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★ ヴォルピ・ブルー、 { レ・ } (compl) Volpi Blu, {Le}
ジェノヴァの西南西40 km リヴィエラ海岸沿いにある小都市サヴォーナ (Savona) で1966年にフランコ・デルフィーノ (Franco Delfino) がリーダーとなり結成され、次第に音楽的な変遷をとげたビートニック・バンド。バンド名の意味は青い狐たち。
リーダーのフランコ・デルフィーノとその他のメンバーが関わったバンド、グループは以下の通り。
フランコ・デルフィーノ が関わったのは ヴォルピ・ブルー、 { レ・ } (Volpi Blu, {Le}) ; アルティクス (Articus= ? ) ; ピノ&フランコ (Pino e Franco= Franco Delfino, Giuseppe Damele) ; ヴァラゴ (Varago = Giampiero Levratto, Manuel Guastavino) ; シニョーリ・デラ・ガラシャ (Signori Della Galassia,{ I}= Franco Delfino, Bruno Govone, Manuel Guastavino +3) ; オーケストラ・フランコフェルフィーノ (Orchestra Franco Delfino)
メンバーの ブルーノ・ゴヴォーネ が関わったバンド、 ヴォルピ・ブルー、 { レ・ } (Volpi Blu, {Le}) ; チェルキオ・ドーロ (Cerchio D'Oro,{Il}) ;シニョーリ・デラ・ガラシャ (Signori Della Galassia,{ I}
活動期間 : 1966 – 1981
所属レコード会社 : Kansas, Equipe, Condor, Golden Record, Top Records
サンレモ音楽祭出場 1 回 :1975 年 参加
サンレモ音楽祭出場メンバー
・フランコ (Franco) 本名フランチェスコ・デルフィーノ (Francesco Delfino) :キーボード (dal 1966 al 1979)→ Pino e Franco →Caw (Franco Delfino)
・ブルーノ・ゴヴォーネ (Bruno Govone) :ギター
・マヌエル (Manuel) 本名エマヌエレ・グスタヴィーノ (Emanuele Gustavino) :ヴォーカル、ギター: (dal 1966 al 1979)1948 年 -2015 年サヴォーナ生・没 Varago→ I Signori Della Galassia→Manuel (Manuel Guastavino)
・リッカルド・ダーニャ (Riccardo Dagna) : ベース (dal 1970 al 1979)
・エンリコ・カッツァンテ (Enrico Cazzante) :ヴォーカル、リズム楽器 (dal 1971 al 1979)
1960年代初頭フランコ・デルフィーノがリーダーとなりバンドを結成しました。メンバーが定着していたのか分かりませんが、ウィキペディア・イタリア版(以降 Wiki と略)には活動期間が66年から80年までとされ、結成メンバー紹介も66年からなのでそれに従いします。
結成メンバー
・フランコ (Franco) 本名フランチェスコ・デルフィーノ (Francesco Delfino) :キーボード 1966-79)
・マヌエル (Manuel) 本名エマヌエレ・グスタヴィーノ (Emanuele Gustavino) :ヴォーカル、ギター (1966-1979)
・ミンモ・レンティーニ (Mimmo Lentini) :ヴォーカル、ベース (1966 -70)
・ジャンニ・グランディ (Gianni Grandi) :ドラムス ( 所属期間不明 72年以降RCAイタリアーナのプロデューサー )
公式に活動を始めた当時のメンバーは4又は5人と思われます。 Wiki には67年にレコード会社フォノチネ (Fonocine) と契約し、“ Ti Ricordi Padre Mio ”でデビューした旨の表記がありますが、フォノチネはレコード会社ではなく音楽出版社です。また68年にレコード会社のカンサスから“ Troverai La Strada ”からデビュー盤と思われるシングルを出しています。
“ Ti Ricordi Padre Mio ”は2枚目のシングルとして71年にエキペから、同内容で72年コンドルから出ています。既に4つの会社名が出ていますが、各々関係があるので説明していきます。
