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小生にとって、天と地がひっくり返ったような2011年が終わる。 来年は平穏に過ぎていきますように・・・
2011.12.31
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昨日から今日にかけて餅つき。(機械づき) 一臼目はうまくいったが二臼目から調子が悪くなる。 餅が下の水だめに落ちるのだ。 それで時間がかかり今日までになったのだ。 その時間のロスが、焦りを誘い危うい事故つながったのだ。 というのは、妻とタカ(今日から正月休み)と3人で“からしれんこん”を「ぼちぼち村」周辺のお世話になったところに配達しての帰り、車がスリップして逆ハンドルをきってガードレールで止まったのだ。 車の向きは進行方向と逆向きになっていた。 降りてみると、路面はつるつる。 妻を4時までに病院に戻すため気が急いていたのだろう。 ひとつ間違ったらとんでもない事故になっていた。 左後部に擦り傷とへこみ少々で、3人とも体には異常なしですんだ。 ガードレールの前にある雪かきの雪の山がクッションになっていたため軽傷ですんだのだ。 でも車は前輪駆動の2躯のため脱出できず。弘さんにケイタイでヘルプ。 彼が到着する前に通りかかったガスやさんがスコップで雪をかき泥をまいて脱出。 そこへトラクターで弘さんがやってきてくれた。また迷惑をかけてしまった。 タカは笑っていたが、妻からは「助かったね」と慰められた。 なさけない 今年は車の事故に始まり車でヒヤリで終わる。 もう反省である。 病院には1時間半遅れの5時半となった。(4時に連絡を入れておいた)
2011.12.30
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例年の15%に過ぎないが“からしれんこん”作った。 これまで仕上げはほとんど妻がやってきので小生は自信がない。 そこで妻を病院から引っ張り出して指導してもらった。 最初はこつがつかめずこげてしまった。 油の温度が高すぎたのだ。 明日は餅つきを予定している。
2011.12.29
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妻の交通事故の事情聴取が、入院している病院で行われた。 事故から10ヶ月以上経った今頃になったのは、妻の状態によるもの。 事故当時のことについて訊かれたが、事故の瞬間から意識不明になっているので何も答えられない。 ただ、「目の前が暗くなって分からなくなった」とこれまで聞いたことのないことを言ったのが心に残った。 警察官はこれ以上は聞き出せないと思ったのか「これで終わりとする」と2尾分くらいで引き上げていった。 終わってから「何も怖いことなかったでしょ」だって。
2011.12.28
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今朝、大河原土木事務所から電話。 昨日、浜の畑の問題で要望したことへの返事。 一週間前、ボランティアの帰りに浜の畑に寄ったら・・・ 背丈ほどの枯れ草がぼうぼうだったのに、畑一面ぺしゃんこ! 大きなキャタピラの跡が縦横に走り、隣の畑に瓦礫が積まれていた。 ああ、やっと生き延びた「カキ・フヨウ・ブルーベリー・ヤブツバキ・シキミ」など影も形も見当たらない。 1・2年後、緑地化や公園化?するとき塩分に強い植物選定に役立つと思っていたのに! 春に山元町役場と土木事務所から橋の架け替え工事の資材などを置かせてほしいと言ってきたので二つ返事で了承していたのだったが、所かまわず歩かれるとは そこで、「新しい作業をするときには連絡をするように」要望しようと役場に連絡をすると管轄は仙台土木事務所と言う。 電話をすると、うちではなく大河原土木事務所だと言う。 そこは近いので連休明けの昨日行ってきた。 どこが窓口だかわからず、廊下で会った職員に話したら彼が調べることになった。 業者名が分かればとか二次処理は管轄が違うとか・・・二時間近くかかって不明。 その時点では、お役所のたらい回しという感じ。 土木事務所の職員2人が我が家まで訪問しているのに・・・? 分からないと言うことが分からない。何時間もかけることではないと思うのだが。 組織が複雑なんだろうけど、今日までかかって調べてくたるのはありがたい。 けど、この人の本務は何なのだろう?と考えてしまう。
2011.12.27
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ここ数日、毎晩うっすらと雪が積もる。 日が昇るころには青空が広がり、昼を過ぎるころには解ける。 気温は上がらないけれど、日が差せばやっぱり暖かい。 昨日は妻の外出許可をもらって、タカと3人でクリスマスパーティをやった。 メインは妻の希望で「ちらし寿司」を作った。 初めて作るので材料は簡単にできる「散らし寿司の素」。 レシピ通りにやればいいのだが、一応脇で妻指導。 錦糸卵がないというので、これは大急ぎで手作り。 飯は炊いておいたので混ぜるだけ。 妻はうまい、うまい食べたが、タカはトッピングだけつまんでほとんど食べず。 セット物の酢がきつかったのか?・・・ すし屋のすしは食べるのだが、我が家ではこれまでも食べないことがあった。 彼は匂いには敏感で、大きな要素になるようだ。 小生にとっては、あまりうまいものではなかった。 具材の中のレンコンが気になった。 またこの“素”を使うことはないだろう。次は手作りだ!
