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U-19日本代表FW伊藤 翔 (18・中京大中京)がプレミアリーグの名門アーセナルの入団テストに合格したことが、30日までに分かった。今年4月の練習初参加を機にベンゲル監督から2度目の参加を要望され、25日からトップチームに合流した。 「和製アンリ」の異名を持つ潜在能力をあらためて高く評価されていた。焦点の労働ビザ発給に向け、アーセナルが特例措置の申請を検討し始めるなど、入団が現実味を帯びてきた。 伊藤の志向も海外でのプレーに傾いており、今後は代理人が条件面など詳細をクラブ側と交渉する段階に入る。関係者によると「今後、評価の内容や待遇を確かめた上で検討する」という。すでに正式オファーを出している大黒が所属しているフランス2部グルノーブルとの争奪戦はピークに達している。伊藤は31日までアーセナルで練習参加し、 9月2日に帰国する。同じU-19日本代表MFの梅崎 司(大分トリニータ)がA代表に選出されたこの日、次代の代表入りを狙う伊藤 翔がプレミア・リーグの入団に一歩近いずいた。伊藤 翔は、Jリーグの横浜FMや浦和レッズなどJ1複数クラブも獲得を狙う逸材で、身長183センチとその長い手足と抜群の決定力を誇り今後が期待されている選手だ。しかしこの発表があった日に、イングランド2部リーグの稲本 潤一(ウェストブロミッジ・26)が、トルコ1部リーグのガラタサライへ移籍する可能性があることが記事になった事は、ダイの中では何かしら運命を感じた。
2006年08月31日
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東京都と福岡市が争った2016年夏季五輪の国内候補都市選定で、日本オリンピック委員会(JOC)は30日、都内で選定委員会(委員長・竹田恒和JOC会長)を開き、東京都を日本の立候補都市に決定した。55人の選定委員(JOC役員25人、国内競技団体代表者30人)による投票結果は東京都が33票、福岡市が22票だった。16年五輪開催地は2009年10月の国際オリンピック委員会(IOC)総会(コペンハーゲン)で決まる。東京は1964年大会以来、 52年ぶり2度目の五輪開催を目指し、海外の立候補都市との争いに挑む事となる。「東京都に決定しました」竹田会長の発表を聞いても、 石原 慎太郎都知事は表情を変えなかった。当初から有利と伝えられていた国内立候補都市争い。33-22という投票結果に「だいぶ票読みが違ったな」と、苦笑いを浮かべたほどだった。夏季五輪の招致レースで日本は名古屋 (1988年)、 大阪 (2008年)と惨敗が続いているだけに、厳しい招致合戦はこれからが始まりだ。 「一種の外交。国家全体の基本姿勢によって迫力あるコンセプトができる。(小泉純一郎)総理からもきちっと言質をとって、次の内閣につないでもらう」 東京都は“世界一コンパクトな大会”をコンセプトに、首都としての都市機能、1000万人都市ならではの財政力を強調して、福岡市を破った。投票に先立って実施されたプレゼンテーション(招致演説)では、 東京都は石原知事が最初に演説し、「東京に大きな仕事をさせてください。東京の命、預けます」と強烈なアピールで盛り上げた。 夏季五輪は約200カ国から選手、役員、報道陣、観光客などで数十万人が集まる巨大イベント。近年の情勢では、ホテルや交通機関が充実し、テロ対策で政府と協調できる先進国の首都クラスの大都市でなければ開催不可能になってきている背景もある。 現在、夏季五輪は2008年がアジア(北京)、 2012年が欧州(ロンドン)まで決定。2016年は米国、2020年が再びアジア、という観測も根強い。竹田会長は昨年3月に五輪招致を表明した際は、「一度の立候補では難しく、20年大会の招致には16年から名乗りを上げることが重要」としていた。 国際招致レースでは「2浪」「3浪」は珍しくもなく、長く粘り強い取り組みが必要になってくる。だが、国内争いの盛り上がりとともに次第にヒートアップし、 竹田会長はこの日、「欧州ではアテネの2大会後にロンドンが決まった。近年のアジアの発展や経済力からすると、アジアに2大会に1回まわってきても不思議ではない。われわれは16年で勝つためにやる」と強気の姿勢をブチ上げていた。開催地が決まる2009年10月のIOC総会に向けて、熱い闘いの早くもスタートが切られた。 1998年に長野五輪が開催されたが、その五輪関連施設の年間維持費が長野市の負担額が年間8億円がかかっている事を考えると、この東京都開催で良かったと思う。首都東京なら五輪施設を作ったとしても五輪後放置される事は少ないと思うし、年間維持費を払える力は東京都には充分あると思うからだ。今後はスポーツ大国の米国との争いだと思うが?東京の良さをアピールしながら52年ぶりの東京開催を実現して欲しいと思う。
2006年08月31日
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31日に発表される西アジア遠征 (31日~9月7日)の日本代表メンバーに、U-19(19歳以下)日本代表の大分MF梅崎 司が初選出されたことが30日、分かった。この日の浦和戦でも不動のトップ下で決定機をつくり、首位浦和を2-1で撃破する原動力になった。大分からはU-21日本代表のGK西川 周作(20)も選出された。 大分に所属して2年目の19歳梅崎がオシムジャパン入りすることになった。首位浦和を粉砕した30日のリーグ戦(九州石油ドーム)後、クラブ側へ通達があったとみられる。 大分ユース出身の梅崎は今季からレギュラーを獲得したばかりで、若手を積極起用するシャムスカ監督から「試合のたびに成長する、楽しみな素材だ」と背中を押されてきた。リーグ戦通算成績はこの日で17試合3得点 (ナビスコ杯は同6試合1得点)と経験は浅いものの、攻撃への意欲はチームナンバーワンの評価だ。小柄ながら重心の低く、キレのあるドリブルで積極的に仕掛ける。トップ下から果敢な走りでDFの背後を取るセンスも光り「ボールを持ったら何かしたい」と、シュートで終わる姿勢が不動のトップ下へと成長させた。この日も浦和MF鈴木をドリブルでほんろうし、前半18分にはペナルティーエリア外からクロスバー直撃のシュートを放った。 U-19日本代表では主に左サイドのMFを務める。 今季選手25人制でスタートした大分の都合で、 U-19代表の招集を何度も辞退している。代表は昨年のU-18が初選出だが、わずか1年でA代表まで“2階級特進”という異例さが能力の高さを物語っている。U-19代表の招集は何度か辞退しているが、さすがにこのA代表の召集は断れないだろう。その梅崎選手は、登録では167センチだが、 168・4センチと「少し背が伸びています」と笑う。ロナウジーニョにあこがれる「隠し玉」が、今後オシムジャパンの秘密兵器となるか?楽しみだ。 前回サプライズ召集された20歳の青山 直晃(清水エスパルス)は、今回召集されなかったが、今度は19歳の梅崎選手の選出と世代交代が日本代表でも進められようとしている。ダイとしては、18歳の内田 篤人(鹿島アントラーズ)を選出して欲しいと思っているが、3年後の2009年W杯アジア最終予選は誰が先発メンバーでピッチに立っているのか予想がつかなくなってきた?
2006年08月31日
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ヘラクレスFW平山 相太(21)が、ヤン・スミット会長から戦力外通告を言い渡された。この日の話し合いで移籍を勧められた。昨季は1部残留の立役者となった平山だが、今季は開幕戦に先発も動きは重く、ブロート監督やクラブ首脳の評価は急落している。同会長は現状が続けばベンチ入りも厳しいと強調した上で、Jクラブへの移籍も選択肢に入れていると明らかにした。 オランダ2年目が始まったばかりの平山が、早くも放出の危機に立たされた。この日平山はスミット会長から、放出の意思を伝えられた。「出て行ってもいいよ、みたいなことを言われました。ハードワークをしていない。調子が落ちている。これ以上良くならないんじゃないかと言われたと会談を終えた平山は明かした。 オランダ1年目の昨季は、チーム最多8ゴールを決め1部残留に貢献していた。ただ3年契約を結んだ際に盛り込まれた、 20試合先発という条項をクリアできなかった。クラブ側は平山はもう1度チャンスを与えれば20試合は先発できると期待し、契約を更新した。 ただ平山はオフに体重が増え過ぎるなど出遅れ、特に守備でブロート監督の要求に応えられなかった。20日のトゥウェンテ戦は3トップの中央で先発も不発。同監督に「1人だけ最悪。戦術がうまくできない」と叱責(しっせき)されていた。 またオランダ語習得にも苦しんだ。 同会長も「彼とのコミュニケーションは難しい。半分英語、半分オランダ語の会話で、どこまで通じているか」と不安を訴えた。 スミット会長は平山の今後について、Jクラブへの放出を示唆した。欧州の移籍市場は31日に閉鎖されるが「日本に移籍させるには、まだ時間がある」と明言している。J規約では同11日が海外移籍の期限だったが、日本人選手に限り9月15日まで移籍を認める申し合わせがある。「明日、もう1度会長と通訳を付けて話すことになりました」と落胆する平山。北京五輪のエース候補が早くも苦境に立たされた。今期平山はエースナンバーの「9」をもらい期待されていたが、初戦のFCトウェンテ戦の出来に余程不満だったのだろう、現地時間の27日に行なわれたフェイエノールト戦では先発から一転、ベンチにも入れなかった。ヘラクレスでの2年目、そして北京五輪代表FWと期待されていただけに、この厳しい決断にはどう対処するのか?ヨーロッパ内でのレンタル移籍という形も取れるとは思えるが、 昨年13位のヘラクレス。上位チームで昨年1位のPSVや昨年2位のAZからの獲得は無いと思って良い。やはりJリーグへの移籍が一番良いかもしれないと思う。
2006年08月31日
