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スタンリー・キューブリックの「フルメタル・ジャケット」は、戦争に行くということは「個人というものを捨て去ること」であり、その結果「殺人マシン」になるということだということを明確に描いた作品である。「戦場でワルツを」もまた、戦場で「個人を喪失せざるを得なかった」体験を語る作品である。この2作品には共通したものがあるようだ。ここには「愛する者を守るために戦いに行く」などという欺瞞に満ちたものはない。
2010年01月31日
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鳩山由紀夫首相の施政方針演説では、「いのち」を全体を貫くテーマとし、10年度予算案を「いのちを守る予算」と命名し、演説を「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと願うのです」というフレーズで始めたことには、全く異論はない。あとは実行を期待するだけだ。「いのちを守る」という基本的で当たり前のことをがやっと述べられたというだけでも政権交代を行った大きな成果である。あとは実行を期待するだけだ。このような状況で「政治と金」の議論など、この貴重なテーマへのマイナスでしかない。
2010年01月30日
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「戦場でワルツを」の一場面、一場面に美を感じた。しかし、描かれていることは悲惨であり、醜悪なことである。そこには美などというものは決して当てはまらない。それでも、そこに「美」を感じるということは、映画というフィルターを通すことによって、対象の真の姿や状況が変化すると言えるのではなかろうか?それとも「美」というものが、あらゆるものを超越した概念というべきなのか?これはこの映画に限ってのことではない。「地獄の黙示録」でも、「フルメタル・ジャケット」でも「プラトーン」でも言えることである。このことは映画というものを考える上で非常に重要なことではなかろうか。
2010年01月29日
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「アバター」が全世界興行収入の史上最高額を達成したとのニュース。第2位は「タイタニック」。共にジェームズ・キャメロン。このニュースを読んで、正直な話、うんざりした。つまり最も多くの観客を獲得した作品である。世界中の人々の感動や驚きが、この程度の仕掛けとこの程度の内容の作品に代表されていいのかというのが正直な気持ちである。3Dの画面やその仕掛けのすごさはいいとしても、である。この点が評価されたのであれば、これは映画ではなく単なる遊園地の遊具としての評価でしかないと考えたい。
2010年01月28日
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近年、シネマコンプレックスの登場によって映画を見る環境は見違えるように整備され、映画人口も現在1億6000万人台まで回復しています。そして多くの大ヒット作が誕生しています。ただその半面、優れた作品が観客からあまり評価されずに上映を終えることも少なくありません。こうした状況を踏まえ、時代を超えて語り継がれる優れた娯楽映画を観ることによって、映画の本当の面白さ、凄さをあらためて知って欲しい、そして映画をもっと好きになって欲しい、そんな想いから、「午前十時の映画祭」を企画致しました。 これは「午前10時からの映画祭」を主催する社団法人映画文化協会の趣意文の一部である。この趣旨については異論はないが、「優れた作品が観客からあまり評価されずに上映を終えることも少なくありません。」というのはシネコンの商業主義によるもの。この現象は従来からあったが、従来の映画館では、そのような映画も更にヒットさせようと努力はしていた。しかし、現在のシネコンでは1週目である程度の成績を残さないと2週目以降は上映回数も減り、、更にその上映時刻は、観客が見難い時間帯になっている。作品が名作と認められるには「ある期間」が必要であるということがシネコンの経営者には全く理解されていない。シネコンの経営者には作品はスーパーマーケットの商品と同じで売れなければ、引っ込めるというものでしかない。そこには作品を育てようという意思は感じられない。「午前10時の映画祭」には大いに賛同であるが、本当に映画を生活の中に根付かせるにはシネコンの商業主義をはじめもっと多くの要因があることを業界関係者が知るべきではないか。
2010年01月27日
