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★ マティア・バザール (compl) Matia Bazar
1975年ジェノヴァでバンドのジェットが発展的解消してロック、ポップス・バンド。メンバー交代を重ねながら現在も活動を続ける。

活動期間 : 1975 年 – 現在
所属レコード会社 : Farn music, Ariston, CGD, DDD, Polydor Records/PolyGram, Sony Music, Universal Music Group
サンレモ音楽祭出場1回 :1973年参加曲 ( ジェットとして ) 、 77 年参加、 78年優勝 , 83年 4 位、85年 10 位、88年 10 位、92年 5 位、93年 4 位、 2000 年 8 位、 01 年第3位、 02年優勝 、05年第3位、12年参加
公式サイト : http://www.matiabazarofficial.com/
1971年ジェノヴァで結成された4人編成のプログレッシブ・バンド、ジェット (J.E.T.) は73年サンレモ音楽祭に出場し“アニカ・ナ・オ”を歌いました。そのバック・コーラスにアントネッラ・ルッジェロ (Antonella Ruggiero) がいたとも言われています。しかしジェットは74年に解散します。
ジェット

ジェットのメンバー構成 ( 太字はマティア・バザール結成メンバー )
・アルド・ステッリタ (Aldo Stellita) :ベース、ヴォーカル
本名アルド・サルヴァトーレ・ステッリタ( Aldo Salvatore Stellìta) 1947 年 8 月 2 日シチリア島最西端近くの小さな町カンポベッロ・ディ・マツァーラ (a Campobello di Mazara) 生れ学生時代をジェノヴァでおくる、 1998 年 7 月 9 日イタリア最東北部の都市ウーディネ (Udine) 没、作詞家、歌手、ベース奏者。マティア・バザールの創立メンバーの一人でジェット、マティア・バザールの「静かなる」リーダー。
・ピエロ・カッサーノ (Piero Cassano) :キーボード、作曲
本名ピエランジェロ・エウジェニオ・カッサーノ (Pierangelo Eugenio Cassano) 1948 年 9 月 13 日ジェノヴァ生、作曲家、編曲家、演奏家、歌手。マティア・バザールの創立メンバーの一人で81年に脱退し、ソロ歌手として82年サンレモ音楽祭で参加曲に終わる、同年ヤマハ国際歌謡祭出場。
・カルロ・マッラーレ (Carlo Marrale) :ギター、ヴォーカル
1952 年 3 月 15 日ジェノヴァ生、歌手、ギタリスト、仇名は」ビンボ (Bimbo) 。マティア・バザールの創立メンバーの一人で93年に脱退し、ソロ歌手として94年サンレモ音楽祭出場15位。
・レンゾ・コッキス (Renzo Cochis) :ドラム、作曲
仇名がルッチ (Rucci) という以外は一切不明
マティアことアントネラ・ルッジェーロ (Antonella Ruggiero) はジェノヴァに生まれ、美術研究所でデザインの勉強をし , 短期間ですがグラフィック・デザイナーとして広告代理店で働きます。
アントネラのイタリア版ウィキペディアではジェットの唯一のLPでバッキング・コーラスに参加したと書いてあります。
経過分は不明ですがアントネッラをアリストンのオーナーの アルフレッド・ロッシ (Alfredo Rossi) が見出し、彼女の才能を開花させ新たな音楽を作ろうと思いました。
その頃ドゥリウムに所属してサンレモ音楽祭にも出場したプログレッシブ・バンドですが今一つ陽の目を見ない ジェット が解散したところでした。ロッシは同郷の女性ヴォーカリストとプログレ・バンドを合体させることを思いつきました。
まずアントネラ・ルッジェーロをマティアとしてステッリタとカッサーノの曲でソロ・デビューさせました。バックはジェットのメンバーが付けています。
AR-0634 (1974 年 Ariston – Ariston) La Strada Del Perdono ( ひとすじの途 )/Io Matia ( 私はマティア ) (come Matia)
AR-0634

