CAPTAINの航海日記

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2006.12.10
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テーマ: 鉄道(23126)
カテゴリ: 鉄道忌避伝説
昨日の日記で鉄道忌避伝説について書きましたが、実は南東北の東北本線沿線では、住民が鉄道を誘致したという伝承も、残っていたりします。
こちらのサイト 。岡田益男という人が河北新報紙上で連載していた記事なんですが、ここのページの下の方に「初代尾形安平翁 株式募集に大奮闘」という文があり、宮城県大河原の資産家であった尾形安平が鉄道の将来性を信じて大河原に鉄道を通そうと奮闘した様子が描かれています。
この文章で何と言っても目を引く部分は、後半の、大河原と角田との間での日本鉄道株取得や用地買収などの場面で展開された鉄道誘致合戦。角田は鉄道忌避伝説が残る地だとばかり思ってましたが、文章を見る限りでは忌避の様子は見えず、逆に積極的な誘致とはいかないまでも「自分のところは城下町だからほっといても鉄道が通るだろう」と鉄道敷設にはそれなりの期待を寄せている様子が伺えます。
この文章、鉄道忌避伝説を記した文章よりはもっともらしいことが書いてありますが、100%の史実かどうかは、正直言って疑わしいものがあります。例えば、鉄道が開通する8年前(正確には9年前)の明治11年(1878年)に鉄道の回通を見越して大河原町内を流れる白石川に現在の尾形橋(当時の名称は開運橋)を架け、尾形町(現在の大河原駅周辺か)の土地を買い占めたというくだりがありますが、尾形橋の架橋は史実としてもそこまで先見の明があったかどうかは甚だ疑問。そもそも東北本線を敷設した日本鉄道が発足したのは1881年のことだし、1878年の時点では鉄道が大河原どころか東北にいつ来るのかは未知数の状態だった訳ですからね。
また、文中では東北国道(現在の国道4号線か)を尾形橋経由に移したとなっていますが、実際に国道がこのルートに移ったのは、船岡に海軍省第一火薬廠が開設された1930年代に入ってからのこと。こういう細部の間違いがところどころに目立つのもまた、この文章に全幅の信頼を寄せきれない一因です。
ただ、この文章が脚色に満ちたものであったとしても、東北本線沿線の地域が鉄道誘致に積極的であったというケースが見られることは、ひとつの収穫。ついでに言えば、このテの「鉄道誘致伝説」は仙台駅の設置をめぐる経緯(最初は現在の宮城野貨物駅付近に設けられる予定だったが、街の衰退を危惧した住民が発起して現在の仙台駅の地点まで引っ張り込んだ。だから仙台駅付近の東北本線は西に不自然にカーブを描いた格好になっている)などでも見られます。まぁ、これもまた史実かどうかはアヤシイところなんですけどね。





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Last updated  2006.12.10 23:21:57
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