2011.12.26
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今日の「くまにちコム」(熊本日日新聞の電子版によると、熊本市の名物饅頭がなくなるという 江戸時代から続く味、閉店へ 熊本市の慶徳饅頭 2011年12月25日 来年1月下旬で150年以上の歴史に幕を下ろす老舗甘酒まんじゅう店「本家慶徳饅頭」の吉永美知子さん(左)と弟の徳一さん 熊本市慶徳堀町で150年以上続く甘酒まんじゅうの老舗「本家慶徳饅頭[けいとくまんじゅう]」が来年1月下旬、のれんを下ろす。鶴屋百貨店(同市)内の店舗は今月31日で営業を終了。弟と昔ながらの手作りの味を提供してきた吉永美知子さん(76)は「後継ぎもおらんし、自然の流れタイ」と言うが、なじみ客からは惜しむ声が尽きない。 創業は江戸末期。「当時、市中心部で甘いものを売る店と言えば、朝鮮飴[あめ]が園田屋さんともう一軒。あとはうちぐらい。細川家にも御紋入りのお重で納めよった。祖母や母から聞いた話タイ」と美知子さん。 1945年7月の熊本大空襲。10歳だった美知子さんは花岡山から見た光景をはっきり覚えている。「見渡す限りの焼け野原で、うちの店も赤いレンガの煙突しか残らんかった」。戦後は砂糖が手に入らず、両親はバラックを建て、まんじゅうの代わりにたばこやげたを売った。 戦後6年経ってようやく現在の店舗兼住宅を建て、まんじゅう作りを再開した。その2年後に「6・26水害」が発生。被害も受けたが、店は繁盛した。 「当時、長六橋につながっていた店の前の道を、多くの人や車が通った。家の修繕をする大工さんへの差し入れも多く、まんじゅうは作るだけ売れた」 鶴屋には73年に出店。母は誘いを拒んだが、美知子さんが「私がする」と申し出た。本店は79年、母の骨折を機に弟の徳一さん(63)が6代目として継いだ。隣には明治初期創業の「元祖慶徳堀饅頭」があり、「本家と元祖の対決」と喧伝[けんでん]された時期もあった。 ただ、92年の長六橋の架け替えに伴う一帯の道路整備により、店の前は「裏通り」に。通行する車、人が減り、売り上げも落ちた。よきライバル「元祖」も02年に廃業した。 美知子さんと徳一さんが作る「慶徳饅頭」は、米こうじともち米でつくった甘酒で小麦粉をこね、砂糖だけで練り上げたこしあんを包み、発酵させて蒸す。素朴な甘酒の香りと味が常連客を引きつけてきた。 「寂しくなりますね」と閉店を知った客から声が掛かるようになった。「まんじゅう屋のあったなぁ、うまかったなぁ、と時々思い出してもらうなら、それでよか」。まんじゅうを蒸す白い湯気の向こうで、美知子さんが笑った。(田川里美) (熊本日日新聞「くまにちコム」より) この饅頭屋は熊本市電“慶徳校前”?電停の前に並んでいた。 子どものころ、熊本の土産にいただくととてもうれしかったことを思い出す。 江戸の時代から続く甘酒饅頭というのがなんとも残念である。
2011.12.25
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朝からすばらしい冬晴れ。 タカと二人のクリスマスイヴ。 巷はクリスマスだと景気を盛り上げようとしているが、我が家は関係なし。 と思って妻の面会に行ったら。 「タカがいるのに何もしないの?ケーキ買って散らし寿司ぐらい作ったら・・・」 だって 「昔みたいにケーキは大量に売っていないよ。散らし寿司なんて作ったことないし・・・」と言うと、 「わたし作ってやるから」だって。 口(意識)はずいぶん達者になってきたようだが、体はついてこないのだ。 タカに訊くと、両の人差し指で丸を描いてケーキを要望。 しかたがないケーキはショートケーキにし、散らし寿司のもとを探して作ることになった。 今日はできないので、明日外出許可をとって我が家で3人で盛大に行うことにした。 これもリハビリの一つになるだろう。
