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本日31日、長崎県・佐世保市でひとつの映画館が閉館する。開館は1957年というから、ちょうど映画の黄金時代であった。それから約半世紀にわたり、多くの人々に親しまれてきた。ひとつのスクリーンで興行してきた典型的な映画館である。ピーク時には立ち見は当然で、一日2000人という観客数であったという。ある時期からはテレビによって、そしてレンタルビデオによって、娯楽の多様化によって、最近ではシネコンの進出によって、旧来の映画館の閉館は、地方都市では一種の恒例の出来事である。シネコンの進出により映画人口は増えているにもかかわらず、その恩恵を受けることのできない映画館。私の住む長崎市でもシネコンの進出以降、既存の映画館とそれがある繁華街も次第に低落傾向にある。昨年、私は、「映画を通して町の賑わいを」というテーマで中心街にある地元資本の映画館と商店街とを結びつけた「フランソワ・トリュフォー映画祭」の企画に参加した。結果は成功であった。今年もまた、映画祭の企画書を作成して、映画館と商店街の担当委員に提出したところである。もちろん、昨年の反省をふまえてより大きな成果を目指している。多様な映画を公開できる映画館は、町にとって世界に開かれた窓である。この良さはシネコンでは実現できない。この町で多様な良質な映画をスクリーンで見たいと思っている人々は多い。そうした中でそれを安定的に実現できる仕組みを作っていくことも大きな課題である。長崎新聞(1月21日)より------------------------------------佐世保・東宝ピカデリが今月末閉館佐世保市島瀬町の映画館、東宝ピカデリ(田中耕壹支配人)が一月末で閉館する。半世紀にわたって市民に親しまれてきた映画館が姿を消すことになった。ピカデリを所有するピカデリ映劇(中田正明社長)は一九五七年創業。六八年に現在の建物に改築された。東宝の関連会社、九州共栄興行が賃貸契約し運営してきたが、中田社長が八十八歳と高齢で「今後はビルを貸し出したい」との意向を受け、閉館することになった。東宝ピカデリは、座席数は市内の映画館で最多の三百十席。開業当初はヨーロッパの映画を限定して上映するなど映画ファンに親しまれ、国内外の人気アニメの公開時には多くの子どもたちも通った。現在もアニメ「ハウルの動く城」を上映中で、三十一日午後六時半の回が最終上映となる。中田社長は「映画が好きで始め、多くの人に足を運んでもらったが、年齢的に続けるのは無理。長年やってきたので寂しさはある」と感慨深げに話している。東宝作品は今後、栄町のエクラン東宝で上映される予定。
2005年01月31日
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「宮部みゆきは『模倣犯』では、悪を描いたけど、基本的にはいい人しか描かない作家です」「大林監督もそうですよ。あの人の作品ではいわゆる悪は登場しませんよ」「宮部みゆきも大林宣彦も、そこが長所であり、短所でもあるのです。大林の作品のぶれ幅が大きいのは、まさにそこに起因しているのだよ」「宮部みゆきだって、どれも一定の出来で満足できるけど飛びぬけた傑作はないと思うよ」「映画『理由』は、その二人の長所が出会った奇跡的な作品ですよ」「その意味では、これは、大林の渾身の力作ではないということだね。」「そうだよ。深作の『仁義なき戦い』とは違うよ」「ぼくは宮部の『淋しい狩人』、これは下町の古本屋が舞台なのだけど、これを映画化するなら、山田洋次だと思ったけどね」「この『理由』も山田洋次で映画化するなら、もっと違った傑作になったのではないかな」「でも、山田洋次は同時代の現代は描かないね。『男はつらいよ』は現代の話だけど、あれは一種のファンタジーだし」「ごく普通の人、善人が、ふとしたことで悪に入っていくという怖さは、この映画『理由』でも表現できていないと思うけど」「あ、話は変わるけど、『パッチギ』は見た?あれは68年が背景だよ」「まだだよ、もちろん『ドリーマーズ』よりは傑作なんだろうね」以上、映画ファンが飲みながらの雑談でした。雑言多謝。
2005年01月30日
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9年ぶりに登場の新作。ファンには待ちに待ったというところで、私が入会しているミステリークラブのファンたちは、作者がピアノを演奏している店まで行って「執筆督促」という実力行使までやらかしている。ハードボイルドにさほど思い入れのない私であるが、この主人公の携帯にも、パソコンにも見向きもしない姿勢に共感。この姿勢は、前作が評価高くても、納得いくまで執筆をしなかったであろう作者自身の姿勢につながっているのであろう。さて、この小説で私は最も関心を持って惹かれたのは政界の黒幕的存在の男が運営する映画草創期から戦前に至る900本の日本映画を収集したフィルムライブラリー。一体、どんな作品が収集保管されているのか?リストを見たい!そんなわけで、私は事件の真相より、あのライブラリーはどうなったのかが気になっている。
2005年01月29日
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捜査が行き詰った幼児誘拐殺人事件に対して警察がうった手は、捜査官をテレビのニュース・ショーに出して公開捜査をするというものであった。その公開捜査、つまり劇場型捜査の展開がスリリングに描かれる。捜査のリアルな描写から視聴者(世論)の捜査官への共感・賛同から非難という動きまでが描かれるが、これが見事。主人公の敵は犯人なのであるが、主人公に敵対するのは警察内の身内にもいる。捜査官への反感や嫉妬、そして組織対組織の対立が捜査官の足を引っ張る。これは、映画「レディ・ジョーカー」では、若い刑事が「部下が何かやったら死ぬしかない・・・・そういう組織なんですか」「何やってんだ、俺たちの組織は・・・」という台詞に通じるもので、日本の組織全体に当てはまるのではなかろうか。この小説は、劇場型捜査という大胆な設定で成功しているが、映画「踊る大捜査線・レインボーブリッジを封鎖せよ」では、盗聴と監視による捜査というこれもまた、大胆な設定。しかし、こちらは「とほほ」だなあ・・・。
