《櫻井ジャーナル》

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2022.07.08
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 ​ イギリスのボリス・ジョンソン首相は7月7日、辞任に同意した ​。5日にリシ・スナク財務相とサジド・ジャビド保健社会福祉相が辞任を表明してから内閣は雪崩を打って崩れ、抵抗できなくなったようだ。リズ・トラス外相はG20に出席せず、帰国するという。もっとも、政権が替わっても支配者は同じなわけだが、その支配者の内部に亀裂が入っているようなので、変化はあるだろう。

 ウォロディミル・ゼレンスキーはウクライナの大統領を演じているコメディアンだが、ジョンソンはコメディアンを演じている政治家だと言う人もいる。いずれにしろ、フィクションを演じて人びとを操ってきたのだが、限界に達したようだ。

 ジョンソンはアメリカとイギリスの同盟を重要視する勢力に属す。このグループはブリグジット(欧州連合離脱)を実現させるためにテリーザ・メイを首相の座から引き摺り下ろし、後任としてジョンソンを据えたのだ。

 この工作で中心的な役割を果たしたと言われているのは、1999年から2004年までイギリスの対外情報機関SIS(通称MI6)の長官を務めたリチャード・ディアラブとイギリス参謀長の戦略諮問会議のメンバーであるグワイシアン・プリンス。MI6は歴史的にシティ(イギリスの金融資本)と関係が深い。

 ジョンソンを担いでいる勢力はアメリカのジョー・バイデンを担いでいる勢力とつながり、ウクライナでの工作でも連携していた。リズ・トラス外相も仲間のようで、ロシアの主権を否定する発言を繰り返し、挑発して軍事的な緊張を高めてきた。

 ウクライナでの戦争は短期的に見ても2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権が仕掛けたクーデターから始まる。東部や南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチ大統領をネオ・ナチの暴力を使って排除した。それに反発する人びとは住民投票を経てロシアとの統合(クリミア)、自治(ドネツク)、独立(ルガンスク)を選んだのだが、ロシア政府が表立って支援しなかったドネツクとルガンスク、つまりドンバスでは戦闘が始まったわけである。そのロシアが今年2月24日に動いた。

 早い段階からウクライナ側には話し合いで早期解決しようとする動きがあったが、米英支配層を後ろ盾とし、ネオ・ナチを中心に編成されている親衛隊が許さない。それでもゼレンスキー政権とウラジミル・プーチン政権の停戦交渉が行われるが、​ 4月9日にジョンソン英首相がキエフを訪問した後、停戦交渉は止まったとウクライナでは伝えらえた ​。

 アングロ・サクソンはこれまで大陸で大きな戦争を引き起こし、内陸国を疲弊させ、支配してきた。NATOがヨーロッパ支配の仕掛けだということは本ブログで繰り返し書いてきた。

 こうして支配システムが築かれたが、第2次世界大戦が終わって間もない時期にはアメリカやイギリスの支配層が警戒する人物がフランスにいた。大戦中、レジスタンスに加わっていたシャルル・ド・ゴールだ。

 西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上レジスタンスで、その中心はコミュニストだった。そこでフランスやイタリアでは大戦後、コミュニストは人気があった。

 イギリスやアメリカの支配層は秘密部隊を編成、フランスの左翼を潰すためにクーデターを計画する。1947年の7月末か8月上旬に計画を実行に移す予定で、ド・ゴールの暗殺も目論んでいたとされている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)

 しかし、このクーデター計画は露見、首謀者としてアール・エドム・ド・ブルパンが逮捕された。フランス北部に彼の城では重火器、戦闘指令書、作戦計画書などが発見されたが、そのシナリオによると、まず政治的な緊張を高めるために左翼を装って「テロ」を実行し、クーデターを実行しやすい環境を作り出すことになっていた。イタリアの「緊張戦略」と基本的に同じである。

 1961年にはフランスではOAS(秘密軍事機構)が組織された。その背後にはフランスの情報機関SDECE(防諜外国資料局)や第11ショック・パラシュート大隊がいて、その後ろにはイギリスやアメリカの情報機関が存在していた。

 OASはその年の4月12日にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアでのクーデター計画について討議している。会議にはCIAの人間も参加していた。

 その計画では、アルジェリアの主要都市の支配を宣言した後でパリを制圧するというもので、計画の中心には直前まで中央欧州連合軍司令官(CINCENT)を務めていたモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍がいて、1961年4月22日にクーデターは実行に移される。

 それに対し、アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディはジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。CIAやアメリカ軍の好戦派は驚愕したはずで、結局、クーデターは4日間で崩壊してしまう。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 フランスのクーデターを失敗させたとも言えるケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その葬儀にド・ゴール自身も出席している。帰国したフランス大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 ケネディ大統領が暗殺されてから3年後にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出し、SHAPEはベルギーのモンス近郊へ移動する。

 フランスでは6月に議会選挙が実施され、エマニュエル・マクロン大統領の与党「LREM」は345議席から245議席へ減らす大敗を喫した。それに対し、左翼が集結した「不服従のフランス」は67議席増やして131議席に増加、マリーヌ・ル・ペンが率いる「国民連合」は7議席から89議席へ増やした。いずれの政党とも、ネオ・ナチを手先として使っているアメリカ支配層から嫌われている。






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最終更新日  2022.07.08 00:10:06


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