2011.12.24
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昨日オーストリアで小学校の教師をしているM子さんにメールで被災地の様子を知らせた。 今日M子さんから返事が届いていた。 向こうはもう2ヶ月の夏休みに入っているのだそうだ。 彼女の周りでは、原発事故についての日本政府の態度は信用されていないとのこと。 それから29日から1月4日まで単身で実家に帰ってくるという。 会えるかもしれない。 今日はたかが帰省している。 これからお風呂だ。
2011.12.23
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<妻の外泊> 我が家の風呂場は広いので寒い。 それで毎回、入りたいか確認をするのだが「入る」と言う。 できたらパスしてもらいたいのだが・・・ でも、昨日は順調にいった。 いつも入浴が大変なのだが、ずいぶん楽に入れられるようになった。 寒さも雪降りでやわらいで助かった。 ところが、 起きるとすぐ“おしっこ”。 さぁ大変だ!腕をつかんで立ち上がらせ、2メートル先のポータブルトイレへ。 ところが間に合わなかった。 途中からポト ボト・・・どさっ!と座ろうとしてひっくり返ったのだ。 このポータブルトイレは(通販で購入)軽くて不安定ではあるのだが・・・ 抱き起こして座らせた。 怪我はなかったが大便ももれていた。 昨夜の薬で“カマ”(便秘薬)を迷いながら飲ませたが、その薬効だろう。 シーツや着衣も汚れたので選択へ。 “うんこ”騒動はお昼前にも。 “うんこ”の状態は良好。こびりつくのでバケツの掃除も大変。 こうして午前中はてんてこまいで終わる。 出ないより出たほうがいいのだが、コントロールが難しい。 本人が一番つらいのだろうと思いながらも、つい愚痴が出てしまう。 国の施策は当事者に薄い!
2011.12.22
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15時ころから降り出した雨は、暗くなるころには雪になり積もりだした。 今日は妻外泊。 子どものように喜んで病院を出る。 今夜のおかずはちゃんこ鍋。 初めての挑戦に、妻何度も除きにくる。 出来合いのスープなので味は平均的。 途中、ごぼうを買いに走ったりしたが、「うまい うまい」と食ってくれる。 食べ方もうまくなってきたものだ。
2011.12.21
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今朝も"ごん”の水には氷が張った。 雲の端を金色に縁どりながら昇ってきたお日様はまもなく南中。 梢の上の白雲はゆったりと流れていく。 蔵王の連峰は雪雲の中。
2011.12.20
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先日やっと62個の干し柿を吊るした。 昨年までの半分だ。 (ここに干し柿の写真を貼りたいけど、うまく貼れないでいる) 例年だとヒヨドリなどがしつこくつつきに来るのだが、今年はまったく来ない。 ベランダに熟した柿を10個以上並べていても、食べに来る鳥はいない。 鳥たちに何か起きているのだろうか?
