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・9、21、金
日曜日夜11時からNHKで毎週放映されている、韓国の大河ドラマである「イ・サン」を欠かさず観ている。
そのせいか韓国の辿って来た歴史に興味がある。
特別勉強した訳ではないのだが、イ・サンの時代のように厳然と王宮が政治を司っていた時から、国力が著しく弱まり、周りの国々に何度も攻められ、長い時代他国の属国として辛酸を嘗めてきたその理由を勉強する必要があると思う。
詳しい人に尋ねると、国内でずっと内乱が続いたため王の力が弱まり、そのせいで経済的にも弱くなって行ったという。
これは要するに王の政がうまくなかったせいでもあるが、イ・サンを見ていてもそれは一筋縄では行かない大変な苦労だ。
王を引き摺り下ろし、利権を我が物にしようとする派閥の戦乱の世界だ。
これは平安時代の京都も同じ理由で政治の衰退した状況であったようだ。
武田氏の記事によると、1910年に日本に併合されたことによって韓国国民は幸せになったとあるが、実際はどうなのだろう。

一旦併合を認めた当時の韓国王は、さて書類に判を押す段になって、急に「押すのはいやだ」と言い出したらしい。
すると日本の何とかいう大将が鞘から日本刀を抜いて、その中で伊藤博文が王の手を取って無理やり判を押したという。
その後韓国の農民が田畑を耕していると、日本の役人がやって来て「韓国の土地はすべて日本の所有となった。ここで農業を営む以上、税を納めてもらう」と伝え、手続きを拒むものからは土地を没収したという。
没収された人々は食べていく術を失い、仕方なく小さな船に乗って日本に逃げて来た。
また韓国には当時仕事をすることも許されない立場の人々がたくさん存在した。
信じられないほどの貧困に追いやられ、併合と同時に彼らも日本に逃げた。
日本に来ても過酷な差別に苦しんだが、韓国での苦しみよりはましであったようだ。
そして皆至る所で身を寄せ合って細々と暮らした。
大阪では当時から生活の糧を確立して行った人々が住み、そこにまた多くの脱国者が身を寄せてコリアタウンのようなものが出来て行った。
そして現代彼らは日本で成功を収め、町々を発展させた大きな一端を担っている。
これは僕の個人的な感想であるが、軋轢の中で耐えてきた彼らは、実はあらゆる能力を備えた人種であると。

今の韓国国民は、彼らに対して嫉妬のような感情を持っている部分があるのではないだろうか。
在日の友人がいつも語ることに「私たちは日本人でもない、そして韓国人からも批難されている。
どこにも所属できない根無し草のように思えることがあるのです」と。
日本人と在日の人たちは、共にこの国を発展させて来たと言える。
なに人でもいいから、ここに住むもので、この場所を我々にとって住み良い、誇りの持てるところにして行くべきだと思うのだが。



尖閣・竹島・四島・・・領土と国(4) 朝鮮
「takeshima1tdyno.248-(8:23).mp3」をダウンロード
竹島の問題は尖閣諸島とは趣が異なります。それは、「歴史的に見て、日本は中国に
比べて、朝鮮にそれほど悪いことはしていないのに、なぜ、朝鮮人は中国人を嫌わず
に、日本を嫌うのか? それは本当の姿か?」ということが鍵と思います。
というのは、日本との関係ができるまで、朝鮮は中国の属国の歴史が長かったですし
、元の時などはそれこそ大変でした。そして19世紀の終わりには帝国主義時代で、
「清、ロシア、日本」のいずれかに併合されるという状態でした。
1910年に日本が韓国を併合してから朝鮮は発展し、多くの朝鮮人が幸福になりました
。だから普通には正しい道筋でもあったのですが、でも日本に併合されたのだから、
朝鮮の人にとっては不本意だったでしょう。
このことを考えるには、朝鮮の難しい社会構造があります。朝鮮の支配層は「日本よ
り中国に支配されるなら良い。ロシアでも良い」としていましたが、それはやや精錬
潔癖を望む日本では貴族の地位が危うくなることでもあったからです。
1910年の併合前後、当時の李朝朝鮮は中国の支配下にあって国は乱れていました。ヤ
ンパンと呼ばれる上流階級が一般国民を農奴ように支配するという社会で、上流階級
は清朝に隷属していました。
その様子は女流旅行家:イザベラ・バードの手記に良くまとめられています。
「朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制
にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。官吏
階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役
所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には
積極的にせよ消極的にせよ反対していた。
政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さい
とはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を
肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日
本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あっ
たとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。
日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側
である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服
は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の
対象となっていた。
?イザベラ・バード, 『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 f
ところで、当時は帝国主義時代ですから、国力が弱いので中国、ロシア、日本のいず
れかの属国になるしか選択肢はなかったのですが、日本はイヤだったのです。
日本の歴史書には「日本が入ってくると、階級制がなくなりヤンパンの特権が奪われ
るから」とありますが、それならヤンパン以外の朝鮮人はどうなのでしょうか? 私
の回りの朝鮮の人はみんなシッカリした魂を持った人なのに、なぜこれほど日本を憎
く思うのか、竹島の問題は「国際法」など以前に、私たちが「韓国人」という場合、
それは支配層なのか、支配層の影響を受けている人か、それとも一般の人なのか、そ
れを考えなければならないのです。
くれぐれも注意がいるのは、「朝鮮人の支配層」が自分たちの利権を守るために日本
人が来るのをいやがっていたという事実です。いまでも、もしかすると日本を憎んで
いる人は韓国の一部でそれを誇大にマスコミが報道している可能性もあります。
日本でも「選挙をすれば負ける」と言う民主党が政権をとっているぐらいですから、
外から見たその国と内から見るのとは違うかも知れません。
(平成24年9月16日)
武田邦彦





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最終更新日  2012.09.23 10:16:42
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