2005年01月28日
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昨日の日記で映画「理由」について書いたところ、私の日記にしては多くのコメントをいただいた。ありがとうございます。このコメントからは、いかに多くの方が映画「理由」に期待と不安を持っていたかがよく判る。事実、宮部みゆき作品の映画化としては、「クロスファイア」は、まあまあの出来。「模倣犯」は惨憺たる出来であったし、「理由」のように非常に多くの登場人物とそのエピソードの集積体のような構成では、映画化となれば、どうなるのか不安になるのは当然。つまらない作品になる確率は非常に高い。私も、そのように予想していた。しかも監督は大林宣彦。この監督はとにかく出来・不出来の差が非常に大きいのである。山田洋次のように一定のレベルが保証できる監督ではない。私の評価では「さびしんぼう」、「時をかける少女」、「異人たちとの夏」、「青春デンデケデケデケ」、「なごり雪」という傑作がある一方で、「天国にいちばん近い島」、「女ざかり」、「漂流教室」、「廃市」、「水の旅人」という愚作・凡作がある。傑作・愚作・凡作の評価は、あくまで私の好みによるもの。「作品の出来が安定しない」というのが私の大林評なのであるが、そんな大林監督にこんな「理由」のような原作を映画化したらどうなるのか、これは非常に不安であった。しかし、大林監督は、この構成をそのままにして、内容を削ったり、改変・改編することなく映画化する方法を発見したのである。この方法は見事だ。なんと、「荒川マンション一家四人殺人事件」を素材にして、関係した人を大林監督が一人一人インタビューしていくという大胆な構成にしているのである。昨日の日記で「107人の俳優+1名」と書いたが、その「1名」とは、大林監督自身なのである。大林監督が「理由」という映画を撮っているところを、大林監督が映画にしているという構成なのである。従って、この映画「理由」の主役は、最後にちょっとだけ顔を出す大林宣彦自身である。--------------------------------------------------昨日の日記のコメントで何人かの方が私がほめているから見ようという意味のことを書かれていました。こういう反応は非常にうれしいのですが、私の映画評は、現実の周辺では、いつも反対に評価、つまり「私の面白いは、つまらない」とされていますから。(笑)
2005年01月27日
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小説「理由」は、現代都市小説、あるいは現代人間群像劇ともいうべき内容であり、ミステリーを期待した読者には、いささか戸惑いを与えた。私自身もそうした一人であった。そうした内容を知った上で臨んだせいか、映画「理由」は、傑作である。ひとつの殺人事件から実に様々な広がりを見せる。現代は一人一人が孤立して生きている、とはよく言われるフレーズであるが、この映画を見ると決してそういうものではないということが判る。ひとつの殺人事件が水に投げ込んだ石ころのように、波紋を広げていく。そして、様々なものが共鳴していく。その演出の手際は素晴らしい。ロバート・アルトマンに「ショート・カッツ」という作品があり、これはなかなかの傑作であるが、この「理由」は、現代の東京を舞台にした「ショート・カッツ」であり、本家より上出来だと思う。様々な人間ドラマによって見えてくるのは「階級化しつつある日本社会であり、それを支える富の偏在」である。そうした社会派ドラマ的な見方だけではなく、登場する俳優たちを探し出すという楽しみも満喫できる。カメオ出演も含めて(107人の俳優たち)+1(これが誰かはお楽しみ)が登場するのである。そして、この映画の構成も非常に機知に富んでる。おすすめの1作である。ちなみに「2004年キネマ旬報ベストテン」の6位である。
2005年01月26日
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映画「僕の彼女を紹介します」を見て、登場する紙飛行機をいくつも作って何度も飛ばしたスタッフが、そして部屋の中を風が吹き抜けるシーンも送風機で風を起こして何度となく試行錯誤したのだろうなと思う人がいたら、この「パリ・ルーヴル美術館の秘密」という映画は大いに楽しめるのではなかろうか?この映画はルーヴル美術館の所蔵品に命を与えて、守り続ける美術館のスタッフたちの姿を描いたもの。美術館のスタッフといえば、学芸員と修復作業を行う人程度しか思い浮かばないが、実に多様な職種があり、それらの人によって、あのルーヴル美術館は生きているのである。キャメラの目は、それらの人々に限りない尊敬をこめて注がれる。映画も芝居も美術館も、見えているものはわずかで、それを実に多くの人やものが支えている。この映画では、そうしたことを丹念に、その人たちへの尊敬をこめて暖かく描いているこの作品を見ていると、非常に心地よくなってくる。監督はニコラ・フィリベール。この人の作品では「音のない世界」を見ているが、これもまた素晴らしいかった。
2005年01月25日
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「悪い奴ほどよく眠る」とは黒澤映画の題名であるが、今回のNHK番組改編事件は、まさにこの言葉が当てはまる。事件の焦点は、「NHK対朝日新聞」に移行して、本当の悪い奴(もちろん、あの二人の政治家である)はのうのうとしており、どこからも批判されていない。NHKの会見を聞くと、「NHKの番組が権力に対していかに気を使って、自主規制のもとで製作されているか」が実によく判る。放送の独立性を放棄して自ら検閲の機会を提供している姿勢とその実績は、あの会見内容からよく判る。こうした姿勢に対して、他のマスコミは、全く斬り込まない。この弱腰はどうしたことか!この事件が明らかにしたことは、「社会の木鐸」であることを放棄して、権力の広報機関になりさがったマスコミの堕落ということか。
