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もしパートナーが突然 植物人間になってしまったら?きっと最初は いつか目覚めてくれると信じて病院で管に繋がれたままの姿でも 生きていてほしいと思うでしょう。でも5年たっても、10年たっても回復の兆しが見られなかったら?今後も回復の可能性はまずない、と医師にも言われたら?今 アメリカCNNが毎日トップで伝えているニュースはテリー シャイボーさんのことです。テリーさんは 26歳の時に拒食症から脳障害を起こし意識が戻らないまま15年間 限りなく植物人間に近い状態で病院にいます。夫のマイケルさんは 妻に回復の見込みのないことを悟り7年前に 彼女の栄養チューブを取ることをフロリダ州の法廷に求めました。激しく抗議したのはテリーさんのご両親。テリーさんは自己呼吸しています。話すことは出来ませんが、時折声を出します。裁判は何度も繰り返され彼女が意識を無くして15年経た今年になってついにチューブを取り外しても良いという判決がフロリダ州の法廷で下されました。チューブが外されたのは12日前です。そしてその日から CNNの報道が続いています。夫のマイケルさんがこれは妻の望んでいたことだという一方でテリーさんのお母さんは「管を外すのは殺人だ、テリーは今も助けてくれと叫んでいる」と訴えて続けています。人間の生きる権利を奪うべきではないという意見。法により下された判定は尊重すべきだという意見。倫理、宗教、法の領域から様々な議論が繰り広げられています。「水分、栄養の供給を断ち12日目になりました。きょうもテリーさんは生きています。」病院の前からのライブ報道。可愛そうなテリーさん。私には テリーさんが主義主張で凝り固まった原理主義者や興味本位の報道の餌食になっているようにしか見えません。そっとしておいてあげればいいのに。安らかに昇天させてあげればいいのに。私は 自分の力でご飯が食べられなくなったら静かに次の世界へ旅立ちたい。今からはっきり家族に言っておきたいと思います。
2005年03月30日
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知り合いにチケットをもらったのでヤフードームと名前を変えた元福岡ドームに野球観戦に行ってきました。相手は楽天イーグルス。IT球団の対決です。ソフトバンク、ピッチャーは去年ルーキーで入団したもののすぐに2軍に落ちてしまった馬原孝浩。安定したピッチングで 開幕初勝利を飾ることができました。同じ年の川崎とヒーローインタビューのお立ち台に立ち、晴れやかな笑顔。良かった~。昨年の元旦に神社の階段を何度も上り下りして自主トレに励んでいた彼を見て以来応援していたのです。王監督はホークス就任700勝目とういうことになったそうでドームは花火が上がり、ルーフが開き、おめでたモードが充満しました。それにしても、ホークスファンの切り替えの早いこと。応援グッズも風船もソフトバンクカラーの黄色一色になってます。去年までのオレンジ色のダイエーグッズは今何処???電池がなくなりそうな携帯で撮ったピンボケ写真ですがドームはこんな感じでした。 変わってないのは応援歌。歌詞最後の ♪それゆ~け、われらの「ダイエーホークス」♪ の部分がちょっと字余りで「ソフトバンクホークス」に変わっただけ。球団名が変わったことに 素直になじめずにいた私ですが気づくと大声で歌ってました。♪それゆ~け、われらのソフトバンクホ~クス~♪オ~オ~!(オ~オ~は私のおまけ)さて、あしたはK大のミーティング。世の学校は春休みの真っ最中ですが、私たちはお仕事開始。私も ホークスファンの端くれ。楽しい春休みでしたが バッと気持ちを切り替え明日からワークモードで頑張ります!オ~オ~!おわび楽天さんのサイトなのに、ソフトバンクホークスの勝利を喜ぶ日記を書きました。ごめんなさい。
2005年03月28日