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「戦場でワルツを」と「おくりびと」とはアカデミー外国語映画賞を争った作品である。結果としては「おくりびと」が受賞したのであるが、私はそれは納得である。「おくりびと」が優れていると言っているのではない。映画としては断然に「戦場でワルツを」が内容もテーマも衝撃力はあり、これこそ世界中で見られるべき作品だと思う。だからこそ、戦争を行っている国としては、この映画から遠ざかりたかったのではなかろうか?審査員は当然、アメリカ人であれば、そのような気持ちに傾くであろうことは、この映画を見ると、よく理解できる。「プラトーン」や「ディア・ハンター」のように被害者のふりをしたヒロイズム映画とは違うのである。人畜無害、癒し系の「おくりびと」が受賞するのは当然であろう。
2010年01月26日
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人は戦場に送られたときにどのようになるのだろうか。敵とはいえ、個人的には憎しみの感情はまったくないそのような相手を平気で殺すことが出来るのであろうか。もちろん相手が襲ってくれば、そこには防衛本能により行動するであろうが、見知らぬ土地に行って、そこでいきなり殺意や憎悪を持つことが出来るのであろうか。映画「戦場でワルツを」では、戦争の要素である国家間の利害やイデオロギーを除外して、戦場に送りこまれた一人の人間がどのようになるのかを追求している。上記の疑問を考えるヒントも提示されていると思う。追求のフィルターは「記憶」である。この映画を見ると、戦場での武勇伝とされるものはほとんどまやかしか、嘘で塗り固めたものではないかと思うし、南京大虐殺は起きて当然であることが判る。この映画は、戦争の現実を直視した極めて重要な作品である。
2010年01月25日
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冒頭から画面にひきつけられ、アニメといいながらも非常に現実感があり、しかも訴える力の強さも感じられながらも、どうしてこの映画をアニメで作らねばならなかったのかという思いがつきまとっていった。もしかしたら奇をてらっただけなのかとか、そんな感想を持ちながら、一方では物語にショックを受けていた。そうした感想を吹き飛ばしたのはラストである。ラストの実写場面になって初めて戦争の現実の残酷さが迫ってくる。アニメで作られた物語ではなく、起きている「現実」が描かれくる。アニメで描かれているのは、プロローグだったのである。
2010年01月24日
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「リミッツ・オブ・コントロール」は「旅の映画」である。全体の構成は「2001年宇宙の旅」によく似ている。主人公に指令を与えるマッチ箱は、モノリスによく似た形状ではないか。途中でブロンドに関する事件はHALの反乱事件に相当するのではなかろうか。「2001年宇宙の旅」もまた想像力の映画である。ここも共通点である。
2010年01月23日
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私はこの映画は「通常版」で見た。通常版で見ても、この映像スペクタクルは一見の価値はあると思う。しかし、そこで、やはり3D版で再度見ようかとは思わせない。その意欲はわかない。「2001年宇宙の旅」は何度でも見たいし、私は映画館で公開される度に見ている。何度でも見ようと思わせる力がこの作品にはある。「アバター」にはそういう力はない。「2001年宇宙の旅」と「アバター」の差はどこにあるのだろうかと考えてみた。それは「アバター」には「謎」がないのである。あれは何であろうかと観客をいい意味で惑わせるものがない。「2001年宇宙の旅」のモノリスや光の洪水に相当するものがない。「アバター」ではあらゆるものを語り過ぎて、それがこの作品から謎や観客が想像する余地を奪っている。だから、一見の価値はるが、それ以上ではない。あとしばらくしたら忘れ去られる作品である。
2010年01月22日
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ロバート・B・パーカーが亡くなる。このところ関心のあるまたは好きな人の訃報が多すぎるような気がする。パーカーの作品ではなんといっても「スペンサー・シリーズ」である。その中でも私は「初秋」と「レイチェル・ウォーレスを探せ」が好きである。前者はおそらく多くの方に依存ないであろう。この作品を読んで以来、私には「初秋」という言葉が非常に思い入れのある言葉となった。後者については、ストーリーには荒さがあるが、依頼人とスペンサーとの関係がなかなか面白い。スペンサーものの場合は、スーザンとの関係に注目。それにしてもロバート・B・パーカーはもうこの世にいないのか・・・
2010年01月21日