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2008年北京五輪の予選を兼ねたソフトボールの女子世界選手権第3日は29日、北京の豊台ソフトボール場で行われ、1次リーグB組の日本はギリシャと対戦した。初回に3点を先制したものの、先発の上野 由岐子(24・日立&ルネサス高崎)のあとを受けて6回に初登板した後藤 真理子(23・太陽誘電)が、3安打を浴び2失点。急遽(きゅうきょ)上野が再出場するドタバタぶりで、なんとか3―2で欧州王者を振り切り、3連勝を飾ったが、投手不足の課題が浮き彫りになった。 ライト側のブルペンから飛び出したのは、ベルトを緩めていた上野だった。6回2死二塁の場面で、プレートを譲った後藤がギリシャに3安打を浴び、自らの送球エラーも絡んで2失点した直後だった。「5回で交代したときに監督から再出場があるかもと言われていたし、1点差になったときには投げたいと思った」。再出場したエースが後続を断ち事なきを得たが、投手陣の整備という日本の課題が浮き彫りになった。 初代表で初登板の後藤は「緊張したわけではないけど、自分のリズムをつくれなかった」と振り返ったが、 井川監督は「もっと点差が開いた場面で登板させたかったが、早めに(大会を)経験させたかった。反省してます」と冷や汗をぬぐった。 アテネ五輪後、上野との2本柱だった坂井 寛子(当時戸田中央総合病院)が引退し、日本の投手陣は、エース上野頼みの布陣となった。前日好投の増淵の復調はあるが、そのあとが続かない。連戦が続く大舞台で、核となる先発投手が不足しているのは、日本の弱点になる可能性もある。井川監督は「上野を酷使したくないが…」と話したが、投手陣の一層の奮起が必要なことは間違いない。 その上野の剛速球が珍場面を生んだ。初回、先頭打者バショーに投じた3球目のシュートが金属バットを真っ二つに折った(結果は遊ゴロ)。女房役の乾は「前もありましたよ」と涼しい顔だったが、山田は「見たことがない」と驚嘆した。上野は5回2死まで完全試合を続け、結局6回1/3で被安打1の11奪三振。来月1日の強豪、オーストラリアとの対戦を見据えて投げたという上野は「(開幕戦の)台湾戦より力を入れて投げました。かなりいい感じ」と手応えをアピールしていた。今回大会は、もう1人若手の遠藤 有子投手がいるが、まだ国際試合での経験が浅く、 アテネ五輪にも出場した坂本 直子が選出されてなかった為、まだまだ上野投手頼みの投手陣になりそうだ。
2006年08月30日
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バスケットボールの男子世界選手権第9日は29日、さいたまスーパーアリーナで準々決勝の2試合を行い、初優勝を狙うスペインが、4位に入った1982年の第9回大会以来24年ぶりにベスト4へ進出した。アテネ五輪4位のリトアニアに対し、第1Qで28―11と大量リードで試合を優位に進めた。大黒柱のパウ・ガソル(26・グリズリーズ)が25得点 、ファン・カルロス・ナバーロ(26・バルセロナ)が22得点と活躍し、 89―67で完勝した。準決勝(9月1日)では同五輪金メダルのアルゼンチンと対戦する。 史上最強の呼び声高いスペインが、リトアニアも蹴散らした。第1Qで17点差をつけ、1度もリードを許さずに22点差でまさに圧勝だった。4強入りで世界選手権の過去最高成績に並び、大会前の親善試合から16連勝と“無敵艦隊”ぶりを見せつけた。 この日は“ラ・ボンバ(爆撃機)”の異名を取る昨季のスペインリーグMVPのナバーロが主役だった。開始40秒での先制3点シュートなど、第1Qだけで10得点。2メートル15のP・ガソルにマークが集中すると、外からジャンプシュートを決めて突き放した。2002年のNBAドラフトでウィザーズから指名されたこともある点取り屋は「最初からいいリズムでシュートを打てた」と笑顔だった。会場には獲得を狙うNBAのスカウトも集結しているが、「知っているけど、今は代表での優勝しか考えていない」と言い切った。 前評判の高かったサッカーのスペイン代表は、W杯で16強どまり。それだけに、ナバーロは「サッカーをいい教訓にしたい」と言う。目指すのは1984年ロサンゼルス五輪の銀メダルを超える初の世界一だろう。
2006年08月30日
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バレーボール女子のワールドグランプリで予選ラウンド第2週ソウル大会を終えた全日本女子は28日 、第3週大会が行われる岡山市に移動した。 現在4勝2敗の日本は、9月1日からドミニカ共和国、イタリア、ブラジルと対戦する。 その日本のエース高橋 みゆき(27・NEC)は同日、昨季に続いてイタリア・セリエA1のビチェンツァでプレーすることが決まった。昨年と同様、NECから海外派遣の形で、契約期間は来年7月末までとなっている。昨季高橋は後半からレギュラーの座を獲得し、チームのプレーオフ進出に貢献した。「前回の経験を生かし、悔いのないよう多くのことを吸収してきたい」とコメント。今季セリエA1は11月26日開幕だが、高橋はドーハ・アジア大会(12月15日閉幕)まで全日本での活動を優先し、シーズン途中の12月下旬からビチェンツァに合流する予定となっている。
2006年08月29日
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右肩痛で開幕から二軍調整を続けてきた楽天の岩隈 久志投手(25)が、今日29日の日本ハム戦(札幌ドーム)で今季初先発を果たす。日本ハムには今季2勝13敗と大きく負け越し、現在11連敗中の楽天にとっては、このエース岩隈の復活は頼もしい。札幌ドームも7戦全敗の鬼門となっているが、 岩隈は日本ハム&札幌ドームが得意とし昨季の勝ち星と同じ38勝目を、帰ってきたエースでもぎとれるか? 開幕から5カ月過ぎた8月も終わりを告げる時期での復活だが、右肩の不安と戦ってきた岩隈が、万全を期して今季一軍初登場となる。「長かったけど、ようやくまたマウンドに上がれる。うれしいです」初登板&初先発を翌日に控えた28日、フルスタ宮城でキャッチボールなどの軽い調整を終えた岩隈は笑みを浮かべた。「体調はいいですよ。体も軽い」。自らの“開幕”に十分な態勢を整えている。 復帰戦の相手は日本ハムで、チームは今季2勝13敗と苦戦し、現在11連敗中の天敵となっている。しかも札幌ドームでは7戦全敗だ。岩隈も「(打者は)振れているみたいですね」と警戒するが、その一方で日本ハムには自信も持っている。 近鉄時代から日本ハム戦は通算18勝7敗と大きく勝ち越している。特に札幌ドームでは5試合に登板し4勝0敗 、 防御率2.83と相性は抜群だ。「誰が調子いいとか考えず、腕をしっかり振って自分の投球をするだけ。新庄さんとは最後? ビシッと抑えたい」と野村楽天の天敵退治に意欲をみせる。 「投げるからには勝ちたい。(自分の復帰で)流れが変わってチームが勝てるようになればうれしい」。昨季に並ぶ38勝目はこの男がつかむか?
2006年08月29日
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横浜の牛島 和彦監督(45)が今季限りで退団することが28日、わかった。牛島監督は今月中旬までに、続投要請を続けてきた佐々木 邦昭球団社長 (59)に退団の決意を示しており、球団サイドも最終的に了承することを決めた。現在最下位のチーム成績、就任後の2年間でフロントから戦力補強での満足な協力体制が得られなかったことが理由となった。球団サイドは2005年シーズンからの2年契約が今季で終わるため、来季続投を前提として交渉を進めてきたが、牛島監督の意思は固かったようだ。今後球団は、直ちに後任探しに着手する。 6月以降、球団サイドが牛島監督に対して繰り返してきた続投要請も、最終的に合意に至ることはなかった。牛島監督の退団の決意は覆らなかった。牛島監督と佐々木球団社長の間で最後の結論が出されたのは今月中旬で、牛島監督の勝負における結果責任を取る姿勢はかたくなだった。 今季の横浜は、開幕直後から低迷。昨年の4年ぶりAクラス入り(3位)に貢献した投手陣が不振に陥り、思うような結果を残せなかった。さらに5月以降は主力野手にもプレー中の故障が続出するアクシデントに見舞われた。主力野手の長期離脱は、若手を中心とした布陣で戦わざるを得ない苦しい状況を招いた。 現場サイドは、前年度に登板過多となった中継ぎ投手を2年続けて機能させるためにも、 フロントに対して昨秋から補強を強く訴えてきた。また、打線の核となる外国人の獲得も当然の補強策として要望してきた。しかし、球団サイドは資金面の厳しい状況を理由に大胆な編成改革を断行できなかった。現場とフロントの構想が乖離(かいり)したまま迎えたシーズンは、現時点で最下位の結果に表れた。 2004年のシーズン終了後、2年契約で就任した牛島監督は今季で任期満了を迎える。地域密着を経営理念に掲げ、今年3月に就任した佐々木社長は、 2009年に横浜開港150周年を迎えることで3年後の日本一を目標としている。同社長は、前年Aクラスに導いた牛島監督の実績、主力の離脱が相次ぐ中でも、投手王国の土台を固め、村田、吉村ら20代中盤までの若手を着実に成長させた手腕を評価してきた。佐々木社長は「今あるチームを今後どうやって強くして行くのかは大事なこと。組織のトップは2年、3年でコロコロ代わるべきではない」との考えから、今季の成績を度外視して、 「来季続投」の方針を早い段階で固めてきた。 一方の牛島監督は低迷の現実の中で現場とフロントを含めた責任問題を見過ごしたままでは、新しいスタートは切れないと判断。勝負の世界で責任を回避しては、将来の横浜の発展はあり得ないとの考えから、最後は現場トップの自分が辞めるという決断に至った。 親会社TBSから監督人事を一任されている佐々木社長は、今月25日に東京・赤坂で若林 貴世志オーナー (63)と会談。今後の交渉継続が難しいことを同オーナーに伝えた。チーム不振の責任を重くとらえた牛島監督は、勝負の世界で問われるけじめを自分でユニホームを脱ぐという形で結論を出した。 野手では、村田 修一、小池 正晃投手では、那須野 巧、 秦 裕二などの若手を起用し世代交代を進めながら、その中での去年の3位は素晴らしいと思う。まだ45歳と若く何年か後には、またどこかのチームで監督をやって欲しい監督だと思う。今回若手育成の面でも良い方向にチームを仕上げていったので、 2軍監督でも良い働きをしそうだなと思っている。
2006年08月29日
