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あのね、3月27日、ツバメが帰ってきたのです。まず1羽。やせ細って去年の巣で休む夜。でも、ほんとうはその前の日に、藁をくわえて近くの電線にとまっているツバメを見た。あわてて家のツバメの巣を見上げたら、いつの間にか、痛んだ巣は修繕されていました。おかえり。去年ツバメのことを書いたのは4月3日。
2007.03.28
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1945年8月15日に玉音放送がある。連合国の先遣隊が8月28日、そしてマッカーサーが同月30日に厚木飛行場に降り立つ。あの有名なコーンパイプを持っている写真。日本の内務省は、8月18日、占領軍専用の性的慰安施設の設置を全国に打電する。遊郭など、買売春施設の業者を利用して新たに女性を募集する。目的は「日本女性をアメリカ兵の性欲から守る」ためとされている。東京では、政府の後押しを受けて関連7団体によって特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association 略称RAA)がつくられる。その創立の声明には、以下のような文言がある。「昭和のお吉」幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、民族の純血を百年の彼方に護持培養するRAAの特殊慰安施設は、連合国の先遣隊が日本に到着する28日には、すでに営業を開始しようとしていた。●たまたま仕事で読んでいた資料のなかに上記のような経過が書かれていた。ほんとうはもう少し詳しく触れられているのだけれど、大まかにまとめた。こうしたことを昨今の従軍慰安婦をめぐる議論と直接つなげることはもちろんできない。できないんだけれど、ぼーっとなった。ぼんやりと考えているのは、次のようなことだ。従軍慰安婦にかかわって、軍、あるいは国の関与をどうして少なく見積もろうとする人たちがいるのか。そこには戦争責任とか国家賠償とか、そうした問題(もちろん重要な問題だと思うけれど)があるからだ。それはわかる。だが、「河野談話」の見直しに懸命になっているという100人を超える自民党国会議員の人たちの情熱はそれだけではないだろう。国会議員のみなさんに限らないけれど。
2007.03.21
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友、遠方より来たる。週末。千葉だけれど。夕食までいくらか時間があったので、近所の公園に案内する。桃である。ここのところ冷え込んでいたけれど、桃の開花はやはり例年よりもはやい。去年の今頃はまだ、硬くてまあるいつぼみをつけていた。桃はつぼみがいい。この日、夕刻から晴れ間が見え、夕陽が差し込んでくる。雲が流れ、冷たく乾いた風が吹く。友は、離婚にともなうごたごたをなんとか乗り越えたばかりだ。相当の難関をなぜか突破して再就職先も確保した。4月からは汐留勤めになる。短いけれど、いまはささやかな休暇だ。翌日、○○プレミアム・アウトレットへ友人を案内する。田園地帯に忽然と降り立った、架空の街だ。ここにも冷たい風が吹き抜ける。映画のセットのような街なので、なんだか昔観た、砂混じりの風が吹く西部劇の街を思い起こしたりする。友人はそこで、ナイキのジョギング・シューズとトレッキング・シューズを購入する。「まずは体を鍛えなきゃね」。なにやら前向きである。風は容赦なく吹き付ける。シネコンで映画でも観よう、立ってると寒いからさ、先に行っててよ、ベーグルサンド、適当に買っていくから。セサミ、ポピーシード、オニオン…まあ、ベタだけれど、小さな声で言ってみる。この人に幸あれ。 笑
2007.03.20