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「リミッツ・オブ・コントロール」はジョン・ブアマンの「殺しの分け前 ポイントブランク」に影響を受けて作られたという。製作会社の名前を「ポイントブランク」としていることからも明らかである。リー・マーヴィンが演じた主人公は目的に向かって一直線にそしてストイックに行動するが、これは本作の主人公も同様である。作品の最後に表示される言葉、NO LIMITS NO CONTROLは、まさに「ポイントブランク」主人公を言い表したものでもある。「制限がなければ 支配もない」という管理社会に放たれた一匹の野獣である。また、「ポイントブランク」はシーンとシーン、ショットとショットが不思議なつながり方をしており、その意味でも本作と共通点がある。「殺しの分け前 ポイントブランク」をもう一度、スクリーンで見たい。
2010年01月20日
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エリック・ロメール、双葉十三郎、武宮敏明、淺川マキとある時代やジャンルを象徴する人物の訃報が続く中で私にとって衝撃であったのは柴野拓美の訃報である。ある意味では日本SFの創始者的存在であり、現在はごく普通にひとつのジャンルとして認知されているSFを読者、ファンの側から支えた人である。氏が主宰したSF同人誌「宇宙塵」の創刊は「SFマガジン」よりも早い。日本SFの黎明期において、福島正実と共に忘れてはならない人物であろう。心よりご冥福をお祈り致します。
2010年01月19日
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この映画は見た後に時間が経つに従って、次第にその魅力を感じるようになってくる。この映画が放つ不思議な魅力にとらわれてくる。もう一度見たら新しい発見に出会いそうだ。あのスペインの風景をもう一度見たいという気持ちにさせてくれる。主人公は殺し屋。彼は対象を銃やナイフでは殺さない。凶器がギターの弦であることは極めて暗示的である。物質主義の権化でもある権力者を殺すに銃という、これまた近代技術が生んだ銃を使うのではなく、音楽を生み出すものを使うことで想像力の可能性を示したということではなかろうか。
2010年01月18日
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エンドタイトルの最後に「NO LIMITS NO CONTROL」という表示がなされる。原題の「LIMITS OF CONTROL」に対するものであろう。制御の制限、支配の制限を打ち崩そうという意図であることは明らか。これはこの映画の意図そのもの。主人公の殺し屋の標的とは物質主義、経済至上主義の権化のような存在である。舞台がスペインというのは、ダリ、ピカソ、ブニュエルを生んだ土地としてのオマージュである。この映画には説明的な台詞や演出は一切ない。何でも説明してしまい貧相になってしまった「アバター」とは対極の映画である。ここには豊かな発想の自由さがみなぎっている。見る度に新しい発見に出会えそうな作品である。
2010年01月17日
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双葉十三郎さんが亡くなられた。この方もまたエリック・ロメールと同じく、私にとっては不死身の、死ぬことはない存在であった。「スクリーン」に長期にわたり連載された「ぼくの採点表」は私にとっては映画評論の基礎になったようなもので、映画の見方を教えてくれたものであった。他の映画評論家の方々があまり対象にしなかったB、C級作品やホラー、SF作品までもきちんと評論されていたことが私にはうれしかった。このような映画評論家は今後はもう出ないのではなかろうか。双葉さんの「ぼくの採点表」という偉業は映画界の「遺産」として永久に残しておくべきそのようなものだと思う。エリック・ロメール、そして双葉十三郎は共に歴史を感じさせる存在であった。心よりご冥福をお祈り致します。
2010年01月16日
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マイケル・ジャクソンに対してはその高い人気と同時にスキャンダラスなゴシップがそれ以上に多く、激しい人生であったと思う。そのようなネガティブな情報により彼の作品を敬遠していた人も多かったのではなかろうか。実は私もその一人であった。しかし、この「THIS IS IT」に登場するマイケルは、そのようなバッシングを超越した存在であった。そのようなバッシングをしたであろう人々すら観客の対象としてその人々にも素晴らしいエンターティンメントを提供しようという姿勢にが感じられた。そこにはバッシングを見返そうとか、リベンジしようとかということすら超越して、ただ素晴らしいものを提供しようという姿勢であったことに感動を受けた。押し寄せるスキャンダルの荒波に影響を受けることもなく、負けることもないマイケルの人間力、そして何よりもマイケルの人間を信じる姿勢に感動である。
