのです。人間にとって必要なものは何か、それはお金やモノではない。わかっているけれども、欲望にはまるのが人間。とりあえず満たされるので。登場する女性たちが買い物依存症になって、買って買いまくる姿にハラハラドキドキしてしまった。もしかして自分もやっていたか。また、友人の一人はケチりにケチって貯蓄に励む日常、それもお金に執着だもの、むなしくやるせないのは同じです。スピード感たっぷりの女性心理を巧みに絡めたなかなか読ませる、好きな作品です。
2020年12月08日
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セイヤーズやオルツィの推理ものに夢中になった時期はあったけど、まだまだ知らない20世紀初頭のイギリスの探偵物作家がいらしたんだ、ということで話題にならねば読む機会のなかった一冊。たしかに軽くて楽しい意味深い読物です。ジーヴズという賢くて世慣れた執事がついていれば、お気楽で自律性や自立性のない若殿が、生き馬の目を抜く世の中を渡っていけるっていうの。生計を身内の支援で暮らしているのに幅とって、若き殿のこと故、魅力的なしかし、いわくありげな、ふさわしくない女性に惚れてしまい、困った挙句、修正してもらうのがこの執事さんなので。しかも、若殿バーティーばかりでなく、竹馬の友ビンゴまで同じようなことをやらかすので、それも何回も、友達まで助けてもらうようになる。つまり、この本では繰り返し難題が持ち上がるが、ほとんどが困った縁談がらみというわけで、どうして話題になったのかを含めて、むずむずしてしまう。貴族的暮らしをしているバーティーもビンゴもお金持ちかもしれないが、叔父さんから貰っているお金でしょ、叔父さんたちの機嫌を取らないとならないかわいそうなところもあるのですよ。人間そんなところ大いにあり、と納得でもあるけれども、大いに笑ってしまいます。
2020年12月03日
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『イエスの生涯』読了後、続巻のこれを読まないと、と思いつつなかなか進まなかったのに、読めば読んだで、早く読めばキリスト教のことがもっとよくわかったのにさ、という思い。ほんと、この2書はセットで読むべし。西欧の文学作品を読むにつけ、神の存在が日本人と全く違って意識され来るのだが、その多くを占めるキリスト教とは何か?の知識は、新書版などの解説書を少々読んでもなかなかわからない。それだから遠藤周作氏が小説家の目で解き明かしてくれたキリスト教の成り立ちに目を開かされる思いがする。前に読んだ『イエスの生涯』には、元大工でユダヤ教徒だったイエスという名のひとが、律法に縛られたユダヤ教ではしっくりしないと悩み続けているうちに、ある時啓示を受け「寄り添う愛」にたどり着いた。しかし弟子は多くつどえど、弟子たちは本当のイエスを理解せず、裏切り、挙句の果てイエスは処刑され無駄に死んでしまう。その犬死のような死に意味があったのだった。『キリストの誕生』では聖書(使徒行伝、マタイ、ルカの福音書・・・)などの文献から作者は、その後の弟子たちの動きを追う。原始キリスト教団の歩みというような語り口で、だんだん「なぜイエスの死」がキリスト教の普及に繋がったのかがわかってくる。一口に言えば裏切った弟子たちの猛烈な反省と後悔なんだけど、イエスと言う人の卓越した温かみがじわじわと「裏切り弟子たち」の胸に沁みとおってくるのを遠藤氏は切々と描くのだ。西暦というのはイエスが生れたときから始まったと思っていたが、生まれたのは紀元前4年というのが通説らしい。ともかく紀元0年~紀元30年にイエスが生き、その後紀元50年、紀元60年までにエルサレムから地中海沿岸を通ってローマ、スペインまで伝播してしまった原始キリスト教の発信力はものすごいと思うし、それから現代までいろいろに歴史を重ねて(宗教戦争など酸鼻をきわめることがあるし)いるのだから、なんとも怖ろしい勢いと持続。ユダヤ教しかり、イスラム教しかり。いえ、一神教のみならず、主義主張にてこの世を動かす権力争いも宗教のようである。根本的なことは「人間は誰かに、何かに」寄り添ってもらわないと生きられない」というのは真理だと思うから、それが何であれ続くものならば、互いに認め合っていってほしいものだ。
2020年11月29日
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案の定、寒冷乾燥期に入り、しかもGO TOキャンペーン実施につきまして、コロナウイルス肺炎の感染者が増えてきましたね。もとよりわたくしどもは、繁華街に行くことはもちろん、旅行などもってのほか、ということで、相変わらずの自粛生活ですけれども、これは日常買い物も(東京では)もっと控えねばという思いです。ひさしぶりに湯河原の友人と電話で話したのですけれど、「散歩のときはもちろん、スーパーマーケットでも誰もマスクはしていない」そう。「うらやましいでしょう」オーラ。そりゃ、こちとらは「利便性を考えて」こうしたん(都会に来たん)だからさぁ・・・と、もやもや(笑)わたくしたち老人はもういいんです。けれども若い人、特に学生・学童はちょっとかわいそうですね。孫が6年生と高校生2年生、修学旅行の時期なんですね。娘が「中止、再開、揺れた挙句、6年生は冬の時期に日光への修学旅行!!」ペースメーカー埋め込みの孫なので、行かせるかどうか、とても悩んでいますよ。6年生は二度とないんですから。秋口に撮った「銀木犀」そのほのかな香り「金木犀」とはあきらかに違うと感じるのは、わたしだけ?
