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きょうはおともだちのたんじょうび。だからって、何がどうでもない。不思議なもので、記憶力の悪い自分なのだけれど、特定の配列の数字がいくつか、ひょんなことから頭から離れない、ということがある。そんなふうにして、おともだちの誕生日が何人か、頭の中に入っていて、その日を教えてくれるのだ。なかにはまったく連絡がとれなくなっている友人もいる。昔付き合っていた人だったりすると、ちょっとつらい。もともとそれほど親しいわけではなかったはずの人の誕生日を覚えていたりもする。何かの打ち合わせで、誰かが、あっ、○月○日は○○さんの誕生日ですよね、なんて会話が挟まれたりすると、そのまま録音されるみたいに記録される。「あっ、○月○日は○○さんの誕生日だった」。ふだんはまったく忘れているのに、その日ちょっとだけ、その人のことを考える。きょうのおともだちは、異性だけれどシャレが通じる。お祝いデコメールとか送っても、しゃあしゃあと愛してくれてありがとう、とか返してくれる。どちらもそんなことは始まりようもないことをよく知っている。おともだちは去年、大きな病気を抱えた。さまざまな困難を経て、いまは快方に向かっている。完治が告知されるのはまだもう少し先だとしても、少しはともだちの苦労を知るものとしては心から感謝したい。何にかはわからないけれど。その人がいなくなってしまえば、自分のなかのなにかが確実に損なわれる。そういうわけで(どういうわけだ)、今日はおともだちのたんじょうび。おめでとう!
2007.02.26
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友人が送ってくれたメールには、要請文がつけられていた。日本政府に対してのものだ。大要は以下のようになる。あわせて「河野談話」全文も参考資料としてあったので、これは全文そのまま引用したい。あらためて読み直してみると、ある種の感慨がある。●要請の大要(ウラガエルが一部をかえている)「河野談話」は歴代内閣の見解だし、安倍晋三内閣総理大臣も就任直後の国会答弁で、内閣としても個人としても「河野談話」を踏襲すると表明している。だがその後、下村博文内閣官房副長官や中川昭一自民党政調会長は「河野談話」見直し発言を行い、自民党の議連「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は小委員会を設置して談話を出した経緯や事実関係の検証を進め、報告書を作成して安倍首相に見直しを提言するとしている。ちなみに安倍首相はこの議連立ち上げから長く事務局長をしていた。首相のその後の沈黙はこうした「見直し」を容認しているとしかみえない。「河野談話」が発表されて10年以上が経過するけれど、その後に発見された数々の軍関係資料や「慰安婦」裁判や被害女性の証言を通して、談話の元になった調査を遥かに上回る悲惨な実態(拉致的連行・虐待・暴力・監禁・奴隷的待遇・自由の剥奪・死亡・性病罹患・妊娠・戦後の置き去り等々)が明らかにされている。またいくつかの裁判ではこれらの被害事実がすでに認定されているではないか。※日本政府が「河野談話」に真摯に向き合い、そこに書かれた内容について積極的に取り組んでいくよう、強く要請したい。とか。※認定はされてもすでに解決済みだったり時効だったりする。時効ばかりか、訴える相手がすでに存在しないため、訴えそのものが成立しないとされることもある=ウラガエル●「慰安婦」関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話1993年8月4日 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般、その結果がまとまったので発表することとした。 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。 我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。引用以上。
2007.02.22