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WBC世界スーパーフライ級王者徳山 昌守(31・金沢)の、ラストマッチの相手に「浪速の弁慶」こと亀田 大毅 (17・協栄)が浮上していることが28日、分かった。徳山陣営の金沢 英雄会長が、来年4月にも東京での徳山-亀田戦を計画。来月上旬に上京して、亀田陣営の金平会長と直接交渉に臨む方針を示した。世界戦11勝1敗の名王者が、最後の花道として、 14歳の年齢差がある大毅と激突する可能性が出てきた。 去就が注目される徳山の「最後の花道」プランが明らかになった。来年4月にラストマッチとなる2度目の防衛戦を行い、その挑戦者に「浪速の弁慶」亀田大毅を指名した。徳山陣営の金沢会長はこの日、「最後の試合を準備してやりたい。(亀田)大毅が有力候補になる」と明言した。 徳山は今年2月に1位挑戦者ナバーロを判定で退けて初防衛に成功した。同王座を通算9度防衛、世界戦11勝1敗の堂々たるキャリアを誇るが、モチベーションの維持に苦心している。5月には引退会見が金沢会長の説得によって、ビッグマッチ限定での現役続行会見に変わった。当初はWBC世界バンタム級王者の長谷川やWBA世界ライトフライ級王者の亀田 興毅を指名していた。しかし階級の違いもあり、話は進んでいないようだ。 そこでスーパーフライ級でデビュー以来5連勝中の大毅に照準を定めた。まだ日本ランクにも入っていないが、9月27日に世界ランカーと対戦予定の6戦目に勝てば、世界ランク入りは確実となる。金沢会長は「金平会長に時間をいただいて話をしたい。オファーを出します」と9月上旬にも東京へ足を運び、金平会長と直接交渉する意向も明かした。興行に関しても会場、中継するテレビ局などすべて協栄側に委ねるという。 徳山の王座は、9月18日に同級2位川嶋と同級4位ミハレスの間で、暫定王者決定戦が行われる。正規王者の徳山はナバーロ戦からちょうど1年にあたる来年2月27日までに防衛戦をする義務がある。だが金沢会長は「2月27日は、その日までに次の試合の契約をまとめる期限」と説明している。暫定王者との王座統一戦が筋だが、仮に川嶋が暫定王者になれば、徳山とは4度目の対戦でファンにとっても新鮮味が薄い。そこで徳山陣営はより注目を集める、大毅との対戦実現に傾いている。 そんな徳山も最後の花道としてビッグマッチにこだわっている。また実現すれば大毅にとっても、元2階級世界王者井岡 弘樹の18歳9カ月を抜く日本人最年少世界王者、そして日本初の兄弟世界王者がかかる世界初挑戦となる。本格的交渉は、まだまだこれからだが、日本中が注目する世紀の一戦となるのは間違いないだろう。
2006年08月29日
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11月」にブラジルのリオデジャネイロで開催されるビーチサッカーの第2回ワールドカップ(W杯)の1次リーグ組分け抽選が27日、マルセイユで行われ、前回4位の日本は、同3位で地元のブラジル、ポーランドなどと同じA組に入った。 1次リーグは出場16チームを4チームずつ4組に分けて総当たりのリーグ戦を行い、各組上位2チームが準々決勝に進出する。日本は11月3日に北中米・カリブ海地区代表(9月に決定)と初戦を行い、同5日にブラジル、同7日にポーランドと対戦する。 ビーチサッカーW杯は昨年、国際サッカー連盟(FIFA)主催として初開催され、日本はサッカー元日本代表のラモス瑠偉氏(現J2・東京V監督)に率いられ、大健闘した。アジア予選の時は、GK加登 永一が監督を兼任していたが、11月の本選では、鳥飼 浩之監督(湘南ベルマーレ )が率いて上位進出を目指す。ビーチサッカーのワールドカップ(W杯)のアジア予選は、今年5月21日~26日にアラブ首長国連邦で行なわれた。日本代表は、決勝戦でバーレーン代表に3-5で敗れたはしたがアジア枠3位までに入ったので、無事本選出場を決めた。昨年2005年にブラジルで開催されたFIFA第1回ビーチサッカーワールドカップでは、ブラジル代表に3位決定戦で2-11と大差で敗れたが見事4位となった。今回の第2回ビーチサッカーワールドカップはそれ以上の成績を期待する。日本にまだ馴染みが無いビーチサッカーだが、その歴史はまだ浅く最初、世界各地で一種のレクリエーションとして行われていた。そして今から14年前の1992年 、はじめて各地にそれぞれあったビーチサッカーのルールを統一し、その年の夏には、アメリカのマイアミビーチにおいて、最初のプロフェッショナルなビーチサッカーの国際大会が開かれた。この大会には、 アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、イタリアの4カ国が参加して行われた。1994年の春には、初めてテレビ放送されたビーチサッカーの大会が、ブラジルのリオデジャネイロのコパカバナビーチにおいてあり、その1年後の1995年には初めてのビーチサッカー世界選手権が当地で行われた。初代のビーチサッカー世界選手権の優勝国は、ホスト国のブラジルであった。このときの試合の様子によって、ビーチサッカーの商業的な価値は高まり、 1996年には初めてビーチサッカーのプロツアーが組まれている。初めてのプロツアーは60試合が2年間にわたって、南アメリカ、アジア、ヨーロッパ、そしてアメリカ合衆国の各地で行われて、その後1998年にヨーロッパでプロのビーチサッカーリーグ(ユーロBSリーグ)が創設された。2000年の、スペインがポルトガルを打ち負かしたユーロBSリーグの決勝リーグは、白熱した好ゲームがいくつもあった。2004年までに 、ユーロBSリーグに参加する国は17カ国と増え、さらに2005年には20ヶ国以上の国々がリーグに参加すると期待され、参加国数は総勢70カ国ほどに上る見通しだった。そして2005年には、1995年以降10回にわたって開かれていたビーチサッカーの世界選手権が、 FIFA主催のビーチサッカーワールドカップに切り替わった。
2006年08月28日
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サッカーのイングランド・プレミアリーグのチェルシーは27日、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会を最後にフランス代表からの引退を希望しているMFのマケレレ(33)が、欧州選手権予選の同国代表メンバーに招集されたことに関し、同クラブの公式ウェブサイトでフランス協会に対し抗議文を発表した。 チェルシーは、フランスのドメネク監督に対し、マケレレの意向を伝えたものの、くみ上げられなかったとし、「マケレレのような貢献度の高い選手は、国際試合のキャリアを選択する自由が認められるべきだ」としている。招集を拒否した場合、選手はクラブで2試合の出場停止が科される。 チェルシーのモウリーニョ監督は同日のブラックバーン戦後、「マケレレはサッカー選手ではなく、まるで奴隷だ」と反発していたという。確かにマケレレ選手無しではドイツで行なわれた今回のワールドカップ準優勝は無かったといえよう。しかし4年後の南アフリカで開催される2010年のW杯の時には37歳 、2年後の2008年の欧州選手権の時には35歳とクラブと代表を両立するにはキツイ年齢となる。フランス代表からの引退を希望しているのだから、後進の事も考えて気持ち良く送り出してあげる事が大事なのではないか?と思えてしまう。若手でもクロード・マケレレ2世の異名を持つラサナ・ディアラ (リバプール)やリオ・アントオ・マブバ(ボルドー)などの選手にチャンスを与えるべきだと思う。
2006年08月28日
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日本相撲協会は28日、大相撲秋場所(9月10日初日、東京・両国国技館)新番付を発表した。先場所横綱昇進が見送られた白鵬と、大関取りを逃した雅山が再挑戦する。 白鵬は先場所千秋楽で朝青龍を破って13勝したが、朝青龍の優勝が14日目に決まり、「優勝争いに絡んでいない」として横綱昇進がならなかった。今年は初場所以降、夏場所優勝(14勝)をはじめ4場所連続13勝以上。 計53勝は、途中休場がある朝青龍の39勝を上回っている。北の湖理事長も「安定ぶりは高く評価できる」と話し、優勝争いに絡んで場所を盛り上げることが綱取りの近道だといえよう。 雅山は先場所10勝し、大関昇進目安の「直近3場所三役で33勝」を超す34勝を挙げたが、 前半の4敗で印象を悪くしていた。前半をどう乗り切るかがカギといえよう。 朝青龍は夏の巡業中もけん引者ぶりを見せ、白鵬、雅山の最大の壁になりそうだ。魁皇は大関在位37場所で貴ノ浪と並び史上5位となる。新小結・黒海は初のグルジア出身三役となる。これで現役外国出身幕内13人のうち9人が三役以上経験者となった。把瑠都は入幕3場所目で前頭筆頭となり、上位には脅威となるだろう。 新入幕は2人で先場所優勝し、十両を3場所で通過した宝智山(ほうちやま)と、沖縄県から若ノ城以来9年ぶりの 琉鵬(りゅうほう)。春日錦が3場所ぶり、小結経験者の霜鳥が5場所ぶりに幕に戻った。 影山改め栃煌山(とちおうざん)は19歳で、初土俵から所要10場所の新十両で、貴乃花や明徳義塾高の先輩・朝青龍らと並ぶ速さとなる。 須磨ノ富士の十両昇進8回は史上最多の珍記録となった。
2006年08月28日
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大リーグ各球団は日米親善試合で渡米が予定されている早実の斎藤 佑樹投手 (18)について、当面、事態を静観する構えであることが分かった。ヤンキースのジョン・コックス環太平洋スカウト担当は26日(日本時間27日)、サンケイスポーツの取材に対して、斎藤獲得の可能性を否定した。 「甲子園大会での活躍は知っているし、情報も届いている。ただ日米の球界には(紳士)協定がある。たとえ強制力がなくても、それを破ってまで獲得に動く球団はヤンキースを含めてないと思う」と同スカウトはコメント。 すでに日本を含めた極東地区を担当する大リーグのスカウトの間で、斎藤の名前は知れ渡っている。同スカウトによれば斎藤ら日本選抜チームの米国遠征の日程も把握済み。ただ、たとえルール的に獲得強行が可能だとしても、本人に強い意志がない限り、それぞれの国のドラフト候補生に手を出さないという“紳士協定”をこれまで通り遵守する方針だという。マリナーズなど他球団もニューヨーク州担当のスカウトを日米親善試合に派遣する予定だが、基本的には静観の構えだ。斎藤が夢のメジャー入りをスカウトの前でアピールするのは、まだまだ先になりそうな感じだ。日本でも巨人が斎藤投手に包囲網をしくか?などと出ていたが、甲子園での あの連投がどこまで彼の体に影響が出ているか気になる所だ。あの松阪 大輔も今から8年前の夏の甲子園の準々決勝 、「横浜×PL学園」の試合で延長17回を1人で250球投げぬいたが( 9-7で横浜の勝利)、次の準決勝の明徳義塾戦は彼の疲労も考え、横浜の渡辺監督はさすがに先発投手として投げさせなかった。それが京都成章での59年振りの決勝戦のノーヒットノーランを達成に繋がったと思う。これからが期待される投手だけに、彼の今後の進路が気になるところだ。
2006年08月28日