75年ジェットのメンバー3人を残し、ドラムスのレンゾ・コッキスを73年解散したプログレッシブ・バンド、ムゼオ・ローゼンバッハ (I Museo Rosenbach.) のドラムス、ジャンカルロ・ゴルツィ (Giancarlo Golzi) に交代させ、さらに女性ヴォーカルのマティア (Matia) ことアントネッラ・ルッジェーを加えて5人編成バンド、マティア・バザール (Matia Bazar) として再出発させます。
マティア・バザール結成メンバー (太字は旧ジェットのメンバー)
・アルド・ステッリタ (Aldo Stellita) :ベース、ヴォーカル、リーダー [ 在籍 1975 -98 年 ]
・ピエロ・カッサーノ (Piero Cassano) :キーボード、作曲 [ 在籍 1975-81; 99-2017 年 ]
・カルロ・マッラーレ (Carlo Marrale) :ギター、ヴォーカル [ 在籍 1975-93 年 ]
(以上3人はジェットの項ご参照)
・ジャンカルロ・ゴルツィ (Giancarlo Golzi) :ドラムス、作詞 [ 在籍 1975-2015 年 ] 1952 年 2 月 10 日サンレモ生 .-2015 年 8 月 12 日サンレモの西5 km にある町ボルディゲーラ (Bordighera) 没。元ムゼオ・ローゼンバッハのドラムス、元サンレモ市長ジョヴェナーレ・ボッティーニ (Giovenale Bottini) のイトコ、2003年までサンレモ音楽祭新人の部出場者登竜門、アカデミア・ディ・サンレモの監督も務めた。
・アントネッラ・ルッジェロ (Antonella Ruggiero) :女声ヴォーカルのマティア 1952 年 11 月 15 日にジェノヴァ生。自作自演歌手 [ 在籍 1975 -89 年 ] マティ・バザールのプロデューサー、編曲者のロベルト・コロンボ (Roberto Colombo) と結婚し、息子ガブリエレ (Gabriele) の出産を含め7年間活動中止後、96年からソロ歌手として活動を再開しました。
彼らのデビューは75年夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“夜をとどめて”でした。初戦敗退でしたが75年年間ヒット・ランク69位に入るヒットとなります。
AR-00669 (1975 年 3 月 Ariston – Dischi Ricordi) Stasera...Che Sera! ( 夜をとどめて )/Io, Matia ( 私はマティア )
AR-00669
AR-00720 
AR-00720 (1975 年 11 月 Ariston – Dischi Ricordi) Per Un'Ora D'Amore ( ひとときの愛のために )/Cavallo Bianco ( 白い馬 )
第2弾は11月に“ひとときの愛のために”ですが、これも翌76年年間ヒット・ランク97位に入ります。
この成功で76年3月、早速アルバム「マティア・バザール1 (Matia Bazar 1 」」が作られ、日本でも1989年12月になってCDで発売されました。初期のマティア・バザールを知るには貴重な盤です。
AR ・ LP-12283OX-3067MPIT-1009
AR ・ LP-12283 (1976 年 3 月 Ariston – Dischi Ricordi) Matia Bazar 1
OX-3067 (1977 年 Oxford – Dischi Ricordi) Matia Bazar 1
MPIT-1009 (1991 年 Virgin – Virgin Dischi) Matia Bazar 1
MPICD-1009 (1991 年 Virgin – Virgin Dischi) CD Matia Bazar 1 [5 012984 100923]
7-86615 ・ 2 (1995 年 Virgin – Virgin Dischi) CD Matia Bazar 1 [077778661528]
CDM-7 ・ 86615 ・ 2 (1991 年 Virgin – Virgin Dischi) CD Matia Bazar 1 [077778661528]
1 .Per Un'Ora D'Amore ( ひとときの愛のために )
2 .Cavallo Bianco ( 白い馬 )
3 .Ma Che Giornata Strana ( 白日夢 )
4 .Blue ( ブルー )
5 .Un Domani Sempre Pieno Di Te ( 幸せの明日 )
6 .Stasera Che Sera ( 夜をとどめて )
7 .Suffering From Memories ( サファリング・フロム・メモリー )
8 .Limericks ( リムリックス )
9 .Io, Matia ( 私はマティア )
10.Gente D'Ogni Età ( 世代 )