2005年01月24日
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「ビハインド・ザ・サン」という映画については事前には情報もあまり入っていなかったが、監督が「セントラル・ステーション」と「モーターサイクル・ダイアリーズ」のウォルター・サレスとあれば、見ないわけにはいかない。結果としては「当り!」上映時間は1時間32分という最近では短い部類であるが、内容は濃い。無駄のない描写と演出である。舞台は1910年代のブラジル。荒涼とした荒野に住み着く2つの家族が繰り広げる終わりなき報復劇。憎悪の応酬。その中で生きる主人公の青年トーニョと、まだ幼い弟。そんな二人が出会う、サーカスとそこで曲芸を見せる美女。古い因習に囚われていた二人は、その彼女によって外の世界を知る。この映画では、<回るもの>が象徴的に登場する。その一つが、主人公の家の庭にある大きな粉砕機。精糖のため、サトウキビを砕く木製の機械が、休むことなく牛によって回転している。まるで永久機関のようだ。これが象徴するのは、終わりなき報復劇と貧困。もうひとつの回るものとは、サーカスの美女によるロープを使った芸。垂れ下がったロープを主軸に、腕の力だけで回って見せる芸は、まさに自由と未来への飛翔を感じさせる。この回転シーンは映画の特性をフルに活かして、観客を高揚させていく。しかし、この報復劇は悲劇を経て、希望を感じさせるラストシーンへと辿り着く。荒涼とした荒野は「紅いコーリャン」を、ラストシーンの海は「大人は判ってくれない」をそれぞれ連想させる。この「ビハインド・ザ・サン」は、ブラジル映画版<「紅いコーリャン」+大人は判ってくれない」>かも知れない。原作は、イスマイル・カダレの小説「砕かれた四月」で舞台はアルバニアとのこと。主演は、ロドリゴ・サントロ。「モーターサイクル・ダイアリーズ」のガエル・ガルシア・ベルナルにちょっと似ている。---------------------------------------------------読んでくださる皆様へいつも大変ありがとうございます。コメントもいただき、深謝しております。最近はバタバタとしており、なかなかコメントに返答ができない状態です。全く申し訳ありませんが、いただいたコメントは、ありがたく参考にしております。
2005年01月23日
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数多くの出演作があるにもかかわらず、ある1作品のみで語られるスターと作品についてあげてみよう。オードリー・ヘプバーン:「ローマの休日」ピーター・オトゥール:「アラビアのロレンス」ジュリア・ロバーツ:「プリティ・ウーマン」ジョージ・チャキリス:「ウエストサイド物語」アラン・ラッド:「シェーン」ジョン・ローン:「ラスト・エンペラー」アンソニー・ホプキンス:「羊たちの沈黙」クリント・イーストウッドは数多くの主演作で高い評価を得て、監督としても世界的な存在感を示しているにもかかわらず、「ダーティー・ハリー」のイーストウッドである。そんな中で、007のイメージを払拭しようと様々な作品に出て多くの失敗作もあったが、今や魅力的なスパースターとして君臨しているショーン・コネリーは稀有な成功例であろう。任侠映画のスターから脱しようと、これまた様々な作品に出てきた高倉健は、まだ試行錯誤の途上ではなかろうか?次回の張芸謀作品への出演に期待したい。日本映画最大のスター、ゴジラもまた数多くのゴジラ映画が作られたが、1954年版を超える作品はない。
2005年01月22日
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次の言葉についてはご存知でしょうか?インフォームド・コンセントセクシャル・ハラスメントドメスティック・バイオレンスコンプライアンスこれらの言葉は、たびたびマスコミにも登場しているが、これらの言葉の定義をきちんと理解できて、説明できる人が、どれほどいるのであろうか?いずれも非常に重要な問題であるにもかかわらず、身近な日本語で表現されていない。そのことによって、これらがますます遠い存在になってくる。NHKの番組改編事件も発端は「プロデューサーがコンプライアンス委員会に告発した」ことから始まったのである。
2005年01月21日
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NHKは、あの事件のことを「朝日新聞虚偽報道問題」と呼称しているようだ。これはおかしいのではないか。事件は「朝日新聞対NHK」という対立軸で展開され、もはや泥仕合の様相だ。これもずいぶんとおかしい。本来は「マスコミ対政権党」という図式であり、国民にとって非常に重要な問題を提起している。この「閣僚による番組改編事件」は、本質から離れることにより本当の「犯人」が、全く批判されないままという実におかしい状況である。
2005年01月20日
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私が住んでいる市は、県庁所在地であるが、市立図書館がない。やっと建設が着手されたところ。(なんと恥ずかしい!)公共図書館としては県立図書館がある。その図書館に資料調査に行って、その資料を館内でコピーしようとしたら、コピーは1枚・20円という!歩いて15分ほどのところにはKinko'sがあり、そこに行けば、現在はキャンペーン中とかで1枚・7円である。コンビニでは10円。県立図書館のコピーの20円は何故?著作権保護の観点からやたらとコピーしないように、わざと高い単価に設定?みなさんの町の公共図書館では、コピーはどうなっていますか?