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陸上の北海道マラソンは27日、札幌市の真駒内屋外競技場から札幌市街を巡り中島公園に至るコースで行われ、来年の世界選手権(大阪)選考会を兼ねた女子は初マラソンの吉田 香織(資生堂)が2時間32分52秒で初優勝した。一方このレースを最後に現役引退を表明した千葉 真子(豊田自動織機)は11位だった。初マラソンで見事優勝を果たした女子の吉田 。序盤からの独走を「初挑戦なので自重しようと思ったが、周りの男子選手に負けたくないと思い、どんどん行っちゃった」とレースを振り返った。前回、先輩の応援で札幌に来た際、「沿道の応援が温かで」と札幌を初舞台に選んだ理由を語った。「これから夏休みなので、北海道旅行を楽しみます」と25歳の覇者はいたずらっぽく笑った。 一方の千葉 真子選手は、テープが張られていないフィニッシュラインを両手を挙げてゴールした。「ありがとうございます」と観客に何度も頭を下げ、笑みも見せた。 レース前の会見席上、突然の引退宣言だった。レース後、ややためらいながらも理由を語った。「一生懸命やることが大好きで(マラソンを)やってきた。だが、一生懸命やろうとすることで(持病の足の)痛みが出てしまい、一生懸命できない悪循環にはまった。ここでマラソンにピリオドを打ち、次のステップに進もうと決めた」と答えた。 ラストランの舞台は6月に決めた。 3度の優勝を飾った真夏の札幌を「マラソン人生のゴールにしようと思った」。この日は、直前に肉離れも併発し、右足の感覚がほとんどない状態。トップに16分差をつけられてのゴールだったが、「みんなの応援が私の右足になってくれた」と完走に導いてくれた声援に感謝した。 引退後の進路は「スポーツと同じように、世の中を明るくできる仕事をしたい」と明言を避けた。「おなかいっぱい走りました」と競技生活に悔いは無いようだ。フェルトペンで「ありがとう」と書いた右腕を振りながら、自ら「ベストスマイル」と呼ぶ笑顔とともに第一線退いた。
2006年08月28日
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欧州チャンピオンズリーグで因縁対決が早くも決まった。バルセロナとチェルシーが、またも欧州最高峰の舞台で戦うことになった。昨季、一昨季と続けて「事実上の決勝戦」と注目される中、 欧州チャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦で対戦した。 2004-2005年はチェルシーが2試合合計5-4で、 2005-2006年はバルセロナが3-2で勝利を収めた。そして今回は1次リーグA組で同居する。(他のチームはブレーメン・ドイツとレフスキ・ソフィア・ブルガリアの2チーム )バルセロナのライカールト監督、チェルシーのモウリーニョ監督の舌戦など、ピッチ内外で激戦が展開された。 バルセロナのベギリスタイン統括部長は、早い段階での対戦を喜んだ。「友人と再会した気分。ちょうどいいところで当たった」とコメント。一方、チェルシーのケニオンCEOも「相手のことはよく知っている。我々は挑戦者だ」と意欲を見せた。負けが即、敗退につながらないリーグ戦での対戦を、ともに歓迎していた。 バルセロナMFロナウジーニョは「向こうは大型補強をしたけれど、うちもいいよ。心配ない」と自信を見せた。ライバル対決のスケールアップを、誰よりも期待していた。
2006年08月27日
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横浜のルーキー三橋 直樹がプロ初先発でうれしいプロ2勝目をマークした。横浜を出発前に由紀夫人 (26)から“いつも通りやればいいんじゃない”と励まされたという。その言葉通り、初回に先頭の荒木を出塁させたがシュート、スライダー、フォークと持ち味である多彩な変化球を操って、 中日打線を6回3安打無失点と抑え初先発初勝利を飾った。「気持ちが切れそうな時は何度もあった。ファームでやってきたことを出し切ろうと思った」と会心の笑みを浮かべた。向上高から関東学院大、社会人は日産自動車で横浜入団と“神奈川一筋”の三橋の力投に牛島監督は「首位のチームにこれだけしっかり放れればいいと思う」と喜んでいた。一方中日の高校生ドラフト1巡目ルーキーの平田 良介(大阪桐蔭)が9回2死一塁、代打で登場した。昨夏の甲子園を盛り上げた大砲は、このプロ初打席に「打席に立つまでは緊張したが、立ってからは大丈夫だった」とコメント。木塚投手の初球を打ちにいったが、三ゴロに終わった。積極的な新人の姿勢に、落合監督は「結果はどうあれいいんじゃないの」とほおを緩めていた。
2006年08月27日
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26日、カシマサッカースタジアムで行なわれた鹿島×広島の試合は、広島が2-0で勝利した。その試合90分間、戦い抜いた小笠原は肩で息をしていた。高校卒業後8年半 、走り続けたカシマスタジアムで「全力をつくす」というモットーを最後まで貫いた。サポーター席の大コールに、右手をそっと上げた。感謝の気持ちを伝えていた。 「勝てなくて残念。点が入らないと勝てない」と試合後は敗戦の悔しさだけが口をついた。前半36分には野沢とのアイコンタクトからループパスを送った。 味方への1つ1つのパスに、メッセージがこめられていた。この日は両親を試合に招待していた。言葉には出さないが、この試合に懸ける思いは強かったと思う。 秒読み段階に入ったセリエAのメッシーナへの移籍 。前日25日にはメッシーナ側が1年間のレンタル移籍での獲得を発表した。セリエA残留が確定すれば近日中にも移籍が決まる見通しだ。だが、周囲に与える影響を考えてか、チームメートに移籍話を切り出したことはないという。自分のことよりも、チームのことを第一に考えているから。不器用な男の思いは全員に伝わっていた。後輩の野沢は「いいイメージで終わらせてあげたかった」と唇をかんでいた。 26日付の現地紙は「さあ小笠原、新しい中田の登場」というタイトルで特集記事を掲載した。 ジョルダーノ監督は「非常に有益な存在」と即戦力としての期待を高めている。小笠原は27日に鹿島側と話し合いを持ち、 28日にイタリアに渡る方向で調整している。次なるステップへ、新たな旅に出る。
2006年08月27日
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PRIDE武士道~其の十二~が26日、名古屋市総合体育館レインボーホールで行われ、ライト級王者の 五味 隆典(27・久我山ラスカルジム)がデビッド・バロン(33・フランス)を1R7分10秒、裸絞めで撃破し、復帰戦を快勝で飾った。4月に連勝を「10」で止められた火の玉ボーイが、約5カ月ぶりのリングで完全復活を見せつけた。ウエルター級GP2回戦は三崎 和雄(30・GRABAKA)ら4選手が11・5同級GP決勝戦(横浜アリーナ)進出を決めた。五味はゴングが鳴った直後からエンジン全開。パンチ連打、ひざ蹴りで早くもバロンを追い込んだ。そして7分すぎ、グラウンドに持ち込んで背後を奪うい。力を振り絞った裸絞めで相手はたまらずタップ。文句なしの一本勝ちだった 。 「僕の中では4月の印象はないので(昨年大みそか以来)8カ月ぶりって感じだった。勝って本当によかった」とコメント。 4月にマーカス・アウレリオ(ブラジル)に一本負けを喫し、PRIDE連勝記録が「10」でストップしてから約5カ月ぶりの試合だった。屈辱の一戦を記憶の中から一時消去した。本当は「不安だった」が、弱気はリングに持ち込まなかった。ひたすら前に出て、王者の意地を見せた。 「ろくに練習もせずに戦ってきて、負けて自信をなくした。“本当に強かったのかな”と…。気持ちはゼロ以下になった。でも、僕にはへこんでいる時間はなかった」 強気だったころの自分を取り戻したのは、原点回帰したからだった。初黒星後、所属していた木口道場を離れ、7月に自身のジム(久我山ラスカルジム)を開設して練習環境を一新した。今月中旬には長野県菅平で短期合宿を行なった。会長として生徒と走り込みや特訓をすることで「がむしゃらに練習していたころを思い出した」という。そしてなえた気持ちはいつしか消えて、ファイターとしての戦闘本能を完全に取り戻した。 この日は生徒3人がセコンドにつき、ゲキをもらったていた。ジム全体でつかんだ復活勝利でもあった。10月にはPRIDE初の海外興行のラスベガス大会、11月5日の横浜大会では初防衛戦が濃厚とる。強行日程が待ち受けるが、誇りを取り戻した五味は、真の王者としてすべてを正面から受け止めるつもりだ。五味のライト級王座防衛戦に関し、 DSE榊原社長は「五味君と相談し、11月5日にできるのか、相手などを含め相談したい」と話した。候補の石田 光洋、川尻 達也はこの日、ともに勝ったが、内容は明暗が分かれた。29秒でKO勝ちした川尻は「すっきり勝てた。強くなっているのが分かる」。一方の判定勝ちの石田は腕ひしぎ逆十字でタップ寸前に追い込まれ「王者の目にどう映りましたかね。(挑戦する)欲はあるので考えたい」と不満そうだった。
2006年08月27日
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プロ柔道家の吉田 秀彦(36・吉田道場)が、タイソンとの対戦を希望した。海外道場設立のため米国視察中に日系テレビ局UTBで日刊スポーツのインタビューに答え、PRIDEと電撃合体したばかりのプロボクシング元ヘビー級統一王者マイク・タイソン(40=米国)との激突に意欲を見せた。タイソンとの契約がクリアされれば、 PRIDE米国大会で柔道―ボクシングの異種格闘技戦が実現するかもしれない。 年内に設立を予定する米国道場の物件探しを続ける吉田は日本を出発した日に、PRIDEがタイソンと電撃合体したことを知った。契約上の問題や障害がクリアされてタイソンがPRIDEに登場することが条件とはいえ、吉田は迷いなく強い興味を示した。 吉田は「その話は、いや、びっくりしました。オファーがあればね。まあ、米国で戦うしかないよね。ギャラがすごく違いすぎると思うんだけど(笑い)。チャンスがあればやりたい。そういう企画になればやることになると思う」とコメント。 吉田が持っているタイソン像とは「凶暴」そのもの。 1999年7月 、ホリフィールド戦で相手のバッティングなどにいら立ち、右耳をかみちぎって3回失格負けした印象が強い。 吉田は「だって、耳を食いちぎるんでしょ。オレも食いちぎられないように、もしやったら気をつけないと。対戦したら? 向こうはボクシングだからグラウンドはできない。まあ、まともに打ち合ったら勝てるわけない。グラウンドにいって、絞めるか、関節を取るか。勝つ自信というか、そういう流れになれば勝てると思う。ただ、打ち合っていたら、やられちゃいますよね」とコメント。 この日は物件探しの合間を縫って、ハリウッドの日系テレビ局UTBに足を運んだ。同局スタジオで地元日系メディアなど6社の取材に応じ、10月のPRIDE米国大会への出場意欲もある。 吉田は「チャンスがあれば。相手がいないことにはダメなんで。そういうことを全部、加味して出られるのであれば出たい。初のラスベガス大会なので、出なくても見に行きたい」とコメントした。 タイソンとの将来的な異種格闘技戦を想定し、吉田の本格的な米国進出を加速させていく事になるだろうと思う。PRIDEはマイク・タイソンと契約はしたが、タイソンは過去に薬物犯罪を犯していて、その事が原因で日本への入国が認められてない為、日本での大会参加は無理である。知名度があるタイソンだけに、契約はしたが少し大きな買い物だったのでは?と思えてしまう。