2020年11月26日
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仕事も家事も対等にこなす「イーブンカップル」が増えてきた。フルタイムで働きながら勉強やゆとりの時間を捻出するには、仕事観や家庭像を共有したうえで、家事育児分担を工夫することが必要だ。どんなコツがあるのだろうか。(日経電子版11月16日の記事「仕事も家事も夫婦で対等 分担決めすぎず、地域で助け合い」から)今の世、自ずとそこがうまくいかなければ、家庭崩壊(離婚)に至らないまでも、ギクシャクしている家庭(夫婦)は多そうですね。「イーブンカップル」老後生活にもね、それがないとうまくいかないと思う。わたしの理想なんですよ。でも、思い通りにはなりませんねえ。我が家の敵さんもお世話(名もなき家事)してもらって当たり前と、ややもすると思っていて、相変わらず改善しておりません。先日も出かける用事があって、昼食が間に合わない、普通は外食してもらうのですが、コロナが怖いということで帰るまで待っている。で、カップラーメンにしてやりましたわ。
2020年11月18日
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ついあてにされ、行動でも心意気でも妙に力んで引き受けてしまう、これが長女に生れたついた者のサガ、わたしも長女だからよくわかる。わかるけれども、お人好しな要領が悪いところもあるようだ。という『長女たち』の「家守娘」「ミッション」「ファーストレディ」中編3つの内容。3編とも母親を介護することになって娘が奮闘するのだが、それらに登場する老いた母親たちが、モンスターのごとき、阿修羅のごとくわがままでもの凄いし、どんなに尽くしても満足もお礼もない母親の娘に対する「私物化」が情けない。そんなに激しく描かなくてもと、もう高齢のわたしなど身を縮めてしまうけど、篠田さんのオカルトめく筆はうまくて参ってしまう。母親の立場、娘の立場の両方に感情移入して読んだ。寄り切られっぱなしでもなく、娘たちの再生もほのめかされていて、それがホッとさせられる。
2020年11月14日
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このブログをどうするか?62歳の11月に始めて延々と17年だよ。当時、62歳といったって全然老いたきもちはなく、「ばあチャル」なんていうハンドル名にして、タイトルも「晴耕雨読」など枯れたように洒落たし、(のちに「やっぱり読書」に変更、その時もざわついた記憶)世間でもそうですけどね、いまどき60代って見た目も行動も若いのですよ。しかしいま、いよいよ、80代に・・・変わらないつもりでも「どうよ」となってまいりましたのを、自覚していないわけではありません。いっそ終活の一環としてやめたらどうかいやいや、やっぱり寂しいな。というわけで、「続ける」「止める」いろいろ考えた末、「やっぱり読書おいのこぶみ」などと改題してみてほそぼそのたりくたりと続けることに・・・つまり、「老いの愚痴」がやまもりですな、くわばら、くわばら。おいのこぶみ=芭蕉の俳諧紀行『笈の小文』から
2020年11月13日
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柴田翔『されどわれらが日々ー』今さらって感ですが、ストーリーを例によって忘却、で、もう一度読むとまあ、こそばゆくなんか気恥ずかしい。斎藤美奈子さんが『文庫解説ワンダーランド』に「党」だの「六全協」だのの解説ぬきでは現代の若い人にはわからないだろうと書いているが、それはわたしにはないけども(やや同時代なので)でも、革命的暴力にあこがれながらもそこまで没入できない弱さがあったのに、党が路線変更したので肩透かしをされ悩む、なんて言ってる不甲斐ない弱さはわからない。そんな語り手(大橋文夫)がアンニュイになって大学に戻り普通の就職を目指して、あげく幼馴染と普通に婚約までして、でもなんだかぎくしゃくって、甘ったれもいいところだろう。その婚約者が自立してしまうのは当たり前なんだよ。(婚約者の名は節子!この時代よくヒロインに使う名だよね、と気がつく。例、三島由紀夫『美徳のよろめき』)『チボー家の人々』のような大河小説で、登場人物の目線が多岐にわたっていれば一場面としてよいのかもしれない。それに構成が自殺と離別の後、手紙で知らせる形式というのは、漱石『こころ』でも無理っぽかった気がするしね。この作品が芥川賞で当時ベストセラー・・・。それでわたしも読んだのだけどね。まあ、作品丸ごと昭和のやわな青春のかたみ。
2020年11月11日
