アメリカ政府の命令に従ってEUはロシアに対する経済戦争を仕掛けたが、こうした事態を想定して準備してきたロシアは大きなダメージを受けず、EUが厳しい状況に陥っている。特にエネルギーと食糧の問題が深刻なようだ。
ロシアのエネルギー資源が供給されなければ、EUは産業だけでなく社会の機能が麻痺、冬になれば多くの人が凍えることになる。こうした事態を「逆噴射」と表現する人もいるが、アメリカはロシアだけでなくEUも弱体化させようとしている可能性があるだろう。
EUを支配しているエリートの主体は「貴族」で、イギリスの貴族と血縁関係にある人が少なくない。政略結婚の結果だが、そうしたことはアメリカの支配層にも当てはまる。こうした人びとにとって国境は邪魔な存在だろう。
アメリカのバラク・オバマ政権は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除した。そのクーデターでアメリカ政府が手先として使ったのはネオ・ナチである。
政権を取る前からナチスをウォール街の住人たちは資金面から支援、ドイツ軍がスターリングラードでソ連軍に降伏すると、ウォール街の代理人だったアレン・ダレスを中心とするグループはフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部と善後策を協議した。このことは本ブログで繰り返し書いてきたことだ。
その後、大戦の最終盤からナチスの幹部た協力者の逃亡を助け、保護して雇用、後継者の育成も行った。育った後継者は1991年12月にソ連が消滅すると、出身国へ戻り、アメリカ支配層の手先として活動し始めた。そうした中でウクライナのネオ・ナチも登場してきたのだ。
ロシアからEUへ天然ガスを運ぶバイプラインの多くはウクライナを通っている。ウクライナをアメリカが制圧することに成功すれば、天然ガスの輸送をコントロールすることが可能になる。EUからエネルギー資源の供給源を断ち、ロシアからエネルギー資源のマーケットを奪うことができると計算したわけだ。
しかし、ロシアはクーデター直後から中国との関係を強化、パイプラインだけでなく鉄道や道路の建設を進め、今では「戦略的同盟関係」にある。アメリカはロシアをSWIFT(国際銀行間通信協会)から排除したが、すでにロシアはSWIFTに替わるSPFSを稼働させて、ロシアや中国を中心とするBRICSは自分たちの決済用通貨を作る動きがある。
EUとロシアはウクライナを迂回するパイプラインを建設した。そのひとつがバルト海を通る「ノードストリーム1」で、これは2011年11月に開通している。
それと同時に「ノードストリーム2」の建設が始まり、2021年9月には完成したのだが、アメリアの妨害で始動させられなかった。そうした中、ロシア軍のウクライナ攻撃が始まり、EUは始動を断念した。
それでも「ノードストリーム1」は稼働してい他のだが、メンテナンスのために輸送量が大幅に減少。7月11日から輸送は停止した。コンプレッサーの装置をシーメンスが修理のために取り外し、カナダで修理して戻そうとしたところ、アメリカ政府の「制裁」で戻せなくなったことが原因だ。
この状態が続くとEUは破綻、次の冬を越すことも困難だと見られていた。ウクライナ政府は装置を戻さないように求めていたが、自分たち存続が危うくなったEUがアメリカの命令に従い続けるとは限らない。すでにEUの庶民の間で反乱の兆しが見える。ここにきて修理した装置の返還が認められたようだが、その理由はその辺にあるだろう。
この決定をウクライナの支配層は怒っている。ズビグネフ・ブレジンスキーが生まれたポーランドもロシア嫌いのエリートが多い。その一例がレフ・ワレサ。1980年8月にワレサたちはストライキを実施、その翌月に「連帯」を結成した。現在、ワレサはロシアの政治システムを変えるか、カラー革命で体制を転覆させるべきだと主張している。
1982年6月にはロナルド・レーガン米大統領がローマ教皇庁の図書館で教皇ヨハネ・パウロ2世とふたりきりで会談、ジャーナリストのカール・バーンスタインによると、その大半はソ連の東ヨーロッパ支配の問題に費やされ、ソ連を早急に解体するための秘密工作を実行することで合意したというが、CIAとローマ教皇庁がポーランドなどソ連圏の国々に対する工作を本格化させたのは1970年代のこと。そうした工作でバチカン銀行(IOR/宗教活動協会)は工作の手先へ資金を秘密裏に供給していた。
ところが、こうした不正送金が発覚してしまう。後にアンブロシアーノ銀行が約12億ドルの焦げ付きを抱えている事実が明るみに出るが、銀行からポーランドの反体制労組「連帯」へ不正な形で流れたと言われている。(David A. Yallop, “In God`s Name”, Poetic Products, 1984(デイビッド・ヤロップ著、徳岡孝夫訳、文藝春秋、一九八五年。ただし、翻訳では送金が違法だったとする部分は削除されている)
ローマ教皇庁を含むイタリアにおけるCIAの工作で中心的な役割を果たしていたのは防諜部門を統括していたジェームズ・アングルトン。イスラエルとの関係も深かった。
彼の人脈にはジョバンニ・バティスタ・モンティニなる人物も含まれていた。後のローマ教皇パウロ6世だ。つまりパウロ6世はCIAの協力者だった。モンティニの右腕と呼ばれていた人物がシカゴ出身のポール・マルチンクス。後にIORの頭取に就任する。
1978年8月にパウロ6世は死亡、アルビーノ・ルチャーニが後継者に選ばれ、ヨハネ・パウロ1世と呼ばれるようになる。この人物は若い頃から社会的な弱者に目を向けるタイプで、マルチンクスとは対立していた。CIAとしても好ましくない人物だったはずだ。そのヨハネ・パウロ1世は1978年9月に急死してしまう。在位1カ月。その当時から他殺を疑う人は少なくない。その次に選ばれたのがポーランド出身のヨハネ・パウロ2世だ。
カール・バーンスタインによると、連帯へ送られたのは資金だけでなく、当時のポーランドでは入手が困難だったファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドへアメリカ側から密輸されたという。(Carl Bernstein, "The Holy Alliance", TIME, February 24 1992)
この連帯やチェコスロバキアの反体制運動に資金を提供していたひとりが投機家のジョージ・ソロスだ。「開かれた社会」を築くと主張しているが、それは侵略に対する防衛システムを破壊するということを意味している。ソロスは1930年にハンガリーで生まれ、47年にイギリスへ移住、54年から金融の世界へ入っている。体制転覆活動を本格化させるのは1984年。その年にハンガリーで「オープン・ソサエティ協会」を設立してからだ。ソ連が消滅すると旧ソ連圏での活動を活発化させ、体制の転覆と新自由主義化を推進、ウクライナではロシア軍と戦い続けろと主張している。