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地震からきょうで1週間。時々余震がやってきますが、もう慣れました。それにしてもこの1週間は どこに行っても地震の話ばかりでした。地元のテレビでは 相変わらず被害の大きかった地区からレポーターが報道しています。自宅からの避難を余儀なくされた方々にとって非常に気になるニュースであることは認めるけれど地震報道がそればかりってのもどうかなぁ。今回、地震の被害を心配して、遠方の知人、友人が数多く連絡してきてくれました。とても嬉しかったけれど、報道も問題ありだな、って思いました。台風の報道にしても同じです。台風の時、レポーターは 日頃から強い風の吹く埠頭や浜辺にわざわざ立ち今にも暴風に飛ばされそうになりながら 台風の脅威を報道します。遊園地の観覧車の前に立ってクルクル回る観覧車を映し出してる局もありました。でも、誰が台風の日に海や遊園地に行くでしょう?!たいていの人は常識があり、そんな日は家の中や会社にいるものです。そして普通の人の見る光景は 窓の外でユサユサ揺れる木だったり空を舞うビニール袋だったり、そんなものです。それが現実に近い台風の姿。ニュースは劇的でなければニュースにならないのでしょうがことさらに被害の大きさばかりを報道すると誤解を呼びます。視聴者がおそらく一番知りたいことは 人々の安全。だとしたら、被害の大きい同じ地区だけを繰り返し報道するのはやめて同じ地域でも被害のなかった地区のこともこの辺りはは大丈夫、心配ありません、と伝えてほしい、そう思いました。で、うちの近所ですが、埋立地なので液状化現象が起きて、地面のところどころから泥が吹き上げた跡が残ってます。図書館の周りもレンガを敷いた歩道がところどころ盛り上がって「足元注意」の看板が立てられています。ただでさえ 躓いてひっくり返りそうになることの多い私。すぐに浮き足立ってしまう悪い癖もあります。「足元注意」はい、重々に気をつけたいと思います。でも 頭上には そろそろ桜も見られそうで。。。ドテッ。
2005年03月27日
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近所のスーパーにお買い物に行ったら愛知万博開幕セールでキャベツが売ってました。ひと玉198円。愛知県ってキャベツの生産地だったんだ。知りませんでした。万博には行かないと思うのでせめてキャベツだけでも、と ひと玉買いました。名古屋といったら味噌カツだけれど野菜中心の食生活を心がけている我が家。薄切りロースにキャベツを巻いてトンカツを作りました。マスタードを効かせたソースをそえて美味でした。(*^-^*)
2005年03月26日
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きょうは朝から雨。時折はげしく降ります。この雨で地震の被害が拡大しないことを祈るばかりです。余震が続いているようです。「ようです」って書いてるのは、私はあんまり感じないから。「今 揺れたね。」って言われても「え?そう?」自分の頭の中が揺れてるんだか地震でほんとに揺れてるんだか どうもはっきり区別がつかなくなってしまいました。何となくいつも 少し酔っ払った時のようにふんわり揺れてる感じです。ま、こういう時は心配してても仕方ないしきょうは図書館で借りてきたCD付のヨガの本を広げCDから流れるゆったりとした音楽とインストラクターの指示に合わせてゆ~っくり ヨガをやりました。深~~~く 息を吸い込んでス~~~~~ッと 時間をかけて息を吐く。腹式呼吸って 精神の安定にとても大切です。ライオン、コブラ、ウサギ、魚、バッタ、武将、山、木立ち、椰子の木、弓、船これ、みんな ヨガのポーズの名前です。ちなみにライオンのポーズというのはあごを引き 目を大きく見開いて鼻先を見つめ舌を思い切り出して「バ~ッ」と声を出しながら息を思い切り吐く、というものです。そのポーズをしている自分の顔を想像すると お寺の山門に立っている憤怒仁王像かバリで祀ってあった狛犬のような神様が浮かんできて可笑しいというより おぞましく思わず首を振ってしまいそうですがヨガでは意識を集中させ、邪念を振り払うことが肝心。ライオンになった気分で ぐっと気合を入れ、体の中にある悪いものを一気に吐き出すことをイメージしてやります。このポーズ、続けると顔全体の血行が良くなり 肌年齢を若返らせる効果もあるんですって。お部屋に一人だけの時に(←大切) ぜひお試しください。例年 春先になると上がる血圧ですが今年はまだ平常値のままです。ヨガのおかげじゃないかな、って思っています。