MPICD-10097-86615CDM-7 ・ 86615 ・ 2
76年に発売されたシングルは“悪戯”のみです。この曲も同年年間ヒット・ランク80位になります。
AR-00754 (1976 年 Ariston – Dischi Ricordi) Che Male Fa ( 悪戯 )/ Un Domani Sempre Pieno Di Te ( 幸せの明日 )
AR-00754
AR-00772 
AR-00772 (1977 年 Ariston – Dischi Ricordi) Ma Perchè? ( 恋の冒険 )/Se... ( もしも... )
これらの実績で直ぐ翌77年サンレモ音楽祭に出場する権利を得ました。出場曲は“恋の冒険”を歌いますが入賞出来ませんでした。しかし同年年間ヒット・ランク42位になるヒットになります。
サンレモ終了後ただちにセカンド・アルバム「グランバザール (Gran Bazar) 」が出ました。新人のため曲が揃わずA面5曲はライヴ録音でした。


AR ・ LP-12320OX-3091
AR ・ LP-12320 (1977 年 3 月 Ariston – Dischi Ricordi) Gran Bazar
AR ・ LP-12320 (1977 年 Ariston – Dischi Ricordi) Matia Bazar
OX-3091 (1978 年 Oxford – Dischi Ricordi) Gran Bazar
MPIT-1010 (1991 年 Virgin – Virgin Dischi) Gran Bazar
MPICD-1010 (1991 年 Virgin – Virgin Dischi) CD Gran Bazar [5 012984 101029]
7-88072 ・ 2 (1995 年 Virgin – Virgin Dischi) CD Gran Bazar [077778 807223]
1 .Gran Bazar ( グランバザール )
2 .Yesterday ( イエスタデイ )
3 .Noi... ( 私たち )
4 .Che Male Fa ( 悪戯 )
5 .Per Un Minuto E Poi... ( 一時のために...そして )
6 .Se... ( もしも... )
7 .La Strada Del Perdono ( ひとすじの途 )
8 .Ma Perché ( 恋の冒険 )


MPIT-1010MPICD-10107-88072 ・ 2
続いて出したシングル盤“ソロ・トゥ”が決定打となります。週間ナンバー・ワンを取り、年間ヒット・ランクが3位のメガ・ヒットでした。これでマティア・バザールの評価はサンレモ音楽祭の『真の勝利者』とされました。
AR-00793 (1977 年 Ariston – Dischi Ricordi) Solo Tu ( ソロ・トゥ )/Per Un Minuto E Poi ... (一時のために...そして)
AR-00793
ARX-16003 
ARX-16003 (1977 年
Ariston – Dischi Ricordi) Mix 12" Ma Perchè? ( 恋の冒険
)/Che Male Fa ( 悪戯
)
“恋の冒険”と“悪戯”の入ったマキシ・シングルも発売されました。
マティア・バザ-ルの国内盤
GP- 382 (1975 年 9 月 SEVEN SEAS - キング ) サン・ヴァンサン音楽祭/夏のディスク・フェスティヴァル1975 (ST. VINCENT FESTIVAL/UN DISCO PER L'ESTATE 1975)
7 . 夜をとどめて (STASERA... CHE SERA!)
GP- 382
GXC-5
~
6
GXC-5 ~ 6 (1977 年 2 月 21 日 SEVEN SEAS - キング ) 2LP ネグロ・炎・別離のローマ空港/イタリアン・ポップスの新星たち (NEGRO / NESSUNO MAI / VOLO AZ504 ITALIAN POPS ALL STARS)
2-11. ひとときの愛のために (PER UN'ORA D'AMORE)
2-12. 夜をとどめて (STASERA CHE SERA)
GP- 483 (1977 年 6 月 SEVEN SEAS - キング ) 第27回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1977)
4 . 恋の冒険 (MA PERCHE')
GP- 483

マティア・バザール 3 は 1978 年サンレモ音楽祭の後に 続きます
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