2005年01月19日
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色彩は美しく、ソフィーが初めてハウルに出会い、一緒に飛ぶシーンは心地よいのであるが、全体的には、「見た!」という実感がないままにエンドマークを迎えてしまい、非常に欲求不満のままで映画館を出たというのが、正直な感想である。何故、そのようになったのかというと、背景になっている世界について理解できなかったこと。それと物語の起承転結が感じられなかったことである。極端な例かも知れないが、アラン・レネの「去年マリエンバートで」を見た後のようなものである。あの戦争は一体何だったのか?ハウルは、その戦争でどのような役割を果たしていたのか?魔法使いたちは、その戦争にどのような役割を果たしていたのか?物語の途中で、ソフィーにかかっていた魔法は解けていたのか?そんな疑問が渦巻いている。原作を読んでもう一度、挑戦してみようかと思っているところである。
2005年01月18日
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昨年12月のことであるが、私が住む町で非常に不愉快な事件が起きた。詳細は下記に引用した新聞記事を読んでいただくとして、私は、このようなことを行うメンタリティーが理解できない。そもそもこういうことをして恥ずかしくないのか。何と卑しい心の持ち主か。しかし、この楽天日記にも同様のことが起きている。「反戦平和」「護憲」の記述をした日記に対して嫌がらせや言いがかりをつけてゴミのようなコメントを書き込んでくる何人かの人々である。彼らは、この新聞記事に書かれたようなことをやる人と何ら変わらないと私は思う。--------------------------------------------------(以下は「長崎新聞(2004年12月18日付け)より)十七日午前八時十分ごろ、長崎市松山町、爆心地公園の「折鶴の壁」につるされた千羽鶴の留め糸が切られ、折り鶴がそばの地面に落ちているのを、清掃作業で訪れた同市シルバー人材センターの男性会員(62)らが見つけた。浦上署はいたずらとみて器物損壊の疑いで捜査している。 同公園には原爆落下中心碑があり、被爆地長崎を象徴する場所。平和を願う多くの観光客らが年間を通して訪れる。今回の仕業に被爆者や関係者から憤りの声が上がっている。四年前には、同壁につるされた千羽鶴が燃やされる事件もあった。 同署や管理者の市によると、壁は高さ約一・二メートル、幅約五メートルで、金属の棒に千羽鶴をつるすことができる。修学旅行生らがつるした約百五十束のうち、六束の留め糸が刃物のようなもので切られ、約三千五百羽の大部分がきれいに並べたような状態で地面に置かれていた。 同公園は日中、市が委託した同センターの会員が見回りや清掃活動をしているが、夜間は人けがなく、街灯がついているだけという。修学旅行で訪れた東京都の法政大第一中三年、田中貴士さん(15)は「平和を築こうとする人たちの気持ちを踏みにじる行為。とても悲しい」。長崎平和推進協会継承部会の和田耕一部会長(78)は「いたずらにしてもほどがある。誰がどんな理由で切断したのか」と話した。 市原爆被爆対策部の出口静夫部長は「昨日、全国から寄せられた千羽鶴を掛けてきたばかり。寄贈者におわびをしたいが、住所が分からない…」と語った。同市は今後、夜間監視をすることも検討しているという。
2005年01月17日
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ロバート・S・マクナマラの生涯には多くの戦争がついてまわっている。特にケネディとジョンソンの両政権下で国防長官として、ベトナム戦争に関与したことは有名である。この作品はそのロバート・S・マクナマラが、自分の生涯から得た11の教訓をもとに語っていくというドキュメンタリー映画である。その11の教訓とは次である。教訓1 敵の身になって考えよ教訓2 理性は助けにならない教訓3 自己を超えた何かのために教訓4 効率を最大限に高めよ教訓5 戦争にも目的と手段の釣り合いが必要教訓6 データを集めろ教訓7 目に見えた事実が正しいとは限らない教訓8 理由付けを再検討せよ教訓9 人は善をなさんとして悪をなす教訓10 「決して」とは決して言うな教訓11 人間の本質は変えられない教訓も語っている内容も非常に示唆に富んだものである。これは組織のリーダーには是非、見てもらいたい作品であるが、これらの教訓は、すべての人に重要なことである。題名の「フォッグ・オブ・ウォー」とは「戦争の霧、一旦戦争が起きるといかに賢明な政治家といえども霧につつまれたように混乱していく」というものである。「正しい戦争などない」と言われるが、そこに陥っていく理由がよく判る映画であった。ところで、わが国の首相は大変な映画ファンであるというが、この映画をご覧になったのであろうか?