2005年03月22日
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きょうは お墓参りに。家から 自転車で10分くらいの所にあるお寺です。墓地に入り 唖然。お墓の5分の1くらいが 倒れています。幸い 我が家のご先祖様のお墓は無事でしたがあらためて昨日の地震の凄さを思い知り 恐怖を感じました。納骨堂の方も お位牌やお供えが落ちてしまって 大変だったそうです。いつも行く図書館は きょうは臨時休館。本が30万冊も棚から落ちて 職員80人総出で整理しているとか。亀裂が入った道があったりブロック塀が落ちた家があったり町が元の状態に戻るには まだまだ時間がかかりそうです。いろいろご心配くださり ありがとうございました。
2005年03月21日
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長い1日でした。きょうは私立K大の卒業式で私は朝早くから特急電車に乗って 北九州市まで行っておりました。会場はK大の体育館。式が始まって1時間近く経過し来賓の方の長くつまらない祝辞にいい加減辟易してたところに ぐらぐらぐらぐら「あれ?」「何、これ?」隣に座ってる先生と顔を見合わせました。それから また ぐらぐらぐらぐらぐらぐら椅子ごと横に地面が揺れます。1分以上は続きました。「地震?地震よね。」会場もざわつき始めました。が、場所は体育館。天井の電燈もしっかり埋め込まれており 揺れる物体は見当たりません。確かに地震だと思うのだけれど。。。「ご静粛に!」「式の進行を続けます。」司会者のアナウンスがあり、何事もなかったかのように卒業式は続行されました。その時私が思っていたことは もしこれが地震なのならばここでこのくらいの揺れなのだから震源地は物凄いことになってるに違いない、ということ。まさか震源が福岡だとは思いもせず関西の知り合いは無事だろうかと心配していたのでした。式が終わって、確認のため自宅に電話をしましたが、あれ?繋がりません。母のところも繋がりません。すると横浜に住む妹からメール。「だいじょうぶ?」それで私は 震源が福岡で、震度6の地震があったと言うことを知ったのでした。まあ、それからの時間の長く感じられたこと。講師室に戻ってテレビをつけると、よく行く町の丸善が入ってるビルの窓が割れている映像。早く自宅に戻りたいと思ったのですがJRは不通となり、高速道路も通行止めで 立ち往生。ダ~リンと連絡が取れたのは3時間後。大学の8階にある研究室にいたダ~リンは 本が棚から落ちてきてこの世の最後かと思ったとのこと。幸い自宅は鏡台からマニキュアや化粧水の瓶が落っこちていたくらいで大きな被害はなし。上の階の母も無事。水槽のグッピーが飛び出してフロアーが水浸しになったくらいで大切なお皿やグラスは無事ということでした。でも、やはり自分の目で確認しなければ落ち着きません。夕方になってやっと新幹線が動き出したというニュースが流れましたがダイヤは乱れに乱れておりやっと夜8時過ぎに自宅にたどり着いたという次第。この地震のニュースはオーストラリアでも報じられたそうでムスコ達や ダ~リンの両親や兄弟からも次々と電話がかかってきました。それにしても、人生、一瞬先は闇なのですね。いつ どこで何が起こるか、ホントにわからないものです。まだ時々余震があります。泥縄で非常時用バッグを作りました。とりあえず いつも覚悟だけはしておこうと思ってます。