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駿河台下から御茶の水へ向けて、上り坂を歩いていこうとしたとき、もう一歩も歩きたくないんだ、と足が言っていた。おめーが要領悪い仕事してるからだよぉっ と足が泣くのである。眠り苔って知ってる?主に人間の顔に寄生する。誰もが眠り苔菌の保菌者だ。ふつうは抵抗力があるからはびこることはあまりないけれど、寝不足になるともういけない。とたんに眠り苔菌の活動が活発になる。ほら、眠くなるときって、顔に眠気が貼りつくように感じて、火照ってくるでしょう? あれが眠り苔。というわけでタクシーを拾った。運転手さんが何かを喋った。とたんに体がほぐれるような声の抑揚である。青森の言葉だ。青森の言葉とひとくちに言っても例えば津軽弁とか… まあ、それしか知らないけれど、ほんとうは一括りにはできないのだと思う。自分にわかるのは、それが間違いなく青森の言葉だということだった。果たしてそうだった。運転手さんは、東京でこの仕事についてまだ一ヶ月しか経っていない。それまでは弘前で同じ仕事をしていた。弘前のタクシー業は斜陽である。へたをすると月に8万から10万円の収入にしかならないことがある。「弘前は観光地ということになっているけれど、観光客も昔ほどではないしね、もうタクシーを使って観光っていう時代じゃないもんねぇ」。地元の人もタクシーを利用することはほとんどない。一家に一台だった自家用車は、今では一人に一台になった。お酒を飲んでも「代行」の時代である。競争が激しくなっていて、タクシーで3000円かかるところを2000円くらいで運んでしまう。例えば会社に車を置いて歓楽街まで足を運んで飲むとする。すると「代行」の人は、お店でお客さんの車のキーを受け取り、それから会社に車を取りに行き、お店まで迎えに来てくれるのだ。東京のタクシー会社が、運転手を募集しに地方までやってくる。「いろんな条件がありましてね、それで自分であれこれ考えて選ぶんです。今のところは宿舎が安くて、月1万円くらいでね。まあ、5、6年はがんばってみようかと」。弘前には、年老いた両親と女房がいる。男の子3人を育てて、いまでは孫が5人いる。末の息子が19歳。その子も独り立ちしてようやく子どもたちから手が離れた。「子らのことでは、ほんとに育てるのに目一杯でしたからねえ。まあ、これから両親のこともあるし、年金といっても当てになるかわからないし、体が動くうちはやってみようと思ってね」。長男は池袋にいる。それも第二の職場を東京と選んだ理由のひとつだ。タクシー会社は足立区にある。川をまたぐともう埼玉県、宿舎はその埼玉県にある。通勤は自転車に乗って橋を渡り、会社までは5分の距離だ。宿舎には同じようにして、秋田、福島、山形の人間がいる。言葉はそれぞれ違うけれど「同じ東北ですからね、なんとか言葉が通じるんですわ」と笑う。「それで、やっぱり東北の人間は、みんなお酒が好きなんですかねえ、休みの日は一緒にちょっと飲んだりしてね」タクシーのメーターは820円。目的地に着く。
2007.03.16
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疲れやすい。笑午前11時に始まった会議がちんたらしている。そうして、みんなが勝手なことを言うので疲労する。自分で原稿を書いて編集して、というのが第一いけない。昼食時間を過ぎて、次の企画の見積をあわただしく提出しなければいけない。さらに違う仕事の校正が帰ってきた。そうこうしているうちに、あっという間に14時過ぎだ。結論が出ない案件を残して、次の約束があるので慌ただしくその場を失礼する。飯田橋で用を足し、次は青山に行かなければならない。けれど飯田橋の用事が案外はやくに済んだので、微妙に時間が空くことになる。飯田橋から外苑前へ。ケータイの乗換案内で調べてみると、ルートどりが不便。それに地下鉄だ。ときどき地下鉄が嫌になることがある。東京の地下をくぐっているなんて、なんだかぞっとしない。きっと軽度の閉所恐怖症なんだ(おおげさだよ)。飯田橋から千駄ヶ谷まで行き、そこからタクシーか、歩いてみようと思う。そうだ、歩いてみよう。ゼロサンイチイチ、昨日はこれから出かける会社にいる後輩の誕生日だった。