2010年01月15日
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映画「アバター」は何故、人類悪役という内容になったのであろうか。この映画からは先住民を虐殺してのアメリカ開拓、そしてベトナム戦争が連想できる内容になっているが、ジェームズ・キャメロン監督は、これらに対する批判メッセージとしてこの映画を作ったのであろうか。ジェームズ・キャメロンとは社会派の作家であったのだろうか?ジェームズ・キャメロンが生まれたのは1954年。彼が十代後半の多感な時期、1968年以降のアメリカはベトナム戦争がドロ沼の中にあり、社会の矛盾の中でもがいていた時期であった。映画はアメリカン・ニューシネマの時代であり、アメリカの栄光もハリウッドの夢の世界も否定された時代である。青春期を、もはやアメリカの栄光が消え去った時代に過ごした彼としては、宇宙開発も未開地の開拓も夢の事業としては表現できないことは自然の成り行きではなかったのであろうか。「アバター」は社会派のパッケージを装ったB級SFアクション映画と評価した方が妥当なのかも知れない。
2010年01月14日
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悲しい日であった。朝、ヤフーのニュースでエリック・ロメールに死去を知った。正直なところ、信じられなかった。89歳という年齢であれば、大往生と言っても不思議ではないのであるが、私にはロメールは不死身とでもいう存在であった。作品は常に機知に富んだ内容で、若々しく、しなやかであった。年齢を感じさせず、いい意味で円熟味、枯淡の境地というものを感じさせない作品であった。最後の作品「我が至上の愛 アストレとセラドン」も、これが80代の作家の作品かと思わせるものであった。常に次の作品が期待される内容であった。この作品も引退作という表明であったが、長編作品としての引退作であり、また短編作品は撮り続けるようであり、私は今後の作品を期待していた。ロメールは常に若いヌーヴェルヴァーグの代名詞であった。心よりご冥福をお祈りする。
2010年01月13日
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物語の構成としては人類とエイリアンとの接触の物語である。この種の物語としてはよくあるが、悪役をどのように設定するかが、作品のテーマと評価を決定づける要因となるようだ。この「アバター」ほど人類を徹底的に悪役に仕立てた作品も珍しいのではなかろうか?人類と惑星パンドラの関係は、アメリカ大陸に進出し、西部開拓を行う白人と先住民との関係であり、描き方としてはベトナム戦争である。ラストはまさにサイゴン陥落そのものである。アメリカ万歳というあの楽天的で、傲慢なまでのアメリカの正義の主張はどこに行ったのであろうか。そのようなアメリカン・イデオロギーが全く消え去ったハリウッド大作として、この作品は歴史に残る作品となるのかも知れない。
2010年01月12日
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映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を見ようかどうかは随分と迷った。実はマイケル・ジャクソンというエンターティナーについてはほとんど関心がなかった。「スリラー」とか「ムーンウォーク」というタイトルは知ってはいるが、どのようなものかは全く知らないし、マイケルの歌のタイトルをひとつでも言えと問われても、全く答えることは出来ない。彼についてはたまに流されるスキャンダラスなニュースを聞きながら、人気はあるものの随分とスキャンダラスな人だなあという程度の認識であった。それでもこの映画の大変なヒットと評価、それもマイケル・ジャクソンのファンとは思えない人々の高い評価をを聞いて、一応は見ておこうかと昨年末より思いながらやっと見た。結果からいうと、これは素晴らしい内容である。マイケル・ジャクソンというプロが彼が持てる力を惜しみなく発揮して、観客にベストなものを届けようというその姿勢、そして彼をとりまく共演者たちやスタッフたちとの信頼の絆に大変な感銘を受けた。高い目標、それに向かう努力、同志たちとの信頼感。この映画のテーマは、そこにつきるであろう。はたして、日本映画界に彼のような姿勢で作品に取り組む監督やプロデューサーはいるのであろうか?この映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を見て良かったと思うが、だからマイケル・ジャクソンが好きになったかというと、残念ながらそうはならない。