2005年03月20日
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今回、最も楽しみにしていたのがラフティング。だいたい私は遊園地に行っても 水関係のアトラクションが1番好きなのです。ボムボートに乗って 思いっきり水飛沫を浴びながらアレヨアレヨと流されて 最後にドブンと滝から落ちるあの展開がたまりません。今回はそれが遊園地じゃなくて本物の渓流で体験出来るんですから興奮します。バリには現地発の様々なツアーがあって ラフティングも幾つかの会社がツアーを組んでいました。私たちは バリ最高峰のアグン山からの源流、トゥラガワジャ川を1時間半かけて下るツアーに申し込みました。ホテルからの送迎に ライステラスが見えるレストランでのランチつき全8時間の行程で 2人で660000ルピー、7000円くらいですから本当にお得です。さて、ホテルから約1時間半かけて着いたところは山の中腹。見事な棚田が広がっています。ライフジャケットとヘルメットをもらい、ガイドのおじさんについて坂を下りいざ川へ。青いゴムボートに乗り込みます。前漕ぎ、後ろ漕ぎの練習。ガイドさんがブブ~ンと言ったら必ず体を伏せること。そんな決まりごとを習って いざ出発!川の流れはそんなに急じゃないけれどいつものようにダ~リンと息が合わなくてボートは反対向きになってしまったり、岩に乗り上げたり。その度にガイドのおじさんが 力強い腕で軌道修正してくれます。何度も岩や対岸の崖にぶつかってるうちに必死で漕ぐより ヨットのように体の重心を傾けることでうまく流れに乗れることが判明。なるほど。それからは 回りの景色を眺める余裕も出てきました。両側は椰子の木がうっそうと茂ったジャングル、ターザンが使いそうな長くて太いつる草もあちこちに垂れています。ここで ワニでも出てきたら ディズニーランドみたいだな、なんて思ったら出ました~~~~。真っ裸のおじさん、一糸まとわぬ姿で水浴びしてます。アソコ、まる見え! オール、落としそうになりました。思わず荒くなってしまった鼻息がやっと鎮まった頃 今度は上半身裸でオッパイ ブラブラさせながらお洗濯しているおばさん出現。そばで子供たちも遊んでいました。手を振ると、ちょっとはにかんで手を振り返してきます。なんてのどかで素朴な生活なんでしょう。と、向こうから白っぽい大きな物体が二つこちらに向かって流れてきます。ちょうど桃太郎が出てくるくらいの大きさの物体、でも桃じゃなさそうです。何だろう?マンゴ太郎のマンゴ?・・・近づくにつれ悪臭が漂ってきました。すれ違い様に私の目が捉えたものはギョッ!!!!!!ぶ、ぶ、ぶたの頭でした。白と黒のぶちの豚の頭。お盆のお祭りで〆られたようです。あ~、思い出すたび未だに怖く 心臓がパクパクします。さてその後 ボートは滝の下をくぐったところでちょっと休憩しそれから また出発。前漕ぎ ブブ~ン、この頃になると息も合って順調に進みます。このまま1日中川を下っていたいと思うほど。でも残念ながら時間です。最後は 3メートルくらいの滝をドボ~~~ンと下り私は全身びしょぬれ着地の衝撃でひっくり返ったまま起き上がれず足を空に向けてバタバタさせた姿で ラフティングを終えました。「カリブの海賊」に勝るとも劣らぬスリル満点のラフティングでした。 さて、クイズです。 どっちがダ~リンでしょう?
2005年03月18日
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バリに着いた翌日はガルンガン(迎え盆)の日。ホテルはバリで一番賑やかなクタビーチのそばにありました。「お姉さん、こんにちは。」「ちょっと見ていって。」「トランスポートいる?」物売りや白タクの運転手から 10歩歩くうちに3回は声をかけられます。断ってもめげずについてくる逞しさ!日本語も上手!立派ですが・・・いちいち断ってるだけでも結構疲れます。人ごみが苦手な私たち(特にダ~リン)はクタの喧騒を避けバスに乗って山あいにあるウブドの町に出かけました。