シャレでプレゼントでも買っていこう。千駄ヶ谷の駅を降りて、東京体育館の広場を抜けて外苑西通りへ降りよう。東京体育館わきのグラウンドでは、まだ学齢に達していない子どもたちが、フットサルを教わっている。中学生くらいの少年たちが、ダッシュを繰り返している。速い。それに軽やかだ。このあたりには懐かしい思い出がある。東京オリンピックのときに選手たちの宿舎となった建物が残っていて、そこに旧知のデザイナーさんのオフィスがあった。古い建物だったけれど、西洋人を意識していたのか、間取りはゆったりとしていて、なかなか落ち着ける部屋だった。十数年前に、私たちとしてはけっこう大きな仕事を一緒にして、そこに毎日のように詰めていた。夜になると、うおんというような歓声が、国立競技場から響いてきたりした。ここでいうデザイナーさんというのは、本や雑誌のいわば設計をする人たちだ。本の装幀をデザインしたり、雑誌の誌面をレイアウトして構成したりする。この手の人たちには面白い人が多い。まず、趣味が多彩だ。そしてやたらマニアックだったりする。すごーく神経質な人もいるけれど、物書きであるとか、編集者であるとか、そういう人種よりもシンプルだ。それとこれは私が勝手に思っていることだけれど、ある種の謙虚さがある。デザインの仕事には基本的にオリジナリティなんてない。芸術とは違うんだよ。複数のデザイナーさんから、表現は少しずつ違っているけれど、そんなことばを聞く。十分に見事な、そして独創的な仕事をしている人でもそうなのだ。でもきっと、だからこそ強い。そう思うことがある。話がずれた。(続く)
2007.03.13
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お世話になっている人のご母堂が亡くなられて、お別れ会が催された。渋谷から私鉄線に乗り、幾つか目の駅で下車する。駅を降りると小さめな商店街があり、すぐに閑静な住宅街が続く。住宅街のなかの上り坂を登り、角を曲がると突然、大通りに出る。環状7号線だ。セレモニーホールというのだろうか、そこが会場だった。会は無宗教でとりおこなわれる。享年94歳。結婚し、男の子3人の母となった。夫は演劇畑の人で、とにかく貧乏だった。子育てをしながら、私立女子校の教師として家計を支えた。子どもたちがそれぞれに独立した頃、夫を亡くした。教師の仕事は70を過ぎるまで続けることができた。この人は今から10年ほど前に、手記を自費出版された。末の息子が出版関係の仕事をしており(この人に私は世話になっている)、この本の編集を手がけた。出版にかかった費用は3人の息子が出し合った。お別れの会では、会場の照明が落とされ、スライド上映がされるなか、その手記の一部が朗読された。夫の実家は裕福な家であったらしい。しかし戦後、すぐに没落する。都内でも高級住宅街で知られる地域であったけれど、「あばら屋のような」貸屋に家族で引越をする。夫は芝居の世界にいる。新しい演劇学校の創立に尽力するが、収入はほとんどない。学校の生徒たちが連日のように家に訪ねてきて演劇論を語り合い、酒を酌み交わす。彼女は講師として学校になんとか職を得る。そんな頃、念願の風呂を購入する。1950年代の初頭と思われる。末の子は4歳だったか。風呂は中古である。木製の小判風呂だ。使い込まれているけれど、思いの外、いたみは少ない。5月、その風呂桶がリアカーに乗せられて届けられる。職人さんが、物置のようにして使っていたトタン張りの小屋に、据え付けてくれる。急場で排水溝も設置する。水を張る。風呂釜も中古だったか。やがて湯が沸く。最初に入るのは夫だ。子どもたちがいまかいまかと待ち受けている。5月であるのに、待ちきれず、ほとんど裸になって騒いでいる。妻は菖蒲湯にしたい。菖蒲をくくって準備していたのだが、末っ子が飛び込む。父親の膝の上ではしゃぎ出す。そうして上の子ふたりも駆け込んで、大騒ぎになる。そんなエピソードが読み上げられる。スライドには、30代だろうか、質素な和服姿のこの人がはにかむように笑っている。