2010年01月11日
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一応、記録として。820000 2010-01-10 19:23:10 *.wakwak.ne.jp
2010年01月10日
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この映画の舞台となっているバルジャック村の美しい風景や豊かな自然、それと調和しながら生きている村の人々、そしておいしそうに食べる子供たち。この映画の良さ、そして訴えたいことはここにつきるのではなかろうか。バルジャック村の村長の考えは「村の子供たちの未来を守ること」、これだけであるが、それこそ、村長のあるべき姿ではなかろうか。大量生産という工業の考え方や生産方式が農業に波及して適用されていることが、どのような弊害を生み出しているのか、改めて考えさせてくれる作品である。長崎の上映期間中にはセントラル劇場に入館されたすべての観客に「ナガサキでオーガニック・ライフを楽しむためのショップリスト」という冊子を配布中!
2010年01月10日
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この映画が持つ仕掛けの巧妙さは小道具の使い方を見ればよくわかるのであるが、最もテーマに関わる仕掛けとしてはキム・ヘジャ演じる母親に固有名詞を与えていないことであろう。この映画では彼女は名前ではなく「お母さん」とは「母親」と呼ばれている。監督は、ここで描かれたことは、すべての母親に共通することだと言いたいのであろう。もちろん、それは善悪を超えたものであるということだろう。人間は、善悪という単純な割り切ることが出来るものではないということである。
2010年01月09日
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原題は「Becoming Jane」、つまり「ジェイン・オースチンになること」という意味で、この内容は作家ジェイン・オースチンの前史とでもいうべきもの。シャネルの映画においても描かれていたが、ここでも女性が意志を持って生きていくことが批判の対象となる状況が背景にある。しかし、よくよく考えてみれば、女性がそのような立場におかれているということは男性にしてもその社会の矛盾は受けているわけで、本来なら男性、女性と分けないで描くべきことであろう。さて、この映画を見て連想したのは「眺めのいい部屋」である。ジェインとルフロイとの出会いと恋は、ルーシーとジョージ・エマソンを連想させた。ルフロイ以外の男性はセシル・ヴァイスという位置づけであろうが、セシル・ヴァイスの方がはるかに魅力的で立派である。ルフロイの存在が彼女の作家としての創作活動にどのように活きたのかということが描かれていれば、そして「眺めのいい部屋」のようにジェインとルフロイとの恋を象徴するものがあれば、良かったのにとここは残念であった。アン・ハサウェイは魅力的で、マギー・スミスは貫禄。ジェームズ・マカヴォイは存在感が感じられない。
2010年01月08日
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話題のドキュメンタリー映画。フランスのある村で小学校の給食をすべてオーガニックにするという画期的な試みを導入した。そのプロセスを描いた映画である。大自然に囲まれたその村では、土や水の汚染により小児ガンや神経症などが増加し、深刻な状態だった。大人たちは自ら食を選べない子どもたちのためにも、なるべく危険の少ない、作り手や買い手の顔が見える食べ物を口にさせたいと願っていた。この映画が9日から長崎市でもセントラル劇場で公開される。この公開を志を同じくするお店、団体、企業が協賛する。協賛するのは次の通りきびんな菓子工房・暮らしの工芸 自然と暮らす ぐりーん土と文化の会岩崎酒店テラハウスパーマカルチャーネットワーク九州Fair Trade Cafeパオ土と命に愛ありて ティア長崎銅座店からだに優しい食品つくり川添酢造有限会社いまじん森の舎楽助産師・マタニティーフードアドバイザー谷川千夏この動きは地方で良い映画を興行的に成功させ、同時にその興行を継続させるひとつの試みとして大いに期待できる。
2010年01月07日
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ドバイに世界一の高層ビル「ブルジュ・ハリファ」が完成した。高さは828mで160階建てという。タワーの突端からの眺めとはどういうものであろうか?さて、このビルを舞台にした映画はいつ登場するのか?そしてローランド・エメリッヒはこの高層ビルを破壊するのか?