2006年08月25日
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K-1の谷川 貞治イベントプロデューサー(EP)が24日、若手育成などの場として「アンディ・フグ杯(仮称)」を開催するプランを示した。2000年に白血病で死去した故アンディ・フグさん (享年35)の七回忌がこの日、京都市内の大徳寺芳春院で行われた。参列した谷川EPは「(フグさんの名をつけた)冠大会をやりたい。来年からでもできれば」と話した。実現は「権利は遺族にあるし遺族の皆さんが望めば」との条件付きで、妻のイロナさん(42)長男のセイヤ君(11)らの意向を聞いて話し合いが進められるという。 詳細は未定だが若手育成などを目的に、年1回のトーナメント形式というプランも浮上しているとの事。角田 信朗競技統括プロデューサーは「K-1を世の中に広めていくことが、僕らに託された使命だと思っているから」と話していた。 日本と空手がを好きだったアンディ・フグ 。この大会が是非実現される事を願いたい。
2006年08月25日
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横浜FMの監督を成績不振で辞任した岡田 武史監督(49)は24日、横浜市内のクラブハウスで「勝負に対する執着心が薄れた。これ以上チームと選手に迷惑を掛けられない」と決断の経緯を語った。23日の大宮戦に敗れた後、クラブに辞意を伝えて了承された。 コーチから後任に昇格した元日本代表の水沼 貴史新監督(46)は早速、この日の練習から指揮した。今季からコーチとして古巣に戻ったばかりで監督経験はないが、「期待に応えられるか不安だが、クラブ出身者としてやるしかないと思って(後任を)引き受けた」と意気込みを語った。 左伴 繁雄社長は水沼新監督について、「彼が編成したチームではないし、状況を見ながら今後のことを判断したい」と暫定的な起用を示唆した。 岡田 武史監督は、 1997年にサッカー日本代表のコーチを勤めていたが、フランスW杯予選で成績不振だった加茂 周監督の更迭を受け、監督代理として任命された。その後代表チームを率いて、残りの予選を戦い、土壇場から初めての本選出場を果たした(ジョホールバルの歓喜)。その後、本選では正式に監督に任命される。そして1998年の本戦直前に当時日本のエースだった三浦 知良や北澤 豪をメンバーから外した事などで当時世間の注目を集めた。本選では「グループリーグ1勝1敗1分で決勝トーナメント入りを目指す」と表明したが、初出場のプレッシャーも有り、3戦全敗で敗退した。翌年の1999年には、J2落ちしたコンサドーレ札幌の監督に就任した。元日本代表監督だけあって期待されたが就任1年目は5位に終わった。しかし就任2年目の2000年には圧倒的な強さでJ2制覇した。そして自身初体験となるJ1クラブの監督となる。就任3年目の2001年に10勝15敗5分の11位とクラブ史上初のJ1残留を果たすが、コンサドーレ札幌の監督を辞め、解説者になった。2年後の2003年には、横浜F・マリノスの監督に就任する。当初の念願だった常勝チームの監督になり気合が入っていた。その充実した戦力で1年目の1stステージから優勝し以後、3ステージ連続優勝、 2年連続年間優勝のタイトルを獲得するなど見事J1で優勝争いができるチームを作っていった。その堅実かつ柔軟な戦術を駆使し、数々のタイトルを勝ち取った非常に優秀な監督である反面、若手を好み、あまりベテランを重用しない采配から試合の盛り上がりに欠けるとも言われ、好き嫌いの分かれるところがあった。2005年 、横浜F・マリノスの成績低迷の責任を取り辞めると噂されたが、2006年以降も監督を続投することが公式に発表された。しかし2006年も開幕から4連勝したもののJ1第5節で浦和に1-3で敗れると、その後は1分3敗と急激に調子を落とし、成績不振により昨日の8月24日に辞任する事となった。岡田さんの解説者時代にサッカー解説を聞いた事があるが、その分かりやすく、理論的な考え方に共感した覚えがある。年齢的にもまだ49歳と若く1~2年後には、またどこかのチームで指揮をとっているように思える。
2006年08月24日
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ソフトボール女子日本代表が23日、2008年北京五輪出場権がかかる世界選手権(27日開幕)の開催される北京へ成田空港から出発した。大会期間中は、チームに分析の専門家3人が帯同する。 国内競技団体で最速の五輪出場権獲得、そして世界一へ向け準備は万全なようだ。井川 英福監督が「ソフトボールで初めて」と話す分析の専門家は、東京北区の国立スポーツ科学センター(JISS)から派遣される。普段は五輪種目全般をカバーするスペシャリストで「打球の方向や打者や投手の特徴をチェックしてもらう」と同監督。単なる数字的なデータ収集だけを求めるわけでは無く、相手投手を3~4方向から撮影し、動作を細かく分析することで個々のクセまで見抜くなど、勝負を分ける重要な役割を果たすだろう。 特に1次リーグの31日に対戦するボツワナや9月2日のコロンビアは資料映像すらない未知の相手。日本有利に違いはないが、高精度の情報を得ることで必勝態勢を固めるようだ。24~26日の公式練習が1日1時間に制限されるなど調整の難しさがあるだけに、まずは頭脳戦で優位に立ち、試合を有利に進める。JISSは我が国のスポーツの国際競技力の向上を目的とした、スポーツ医・科学・情報の中枢機関で、 4つの部 (スポーツ科学研究部、スポーツ医学研究部、スポーツ情報研究部、運営部)から構成されており、各部の相互協力により6つの事業 (トータルスポーツクリニック事業、スポーツ医・科学研究事業、スポーツ診療事業、 スポーツ情報サービス事業、スポーツアカデミー支援事業、サービス事業を実施して日本のスポーツの競技レベルアップに貢献している施設です。
2006年08月24日
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バスケットボールの男子世界選手権の第5日は23日、広島県立総合体育館など4会場で1次リーグを行い、日本が悪夢の逆転負けを喫し、自力での決勝トーナメント進出が消えた。前回4位のニュージーランド相手に前半18点のリードを奪いながら、 残り31秒で逆転されて57―60と痛恨の3敗目となった。 実現しかけていた奇跡が悪夢に変わった。勝てば初の決勝トーナメント進出が決まった一戦で、まさかの大逆転負け。選手たちは肩を落とし、 パブリセビッチ監督は会見で怒りを吐き出した。 「今までの人生で負けることはあったが、こういう負け方は初めて。大きい点差がついた時に選手が軽いプレーをし始めた。リードしている時に怖がってしまった」 第1Q、五十嵐と折茂の連続3点シュートで波に乗り、 前半で18点差をつけた。しかしその予想以上に開いた点差が、逆に日本から自由を奪った。守れば勝てる。攻めの気持ちを失ったチームはミスを連発した。第4Qにキャメロンの3連続3点シュートで追いつかれても、 ペニーに勝ち越し3点シュートを決められても、積極的に攻める場面はなかった。「プレッシャーでみんなが人任せになってしまった。こうなってしまって本当に悔しい」。チーム最年長、36歳の折茂がうめいていた。 パナマがニュージーランドに敗れた瞬間、日本は1次リーグ突破の望みを絶たれる。「僕らは応援してくれる人のためにも戦い抜くしかない」。残ったスペイン戦へ向け、 網野は声を振り絞った。最後の最後で経験の差が出てきてしまった感じになった。これでニュージーランドと並んで勝ち点5となり初の決勝トーナメント進出はスペインとの最終戦までもつれ込んだ。前回2002年のアメリカ大会では5位、前々回の1998年のギリシャ大会では5位と、今大会も上位進出を狙うスペインとしては予選グループ1位通過での決勝トーナメント進出をねらうスペインとしても負けられない試合だと思う。やはり高さでは負けてしまう日本は、 3ポイントシュートの確率の高さと最後まで諦めない気持ちが勝敗の鍵を握ってくると思う。
2006年08月24日
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2008年北京五輪の出場権が懸かるソフトボール女子世界選手権(8月27日-9月5日、北京)日本代表の結団式と壮行会が22日、東京都内で開かれた。4位以内 (中国を除く)になれば五輪出場権を得られる同選手権で日本勢の「五輪切符獲得第1号」を狙うだけに、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田 恒和会長ら幹部も駆け付けるなど期待の大きさを表した。 選手団長を務める日本協会の三宅 豊選手強化本部長は「五輪出場権はもちろんだが、優勝する意気込みで臨む」とあいさつ。井川 英福監督も「決勝で米国を倒すのが大きな目標。1戦1戦、地道に日ごろの練習の成果を出してプレーしたい」と抱負を語った。 アテネ五輪まで代表チームを率いた宇津木 妙子前監督も足を運び、「北京にも応援に行く。選手は日の丸を背負う重圧、期待に応えなければならない。それを自覚してもらいたい」と激励した。 1次リーグ初戦となる27日の台湾戦に先発する上野 由岐子(日立&ルネサス高崎)は「高校野球に負けないぐらい熱い試合をしてくる」と健闘を誓った。日本代表は今日23日に北京入りする。
2006年08月23日