あるいは夫に身を寄せる姿、そしてひょろりと痩せた3人の少年たち。私の席からは、今ではすっかり白髪頭となったそのうちのふたりの息子が座っている、その後ろ姿が見渡せる。次男は数年前、先立っている。こんなエピソードもあった。戦前のことだろう。結婚して数年、すでに子育てが始まっている。夫の実家に身を寄せている。あわただしい日々だ。早朝、夫に起こされる。これから出かけよう。どこへ? いいから、ついておいで。子どもをあわただしく姑にあずけ、裏木戸を二人して抜ける。私鉄に乗る。休日なのか、時間もはやく乗客は少ない。それからいくつかの電車に乗り換える。東京にまだなじみがないので、自分がどこへ向かっているのかわからない。やがて下車する。夫に手を引かれてしばらく歩くと、突然一面の桜に遭遇する。桜、桜、桜。まるで夢のようだ。お別れ会はそのようにして進行し、出席者はそれぞれに献花する。ささやかな席が設けられている。私は失礼しなければならない。知り合いの何人かに挨拶する。煙草が吸いたくなって、灰皿を探す。ホールの通用口を出たところに灰皿がある。そこで一服する。目の前には枝振りも見事な桜の老木が一本立っている。遠目にも、新しい芽が膨らみつつあるのがわかる。
2007.03.11
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ツー、ツー、ツーあのね、聞いてる?子どもたちがお風呂から上がってくるまでの間、ぼんやりテレビを見ていたんだ。Mステをやっていて、宇多田ヒカルが喋っていた。人生は淡く、ほろ苦い、そんなような一節が、彼女の歌っている歌にはある。「てんぷらのピーマンみたいな、人生てそんな感じかな、とか思いません?」て言っていた。そんなふうに喋っている彼女を見ていたんだ。彼女のこと、そんなに知らないけれど、テレビにうつる彼女は、いつも挙動不審だよね。落ち着かない。押し寄せてくる自意識を振り払っているみたいな感じ。それで思ったんだ。こういう子、いたよね。僕のそばにいたってことは、きっとどこにだっている。そんなに美人じゃなくて、だけどすげえ頭の回転が速いっていうか、感受性が豊か? みたいでさ、でも、そんな自分を持て余して落ち着かない。悔しいけどさ、ちょっと魅力的で、ちょっと幸せそうな感じじゃない子…。感傷ガ雪ミタイニ降ッテクル。タマンナイカラ、イツモ振リ払ッテイル。哀シミハ振リ払ワナキャネ。佐藤多佳子の「黄色の目の魚」ってあったじゃない? あの子みたいかな。「私、クレーンやパワーショベルなんかを運転する人になりたい。しっかりした技術を身につけて、やれることだけちゃんとやって、毎日おっかねえ顔で暮らしたいんだ。笑いたい時にだけ、少し笑うんだ。」って友だちに手紙書いてた女の子がいたじゃない?そう、宇多田ヒカルの話だった。それでテレビを見た次の日、ネットで彼女が離婚したってニュースを見たんだ。…それだけのことなんだけどさ。そうさ、言いたかったことはそういうことじゃない。(それに離婚が不幸なことだって誰が決めたんだ?)彼女の歌にはこんな一節もあった。それが言いたかったことのはず。ありがとうと、君にいわれるとなんだかせつないだから、あるよね、なんだ、ありがとうかよ、そういうことなのかよ。お前と俺、そういうことかよ、どっちもいろんなことがわかっているんだ。わかってはいるんだけどさワイヤレスマイクの調子が悪いみたいだった。悪いのかわからないけれど、彼女はそれを気にして、ほら、腰につけてある発信器、調整器みたいなのがあるでしょう? あれを歌っている間、操作したりしていた。彼女は歌っていた。あきらめたように微かに笑ったようにも見えた。それから歌い終わって、小さく舌を出した。
2007.03.04
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ああ、おまえはなにをしているのかと。朝焼け。
2007.03.02
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