エアコンも無いオンボロバス。ガタガタ揺れます。でも文句は言えません。往復400円くらいの安さです。運転手さん、バイクの波をシュルシュル追い越し すごい運転。途中、美しい田園やお祭りの準備に忙しそうな村をいくつか通りクタから1時間くらいでウブドに着きました。ウブドはバリのアートの中心地。おしゃれなお店や贅沢なエステサロンも沢山あるのですが、この日はほとんどのお店がガルンガンのため お休みでした。通りを歩いて一番に目についたのはお供えもの。道端、下を見ればどのお店、家の前にも 椰子の葉で編んだお皿に薄緑の草や色とりどりの花びら、お米が載せられたお供えが置かれお香が焚かれていました。エスニックの雑貨屋さんに入った時にするあの匂いが町全体に漂っています。かなり濃厚。 通りの両側はのぼりが立てられています。こののぼり、ペンジョールと言うのだそうですが竹の棒に 椰子の葉を編んで作ったきれいな飾りが幾つもついていてとても手がこんでいます。立てられたばかりのペンジョールの緑が真っ青な空にはえて美しく 静謐にご先祖様をお迎えしているようでした。 通りには 色あざやかな正装姿の地元の女性たちが 頭の上にお供えの果物を載せて あちこちにあるお寺に向かって歩いています。男の人たちは白い服に白い帽子姿。子供たちも民族衣装をまとっています。バロンと言われる牛のようなかぶりものに入りドンドンチャカチャカ 太鼓や鐘をたたきながら通りを練り歩いていました。 日常と違う空気が流れるウブドの町。宗教に根付いた伝統がしっかりと守られている密なコミュニティ。日本が失いつつあるものがまだまだここには残っているようで何だか 羨ましく思えました。
2005年03月17日
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顔と体は真っ黒けになってけれど 心は行きよりもピュア~になって(?)戻ってきました。賑やかな時や忙しい時「まるでお盆とお正月が一緒に来たみたい」なんて言うけれど実際にお盆とお正月が一緒に来ることは ありませんよね。でも、来ちゃったんです、それが。今回行って来たバリ島では、3月9日が「ガルンガン」という迎え盆で3月11日が「ニュピ」と呼ばれるお正月。同じ月に(それも2日違いで!)この二つの大きな行事が来ることはたいそう珍しいのだそうです。そんなこととはつゆ知らず のん気に遊びに行った私たち。宗教がしっかり根付いたバリの人々の暮らしぶりや祝日のお祭りを 島のあちこちで目にすることができ 今回は思いがけなく スピリッチュアルな旅となりました。旅のお話、美白パックを終えたら、またご報告しますね。とりあえず、この黒光りを何とかせねば。(闇で 目だけ白く見えてるペズリ~であります。)
2005年03月16日
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香港人のお友だちと久しぶりにランチしました。梅の専門店で、梅酒から梅のシャーベットまで梅尽くしのお膳。粋な盛り付け、少な目の量できょうはお口もすぼめて、お上品にいただきました。それから二人で城跡にある梅園までお散歩。紅梅も白梅もピンクのしだれ梅も満開。甘い香りを胸いっぱいに吸い込んで 目を閉じれば うぐいすになったようでホ~ホケキョと鳴きたくなります。(こう書くと、あの時 人目を気にし鳴かなかったのがつくづく残念。今、鳴いてます。ホ~ホケキョ。)「おもしろいお茶があるから、飲んでいって。」誘われて、彼女のマンションに。感動的なお茶でした。みかけはピンポン玉よりひと回り小さいボールです。それにお湯を注ぐと、ゆらりゆらりとボールがほどけだしまるでイソギンチャクのよう。ジャスミンのいい香りが漂います。「おもしろ~い」と感動してたら「おもしろいのは今から。見てて。」真ん中から白いジャスミンの花がニュウッと出てきました。ジャスミンの花の下には赤いユリが隠れています。こんなお茶は初めて。手品みたい。伝統茶ではなく、最近出回り出した中国のお茶なのだそうです。やるな~、中国の人達。思わず携帯で撮っちゃいました。イソギンチャクの上に白いジャスミンの花が揺れてるの、見えますか? 中国式にお猪口のように小さい茶器で香り高きジャスミンティーをいただき今度は気分はマダム・ヤン。優雅な午後でした。仕事がオフの幸せを噛みしめてます。 * * * * *日記記入率アップを誓ったばかりですが明日から8日間 留守にします。南の島に行ってきます。