2010年01月06日
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「殺人事件の容疑者となった息子を救うため真犯人を追う母親の姿を極限まで描くヒューマン・ミステリー」という宣伝文句にある種の期待や予想をすると、とんでもないことになる。これはトリュフォーの「アデルの恋の物語」と同様の人間の狂気の物語である。どちらもある思いを持った者がそれにとりつかれて陥った狂気である。それにしてもこの映画、なんという緻密な設計によって出来た作品であろうか。ひとつひとつの小道具やエピソードが後になって思わぬ効果を生み出していく。この映画はセリフによって展開するのではなく、そのような小道具が物語りを進めていくのである。ゴルフボール、針灸、悪い記憶を消すツボ、鼻血、携帯電話、廃品回収などの小道具や状況が後になって見事に活きてくる。極めつけは針灸の針を入れる箱である。母親を演じるキム・ヘジャはもちろんのこと。ウォンビンが素晴らしい。彼が持つ一種独特の透明感がこの映画の成功の要因であろう。ラスト近くに母親に箱を差し出す場面では、そのウォンビンの透明感、イノセントな瞳があってこそ活きている。
2010年01月05日
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NHK大河ドラマ「龍馬伝」が3日・午後8時にスタート。龍馬で盛り上がり、しかも主演は長崎出身の福山雅治である。おそらく長崎市民の大多数はこの時間帯はNHKにチャンネルを合わせたテレビの前にいたのではないか。さて、私であるが、その時間帯、私は龍馬ゆかりの場所のひとつであり、大政奉還のきっかけともなった後藤象二郎との会談が行われた清風亭跡地の近くで充実した時間をすごしていた。長崎の方ならおわかりと思うが、清風亭跡地の近くにはセントラル劇場という映画館があり、私はその時間帯には「母なる証明」と「ジェイン・オースティン 秘められた恋」をハシゴしてみていたのである。「龍馬伝」の放映時間帯は「ジェイン・オースティン 秘められた恋」の上映中であった。ちなみにその時帯間の観客数は・・・・。もしかしたら、今年の長崎では日曜日の夜は映画館もレストランも飲み屋もガラガラになるのでは・・・
2010年01月04日
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捜査官たちは一体何の為に、誰の為に不法滞在者たちを取り締まっているのであろうか?もちろん、捜査官たちの背景にはアメリカという国家があり、その意思がある。国家のいう「正義」が、その国に生きるすべての人たちに共有されたものではないことは、この映画を見れば、明らかである。国外追放されることになるタズリマの9.11テロ実行犯たちへを殺人鬼と決め付けるべきではないというの意見をめぐる扱いをみれば、それはよくわかる。迫害され、国外追放される人々を見ながら、アメリカという国はなんという情けない国になってしまったのだろうかと思う。しかし、それはこの日本も同じことである。フィリピン人カルデロンさん一家の強制退去問題で、わざわざノリコさんの通う中学校の前まで行ってデモを行った団体とそれに同調した人々も、この映画で描かれるアメリカという国の情けなさに通じるものがある。しかし、「扉をたたく人」や「「正義のゆくえI.C.E.特別捜査官」のような映画を作るアメリカは、まだまだ懐の深さがある。
2010年01月03日
