《櫻井ジャーナル》

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2022.08.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 クリミアでの破壊活動やドンバス(ドネツクとルガンスク)での要人暗殺に続き、モスクワでロシア人ジャーナリストのダーヤ・ドゥギナが殺害された。彼女の運転していたトヨタの「ランドクルーザー プラド」が走行中、遠隔操作で爆破されたのだ。8月20日のことである。彼女の父親で著名な哲学者アレクサンドル・ドゥギンは彼女が乗るSUVの後ろを別の自動車で走っていた。

 本ブログでも繰り返し書いているように、ウォロディミル・ゼレンスキー政権や背後にいる米英を中心とするNATOはゲリラ戦、あるいはテロ活動へ戦術を変更した可能性が高い。ウクライナ東部のドンバス(ドネツクとルガンスク)ではキエフのクーデター政権は軍や内務省の親衛隊を送り込んでいたが、壊滅的なダメージを受けている。

 そうした部隊は住宅地に攻撃拠点を築き、住民を人質にして戦っているが、ロシア軍が住民を解放して状況は変化。軍や親衛隊の兵士の投降も相次いだ。ゼレンスキー政権は「玉砕命令」を出していたが、効果はさほどなかったようだ。解放された住民や投降した兵士は親衛隊の残虐な行為を証言、そうした行為が司令部やキエフ政権からの命令で行われていることを明らかにしている。

 アメリカはHIMARS(高機動ロケット砲システム)を、またイギリスのM270-MLRS(M270多連装ロケットシステム)をウクライナへ供給、両国は自国の特殊部隊を送り込んでいる。いずれも射程距離が約80キロメートルの高性能兵器とされているが、それらを使ってドンバスの住宅地を攻撃している。

 また、イギリスで開発された空対地ミサイルの「ブリムストーン」、あるいは「M777榴弾砲」で3月中旬からロシア軍の管理下にあるザポリージャ原発を攻撃している。それでもキエフ政権は戦況を変えることができていない。

 西側の有力メディアは「勇敢な戦士が邪悪な侵略軍に立ち向かい、勝利する」というハリウッド好みの「ダビデとゴリアテ」風ストーリーを宣伝してきたが、実態は米英の巨大資本に操られたネオ・ナチがウクライナの市民を攻撃し、反撃にあったという話だ。

 米英巨大資本はウクライナの農地を買い占めつつあり、資源にも目をつけている。イギリスの支配層が19世紀に作成した世界制覇プランがベースにはあるものの、そうした利権も彼らが侵略戦争を繰り広げている理由のひとつだ。

 そうした侵略戦争と結びついているのが優生学。アングロ・サクソン系、ドイツ系、北方系人種が優秀だと主張、劣等な種を「淘汰」しようというもの。イギリスから始まり、アメリカで実践され、ナチスも導入したイデオロギーだ。ウクライナのネオ・ナチが北方神話を信奉している理由もここにある。

 ネオ・ナチにとってスラブ民族は劣等であり、除去すべき対象。ウクライナの政治家オレグ・ツァロフは今年2月19日に​ 緊急アピール「大虐殺が準備されている」 ​を出し、キエフ政権の軍や親衛隊はこの地域を制圧、自分たちに従わない住民を「浄化」しようとしていると警鐘を鳴らした。

 ドンバスを制圧し、キエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を「浄化」、CIAの下部機関と化しているSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。

 ​ ウクライナに対する軍事作戦でロシア軍が回収した文書 ​によると、ゼレンスキーが出した指示に基づき、親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日に攻撃の指令書へ署名、ドンバスを攻撃する準備が始まった。2月中に準備を終え、3月に作戦を実行することになっていたとしている。この情報が正しいなら、その直前にロシア軍がウクライナを攻撃し始めたことになる。アメリカ/NATOは出鼻を折られたとも言えるだろう。

