《櫻井ジャーナル》

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2015.01.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 パレスチナ国家の独立とイスラエルが1967年から占領している土地から2017年までに撤退することを求める決議案が国連安全保障理事会は否決した。15理事国のうちアメリカとオーストラリアが反対、イギリス、ルワンダ、ナイジェリア、韓国、リトアニアが棄権して賛成が8カ国にとどまったためだ。

 しかし、EUでは今回の決議案に沿う主張をする国が出てきている。アメリカの傀儡化が進んでいるEUだが、パレスチナを国家として承認する決定を下したとする声明を昨年10月30日に出したスウェーデンが象徴的。

 10月2日に社会民主労働党のステファン・ロベーン党首の首相就任が承認されると新首相はパレスチナを国家として承認する方針だと語る。すると、外国が水中活動をしている疑いがあるとして、スウェーデン軍はバルト海で大規模な作戦を始めて新政権はプレッシャーをかけられていた。

 似たことが30年以上前にもあった。1982年10月1日に始まった出来事のデジャビュ。アメリカとは一線を画し、自主独立の道を歩もうとしていたオルオフ・パルメが首相に返り咲く1週間前にも「国籍不明の潜水艦」の捕り物劇があったのだ。西側メディアは根拠を示すことなく、それをソ連の潜水艦であるかのように宣伝、スウェーデン人の反ソ連感情を高めてパルメ首相の手足を縛ることになる。

 しかし、ノルウェーの情報将校は問題の潜水艦はソ連のものではないと断言、西側の潜水艦だとしている。ソ連のウィスキー型潜水艦だとする説を明確に否定し、アメリカやスウェーデンの当局者と真っ向から対立した。「ソ連説」の根拠は示されず、雰囲気だけだったことを考えると、ノルウェーの主張に説得力がある。(Ola Tunander, “The Secret War Against Sweden”, 2004)

 ところで、1967年の出来事はイスラエルの領土拡大(大イスラエル)計画の一環だった。この年の4月から5月にかけてイスラエルはゴラン高原のシリア領にトラクターを入れて土を掘り起こし始めてシリアを挑発、シリア軍が威嚇射撃すると、イスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出し、銃撃戦に発展した。シリアが攻撃を始めたわけではないことは1971年から85年まで国連事務次長を務めたブライアン・アークハートも確認している。

 その当時、ソ連はイスラエルがシリアを攻撃すると考え、エジプトは5月15日に緊急事態を宣言して2個師団をシナイ半島へ入れた。その5日後にイスラエル軍の戦車がシナイ半島の前線地帯に現れたとする報道があり、22日にエジプト政府はアカバ湾の封鎖を宣言。

 30日にモサドの長官がアメリカを訪問し、リンドン・ジョンソン大統領に開戦を承諾させている。アメリカの政界でジョンソンは親イスラエル派の中心的な人物として知られていた。そして6月5日にイスラエルはエジプトを空爆、第3次中東戦争が勃発している。この際、ドイツに駐留していたアメリカ空軍の偵察機RF4Cがエジプト軍の動きを撮影した写真を提供、アメリカ政府は政治的にも支援していた。

 エジプト攻撃を承諾したアメリカ政府だが、ゴラン高原をイスラエルは攻撃する可能性があった(実際、イスラエル政府はゴラン高原を攻撃することを決めていた)こともあり、6月8日にアメリカ軍は情報収集船のリバティをイスラエルの沖に派遣するのだが、イスラエルはこの艦船を攻撃する。午前6時頃から正午過ぎまで再三にわたって偵察した後、ミラージュ戦闘機がロケット弾やナパーム弾を発射、魚雷艇から銃撃され、魚雷も命中しているが、リバティを沈没させられず、乗組員を皆殺しにできなかった。



 空母サラトガと空母アメリカに対し、救援のために戦闘機を派遣するようにという命令が出たのは午後3時16分。艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、4時14分にイスラエルはアメリカに対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。

 この後、イスラエル軍がリバティを攻撃した事実をアメリカ側は隠蔽しようとする。このとき、在欧アメリカ海軍の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまり後のジョン・マケイン上院議員の父親も事実の隠蔽に荷担している。この攻撃以来、アメリカ政府はイスラエル政府に逆らえなくなり、この2カ国は中東で憎悪の対象になる。

 1967年11月に国連の安保理は242号決議を採択した。その中で、第3次中東戦争によって占領した地域からイスラエル軍は撤退し、交戦状態を終結させ、難民問題を公正に解決するようにイスラエルは求められている。

 1969年にリチャード・ニクソンが大統領に就任、ウィリアム・ロジャース国務長官はこの決議に基づいて動こうとするのだが、ヘンリー・キッシンジャー補佐官は反対、エジプトとイスラエルだけの部分的な和平にとどめようとした。その後、ロジャースはキッシンジャーの意向に沿う和平案を提示していくのだが、これをイスラエルは拒否、現在に至っている。イスラエルは中東和平を真剣に考えてはいない。

 ジミー・カーター大統領は242号決議に基づいてパレスチナ問題を解決しようと考え、イスラエル労働党のイツハク・ラビンやPLOのヤセル・アラファトも包括的和平に賛成したのだが、選挙でラビンがリクードのメナヘム・ベギンに敗れて実現しない。その後、西側では反カーター・キャンペーンが展開され、カーターは再選されなかった。

 1993年、ビル・クリントン大統領の時代にイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長はオスロ合意(暫定自治原則宣言)に正式署名、暫定自治機構を設立したうえで西岸/ガザ地区における5年間の暫定自治を実現し、国連安保理決議242と338(第3次中東戦争で占領した地域からのイスラエル撤退)に基づいてパレスチナの最終的地位について交渉、さらに暫定自治開始後3年以内に、エルサレムの帰属、パレスチナ難民、入植地や国境等の問題を含むパレスチナの最終的な交渉を始めることになったのだが、95年にラビンが暗殺され、その5年後にはリクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、パレスチナ人を挑発して和平は遠のいた。

 イスラエルの好戦派はアメリカのネオコンと緊密な関係にあり、2014年2月にウクライナで行われたクーデターにも関係、ネオ・ナチとの協力関係も明確。現在、EUで広がっているパレスチナ独立を承認する動きに対し、ネオコンやイスラエル(シオニスト)はネオ・ナチ系の人びとと手を組んで抵抗している。





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最終更新日  2015.01.02 12:36:17


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