2011.12.19
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寒くなると人こいしくなる。 タカと妻を見舞った後、タカを施設に送った。 雰囲気が暗いので「お家がいいの?」と声をかけると「うん」とこっくり。 これが一番つらい。 この前は施設が楽しいような感じだったのだけど・・・ 「ごめんな」 来週はクリスマス。 お母さんもいっしょに楽しいパーティーができるといいなぁ。 さあ~、これから晩飯の準備だ!
2011.12.18
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今朝は朝日の差込で目が覚めた。 外を見ると銀世界。 寒々と感じ、また布団の中にもぐりこむ。 11時ころのようす。
2011.12.17
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平地では朝9時ころから周りが静かになった。 外を見ると雪が降り出していた。 この冬の初積雪だ。 雪の中、妻の入院費を払いに行った。 病院近くのジャスコのATMで30万円を下ろし納入。大きな負担である。 ついでに、講座引き落としやカード払いができるように要望。 今日はタカを連れてくる日だったが、この雪で明日に変更。 施設は標高200mくらいにあるので雪が多いのだ。 小生の軽トラは、まだ冬タイヤに履き替えていないのだ。 さむ~い夜。
2011.12.16
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妻が今の病院に転院して2ヵ月半。 やっと入院費の請求がきた。 10月11月分で30万円。 「えっ!これじゃ入院続けられないよ!」と会計窓口へ行った。 「3割負担で毎月15万円くらいかかります。相談室で相談してください」だって。 相談室ではケースワーカーがにこにこして待っていた。 「減額認定証を出さなかったでしょ。それを出すと今月から半分近くになるよ」と言う。 「先月請求書がこなかったのは?」と訊くと 「毎月は出しません。2ヶ月以上の滞納者には出します」との返事。 患者や家族は窓口に確認しに行かねばならないのだそうだ それから前の病院ではよかったクレジットカード払いはダメ。現金払いなのだ。 大金を持ち歩くのは問題だと思うが・・・ 今回分は後で戻ってくるそうだが、こんな説明はなかったのでうっかりと言えばうっかりになるのかな~・・・腑に落ちない 事務処理のあり方に問題を感じた一日だった。
2011.12.15
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妻が外泊などで帰ってきたときのために、昨年まで使っていた強制式ファンヒーターの試運転をしたところ、変な音がして灯油が漏れ出した。 これは友だちだった電器屋のHさんに入れてもらったもの。 その彼が亡くなって10年を超えようか・・・ 彼が元気なころだから、もう寿命なのだろう。 ずいぶんお世話になったことになる。 とりあえず、小さなファンヒーターを置く。 今日、妻外泊。 これから風呂に入れる。
2011.12.14
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やっぱり古いXPの方はうまくいかないようだ 午後、山元町の瓦礫ボランティアへ、。 作業現場は機能と同じ「龍神沼」の北側の田んぼでの瓦礫の回収。 これが粘土質の強い田んぼで、片足を上げるのに1分もかかるありさま。 四つんばいになってのごみ集めは初めてだった。 女の人たちは悲鳴を上げながらも、手抜きをしないでがんばっていた。 ここの田には、まだまだいっぱいの瓦礫が埋まっているようだ。 これから何年も瓦礫と除塩と放射能の除染に悩まされることになるだろう。
2011.12.13
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テスト テスト テスト・・・ 数日前からいうことを利かなくなっていたXPが動き出した。 これで公開できれば年末に長男が帰ってくるまでしのげるのだが・・・
2011.12.12
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時折強い風が吹くが師走にしては暖かい上天気。 午前中干し柿つくり。 遅くなってやわらかくなってきたけど50個くらいは作らないと寂しいからなぁ。 今日は24個まで。26個はあした。 午後は山元町磯地区の瓦礫回収ボランティア。 今日はお世話になった妻のおじ・おば様の近くで瓦礫の分別作業。 小生はこのおじ・おばがいなかったら宮城に留まることはなかったと思う。 週に2回のボランティアでは申し訳ないと小さくなっている。
2011.12.12
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ゆうべは晴れ渡ってすばらしい皆既月食を観ることができた。 おかげで寝不足。 起きたときには霜が融けていた。 この日曜日タカは施設のクリスマスパーティーでいないので、今年初めてノビノビ! 午前は20年以上使った電灯2灯をシーリングライトに交換。 初めてなので要領が悪く手間取ったが、1灯目ができたら2灯目は楽々完了! ところが天気がよかったので玄関を開けっ放しにしておいたため、でかいクロバエが2匹。 真新しいカバーに向かって体当たりの繰り返し(明るいほうに向かう習性がある)。 ありがたくないお祝いだ 午後は片付けと探し物。 両方ともうまくいかず苦手なり。
2011.12.11
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午前、タカとろう者のTさんがやる理容店に行った。 腕はいいのだけど前客で待たされたことはめったにない。今日もストレート。 ついでに小生も正月頭を刈ってもらう。 親子イケ面の揃い踏み。 午後、妻の面会に。 つまは食堂の広場にいた。 タカは見つけると陰から走りよった。 妻は軽く驚き喜んでいた。 タカの施設では、明日がクリスマスパーティ。 それで一日早く戻っていった。 今夜は満月、そして皆既月食。 バッチリ観えるが、サムイ!