2005年01月16日
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1月15日に生まれた映画監督に森一生がいる。森一生といってもピンと来る人は、少ないかも知れない。残念ながら、日本の映画監督の中では知名度が高いわけではない。かって、田宮二郎、勝新太郎、市川雷蔵などのスターを生み出した大映の娯楽映画の職人監督である。生まれたのは1911年監督第1作は1935年59年には市川雷蔵、勝新太郎の顔合わせで「薄桜記」を作り、60年の「不知火検校」では当時の二枚目スター勝新太郎を坊主頭の悪漢という新境地のキャラクターを演じさせ、後に勝の代表作となる「座頭市」シリーズを生むきっかけとなった。67年の市川雷蔵主演「ある殺し屋」では、雷蔵に一見平凡なサラリーマン風の殺し屋を演じさせ、その日常を冷徹に描いて日本映画には珍しいハードボイルドの傑作となった。雷蔵の魅力が光る作品である。大映時代劇を中心に100本以上の作品を撮っている。森一生の名前を知らなくても、「あれは面白かった」と題名、名場面、それを演じるスターたちの素晴らしさが印象に残るそんな映画を数多く作っている。その中には「赤胴鈴之助 三つ目の鳥人 」という作品もある。この作品のキャメラマンは、あの宮川一夫なのである。子ども向けの作品であるが、宮川一夫は色彩についていろいろと実験をしているそうである。森一生も、宮川一夫にしても、改めてゆっくりと味わいたい。
2005年01月15日
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お誕生日リストで、昨日(13日)に生まれた俳優に柴田光太郎という名前を見つけた。この方は田宮二郎の長男である。田宮二郎といえば、数々の出演作の中で「白い巨塔」の財前五郎は、一番有名である。昨年は、ちょっとした「白い巨塔」ブームであった。年末の新聞のテレビ欄を見ると、フジテレビの「白い巨塔」総集編と田宮二郎主演のテレビ版「白い巨塔」が並んで放映されていたではないか。テレビ版の田宮二郎主演の方は、彼の遺作になるのではないかと思う。昨年のテレビ版のキャスティング財前:唐沢寿明里見:江口洋介は登場人物のキャラクターと俳優のイメージが見事に合ったキャスティングだと思う。このテレビ版の成功は、この二人の起用によるものと思う。ところで、これは仮定の話であるが、この逆、つまり財前:江口洋介里見:唐沢寿明であれば、どうであったろうか?これで悪乗りして、次のようなキャスティングを考えてみたのであるが、どうであろうか?財前:柳葉敏郎里見:織田裕二鵜飼:北村総一郎柳原:ユースケ・サンタマリア「踊る大捜査線」の第3部は企画難航らしいが、いっそのことこっちがいいと思うぞ。実際に、織田と柳葉か犬猿の仲らしいので、これは話題作りにもいいのでは?それは冗談としても、私は、今、改めてこの映画化を願っている。この人気ドラマの映画化が日本映画の新しい方向に導くことができるのではないかと思っている。(主役や監督を想像すると面白い)
2005年01月14日
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今回のセンセイは議員。これは明らかに両議員が間違っている。両議員とも、国会議員として当然のことをしたという考えのようであるが、それはおかしい。どのような内容であろうとも、評価するのは番組を見た視聴者である。その番組について異議があれば、自由に議論すればいい。これは自由な社会では当然のこと。国会議員がやるべきことは、作られたものが自由に発表できることを保障することである。この国が自由な国であり、議員が何をすべきか全く理解できていないこの二人、議員の資質に欠けるのではないか。以下ニュースを転載----------------------------------------------01年1月、旧日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷を扱ったNHKの特集番組で、中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していたことが分かった。NHKはその後、番組内容を変えて放送していた。番組制作にあたった現場責任者が昨年末、NHKの内部告発窓口である「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に「政治介入を許した」と訴え、調査を求めている。 今回の事態は、番組編集についての外部からの干渉を排した放送法上、問題となる可能性がある。 この番組は「戦争をどう裁くか」4回シリーズの第2回として、01年1月30日夜に教育テレビで放送された「問われる戦時性暴力」。00年12月に東京で市民団体が開いた「女性国際戦犯法廷」を素材に企画された。 ところが01年1月半ば以降、番組内容の一部を知った右翼団体などがNHKに放送中止を求め始めた。番組関係者によると、局内では「より客観的な内容にする作業」が進められた。放送2日前の1月28日夜には44分の番組が完成、教養番組部長が承認したという。 翌29日午後、当時の松尾武・放送総局長(現NHK出版社長)、国会対策担当の野島直樹・担当局長(現理事)らNHK幹部が、中川、安倍両氏に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会した。 中川氏は当時、慰安婦問題などの教科書記述を調べる研究会「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表、官房副長官でもあった安倍氏は同会元事務局長だった。 関係者によると、番組内容の一部を事前に知った両議員は「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたという。NHK幹部の一人は「教養番組で事前に呼び出されたのは初めて。圧力と感じた」と話す。 同日夕、NHKの番組制作局長(当時)が「(国会でNHK予算が審議される)この時期に政治とは闘えない。番組が短くなったらミニ番組で埋めるように」などと伝えて番組内容の変更を指示したと関係者は証言。松尾、野島両氏も参加して「異例の局長試写」が行われた。 試写後、松尾氏らは(1)民衆法廷に批判的立場の専門家のインタビュー部分を増やす(2)「日本兵による強姦や慰安婦制度は『人道に対する罪』にあたり、天皇に責任がある」とした民衆法廷の結論部分などを大幅にカットすることを求めた。さらに放送当日夕には中国人元慰安婦の証言などのカットを指示。番組は40分の短縮版が放送された。 このいきさつを巡り、NHKで内部告発をしたのは、当時、同番組の担当デスクだった番組制作局のチーフ・プロデューサー。