67年末カマレオンティ (I Camaleonti) がCBSに移籍した後釜としてカンサス・レコードは5人組のヴォルピ・ブル-を68年デビューさせました。ここにはビートニック・バンドで既に売れていたウー (Gli Uh!) も楽曲管理をフォノチネに任せており、音楽出版社としてヴォルピ・ブル-を他社に移籍させたと思われます。
移籍先がエキペ (Equipe) でした。その頃契約していた往年のサンレモの女王 ニラ・ピッツィ (Nilla Pizzi) がここでレコードを出していましたが、会社は不振になっていたようです。
結成メンバーだったベースのミンモ・レンティーニ (Mimmo Lentini) 脱退、リッカルド・ダーニャ (Riccardo Dagna) に交代するなどで4人編となったバンドの移籍はエキペ復興のためだったかは不明ですが、2枚目のシングルを71年に出します。救済策も力及ばずエキペは74年に破産しました。
DM-1088 (1968 年 Kansas – Clan Celentano,) Troverai La Strada/Complimenti Graziella
DM-1088
EQ-0132 
EQ-0132 (1971 年 6 月 Equipe – Decca Italiana) Ti Ricordi Padre Mio/Nella Mente Solo Te [ ジャケット画像は3色グラビア刷り雑誌広告で、実際の色と相違があり ]
2枚目シングルは移籍先コンドルからそのまま(ジャケットの社名とレコード番号の差替えのみ)で再発売されました。この曲はプー (I Pooh) 系のポップ・ロックで彼らの初期の代表作になります。
TV-17 (1972 年 CONDOR (POLARIS) - CBS Sugar) Ti Ricordi Padre Mio/Nella Mente Solo Te
TV-17
TV-21 
TV-21 (1972 年 CONDOR (POLARIS) - CBS Sugar) Bimba Mia/Mà Mammà
71年ヴォーカルとリズム楽器のエンリコ・カッツァンテ (Enrico Cazzante) が加わります。ギターとヴォーカルのマヌエルの声はプーのロビー・ファッキネッティ (Roby Facchinetti) のような高い声でしたがエンリコは力強い声でした。彼の加入でヴォーカルの幅が広がります。しかし“ Bimba Mia ”のジャケットはまだ4人で、エンリコ加入前のようです。
TV-23 (1973 年 CONDOR (POLARIS) - CBS Sugar) Biancastella / Uomo Felice
TV-23
TV-25 
TV-25 (1974 年 CONDOR (POLARIS) - CBS Sugar) Un Amore Per Noia /I Will Beg
これの5人態勢で安定したようで、“ I Will Beg ”ようなアメリカン・ロック的な曲にも挑みます。
“ Mà Mammà ”でコラボしたピアニストで作曲家のジュゼッペ・ダメレ (Giuseppe Damele) はデルフィーノとインスト曲“ Storia ”を作り、アルティクス (Articus) 名でシングルを出します。この曲はヴォルピ・ブル-のアルバムに収録されているので、彼らと全面コラボ ( 又は名義だけアルティクスを使用 ) したようです。楽譜写真もあったので載せています。作者名とフォノチネのロゴマークもあるので、フォノチネの関与が大きいのが判ります。
TV-26 (1974 年 CONDOR (POLARIS) - CBS Sugar) Storia (F.Delfino – G.Damele)/Stazione Nord {come Articus}
75年サンレモ音楽祭に出場しました。モッタとバルドーニの詞にダメル、デルフィーノの作でした。予選で同票12票の3歌手が5位となり、どういう裁定をしたのか不明ですがヴォルピ・ブル-だけが最終日の決勝戦に進めませんでした。
彼らの方向性が商業的成功よりプログレッシブな方に向かいつつあった時期で、サンレモでの結果が良かったのか悪かったのか判断できません。メンバーも目指す音楽に違いが出てきて、それぞれが違った行動をとり始め、79年の解散に向かって進んでいきます。
TV-29 (1975 年 2 月 CONDOR (POLARIS) - CBS Sugar) Senza Impegno ( 約束なしで )/Così Passa Il Giorno
TV-29
FC-1034 
FC-1034 (1975 年 Golden Record - SAAR) Casa Senza Amore/Vivo E Vero [Varago = Giampiero Levratto, Manuel Guastavino ]