2011.12.10
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本格的な冬がやってきた。 午後「ぼちぼち村」に行って、水道凍結防止のためすべての蛇口をあけっはなしにした。 こうしておかないと水道管が破裂してとんでもないことになるのだ。 その作業が終わってから、酪農家の弘さんを訪問。 気になっていたとおり、放射線量が問題になっていた。 厳しい寒さに追い討ちをかけるような話だった。 後日、整理をして報告をしようと思う。 これからタカを風呂に入れる。 今日もあわただしく過ぎようとしている。
2011.12.09
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午後一番に妻を病院に戻し、「高次脳機能障害者 家族交流会」に参加。 主催は宮城県仙南保険福祉事務所。 1市2町から7名と講師1名、職員2名の出席。 それぞれ現在進行形の体験談を話す。 小生の妻のことはこの中ではもっとも新しい生々しい話だったのか関心を持たれた。 いくつか介護者としての心の持ち方が参考になった。
2011.12.08
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毎週水曜日は外泊、ということにした。 午前中シーリングライトの取り付けに取りかかったが、アダプターが天井のアダプターに入らず2時間悪戦苦闘してあきらめて販売店に持っていっ相談。 我が家のは形は同じだが配線が表に出ているため合わないのだということがわかった。 つまり、天井の取り付け具を交換するしかないのだ。 でも、億劫で気が向くまで先送り・ 照明器具は返品となった。
2011.12.07
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3日前から楽天ブログがゆうことを利かなくなった。 苦しくなって、長男に電話でヘルプ。 いろいろやってみたが、これまで使ってきた”XP”はあきらめて9月に買っていた新PCの"7”で教えてもらった。 2時間近くかかったけれど、なんとか打てるようになった。
2011.12.06
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{宝永大地震と大噴火と浜岡原発」 再度“宝永噴火口” 「宝永大噴火」は約300年前の江戸時代は徳川綱吉の治世、宝永4年旧暦11月23日(1707年12月16日)に始まった噴火で、規模としては非常に大きなものだった。 「宝永地震」 噴火の始まる49日前の10月4日(10月28日)にマグニチュード8,6~8,7と推定される大地震が起きた。 この地震は定期的に巨大地震を起こしている遠州沖を震源とする東海地震と紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したと考えられている。 その被害は、東海道、紀伊半島、四国に及び、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸に達したという。 その翌日辰の刻(8時頃)、富士宮付近を震源とする強い余震あり。この付近では本震より強く感じれれ、11月10日(12月3日)頃から山麓で地響きが始まる。 この4年前の元禄16年11月23日(1703年12月31日)発生した元禄地震の後にも12月29日(1704年2月4日)頃から山鳴りが始まったと『僧教悦元禄大地震覚書』に記されている。 「噴火の始まり」 宝永地震の余震と宝永火口付近直下の浅い地震活動が続く中、11月22日(12月15日)の夜から富士山麓一帯では強い地震が数十回起こった。 23日(16日)の10時頃より南東斜面から白い雲のようなものが湧き上がり急速に大きくなっていった。噴火の始まりだ。 