番組改変指示は、中川、安倍両議員の意向を受けたものだったと当時の上司から聞き、「放送内容への政治介入だ」と訴えている。 一方、中川氏は朝日新聞社の取材に対し、NHK幹部と面談したことを認めた上で「疑似裁判をやるのは勝手だが、それを公共放送がやるのは放送法上公正ではなく、当然のことを言った」と説明。「やめてしまえ」という言葉も「NHK側があれこれ直すと説明し、それでもやるというから『だめだ』と言った。まあそういう(放送中止の)意味だ」と語った。 安倍氏は「偏った報道と知り、NHKから話を聞いた。中立的な立場で報道されねばならず、反対側の意見も紹介しなければならないし、時間的配分も中立性が必要だと言った。国会議員として言うべき意見を言った。政治的圧力をかけたこととは違う」としている。 番組内容を事前に知った経緯について両議員は「仲間から伝わってきた」などとし、具体的には明らかにしていない。 NHK広報局は「(内部告発に関しては)守秘義務がありコメントできない。番組は、NHKの編集責任者が自主的な判断に基づいて編集したものだ」としている。 〈憲法21条〉 (1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 〈放送法3条〉 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない。 (01/12 08:52)
2005年01月13日
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プロ野球に新規参入した楽天が、つんく♂に依頼して完成した公式応援歌を、「モーニング娘。」が歌うことが決まったというニュースを聞いて、がっかりした。誤解のないように言っておくが、つんく♂や「モーニング娘。」がつまらないと言っているのではない。せっかく球界変革をめざし、東北にプロ野球球団を根付かせようとするのなら、どうして地元のミュージシャンに依頼したり、地元で公募しなかったのだろうか。宮城をはじめ、東北にも音楽活動をやっている人たちは多いはずだ。それも地元に根付いている人々が。 モー娘。はもともと、芸能オーディションで落選したメンバーで構成された「落ちこぼれ集団」で、楽天も、主に合併球団のプロテクト漏れや各球団を戦力外になった選手らで編成されており、三木谷オーナーの「成り立ちが似ていて、親近感を感じていた」という意図があったにしても、この決定は非常に残念である。何だ、いろいろと言っても結局は東京中心、知名度中心の発想から抜けていないのではないか。
2005年01月12日
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予想通りの面白さ。破天荒で無茶苦茶であるが、しっかり計算された構成であるので、破綻なく観客を楽しませてくれる。娯楽映画の王道である。隠し味にミュージカル映画がある。前作「少林サッカー」はサッカーというスポーツが題材であるのに対して、今回は暗黒街の暴力団と貧民窟の人々との対決であるので、今回の方がややダークであり、その分、無邪気さはない。主人公が対決する相手は、功夫の道を極めるあまり狂気に陥った超人的な人物。そして、主人公は、その道を極めようとしつつ挫折し、現実には悪の道に入るが、あるショックで超人的な功夫使いとなって蘇生する。「地獄の黙示録」のカーツ大佐「スター・ウォーズ」のダースベーダ-彼らと逆ベクトルの主人公であるという点が面白い設定だ。もちろん夏に登場する「スター・ウォーズ」を意識しているのであろう。さあ、今年は香港映画の逆襲の年であることを期待するぞ!
2005年01月11日
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無印良品でボールペンを買った。本体価格75円という安さ。ラベルには「MADE IN THAILAND」とある。この安さはタイの人々の低賃金で支えられている。日本企業は低コストを求めて製造現場を都会から地方へ、そして海外へと移している。地震と津波の被害報道は、海辺の観光地や日本人の行方不明者にスポットがあたっているが、日本企業の下請けや現地法人となっている企業はどうなっているのだろうか。また、そこに働く人々には被害を受けた方々はいないのだろうか?東南アジアをはじめとして多くの日本企業は、そこに住む人々の安い賃金の恩恵を受けているはずだ。それは、その製品の消費者である私たちも同じである。だからこそ、こういうときに経営者はもっと敏感にこの事態に対して何かを言う、あるいは動くべきと思うのだが。========================================こんなニュースもある。ナニナニ、激務だって?お金はちゃんと貰っているんだろう?世の中には給料も満足に貰えず、癒しなども得られない人がいっぱいいるのだぜ。ここに来る来訪者だって、そんなもの必要か?会社もいろいろ、仕事もいろいろだって?以下転記---------------------------------------首相官邸内で昨年末から、女性の彫刻や動物の工芸品などの美術品が飾られている。玄関があるエントランスホールや二階のロビーなどに新たに計十二点がお目見えした。 平成十四年に完成した新官邸は「石と木」の多用で和風を打ち出しているが、殺風景にも映るため、小泉純一郎首相が「来訪者の目を楽しませるように」と美術品の展示を指示したという。今後も関係者で協議して美術品を増やしていく。 一方、今月に入り官邸前の中庭でサクラやカシなど約千三百本の植樹が終了。三月までにはツツジやスイセンの草花約四十種類が一面に咲き誇る。官邸の雰囲気が一新されて「首相の激務を癒やす空間になる」(政府筋)かどうか。(産経新聞) - 1月10日2時54分更新
2005年01月10日