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2008年北京五輪を目指す総合格闘技の山本“KID”徳郁(29・KILLER BEE)のアマレスリング復帰戦が「無観客試合」になる事が決まった。山本は11月25、26日に東京のスポーツ会館で行われる全国社会人オープン選手権フリースタイル60キロ級に出場する予定。しかし会場の観戦スペースが狭く、日程的に変更もできないため、日本レスリング協会側は22日、関係者、報道陣以外の入場を制限する方針を明かした。 全国社会人はこれまで一般の観客はほとんどいなかったが、 HERO’Sミドル級王者のKID選手の7年ぶりのアマレスマット登場となれば、報道陣やファンが殺到するのは間違いない。同協会にとって競技の盛り上げには格好の話題だが、会場の都合となれば仕方ない。KIDは1999年全日本選手権(準優勝)以来、7年ぶりのアマレスマット。背中を押してくれる観客がいなくなるが、逆に試合に集中できるだろう。 全国社会人で実績をつくり、 来年1月の全日本選手権の出場権を勝ち取る。協会の一部では全日本に推薦する声もあるが、富山強化委員長によるとKID本人は「正々堂々、全国社会人から全日本に進みたい」と話しているという。対して9月の世界選手権同級代表の高塚 紀行 (日大)は、KID迎撃に燃えている。五輪への過酷ロードに備えて10月には韓国合宿を予定していて、プロ格闘家のプライドではたして勝ち進む事が出来るか?楽しみだ。 フリースタイル60キロ級に出場するKID選手だが、7年ぶりのアマレスでどこまで出来るかが気になる。今年ウズベキスタン・カップに出場し5位 、ダン・コロフ国際大会に出場し3位となった高塚 紀行 (日大)やアジア選手権に出場し5位となった井上 真一 (警視庁)の2人との対戦がやはり注目の試合となるだろう。
2006年08月23日
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駒大苫小牧の田中 将大投手 (3年)が22日、北海道苫小牧市にある同校での準優勝報告会を終えた後、報道陣を前に卒業後の進路について言及した。「小さいころからの夢だったプロになれればいいなと思っている。両親や監督と相談して決めたい」とプロ入り希望を表明した。 最速150キロの速球に高速スライダー、フォークと狙って三振を取れる右腕には巨人、日本ハムなど多くの球団が、9月25日の高校生ドラフトで1巡目指名を考えているとされる。その田中は「(12球団)どこの球団でもいいです」と全球団OKの姿勢を打ち出した。さらに「米国に興味はないのか」の質問に「日本のプロで」ときっぱり言った。「ニューヨークとか米国は怖いというイメージがあるんで…、それに学校でも英語の成績は良くないっす」と笑いながら、メジャー入りを否定した。 夏の甲子園決勝で高校生活最後の公式戦を終えた田中は、29日から全日本選抜チームの一員として米国遠征する。親善試合を行うほか、ニューヨークではヤンキースの試合も見学する。「今まで見たことない野球を見られるのはうれしい。いろいろ吸収してきたい」と目を輝かせた。 香田 誉士史監督 (35)も以前から田中について「上(プロ)でプレーできる選手」と話している。家族も「本人の希望に任せたい」としており、プロ入りへの支障はない。 ドラフト指名に必要な「プロ志望届」受け付けは22日から始まっている。田中も準備が整い次第、北海道高野連を通じ書面を日本高野連に提出する予定だ。そして運命の「9・25」の高校生ドラフト会議を待つ事となる。投手陣補強が急務の楽天にも入って欲しいと思うが、やはり地元の日本ハムに入るのが無難な気がする。同じく2年前に甲子園を沸かせたダルビッシュ有を含めた先発投手陣を観てみたい。
2006年08月23日
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ジェリコ・ジャパンが今日運命の一戦を迎える。日本はこの日夜、軽めの調整。ニュージーランド(NZ)戦に集中するため、取材は監督のみに制限された。「私たちにはすべてが挑戦。死ぬ気で戦って奇跡を起こす」と決戦前夜、指揮官の表情は引き締まっていた。 決勝トーナメントが行われる埼玉の道の先には、北京五輪も見えている。日本がNZ戦に勝ち、 パナマがドイツ戦に敗れると、23日に日本の決勝T進出が決定する。反対に、 NZ戦に負ければ絶望的となる。勝敗次第で監督の未来も、大きく左右される。 日本協会の関係者によると、「監督との契約は2003年2月からの4年間だが、基本的には今大会までとなっている」という。今後は、9月の強化委員会で今大会を総括し、 理事会で2008年北京五輪に向けた監督人事について、話し合う予定だという。日本が掲げる初の決勝T進出の目標が果たせなければ、「(監督は)退任する可能性が高い」といえるだろう。 来夏には、 2008年北京五輪のアジア予選を兼ねた男子アジア選手権(徳島市)を控える日本代表だが、アジア王者の中国が五輪開催国のため、 日本は韓国、レバノンなどと残り1枠を争う事のなる。フォワードの網野 友雄 (25・アイシン)は「日本での予選だし、五輪は夢。このチームで出れたら」と期待する。 ジェリコ・ジャパンの主将として約4年間、歩んできたセンター、古田 悟(35・トヨタ自動車)は「本当の大勝負。チーム一丸となって勝ちたい」と意気込む。同監督に才能を見い出され、パナマ戦勝利の立役者のガード、桜井 良太(23・トヨタ自動車)は「監督にバスケをすべてを教わった」と感謝する。 “ジェリコ・チルドレン”が、思いを一つに日本バスケの未来を懸けた戦いに挑む事となる。最近では、 8年前の1998年にギリシャのアテネで開催された14位が最高なだけに(今から39年前の1967年の11位が今までの最高順位。)、新たな日本バスケの扉が開かれるかの分かれ道と言っても良いくらいの大事な1戦となる。漫画の「スラムダンク」で一時期ブームになったバスケットだが、 1996年に連載が終了すると、田臥 勇太がNBA挑戦するまでバスケット人気は下降線を辿ったが、この初の決勝トーナメント進出を決まれば、日本バスケット界が盛り上がると思う。
2006年08月23日
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22日、協栄ジムのが都内ジムで記者会見を開き、WBAライトフライ級王者亀田 興毅 (協栄ジム)と同級1位のファン・ランダエタ(ベネズエラ)の再戦を正式に発表した。試合の日程は現在調整中だが、10月の中旬から後半になる予定だ。 8月2日のWBAライトフライ級王座決定戦では判定で勝利を収めた興毅だったが、その後、微妙な判定を巡り日本中を巻き込んだ騒動に発展した。 試合後、減量苦のため階級を上げることなども関係者の間で話し合われたが、興毅本人が、「『逃げた』『避けた』と言われて、ボクサーを続けていきたくない。コンディションを作っていく。今後は何も言い訳はしない」と再戦を強硬に主張。父の亀田 史郎トレーナーも当初は興毅の体調を心配したが、最終的には本人の意思を尊重する形となった。 すでに協栄ジムはWBA側から承認を得ており、ランダエタの承諾も得ているとのこと。 この日は会見場には現れなかった興毅だが、 金平会長によると、「100%負けることはない。もう一度やる以上、KOで勝ちます。一度グローブをあわせてランダエタの実力は分かった。あの時(2日の試合)は本来の亀田興毅じゃなった。次は本当の力を見せたい」と意気込んでいるという。 また、近日中に日程と会場が決まり次第、 興毅本人と史郎トレーナーの記者会見が行われることも発表された。 再戦が早めに決定して取りあえずは良かった。 今後の興毅本人のコメントも気になるところだが、一段と気を引き締めた亀田 興毅がこの再戦で観れるかもしれない。後はTBSを含めたマスコミがどう対応していくかが気になる。一時期の異常な盛り上がり程はしないと思うが? この再戦をどう取り上げていくかがある意味楽しみだと言えよう。
2006年08月22日
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鹿島のW杯日本代表MF小笠原 満男(27)が、26日の広島戦 (カシマスタジアム)後にセリエAのメッシーナへ移籍する可能性が高まった。不正問題でセリエB(2部)に降格するユベントスに代わり、メッシーナの今季1部残留が正式に決まり次第、移籍の契約を交わす予定だという。21日、鹿島幹部は「25~26日にも残留が決まると聞いている。それまではJで出場すると思う」と話し、ホーム開催の広島戦が小笠原にとって国内最終戦となる可能性を示唆した。 小笠原は移籍期限の今月31日までに渡欧して、現地でメディカルチェックと契約に臨む。日程が詰まっているが「鹿島の選手として、まだ試合がありますから。向こうに行くならスパイクだけ持っていけばいい」と気合十分。移籍直前の最後までまで鹿島に貢献するつもりだ。
2006年08月22日
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第88回全国高校野球選手権大会、第16日、決勝戦は、駒大苫小牧早実が駒大苫小牧を4-3で下し初優勝を果たした。37年ぶり2度目の決勝再試合となった早実(西東京)と駒大苫小牧(南北海道)との決戦は、早実が4-3で創部102年目にして悲願の初優勝を飾った。4連投の斎藤 佑樹投手 (3年)は6安打3失点、無四球13奪三振で完投勝利を挙げ2日間にわたる決勝戦を最後まで1人で投げぬいた。クールな都会派エースは甲子園で驚異的とも言える計948球を投げ込み、新たな歴史の扉をこじ開けた。 2日間合わせて5時間33分に及んだ感動のフィナーレとなった。その中心に斎藤がいた。最後はともに投げ合った駒大苫小牧の田中投手から144キロの速球で空振り三振を奪い、センターに振り返って渾身のガッツポーズ。 駒大苫小牧の3連覇の夢を打ち砕き、初の頂点に登りつめた。 「王先輩も荒木先輩もできなかった夏の優勝を成し遂げられたことが一番うれしい。人生で一番幸せな日です」と校歌を歌い終え、大応援団が陣取る三塁側アルプススタンドへ走り出した瞬間、クールなエースの頬を感動の涙がつたっていた。 37年ぶり2度目の決勝再試合。「高校では初めて」という4連投も関係無かった。2-0の六回に浴びたソロを含めて2発を浴びたものの、6安打3失点で完投。 4日間で計553球を投げ抜いた。 1回戦(鶴崎工)で完投こそ逃したが、 7試合で69イニング、207のすべてのアウトを一人で奪った。その球数の合計は実に948球。奪三振は1大会で歴代単独2位の通算78個になった。 強靭(きょうじん)な肉体の陰には家族の支えがあった。群馬県太田市出身の斎藤は都内で大学生の兄の斎藤 聡仁さん(21)と二人暮らし。夢はかなわなかったが、やはり群馬県の桐生高校で甲子園を目指していた聡仁さんは、上京後、飲食店でアルバイトをして腕を磨いては毎日ボリュームのある食事、最近では得意メニューの「豚キムチ丼」を食卓に並べた。「弟の体を作るため、甲子園で活躍ができるように手料理をたくさん食べさせました」。兄は優勝をわがことのように喜んだ。 “クール”と言われる都会っ子だがしかし、この日の朝には、4連投で体力が心配された自分をよそに、母のしづ子さんにメールで「お母さんの体調は大丈夫?」と逆に体を気遣っていたという。「メールには早く(試合を)決めるからね、ともあったんです」としづ子さん。前日20日、178球の力投に「明日も頑張ってなんて言えない」と涙した母は、スタンドから自慢の息子に手を振った。 1901年に創立し、ソフトバンクの王 貞治監督(66)をはじめ、西武の荒木 大輔投手コーチ(42)ら多数のプロ選手を輩出している伝統校だが、これまでは準優勝が最高だった。1957年にセンバツを制した王監督も達成できなかった夏制覇。偉大な先輩を超えた斎藤は「今は群馬の実家に帰ってゆっくり休みたいです」と言って笑った。 気になる今後の進路については「これから考えます」と斎藤。早大進学が有力視されているが、人気と実力を兼ね備えた逸材に周囲は熱い視線を送り始めている。人気低迷が叫ばれる野球界にあって、まさに新たに生まれた新世紀のアイドル。死闘。端正なマスク。そして青いタオルハンカチ。日本列島を騒がせたクールなエースの夏は、最高のエンディングで幕を閉じた。