2005年03月07日
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「スタンド・バイ・ミー」は 大好きな映画のひとつです。子供から大人になりかけようとしている少年たちの好奇心、友情、家族への複雑な思いなどが 軽妙な音楽とともに瑞々しく描かれた作品。何度見ても ほろ苦く切なくなってしまうのは、私がもうすっかり人生の半ばを過ぎた大人になってしまったから?韓国版「スタンド・バイ・ミー」って言ってもいいような小説に出会いました。『9歳の人生』(ウィ・ギチョル・河出書房)主人公はソウルの「山の町」と呼ばれる貧民街に住む9歳の男の子。急勾配の坂に 掘っ立て小屋がひしめきあって立ち並んでいるから「山の町」と呼ばれています。ここには実に個性的な人たちが棲んでいます。大ぼら吹きのキジョン、街のボスの「黒ツバメ」身寄りのない「洞窟ばあさん」「引きこもり哲学者」などなど。生活苦、暴力、死が日常にある過酷なスラムの環境の中で9歳のヨミンは 戸惑い、考え、少しずつ大人になってゆきます。「人生は決して独りぼっちで歩まなければならない淋しい道ではないことを、ぼくは9歳にして学んだ」決して明るい話ではないけれど、読後はとても爽やか。韓国では去年映画化され、日本でも「僕が9歳になったら」という題で今年ロードショーが決まっているとか。今から楽しみです。
2005年03月06日
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きのうの続きのお話です。ムスコ1がオーストラリアに戻る前日、いつものように仕事を終え、7時過ぎに家に帰ってくるとソファーの上に水色の紙袋がのってます。ティファニーの紙袋です。私:「何、これ?」ム:「あ、きょう指輪買ってきた。」私:「え~!そんな~。お寿司だけでよかったのに。」ム:「は?」私:「は?」ポカン顔のムスコと私。ム:「今までちゃんとプレゼントとかしたことなかったけん、Y子に。」・・・一昨年のクリスマスにやって来たあの彼女です。あ、そうか、そうか、もちろんそうだよね。私:「どんな指輪?」ム:「ハートのモチーフの、シンプルなやつ。」ふ~ん。ふふふ~~~~ん。ここでペズリ~母の嫉妬の炎がゆら~りゆらり。「私もほしい。Y子さんとお揃いで買ってよ!買って、買って!」ダメもとでおねだり。昨日120円のお皿ばかり食べてた私とは別人です。しかし、ムスコは冷たく言い放ちます。「は~~~?やだよ。あんたは ○○○○(←ダ~リンの名前)に買ってもらい。」仕方ないのでダ~リンに言いました。「私も指輪がほしい。」ダ~リンの答えはいつもと同じです。「ボクは指輪をつけなくてもきれいなペズリ~が好きです。」違います、これ、のろけではありません。「指輪」の部分が「ネックレス」になったり「ピアス」になったりして今まで何度この台詞を聞いたことか。涙の告白。私、ダ~リンにプレゼントもらったこと、数えるほどしかないんです。いつも勝手にダ~リンのカードで買って、「プレゼント」ってことにしてるだけなんです。悲しすぎます。ムスコ1のバイトで得たお給料のおそらく20%はしたであろう指輪を思いその指輪をもらい喜ぶY子さんを思いこれからも、たぶんプレゼントをもらえぬであろうわが身を思い「あ~ぁ、きのう、大トロを食べときゃよかったな。」と私は後悔したのでした。 ・・・・・・・・・・・・・今、歯医者さん通いをしています。怖くて体を強張らせるせいか、肩がガチガチに凝ってます。美容院みたいに歯医者さんでも マッサージのサービスがあればいいと思いません?