東斜面には高温の軽石が大量に降り家屋を焼き田畑を埋め尽くし、夕暮れには噴煙の中に火柱が見え、火山雷による稲妻が飛び交うのが目撃された。 (以上Wikipediaより) 宝永大噴火から約300年、「宝永火口」の歴史を振り返ると、富士山の麓にある「浜岡原発」がいかに危険な状態にあるかが分かってくる。 こちらの斜面には、まだ解け残りの雪が見られた。 東富士演習場の場所などを確認しながら下る。 東名から“山手トンネル”(まるでモグラの道だ!こんなトンネルができているとは知らなかった。)を抜けて東北道へ。 夕日ににじむ富士。 東北道に乗る頃には夕日が沈むころ。 運転をずっと引き受けてくれた相棒とは国見インターで別れ、我が家に着いたのは10時半。大変いい旅だった。 余分なことだが、退職して〇年。15歳も若い現職から声をかけられるとは平で終わった冥利に尽きる思い
2011.12.04
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5合目を目ざす。 ほぼ一直線に登る。 海抜1,000メートルは一気だ。 途中相棒が道路の確認に商店に寄る。 そこで通行止めになっていることを教えられる。 でも、ひょっとしたら通れるかも?・・・と行けるところまで行くことにする。 ところがやっぱりダメ。 同じ思いの人たちが次々とやってくる。 カーブを曲がったところに本物のゲートが・・・ あきらめて御殿場方面へ。 富士のお山がどんどん近づく感じ。 ちょっとした空き地にはどこも車が数台停まっている。きのこ採り? 「お~い 富士山にちょっと登ってくるぞ~」と、手が届く感じ。 水ケ塚の公園に着く。 コーヒーを飲みながら“宝永噴火口”にひきつけられる。 今日はここまで。続きは明日。 タカを風呂に入れねばならない。
2011.12.03
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「浜岡原発11・26ひまわり集会」の後富士市の富士山の見えるホテルへ。 夕食は近くのファミレス風居酒屋で。 対応は多少つっけんどんだが、さしみ定食?(1,300円)を注文すると山盛り! それも5種類。中でも嬉しかったのは、当地名物の“しらすの生”。 こういう地の物が並べば、森の石松 「よっ おあ兄さんがた浜岡の原発つぶしに陸奥からおいでなすったんだって。ありがてぇねぇ。駿河のさしみじゃんじゃん食ってきねぇ!」 と声をかけてきそう。清水の次郎長にっこりだ 翌朝、窓を開けると 目の前に富士山! 登ったことはあるけれど、こんなに間近に見たことはなかった。 山頂も手の届くところだ! 周りを見渡して自分の位置を確認。 食堂からは裾野がばっちり! 5合目まで行くことに決定。バイキング式の朝食を腹いっぱいに詰め込む フロントで道を確認し外へ。 駐車場の脇に鮮やかな黄色!あたたかい。
2011.12.02
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浜岡原発周辺で観察したことを二三。 道路わきの雑木林の淵には“マテバシイ”たくさん生えており、その実(ドングリ)が歩道にたくさん落ちていた。食用となる。 その林と歩道の境には“ムベ”(アケビ科)のつるが薮を作っていた。 これは“ムベ”の実。この実は割れない。 我が家の丹庭や周辺には“ミツバアケビ”がほとんどないので珍しかった。 道の端には粒子の細かい砂粒? 畑も白い。 よく見るとサツマイモの畑。 とり残しを見るとイモも白い。コガネセンガン”か? 会場近く。アパート群の周りには茶畑があるが、放り出された茶畑も目立つ。 手入れができるところでは数種類の柑橘類が実っていた。 この大粒の実は、“バンペイュ”か? 家々の生垣には“マキ”が多かった。 その根元に“スイセン”ガ裂いていた。
2011.12.01
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