所属のレコード会社にも変化があります。75年サンレモ音楽祭の芸術監督をしたブルーノ・パレージ (Bruno Pallesi) が作ったレコード会社ポラリス (Polaris) の系列に入っていたコンドルでしたが、休眠状態に近かったゴールデン・レコード (GoldenRecord) というメインに変更し、経営状態が悪化したポラリスから分離独立しました。
メイン・ヴォーカル兼ギタリストのエマヌエル・グスタヴィーノはジャンピエロ・レヴラット (Giampiero Levratto) 達とヴァラゴ (Varago) というグループを作り、シングル“ Casa Senza Amore ”をゴールデン・レコードから出しました。
ヴォルピ・ブル-の初アルバムがコンドルから出て、これにはサンレモ音楽祭出場曲“約束なしで”やアルティクス名義でシングル盤が出た“ Storia ”も収録され、一報“ Tu, Piccola Bimba Mia ”、“ L'Incoscienza ”がシングルカットされています。サンレモ出場以降にキーボードのルイジ・モゼッロ (Luigi Mosello) が加入しました。
TVLP-050 (1975 年 Condor – CBS Sugar) Le Volpi Blu – Tu, Piccola Bimba Mia
1 .Tu Piccola Bimba Mia
2 .Un Amore Per Noia
3 .Senza Impegno ( 約束なしで )
4 .Uomo Felice
5 .Ti Ricordi Padre Mio
6 .Storia
7 .L'Incoscienza
8 .Così Passa Il Giorno
9 .Biancastella
10.Bimba Mia
11.Il Buono E Il Cattivo
12.I Will Beg
TVLP-050
TV-32

TV-32 (1975 年 CONDOR (POLARIS) - CBS Sugar) Tu, Piccola Bimba Mia/L'Incoscienza
75年6月ジュゼッペ・ダメレとフランコ・デルフィーノがまたレコードを出しますが、今度の名義はピエロ&フランコ (Pino e Franco) で2枚EPを出しています。
FC-1036 (1975 年 6 月 Golden Record - SAAR) EP Electronic System[Pino e Franco= Franco Delfino , Giuseppe Damele]
1 .La Ranocchia
2 .Polenta E Baccalà
3 .Valzer And Soda
4 .Semola
FC-1036
FC-1037 
FC-1037 (1975 年 9 月 Golden Record - SAAR)EP Electronic System [Pino e Franco= Franco Delfin o, Giuseppe Damele]
1 .Nora
2 .Beinette
3 .Tano
4 .Briscola
メンバーはそれぞれ活動し、どういう状態になったかようく分からないヴォルピ・ブル-です。マヌエルが作ったヴァラゴがオートストップという会社からシングルを出しました。こういう状態でヴォルピ・ブル-のレコード製作は76年中行われていません。
AUT- 0004 (1975 年 Autostop Music –) La Piovra/Fino A Domani [Varago = Giampiero Levratto, Manuel Guastavino ]
AUT- 0004
ABN- 22 
ABN- 22 (1977 年 Playphone – Dischi Ricordi) Quattro Mura/Futuro Prossimo [Il CerchioD'Oro]
サンレモ音楽祭出場メンバーのブルーノ・ゴヴォーネ (Bruno Govone) が74年に結成したバンド、チェルキオ・ドーロ (Il CerchioD'Oro) がプレイフォン (Playphone) からシングル“ Quattro Mura ”を出しています。ブルーノは79年ヴォルピ・ブル-解散直前に一部メンバーが作ったバンド、シニョーリ・デラ・ガラシャ (Signori Della Galassia,{ I} に結成メンバーの一人として参加しています。
ヴォルピ・ブルー 2は次回に続きます
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