2006年08月22日
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バスケットボール男子世界選手権は第3日目の1次リーグB組の試合で日本が78-61でパナマを下して初勝利を挙げた。この勝利で決勝トーナメント進出に望みをつないだ。第1クオーターに8点のリードを許したが、第2Qに出場したガードの桜井 良太(23・トヨタ自動車)が、第2Qだけで10点を奪い逆転した。後半もガードの折茂 武彦(36・トヨタ自動車)の3点シュートなどで逃げ切った。1次リーグでの日本の白星は1963年のペルー戦以来実に43年ぶりとなる。22日の休日をはさみ、 23日にはニュージーランドと対戦する。B組のスペイン、アンゴラ、A組のアルゼンチンはいずれも3連勝で決勝T進出を決めた。負ければ決勝トーナメント進出が絶望的な一戦。第1Qで日本は、重圧からかパナマに14-22とリードを許した。「3年前までは、日本で世界選手権があることも知らなかった」という桜井が、日本の悪い流れを断ち切った。 第2Qから投入された23歳の若武者は、「得点が止まった時に流れを変えるのが僕の役目」と、パナマゴールへと向かい続けた。第2Qの10分間で豪快なダンクを含め、 10得点を奪った。1998年8月のセネガル戦(順位決定戦)以来、8年ぶり。1次リーグに限れば、1963年以来、実に43年ぶりとなる世界選手権での白星を呼んだ。 「姉の分まで」という思いが桜井を奮い立たせた。小学4年時に、バスケを始めるきっかけを作った姉の桜井 もも子さん(27)は現在、女子W1リーグのトヨタ紡織の主将だが、日の丸は一度もつけたことがない。今大会前、「頑張るんだよ」と姉から電話で激励を受けた桜井は、大舞台で姉への恩返しを誓っていた。 他のメンバーもボールへの執念がこの日は違った。ゴール下にボールを集めてくるパナマに対し、組織的な守りで対抗。竹内公、網野、古田主将を中心に懸命にリバウンドを追った。「日本らしい守備ができて勝てた」と古田主将は胸を張った。 23日のニュージーランド戦に勝てば、初の決勝T進出が近づく。ジェリコ・パブリセビッチ監督 (55)は「全力を尽くし奇跡を起こす」と前を向く。若手とベテラン一丸となって、悲願の切符をつかみ取る事が出来るか楽しみになってきた。 「まさに(桜井が)ゲームの流れを変えた。彼はチームに自信を与え、他のプレイヤーはステップアップできた」とパナマのアシスタントコーチのエンリコ・グレナルドも話していた。そしてパブリセヴィッチ監督は、日本を今大会の初勝利に導くことができ、とても興奮していると語った。「我々はベスト16を目標にこの大会に臨んだ。それはまるで奇跡を起こすようなもので、非常に難しいことだとはわかっていた。しかし、自分たちを信じた。このチームは軌道に乗ってきたと信じている」とコメントした。この日本の初勝利を、サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督 (65)も祝福した。試合後にパブリセビッチ監督の元へオシム氏から「選手の皆さんにおめでとうと伝えてください」とお祝いの電話があったことを協会関係者が明かした。2人は90年代初期に、競技こそ違うがギリシャの同じクラブチームを率いて以来、親交があるという。
2006年08月22日
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早実(西東京)と駒大苫小牧(南北海道)が引き分けた20日の第88回全国高校野球選手権決勝戦の関東地区の視聴率(ビデオリサーチ調べ)が、中継したNHKとテレビ朝日系を合わせて、30%を超える高視聴率だったことが21日、分かった。NHKは平均29・1% (関西同16・0%)、試合終了間際に37・1%の瞬間最高視聴率を記録した。再試合の末初優勝した早実OBのテリー伊藤氏(56)は、優勝パレードの演出を名乗り出た。再試合の視聴率は22日発表される。 早実のニュースター斎藤 佑樹投手が、夏の甲子園の奪三振数に続き、視聴率でも怪物松坂を超えた。20日の決勝戦のNHKの平均視聴率は29・1%で1998年の横浜高校の松坂 大輔投手がノーヒットノーランで春夏連覇を決めた京都成章との決勝戦の27・9%を上回った。斎藤は20日の試合で大会奪三振数65個をマークして松坂の記録した奪三振54個を突破している。延長18回を引き分けた1969年の松山商-三沢の決勝戦は24・7%で、 斎藤は視聴率の上では、伝説の2大エースを上回った。 また、3月21日のワールド・ベースボール・クラシックの決勝、キューバ戦の平均視聴率は43・4%と、この数字には及ばなかったが、今季プロ野球中継が1試合も20%を超えず、最高でも15・9% (3月31日、巨人-横浜)だっただけに、球界には朗報となった。 延長15回でも決着しなかった激闘の視聴率は、回を追うごとに上昇した。1回の攻防を終えるころには20%を突破。8回表に駒苫が1点先制、8回裏に早実がすぐ同点に追いつくと、初めて30%を超えた。延長12回表を迎えた、午後3時52分に31・1%に達すると、その後は30%台を割らなかった。最高は、延長15回裏、早実が無得点に終わり、再試合が決まった瞬間の37・1% 。午後4時37分だった。 NHKと同時中継していたテレビ朝日も平均で4・6%を記録。再試合となった21日も両局が同時放送した。この日は民放の全ワイドショーが斎藤を特集するなど、露出度は上がっており、今後も注目されるだろう。
2006年08月22日
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女子バレーボール・ワールドグランプリ2006第3日(20日、東京有明コロシアム)日本は3連覇を狙う世界ランク2位の強豪ブラジルにストレートで敗れ、 通算2勝1敗となった。ブラジル戦の連敗は16に伸びたが、途中出場した中国からの帰化選手、小山 修加(こやま しゅうか・25・久光製薬)が第3セットだけでチーム最多タイの9得点を挙げる活躍をみせた。負けはしたが収穫をもたらした。日本は予選ラウンドA組2位となり、賞金2万5000ドル(約288万円)を獲得した。次週は25日から韓国ソウルでロシアなどと3戦する。 ブラジルの的確なデータとパワーに柳本ジャパンが崩壊した瞬間だった。大山のスパイクが止められ、 杉山の速攻も読まれた。ブロックは機能せず、強力なジャンプサーブにレシーブも大きく乱された。対ブラジル戦は5年間白星なしの16連敗となってしまった。そんな中で全日本初選出の小山が放った魂のスパイクがこれからの希望に繋がるスパイクだった。「ブラジルにスパイクを決めることができて、少し自信になりました」と小山はコメント。 第2セット終盤から出場。第3セットは大山 加奈 に代わってフル出場。走り高跳び選手として中国ジュニア女王になった驚異の跳躍力で、世界トップクラスの最高到達点3メートル15センチからスパイクを打ち下ろし、チーム最多タイの9得点を挙げ気を吐いた。 バレー歴わずか8年で全日本まで到達した。しかも一家で神戸市に移住して18歳で須磨ノ浦女高に入学してから始めた異例の遅咲きだ。所属する久光製薬でもまだレギュラーではないが、強豪ブラジルを脅かし、存在を充分アピールした。夢は母国の中国で開催される2008年北京五輪への出場だで、 柳本 晶一監督 (55)も「荒木、小山の成長は手応えを感じた。昨年と違ってブラジルを真剣にさせた」と、完敗の中に収穫を口にした。ブラジルとは9月3日の岡山大会(桃太郎アリーナ)で再戦する。 2週間後には自信をつけ進化した姿で挑めむ小山選手が観れるかもしれない。
2006年08月21日
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レアル・マドリー(スペイン)は現地時間20日、リーグ1(フランス)のリヨンに所属するマリ代表のMFマアマドゥ・ディアッラ(25)と5年契約を結ぶことで合意したと発表した。今後数日内にメディカルチェックを受け、問題がなければ正式契約を結ぶ予定だ。移籍金について両クラブは明らかにしていないが、ロイター通信によると、地元メディアは2600万ユーロ( 約38億7000万円 )と報じているとのことだ。 レアルのラモン・カルデロン会長はクラブの公式サイト上で、「ディアッラの獲得はカペッロ監督が望んだものだ。監督は、彼が必要不可欠だと判断した」とコメント。「カペッロは、彼がセントラルMFに強固なブロックを作る上でカギを握る選手になると考えている」と述べ、ディアッラを同じく新加入のブラジル代表のMFエメルソンとともに、レアルの弱点である中盤の底に配置する考えを明らかにした。 ラモン・カルデロン会長は先月に就任して以降、ディアッラを含め4人の選手を獲得しており、総計6000万ユーロ( 約89億4000万円 )を投じている。ディアッラの加入によって何人かの選手が放出される見通しで、ロイター通信は候補として、同じポジションのパブロ・ガルシアやトーマス・グラヴェセンらの名前を報じている。 また関係者によると、 レアルはインテルとミラン(ともにイタリア)から届いている、ブラジル代表のFWロナウドの獲得オファーに応じる方向で検討を進めているとのことだ。