 ジョー・バイデンは大統領に就任して間もない2021年3月10日にNATO加盟国の軍艦をウクライナ南部の都市オデッサへ入港させ、同じ頃にキエフのゼレンスキー政権は大規模なウクライナ軍部隊をドンバスやクリミアの近くへ移動させている。そこから軍事的な挑発が続けられた。

 ロシアのウラジミル・プーチン大統領はNATOが支配地域をこれ以上東へ拡大させることを容認できないと繰り返し、安全保障上の保証を文書化することを求めたが、要求に応じるそぶりも見せず、今年1月7日、アントニー・ブリンケン国務長官は「ロシアのさらなる侵略に対する強力な報復を準備している」と発言してロシアを挑発した。

 また、​ EUの外務安全保障政策上級代表を務めるジョセップ・ボレル ​はプーチンの発言に対し、自分たちのことを決める権利を持っているのは自分たちであり、ロシアは口をはさむなと言っている。つまりNATOを東へ拡大、ロシアとの国境近くにミサイルを配備するのも自分たちの勝手だというわけだ。

 ロシアにとってNATOがウクライナを支配することはバルバロッサ作戦の開始に匹敵する行為であり、容認するはずはないが、NATOの東への拡大、つまりロシアへの接近は1990年代からアメリカが続けてきたこと。1990年に東西ドイツが統一される際、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフに対し、NATOを東へ拡大させないと約束していたとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っているが、アメリカ政府が約束を守るはずはなかった。

 ドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、やはり「NATOを東へ拡大させない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたともいう。「御人好し」と言えるだろうが、外務大臣としての能力はなかった。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)

 また、アメリカの国務長官だったジェームズ・ベイカーはソ連政府に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。

 イギリスやフランスもNATOを東へ拡大させないと保証したが、言うまでもなく、こうした約束を守らなかった。1インチどころか1000キロメートル近く東へ拡大、ロシアとの国境は目前に迫っている。そして2014年2月のウクライナにおけるクーデターだ。

 ウクライナの戦乱はビクトル・ヤヌコビッチ政権がクーデターで倒された2014年2月に幕があいたと言える。そのクーデターは2013年11月からキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で行われた抗議集会から始まるが、当初は「カーニバル」的なイベントにすぎなかった。そのイベントが年明け後から様相が変化、ネオ・ナチが前面に出てくる。

 ウクライナは歴史的な経緯から均質な国ではない。東部と南部はロシア語を話し、ロシア正教の影響下にある。文化的にもロシアに近く、その東部と南部を支持基盤にしていたヤヌコビッチ大統領を排除したのが2014年2月のクーデターだ。

 混乱をEUは話し合いで解決しようとするが、それを知った国務次官補のビクトリア・ヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットに電話で「EUなんかくそくらえ」と口にしている。その会話の音声は2014年2月4日にインターネットで流された。暴力的にヤヌコビッチを排除しなければ、ウクライナを西側資本の植民地にすることはできない。

 その会話でヌランドは次の政権についても言及している。彼女が強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際、クーデター後、首相に就任した。

 キエフでは2月18日頃からネオ・ナチが活動を活発化させ、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始める。広場では無差別の狙撃があったが、これを指揮していたのは西側が支援していたグループの幹部でネオ・ナチのアンドレイ・パルビーだった。

 そして2月22日にヤヌコビッチは排除され、25日に現地入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は狙撃について調査、クーデター派が狙撃したとEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告しているが、この報告をアシュトンはもみ消した。この年の2月7日から23日にかけてロシアのソチでは冬期オリンピックが開催されていたことからロシア政府は対応しにくい状況。それをネオコンは計算に入れていたと見られている。

 クーデターの最中、ヤヌコビッチを支持するクリミアの住民がバスでキエフに入っているが、ネオ・ナチの暴力に支配されている様子を見て事態の深刻さを理解、クリミアへ戻ろうとする。