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江古田にて友人を車に乗せる。出発だ。車は山の手通りを越え、池袋駅を正面に見て、右折する。ガードをくぐり雑司ヶ谷に向かう。都電の踏切を越えると雑司ヶ谷霊園が見えてくる。車を霊園に乗り入れる。そこから護国寺まではすぐ近くだ。江戸川橋から少しはいったところ、友人には助手席に待ってもらい、仕事をひとつ印刷所に届ける。それから新目白通りを飯田橋へ。何も考えずに外堀通りを右折する。私たちには話すことはほとんどない。昨日あった東京マラソンの話をしたのだったか。この日のこの時間、東京は昨日とうってかわって晴れている。ラジオでは春の陽気になるでしょうとアナウンサーが話している。友人は昨日、銀座にいた。銀座通りには、幾人ものマラソンランナーが走っていた。友人は高校時代の友人たちと、食事をしていたのだという。外堀通りを四谷方面に向かうこのコースは、東京国際女子マラソンの最後の上り坂になる。あまりに有名な高橋尚子の走りもそうだけれど、これまでにいくつものドラマをつくってきたのだ。どうでもいいことだけどさ。友人はうすく笑ってうなずくだけだ。もう20年以上の付き合いなのだ。それなのに、なぜ私はいつもこの友人を前にすると、浮ついてどうでもいいことばかり話すのだろう。本当はそのわけを私は知っている、きっと。私はここで間違いに気がつく。靖国通りまで車を走らせ、そこを靖国神社方面に右折するはずだった。「間違った。遠回りをしたよ」と友人に謝る。「大丈夫、まだ時間に余裕があるから」。友人が答える。皇居のお堀端を走っている人たちがいる。まだ午前10時過ぎ。道路は思ったよりも空いている。車はお堀端を時計回りの反対に回り、日比谷で銀座方面へと右折する。ここからは一本道だ。有楽町の駅前をのぞき込む。車でこのコースを友人と通るのは3回目になる。そのたびに私たちは数寄屋橋の宝くじ売り場に列をなす人たちを見てきたのだった。この日もけして数少ない人たちが行列をなしている。グリーンジャンボの発売日だと、ラジオが報じていたのを思い出す。不二家のビルが逆光のなかに佇んでいる。「不二家はどうなるのかね」。友人はなにも答えない。銀座近辺が混雑するのも昭和通りまでだ。築地市場を右手にみてかちどき橋を渡る頃には、もうわずかな車が通りすぎるだけになる。目的地まではもう少し。私たちはあっという間に有明に出る。友人はこの日、何度目かの入院をするのだった。車を所定の駐車場に駐め、友人の荷物をいくつか持って病室まで向かう時間。友人の病室に荷物をおいてそそくさと別れを告げる時間。それが過ぎ去ると、私はいつも何もすることがない。いや、仕事はいくらだってたまってはいる。けれども本当のところ、すべてを病室に置いてきてしまったように感じるのだ。私にはなにもない。もちろんこれは感傷に過ぎない。やがてノイズがしだいに満ちてくる。いやおうなく再び日常が押し寄せてくる。沈黙について考えていたのだ。友人のブログに書き込まれた「沈黙」について。それからある詩人のこと。数日前に友人から送られてきた「個人雑誌」。そこにちりばめられた見事な文章。与那原恵、藤本和子、山崎佳代子…この時間、世界の至るところで、そうだインターネット上でもいい、無数のことばが囁かれ、書き込まれていることだろう。だがどれほどのことばがあったとしても、感情も希望も絶望も沈黙のなかにある。記録された言葉でもなく、いままさに発語されたそれでもなく、沈黙のなかに、時間は流れてきたはずだ。無数の沈黙の中で、人は生き、死んできた。だとすれば、書かれてきた歴史にはなにが存在し、なにが不在なのだろう。
2007.02.21
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保育所の話である。ある特定の子の持ち物に落書きがされていた。子どもたちはそれぞれに引き出しを与えられていて、そこに必要なものを入れている。落書きされたのは、その引き出しにしまってあるひらがなのドリルブックで、その表紙が赤いペンでがしがしと、まあ不規則な図形がいくつも書き込まれていたのだった。そうしてそれが二日続いた。誰がそれをしたのか、わからない。保育士たちは衝撃を受けた。そうしてそれがどんなにひどいことか、子どもたちに話した。保育士たちが動揺し、そうしてそのことを子どもたちに示してくれたことはよかった。きっと、たぶん。だが、私たちの世界では当たり前にあることだった。残念ながら、驚くことでもない。私たちの世界はこうして、やはり当たり前のこととして、新しい仲間を迎えるのだ。さて、そこでだ、私たちの世界で、私はこれからどうするのかと考えあぐねている。
2007.02.17
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