2005年03月04日
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寒風吹きすさぶ朝も 小雪がちらつく晩もムスコ1、バイトに出かけて行きました。オーストラリアに戻る前々日まで 彼は働き続けました。私にしても あんなにも最低気温が気になる日々はかつてありませんでした。さて、無事仕事をやり終えた最終日、ハワイにでも行って来たかのようにこんがり焼けた顔に変身したムスコ1まとまった額のお給料を手にし「じゃ、今までお世話になったお礼に、きょうは僕がご馳走するけん。」一応遠慮したものの、ムスコも晴れ晴れと嬉しそうで是非そうしたいと言い張るので、ここはお言葉に甘えてダ~リンと私、それに母も誘って一同、回転寿司の函館市場に。(ムスコ2は一足早くオーストラリアに戻っておりました。)函館市場はお皿の色によって値段が違います。一番安いのは黄色いお皿で120円。私が好きなサーモンやホタテは緑のお皿で220円。うには黒のお皿で400円。ムスコのおごりだと思うと何だかお皿の色が気になって海老やイカ納豆などの黄色のお皿ばかり取る母心。「遠慮せんで」と言われてもムスコが汗水、いや時節柄、鼻水垂たして手にしたお給料そう気安くは使えません。が、約1名、「大穴子、頼んで。」「あ、大トロが来る、取って、取って。」600円の金色のお皿に伸びる手が・・・母です。何てこった。もうボケたんでしょうか。しかし、次の日、「私だって大トロ食べときゃよかった」と思わずにはいられない出来事が。またしても「目指せD!」のため つづく
2005年03月03日
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知らない間に楽天の機能、パワーアップしてたんですね。これは何だろうと思ったら日記記入率の円グラフで、ギョッ!私の日記記入率、たったの 38%!これ、成績で言うなら「F」 Fail、落第です。K大の場合90%以上が「A」 80%以上「B」 70%以上「C」60%以上が「D」で、「F」になるのは59%以下。しかし実際に「F」になる学生はそう滅多にはいません。よほどの『困ったちゃん』くらい。・・・ドキッ。よ~し、心を改め、今日から「目指せDだ!」と声高に言ってもね。。。随分低い目標であります。(因みにブラは「D」なんですけど。)そうか、前回書き込んだのは1ヶ月半も前でまだムスコたちは日本にいてムスコ2がバイトを始めた頃だったのですね。お~お~、すでにセピア色ながら記憶が蘇ってきました。あの頃、齢16歳のムスコ2が健気にバイトに向かう傍ら19歳のムスコ1は「俺は自分を安く売らね~。」とか言って家でブラブラしてたのでした。が、その後程なくしてついにムスコ1、お小遣いも使い果たし友だちからお誘いの電話がかかって来ても懐寒くて出かけられず甘え声で「ちょっと恵んでくれん?」バカモノ!カ~ツ!「働かざるもの、遊ぶべからず。」ムスコ1、覚悟を決めて「よっしゃ。オレも働くバイ。」と言っても、特殊技能もないただの若者に時給の良い超短期のバイトなんてそうありもせず候補は3つ。1.デパートでバレンタインのチョコ販売2.ホストクラブのホスト3.道路工事の交通誘導さて、ムスコ1はどれを選んだでしょうか。答えは30秒後に。(すみませぬ。30数えて下さい。)::::::::::::::::::::正解は 「3」 でした。(私はてっきり「1」を選ぶと思ってたのですが)4日間の研修を受け白いヘルメットに白い蛍光の襷のかかった紺の制服を着踏まれても潰れない安全靴を履きムスコ曰く「一度持ってみたかった」ピカピカ赤く光る棒を持ってそれから1ヶ月、ムスコ1は日曜以外は毎日早朝から深夜まで働いたのでした。「目指せD!」のため ・・・・・つづく。
2005年03月02日
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春休みになりました。ワッホ~!後期はハードだっただけに、解放感もひとしおです。今回は担任したクラスが打てば響くできる子ちゃん揃い。「これでどうだ!」と毎回勝負を挑む気持ちで難易度の高い教材を準備していたのですが敵も必死で喰らいついてくるものだから、おもしろくって。私としたことが、大事な楽天お留守にしてつい仕事にのめり込んでしまってました。アレアレ?!しかしまあ、その甲斐あって、みんな優秀な成績でもって修了。最優秀賞も私のクラスの学生がもらえることになり、万々歳!さて、今から6週間の春休みです。一度に10本の骨をもらった犬になった気分。嬉しすぎて、何から始めていいのかわからず、クルクル回ってます。まずはしばらくお訪ねできずにいた皆さんのお宅にお伺いしようかな。どんなお話が聞けるのか、楽しみです。よし!それではただ今よりお邪魔いたしま~す。
2005年03月01日
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