 そのときにクリミアの住民を乗せたバスが銃撃され、バスが止まると乗客は引きずり出され、棍棒やシャベルで殴られ、ガソリンをかけられて火をつけると脅されている。こうした話が伝えられたクリミアがクーデターに反対し、ロシアに助けを求めるのは必然だった。

 クリミアでは3月16日に住民投票が実施され、95%以上がロシアへの加盟に賛成した。そのときの投票率は80%を超えている。クリミアより動きが遅れたドンバスでは今も戦闘が終結していない。南部のオデッサでは住民がネオ・ナチに虐殺されている。

 クリミアの制圧はアメリカ政府にとって重要な意味があった。そこのセバストポリには黒海艦隊の拠点がある。ロシアはこの拠点を確保するため、1997年にウクライナと条約を結び、基地の使用と2万5000名までのロシア兵駐留が認められていた。

 クーデター当時、この条約に基づいてクリミアには1万6000名のロシア軍が駐留していたのだが、西側の政府や有力メディアはこの部隊をロシア軍が侵略した証拠だと宣伝していた。

 クーデター後、ネオ・ナチ体制に反発するウクライナ軍の将兵、SBU(ウクライナ保安庁)やベルクト(警官隊)の隊員の一部がドンバス軍へ合流したと言われている。ネオ・ナチを主体とする親衛隊を内務省の内部に創設した理由にひとつはそこにあるのだろう。そこで、アメリカ/NATOはウクライナへ兵器を供給するだけでなく軍の兵士や親衛隊の隊員を訓練、傭兵会社の戦闘員も派遣した。

 また、ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノはウクライナでアメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加していると報告している。

 バイデン政権がロシアとの軍事的な緊張を高める政策を推進する中、アメリカの有力メディアはロシア領内のウクライナに近い地域に7万人から9万人のロシア軍が集結していると騒ぎ、ロシアがウクライナを侵略すると叫び始めた。​ クリスマスの時期に攻撃するかもしれないという「警告」 ​もあった。

 それに対し、ロシアの国防大臣はアメリカ/NATO軍がロシアとの国境沿いに4万人の部隊を配置していると指摘、それに対抗してロシア軍は2方面軍と3空挺師団を西側の国境近くへ移動させたと説明。またロシアの黒海艦隊に所属する艦船20隻以上が空軍や防空軍と共同で軍事演習を実施している。

 ウクライナからモスクワまで500キロメートル程度しかなく、ロシア側が警戒するのは当然の状況だったが、10万人未満の戦力でウクライナ全域を制圧することも不可能だ。キエフを占領するためだけにも数十万人の戦力は必要だろう。ロシア軍は軍事作戦を始めて間もなくキエフの周辺に部隊を展開させたが、キエフを占領しようとしていたとは思えないのだ。キエフ周辺にウクライナ軍を集めるための陽動作戦だったという見方もある。

 いずれにしろ、アメリカ/NATOを後ろ盾にしているものの、キエフ政権の敗北は必至。通常の戦闘ではなく、米英の特殊部隊や情報機関を中心とするNATOの秘密部隊やウクライナのネオ・ナチによるゲリラ戦(テロ活動)でロシア軍と戦おうとしているように見える。ウクライナへ供給した兵器を中央アジアや中東へ流し、戦火を拡大させようとしているかもしれないが、1995年にアメリカの戦争マシーンに組み込まれた日本も米英が中露と行っている戦争と無関係ではない。日本は戦時にあるとも言えるだろう。

 しかし、日米欧は経済戦争でも壊滅的な敗北を喫する可能性が高い。EUでは天候の問題もあり、厳しい生活を強いられているが、ボレルEU外務安全保障政策上級代表やイェンス・ストルテンベルグNATO事務総長はウクライナを支援するために耐えなければならないと言っている。「欲しがりません、勝つまでは」、「ぜいたくは敵だ」、「まだまだ足りない辛抱努力」、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」といった世界へ西側は入っている。その波は日本へも押し寄せてくるだろう。






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最終更新日  2022.08.26 13:33:05


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