CAPTAINの航海日記

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七詩 @ Re:一旦書いたエントリを消す(07/21) 同じようなことをいつも考えて書いていま…
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CAPTAIN @ Re[3]:馬場市長、どこまで頑張れるか(03/28) >elbe14さんへ 県議時代は非自民系でし…
2013.06.13
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一昨日から「庄内地方」あるいは「羽越本線沿線」のことばかりブログに書いておりますが、この地域のことがどうにも気になって、沿線にあった諸藩の参勤交代路について、ちょっと調べてみました。
一応、沿線には羽州浜街道という現・国道7号線の原型となった街道があり、松尾芭蕉も「おくのほそ道」にて訪れているのですが、この街道が参勤交代で利用されることは殆どなかったようです。一時期亀田藩や本荘藩(いずれも現・秋田県由利本荘市)が利用したことがあったようですが、それも庄内藩領を流れる最上川までの一部区間にとどまります。その先はなんと、最上川の舟運を利用して内陸の新庄藩領に出、現在の山形県舟形町から羽州街道⇒奥州街道というルートで、江戸へと至っていました。
当然、庄内藩も、このルートを活用して参勤交代をしています。最上川は元々舟運が盛んであり、日本海を航行する北前船で運ばれた上方の文化が上流へ、沿岸の盆地で獲れた米などの作物が河口の酒田へとそれぞれ運ばれ、また庄内盆地と出羽山地との境界にあたる清川(現・山形県庄内町)の船着場は、出羽三山の参詣客で賑わっていたとのこと。
庄内から南の新潟県内に入ると、村上藩や新発田藩の領地。これらの藩の参勤交代は三国街道経由で群馬県へと抜けるのかと思いきや、新発田から加治川上流の赤谷を経て会津藩領だった現・新潟県阿賀町に出、そこから現在の国道49号線に近いルートで若松、更に現在の国道294号線に近いルートで白河へと至り、あとは奥州街道経由で江戸まで…最上川と同様に阿賀野川も舟運が盛んな河川でしたが、だからこそ、川沿いのルートが参勤交代路として意識されるに至ったのでしょう。ちなみに、会津藩も白河⇒奥州街道が参勤交代のメインルートでした。
ところで、参勤交代路どころか、鉄道網もまた、海岸沿いのルートが後回しにされていたりします。庄内ではまず酒田線(後に陸羽西線)として新庄駅から酒田方面に向かって鉄道の建設が進められ、1914年に酒田駅まで開通という経緯を有しています。陸羽西線はその後も南北へと順次建設が進められ、1923年までに鼠ヶ関駅(現・山形県鶴岡市)~羽後岩谷駅(現・秋田県由利本荘市)間が開通。翌1924年に秋田駅から羽後亀田駅まで延びていた羽越北線および新津駅(現・新潟市秋葉区)から村上駅まで延びていた村上線と相次いで繋がったことから全線が羽越(本)線と改称された次第。
会津側も、1914年までに郡山駅~新津駅を結ぶ岩越線(現・磐越西線)が早くも全通。同じ1914年には新津駅~村上駅を結ぶ村上線も開通したため、この時点での新発田、村上方面から(ついで言えば新潟市からも)上京する際のメインルートは、磐越西線経由ということになります。庄内地方や秋田県沿岸部(秋田市も含む)を含む羽越本線沿線地域から上京する際のメインルートが羽越本線⇒信越本線経由へと変わったのは、1931年の上越線全通まで待つことになります。


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Last updated  2013.06.14 10:51:01
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