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「帯状疱疹」!にとうとうかかってしまいした。チラホラと身近な人がかかった話は聞きましたが「わたしは大丈夫」という(根拠のない)自信があったので・・・、ピリピリ、ズキズキ、チクチクの痛み「何だろう」と思っているうちに大変なことに・・・そう、発疹が帯状に・・・まあ、痛いのなんの。かかりつけ医が一目、即診断でございました。医者は「日本では80歳までに、3人に1人帯状疱疹になる、と言われている。ワクチンもあったのに」と・・・知らなんだわ、そしてなお「待合室にパンフレットあるでしょ」とのたまうが、いまさらそう言われても・・・間に合わんよ、身近な人がかかったときに情報をよく聞いておけばよかったのに・・・。「50を過ぎたら気をつけたい帯状疱疹のはなし」というパンフレットを読むと、子どもの頃水ぼうそうにかかった時に、ウイルスが身体に入り潜んでいて、免疫力によって抑えられているが、加齢やストレスなどで免疫力が低下すると、ウイルスが暴れだす、ということ。その予防にワクチンもある由。たしかにこの頃、加齢(50歳から見たら30年は経っておりますしね!)はもちろん、コロナだけではありませんがストレスはたくさん、そして疲労(経年でね)はありましたしねえ。というわけで病んでおります。このストレスっていうのは厄介ですね。自分で自分を縛り上げる几帳面という性格が、災いしてるとわかっているのでございますよ。それに健康に自信満々の思い上がり。だからどうなの、とまあ、治るのを待つしかございませんね。
2020年11月05日
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再読した桐野夏生『OUT』は、読んだ本(2004年)なのに、新刊を読んでいるような気分、「忘れる楽しみの極意」と言うが、こんなことをしていたらたくさんの新刊本にたどり着けない。*****深夜の弁当工場で働く主婦たちが死体をバラバラに解体して捨てるという、異業(犯罪)をしてしまう描写は目が離せない。やはり桐野夏生さんのこういう筆力はすごい。雅子、ヨシエ、邦子、弥生(夫殺し)それぞれに屈託を抱えていたのだから、と言っても許されるわけはないが、そんな常識外れの犯罪だけじゃない、その後、4人のたどる道がだんだん際立っていくのが示唆的だ。特に主役たる「雅子」は心にうごめく自己を突き破りたいために、他の人の運命を変えてしまうのはどうだろう、結果関わる人々を破滅に追いやってそして成功していくのがなんとも。雅子はそんな自由を得た後、寂蒔を感じる、けれども強くなるには孤独と簡素が必要なのだと思い至るカタルシス。それに比べて登場する男たちの影の薄さが、やはり女性ならではの思いのたけかもしれない。今置かれている現状が少しも変化(進歩)していないから。
2020年10月30日
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「こういうのっていいなあ」と面白く読みました。主人公は東大卒の警察官僚ですが、頑なに自分の信念をつらぬいています。融通の利かない性格もあいまって周りに「変人」と言われております。自分は出世したいためにキャリアを目指し努力してきたのではなく、悪いことをしたら謝り反省する、法に違反したら処罰を受ける、そういう普通のことに重きを置くという信条なのです。いわゆる上級役人エリートは、自分のために栄達を望みますでしょう。だから少々方向の違う主人公は職場では浮きがちです。しかしそれが意表を突いていて、沈着冷静に次々と難問に立ち向かっていくこのキャラクターを作り出した作者の慧眼に好感度です。確かに「警察小説」では新しい方向です。わたしの好きな松本清張さんがご存命なら、真っ青になってたかもです。わたくしが知らないだけでかなり前にブレイクしていたのですね!映像化されてもいて。シリーズの次作『果断』も期待します。
2020年10月12日
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クリスティの「トミーとタペンス」の向こうを張るようなカップル、ミステリー本専門の書店経営者「アニー」と何でも相談所開設の「マックス」夫妻が、ゴシックロマンそのものの事件に巻き込まれていくミステリー。イギリス仕込みのゴシックロマンであるから、舞台が「風と共に去りぬ」の一背景を思いおこすお屋敷が多かっただろうチャールストン近くなのもうなづける。冒頭に家系図を挙げてはあるが複雑な登場人物と、思わせぶりなプロローグ、物語の間に挟まれた太字の挿入文章など構成は凝っているが、根気さえあればすんなりとはまっていくストーリーだった。ところでこのシリーズ、のんきダンナと気が強いけどロマンチックな奥さん。このカップルのかけあいと、マックスの母つまりアニーのお姑さんの微妙な登場(おじゃま虫)が、ユーモアたっぷり怒り(殺意!)たっぷりと、いやあ、よくわかるよなあ。これはシリーズの目玉かも。それにさ、流行らないダンナ事務所と小さい島(ブラウアーズ・ロック)の中のミステリー専門書店、生活はどうしているんじゃろか。この事件中は島の外、ホテルはスイートルーム!に泊まっているんだとよ。(もしかしてダンナがお金持ちだったっけ?ね)
2020年10月09日
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