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12月22日の日記での「インターナショナル」に対しては、予想以上に多くのコメントをありがとうございました。さて、その「インターナショナル」が最も多く歌われた年といえば、まず1968年が思い浮かぶ。その1968年のパリは、まさにそのような状況であったはずで、それを背景とした映画「ドリーマーズ」については、もう1ケ月ほど前の日記になるが、何度か書いてみた。同時代を描いた作品としては、日本映画として「69」があり、雑誌「映画芸術」(2004夏号)では、これらの作品を中心に<「68年」そして映画>という特集が組まれている。私は、「ドリーマーズ」は作品としては高く評価しないが、この作品が描こうとしたもの、あるいはその背景には、語られるべきものが多いと思う。ある映画をつまならいと評価して片付けるのは簡単だが、それだけではあまりにもつまらない。だから出来るだけいろんなことを考えたい。私が時々、「つまらん!」と評価した映画を何回かにわけて日記に書いているのも、そうした思いからである。悪口や批判を単に繰り返しているのではなく、その都度、方向性は異なっているつもりである。さて、現実の社会についても68年当時の状況と比べてみたい。当時はベトナム戦争が激化する中で日本はこれに加担して、経済成長の要因のひとつとなっていた。その経済成長であるが、当時はコンピューターの普及初期であり、また機械化や自動化による大量生産が進みつつあり、人間疎外や労働者の切捨てが始まろうとしていた。こうした状況は現在も同じで更に深化していると思う。その問題が更に深刻になっているのは、多くの人々に問題が見え難くなっていること、そして多くの人々を結集させる「言葉=スローガン」の不在であろう。これは体制側にとっても、反体制側にとっても同じ状況だと思う。「インターナショナル」は一時期は、その「言葉=スローガン」として機能していたが、現在はどうであろうか。「それは違うよ」という回答をするのは簡単であるが、その底にある精神は今も通用すると思う。2日の日記で国境を越えることについて書いたが、この「言葉=スローガン」の獲得は、それを実現・加速するにつながるのではないだろうか。「ドリーマーズ」は出来が悪いつまらない映画であるが、いろいろと考えさせてくれるいい映画である。「68年」については、もっと様々な面から考えていきたい。
2005年01月09日
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「キューポラのある街」の吉永小百合「ミツバチのささやき」のアナ・トレント「リトル・ロマンス」のダイアン・レイン「レオン」のナタリー・ポートマンこれらは、その俳優が持つ個性とその年齢でのみ発揮できる奇跡的な魅力を発揮しえた稀有な映画である。映画「インストール」では、上戸彩と神木隆之介という二人が、まさにそのような魅力を発揮している。この映画の主役の女子高生役は、石原さとみでも、上野樹里でも、長澤まさみでもなく、やはり上戸彩でないとだめではないかと思う。上戸も、神木もどちらかというと中性的な魅力であり、それが良かったと思う。この二人がその魅力を全開できる年齢とちょうど合致していたのではないかと思う。それに対して、彼らの母親を演じる田中好子と小島聖も実にいい。こちらは女性としての生々しい魅力であろう。映画「インストール」は作品としては大したことはないと思うが、久々に俳優の魅力がいっぱいの映画である。-------------------------------------------おまけにもう一言。いつの日か、綿矢りさ原作・主演が実現することを期待しておきたい。
2005年01月08日
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「スウィング・ガールズ」、「ウォーター・ボーイズ」、「ロボコン」などと同じく「学園版プロジェクトX」といった趣のもの。但し、この「シネマ・フェスティバル」は小説である。どういうわけか話題になっていないが、大変に面白く快い内容であることをまず言っておこう。登場人物は、みなどこか病んでいるか欠陥がある。それぞれの人物は、あまりにも戯画化されすぎているという批評もあるかも知れないが、身近にいそうな、あるいは自分の中にもそういう一面がありそうな、そんなリアリティとか親しみを感じてしまう。問題意識や使命感など持たない高校教師が顧問を任された高校映研で、頼りない、やる気なしの部員と共にシネマ・フェスティバル応募をめざして映画作りに取り組む。さて、その結果は?こういう小説では、ラストは「こうであろう」という予想を見事に裏切ってくれる面白さ。作者はおそらく大変な映画ファンであると思うが、映画的記憶や知識をひけらかすのではなく、「映画」をひとつの事例として、生きる目的や姿勢について考えようと呼びかける。しかし、この作者が数多くの映画を見て、そのセンスが身についていることは最後の「エンドロール」でよく判る。しゃれた「エンドロール」には思わず拍手!心地よく、年の最初に読む本にふさわしい。紹介してくださったくりむーぶさんに感謝。-------------------------------「シネマ・フェスティバル」永田俊也・作講談社
2005年01月07日
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宣伝コピーでは観客の83%が泣くとのこと。では、私は17%である。私は、泣けなかったが、つまらない映画だと言うつもりは全くない。実は、次々と展開する巧妙な映画術満載の場面に翻弄されて、泣くどころではないのである。ヒロインが自殺しようと高層ビルから飛び降りるシーンから始まるという破天荒な構成をはじめとして、とにかく工夫がいっぱいで、ちょっとしたシーンや小道具などにも要注意である。ラストに出てくる写真。それで観客は驚かされるのである。これは「JSA」のラストと同様の仕掛け。しかし、もっと驚くことは、この「僕の彼女を紹介します」から「猟奇的な彼女」へと繋がっていることが判った瞬間である。そして、この「僕の彼女を紹介します」という奇妙なタイトルの意味することもわかる。とにかく手の込んだ精密細工のような映画で、もしかしたら、見た回数だけの発見があるかも知れない。とにかく巧い!!---------------------------------そんなわけでこの映画をご覧になる前後で「猟奇的な彼女」をご覧になるとより面白くなるのではないかと思います。
2005年01月06日