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考えさせられる重要な作品であると思う。この邦題は非常にいい。ある時期までアメリカという国は正義の国であると西側の国のかなりの部分から認められていたのではないか。その「正義」が非常に危なく怪しいものになってきたのはベトナム戦争の頃からであろうか。そして9.11以降のアメリカは排他的な国になってしまった。その排他性がどれほど理不尽なものであり、むしろ犯罪的ですらあるかは「扉をたたく人」に描かれた通りであるが、この映画もまたそのようなアメリカを容赦なく描いている。こちらの方が「扉をたたく人」よりも救いがない分、厳しく絶望的ですらある。しかし、これはアメリカだけのことであろうか。日本においても不法滞在の問題非常にシリアスな問題である。フィリピン人のカルデロンさん一家の問題があるではないか。アメリカは自国のこのような問題を「扉をたたく人」やこの「正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官」のような映画を作り世界に発信しつつ自ら問いかけている。国際貢献といえば、自衛隊を国外に出すことしか思い浮かばない政府や、自国の中の不法滞在と言われる問題を無視している日本の映画人たちの方が実ははるかに絶望的であり、排他的である。
2010年01月02日
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2010年の長崎は、まちなかに市民が集まっての乾杯で始まる!1月2日は、初売りと、「長崎まちなか龍馬館」のオープンの日である。そんな賑わいのまちなかで開催されるのが市民総出の「長崎1万人乾杯」。長崎市政121年を迎える2010年、長崎が舞台となるNHKテレビ大河ドラマ「龍馬伝」が放映されます。これを機に国内はもとより最近増加傾向にある国外、特に東アジアを中心とした海外からの観光客の増加も期待されています。長崎にとってはあらゆる面で千載一遇のチャンスです。長崎の歴史・文化、魅力を最も肌で感じ、最も理解している私たち長崎市民が元気であることによって「長崎の元気」が生まれます。私たち市民の手でこの流れをさらに大きなものとし、元気な長崎にしていきます!2日、正午に「長崎まちなか龍馬館」がオープン。このオープンを祝い、新たな年を祝い、長崎の元気を発信したいとの思いをこめて開催されるのが「長崎1万人乾杯」。「長崎龍馬の道」のど真ん中、浜町ベルナード観光通りに、自分の町から長崎の魅力を感じながら、おいでいただき集まります。この「長崎1万人乾杯」は、多くの方にご賛同を頂いており、その賛同人が主催という市民総出のイベント。みんなの手で、眠っている「まちなかの魅力」と「長崎の元気」を起すことから長崎の2010年はスタートです!このブログを読まれている長崎の方、是非ご参加を!-----------------------------------------------------------「長崎1万人乾杯!」開催2010年1月2日(土曜日)18時00分から (受付開始は17時30分 18時スタート19時終了の予定です。)浜の町ベルナード観光通にて「長崎一万人乾杯」を開催します。(広報長崎1月号にも載せていただいてます。)参加費は 1000円(当日券あり)・乾杯券(ビールまたはソフトドリンク)・まちなか龍馬館入場券(1ヶ月間有効)・特製長崎龍馬の道 蛇腹マップ・初夢抽選会参加券 つきです
2010年01月01日
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スタンリー・キューブリックの映画史上最高の名作の続編としてB級職人のピーター・ハイアムズが撮った「2010年」。その2010年1月1日がやってきた。現在のアクセス数は次の通り。今年はここから始まるわけだ。813255 2010-01-01 00:02:13 *.eonet.ne.jp 今年もよろしくお願い致します。
2010年01月01日
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