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昨年12月のニュース(この日記の後半に内容転載)であるが、やはり気になるので書いておきたい。これは随分とひどい事件だと思う。寒々とした事件だ。「花はたださく ただひたすらに」という言葉を、「やくざの書くような言葉だ」と評する感性を私は理解できないが、これも個人の自由であるからとやかくは言えないであろうから、これはよしとしておこう。問題は、この人が教師であるということ。生徒が書いた言葉が「やくざの書くような言葉」と感じたのであれば、その旨をきちんとその生徒に言うべきであろう。それをもとに対話をするべき。それが教育者の責務ではないか。それをカバーしない担任も相当にひどい。私は二人とも教師失格であると思う。この教師の対応は、まるで2チャンネル的な対応である。ネットの掲示板における書き込みに対して揶揄した書き込みを行う、あの反応と全く同じ。そこには思慮や配慮は全くない。ただ単にケチをつけて反応すれば、それでいいという発想だ。考えてみれば、小泉首相の国会答弁にもこの種の対応が見られる。2チャンネル的対応が、いろんな場に蔓延しているのではないか。事件を報じる記事を転載。-------------------------------------------書き初めの宿題に書家、詩人として著名な相田みつをの詩を書いたところ、中学の男性国語教諭(53)に「やくざの書くような言葉だ」などとばかにされ、これが原因で卒業文集にもほおに傷のある似顔絵を描かれたとして、横浜市立中学の元女子生徒が市に慰謝料など350万円の支払いを求めた訴訟で、横浜地裁の河辺義典裁判長は24日、教諭らの責任を認め、市に計25万円の支払いを命じた。元生徒は別の男性教諭(46)から部活動中に腰をけられており、支払額はこの賠償5万円を含む。 判決によると、元生徒は3年生だった01年1月、「花はたださく ただひたすらに」と書いた書き初めを、国語の授業に提出した。書家で詩人だった相田みつをの詩だが、国語教諭はこの詩を知らず、ほおに指を当てて(傷跡を)なぞる仕草をして「こういう人たちが書くような言葉だね」と発言した。同級生は笑い、元生徒は「やくざ」などとからかわれるようになった。 その後、生徒たちが卒業文集で互いの10年後を想像した似顔絵を描き合った際、元生徒は、ほおに傷がある絵を描かれた。担任の女性教諭(38)は、絵を見ていながら修正せずに文集を配った。 学校はその後、元生徒の母親の抗議で文集を回収し、印刷し直した文集を配り直した。 判決は教諭の発言を「(発言で)嫌がらせを受けるのは当然予想され、不適切で軽率」と批判。似顔絵についても「(担任が)訂正の必要性を認識すべきだった」とした。(毎日新聞 12月25日)
2005年01月05日
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「2大スター(?)の対決」であるが、所詮はB級映画。しかし、なかなか面白い。こういう娯楽映画を作らせるとさすがにハリウッド映画は巧いと思わせる。「ゴジラ FINAL WARS」もこのレベルにあって欲しかった。北村龍平はハリウッドに進出するそうであるが、この「エイリアンVS.プレデター」を見ると、レベルの差はかなりあると思う。さて、「エイリアン VS.プレデター」であるが、エイリアンとプレデターの戦いの中に人間が放り込まれるという図式である。その人間たちは両方を見て、「エイリアンの方が、よりひどい敵だ」と咄嗟に判断して、「敵の敵は味方」論理を適用して、プレデターに味方して共同でエイリアンと対決する。「敵の敵は味方」は、現実のアメリカが、とってきた政策ではないか。となれば、この映画で、エイリアンとプレデターが例えているものは何だろうか?主人公の黒人女性は、ライス新国務長官を意味しているのか?と裏目読みをしたくなる、そんな作品である。
2005年01月04日
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「亜州影帝」とは、香港映画の大スター、周 潤發(チョウ・ユンファ)に掲げられた称号である。香港映画には魅力的なスターが多く、作品も実に豊かな発想で面白い作品が多かったのであるが、このところ韓国映画におされてすっかり存在感が低下してしまった。昨年は「インファナル・アフェア 無間序曲」が大変に映画的魅力満載であったが、どういうわけか話題もなく、終ってしまった。周 潤發もハリウッド進出後の作品が不発である。次は「パイレーツ・オブ・カリビアン」の続編に登場らしいが、どうか、このあたりで力を発揮して欲しい!期待しているぞ、亜州映帝・周 潤發(チョウ・ユンファ)!もちろん、他の香港スターも!そしてあの破天荒なエネルギーを持った香港映画の復活を!まずは、「カンフー・ハッスル」を見よう。春には「インファナル・アフェア」の第3作目が登場する。期待!!!
2005年01月03日
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紅白歌合戦でのイ・ビョンホンのメッセージは非常に素晴らしかった。「さらに来年は、韓国と日本の映像文化が区別されず、東洋の映像文化として世界的なものになることを期待しています」そして、今年最初に見た映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」で若きゲバラが言う言葉。「意味のない国境に分けられていることをやめようではないか。我々は南米大陸全体に生きるひとつの民族である」この二つの言葉には共通したものがある。それは行政上の国境を越えるという発想である。それを実現するものが何であるのか、2005年は、それを探す最初の年になるのかも知れない。韓流ブームと20世紀最大のイコンであるゲバラの言葉が出会ったのである。
2005年01月02日
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あけましておめでとうございます。旧年中(私の楽天元年)は皆様には大変お世話になりました。今年もよろしくお願い致します。という平凡な挨拶から始まって、今年最初の日記です。---------------------------------------------------1月1日生まれの映画人として中島春雄と水野久美がいる。この二人に共通しているものは「ゴジラ」である。中島春雄という俳優は、「ゴジラ」を演じたことで映画史に名を残すことになるのではないか。初代ゴジラで着ぐるみに入って、ゴジラを演じた俳優である。他にもいくつかの怪獣を演じておられる。円谷英二と共に東宝特撮映画の功労者である。水野久美は、東宝特撮映画のヒロインともいうべき存在。初代「ゴジラ」には出演しておられないが、「妖星ゴラス」以降の特撮映画にはかなり出演されている。ゴジラ映画史の汚点「ゴジラ FINAL WARS」にも出演。1月1日生まれの映画監督として塚本晋也がいるが、この人には「ゴジラ」を撮ってもらいたい!この人のセンスなら、きっと素晴らしい「ゴジラ」になるはず。ついでに書いておくと「ゴジラ」の原作者・香山滋は7月1日生まれ。「ゴジラ」を始めとする東宝怪獣映画の巨匠・本多猪四郎は、1911年生まれで、「ゴジラ」に縁のある人は、「1」がついている。ついでに、私の誕生日も「X月1日」である。-----------------------------------------------と、今年もこんな調子で書いていきます。
2005年01月01日
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