2006年08月21日
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遅ればせながらの「開幕星」だった。飛躍を期待された右腕が、やっとつかんだ1勝目だった。「これを乗り越えたら、いいことあるかなと思ってがんばってました」と苦しんだ日々を思い、阪神の杉山 直久 は控えめに笑っていた。 6回3失点の勝利には、5四死球などの反省点を残したが、ゲームを壊さなかった。3回無死満塁の場面では、 ラミレスを併殺打に打ち取り、最少失点で切り抜けた。 「去年、神宮でノーアウト満塁で抑えてて、その気持ちを思い出した」と杉山。ちょうど1年前も、この神宮に白星を輝かせた。右腕にとって思い出深い夜だった。 2005年8月20日、 杉山は、ここで胸部に死球を受けた。打撲だったが、数センチのずれで、鎖骨を骨折していたという。思い浮かべたのは友の顔だった。昨年7月に、龍谷大のチームメートの中村 圭吾さん(享年24)を、白血病で亡くしていた。 「もしかしたら、守ってくれたのかもしれませんね」と軽傷で済み、そこから勝利を積み重ねて9勝を挙げた。日本シリーズの舞台も経験でき、多くの支えを感じた1年だった。その年のオフには、中村さんの両親にグラブを届けた。岡田監督は「いい投球も何回かあったけど、勝ち星ついてなかったから」と話す。開幕前にブルペンで「投げるところが分かりやすい」と指揮官から初めて指導を受けたが、思うように期待にはこたえられなかった。「これから、全部勝てるようにしたいです」とトンネルを抜け、これからの恩返しの日々が始まる。 昨年2005年は開幕から、先発ローテーションに入り9勝を挙げ優勝に貢献したが、今年は思うような投球が出来なく、 8月20日になっての今期初勝利だった。首位の中日とはゲーム差8 (8月20日現在)と苦しい状態だが、又1人戦力が加わりこれからの反撃に期待したい。
2006年08月21日
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中村 礼子(24=東京SC)が女子200メートル背泳ぎで、今季世界最高となる2分8秒86の日本新記録をマークし金メダルを獲得した。主要国際大会では初の優勝で、最終目標の2008年北京五輪での金メダル獲得に向けて弾みをつけた。中村が、カナダの地で記録と自信を手にした。日本人で初めて2分9秒の壁を破り、今季世界最高の日本新をたたき出した。さらに自身初の主要国際大会での金メダル奪取。「初めての金メダルはうれしい。8秒台も満足」と自画自賛した。 序盤から飛ばした。100メートルを1分2秒81の好タイムで折り返すと、後半も粘り強く泳ぎ切った。最後までペースが落ちなかった力強さは、大会前の米国の高地合宿で200メートルの練習を多く積んだ成果だった。 アテネ五輪、昨年の世界選手権とも同種目で銅メダルを獲得したが、達成感が成長に歯止めをかけていた。平井コーチも「昨年の世界選手権で3位になった後に目標を少し見失っていた」という。だが、4月の日本選手権で100、200メートルともライバルの伊藤に敗れたことで、完全に目が覚めたようだ。 アテネ五輪で出した自己ベストを1秒02も上回るタイムを出せたのは、同じベテランの活躍を力に変えられたからだ。25歳の中西が200メートルバタフライで日本記録を更新したのを見届け「すごく刺激になった」と振り返った。 アテネ五輪後、引退せず東京SCに入社。競技を続ける意味を平井コーチと話し合い、エゲルセギ(ハンガリー)が15年前に出した驚異の世界記録2分6秒62を超えることを目標に置いた。「目標は高く持たないと…」。この日の白星は、 北京五輪での金メダル獲得への第1歩にすぎないと思う。
2006年08月21日
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イングランド・プレミアリーグは現地時間19日に2006-2007シーズンが開幕した。 2006年W杯同国代表メンバーにサプライズ選出された17歳のFWテオ・ウォルコットが、アーセナルの一員としてトップデビューを果たした。 ホームで初戦を迎えたアーセナルだったが、アストンヴィラに先制点を許すなど苦しい展開を強いられた。終盤になっても点の入らない状況に、 ヴェンゲル監督は後半73分 、リュングベリに代えてウォルコットを投入し、状況打開を図った。ピッチに飛び出したウォルコットは、そのわずか10分後の83分 、左サイドからクロスを送りジウベウト・シウヴァの同点ゴールをお膳立てし、デビュー戦で強烈な印象を残した。 この日は勝ち点1を得るに留まったものの、采配がずばり当たったヴェンゲル監督 。ヴェンゲル監督はウォルコットについて「チームに欠けていたキレがあり、左サイドで相手を脅かす存在。ゴールにも絡んだが、全体的に非常によいプレーを見せた」とコメントした。英メディアの『BBC』に対して若き才能を称賛していた。 プレミア出場より先に、 A代表メンバー入りを勝ち取ったウォルコット選手。W杯では結局出場の機会がなく、現在はアーセナルとU-21代表で修行を積んでいる。
2006年08月20日
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ボクシングのWBA(本部ベネズエラ・マラカイ)は18日(日本時間19日)、最新の世界ランキングを発表し、今月2日にライトフライ級王座決定戦で亀田 興毅 (19・協栄)に判定で敗れた同級1位ファン・ランダエタ (27・ベネズエラ)を指名挑戦権を保持する1位に維持した。亀田は王座決定戦でベルトを獲得したため初防衛戦はランダエタとの指名試合が義務となった。日本中が注目する再戦へ動きが加速した。ランダエタが1位に留まった事で亀田との再戦へ動きが具体化する。 亀田は王座決定戦でベルトを奪取した。WBAの規定では決定戦で王座を獲得した新チャンピオンは、初防衛戦ではランキング1位の選手との指名試合が義務づけられている。亀田にとって指名試合での対戦相手はランダエタに決定したことになる。これはWBAが下した事実上の「再戦指令」と言える。 ランダエタは亀田戦での判定に対してWBA本部に提訴を行っていないため、WBAは亀田、ランダエタの両陣営に対して再戦指令は下せない。が、今回ランダエタを1位とすることで、亀田にランダエタとの再戦の義務を課したのだ。 現在、亀田陣営はマッチメーク権を持つ父・史郎さん(41)と協栄ジムとの間で次戦への方針について話し合いを続けている。亀田自身が48・9キロ以下のライトフライ級での戦いに不安を感じているため、王座返上も視野に入れていることは事実だが、はたしてどうなるのか? 一方で批判による逆風を封じるには、ランダエタを完璧に倒すしか方法はない、と亀田陣営が考えていることも確かだ。防衛戦を選択することが、ランダエタとの再戦となる。協栄ジムでは22日に金平 桂一郎会長 (40)が会見を行い、亀田の今後へ向けた方針を発表するという。日本中が期待する再戦。拒む理由は何もない筈だが?この会見次第で今後の亀田の運命が決まると言っても過言では無いと思う。この再戦が決まったら決まったで、 亀田はベルトを取るから守る立場になり、また今度はKO勝利しなければという、 2重のプレッシャーとも戦わなければならないので、早くも試練が立ちはだかる。
2006年08月20日
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中日の山本昌は、岩瀬 仁紀に託した試合終了を見届けると、深い息をついてベンチから立った。「すごい方たちと同じだけ勝てるとは思っていなかった。まあ僕の方が長くやってますからね」。打倒巨人の代名詞であり、かつての監督でもある星野 仙一氏に並ぶ巨人戦通算35勝目にも、控えめに笑っただけだった。 闘志を全面に出し球界の盟主に立ち向かった「燃える男」とはひと味違う、山本昌らしい投球だった。最大のピンチは3点リードの6回無死二、三塁の場面。 高橋由を二飛、 李は左飛に打ち取った。「けっこう真っすぐが行ってたから」という力のあるボールを有効に使い、2死までこぎつけた。そこには派手なアクションはなく、計算し尽くされた術が詰まっている。小久保には慎重に攻め、四球で満塁となった後、 阿部にはカウント2-0から外角ギリギリへのスライダーを投げ込んだ。バットの先に当てるのが精いっぱい。巧の技を駆使して浅い中飛に仕留めた。 「力でいくピッチャーじゃない。(相手に)打ってもらってなんぼなんだ。最後はいっぱい、いっぱいだったから石橋をたたかないとな」と落合監督はコメント。41歳以上の完封記録がかかっていたが、8回を6安打無失点で投げきった左腕は任務完了で今季7勝目を挙げた。 通算187勝目は、チームを巨人戦11連勝 、優勝マジック33に導いた。 今月11日に41歳の誕生日を迎えた山本昌。チームメートが「プロに入ってずっと球速が変わらない投手も珍しい」と冷やかす。この日の勝利で対巨人35勝目、ドラゴンズを支えた星野 仙一元監督(現阪神SD)や江夏 豊氏(現解説者)という偉大な先輩に肩を並べた。「すごい方たちと同じだけ勝てるとは思っていなかった。でもまあ長くやってますから」と、プロ23年生は照れ笑いを浮かべていた。山本昌の投球スタイルは40代になった今でも不変だ。 130キロ後半の直球、スクリュー、スライダーをコーナーへちりばめ、40代となったこれからも突っ走るだろう。
2006年08月20日
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W杯ドイツ大会優勝後にイタリア代表引退を口にしたローマMFフランチェスコ・トッティ(29)が代表続行を決意した。ドナドーニ新監督から直接電話をもらい「快く受け入れたい」と翻意。近日中に同監督と会い、今後について話し合う予定だという。 双方の利害が一致しての代表続行だった。新生イタリア代表は2軍ながら、16日の初陣でクロアチアに0-2と完敗。ドナドーニ監督は9月2日の欧州選手権予選リトアニア戦へ、戦力の不安を訴えていた。一方のトッティも左足首骨折から復帰したW杯ドイツ大会では「力を十分に出せなかった」と不完全燃焼に終わった。優勝後に「素晴らしい勝利を手にしてやめるのはつらいが、もう決めた」と言ったが、未練はあった。「フィジカル的に調子が良くなったら出られる」と条件を付けたが、気持ちは決まったようだ。フランチェスコ・トッティは、1992年シーズンにわずか16歳でローマのトップチームでデビューした。1995年にはレギュラーを確保し、甘いマスクで、生粋のローマ育ちのロマニスタであることから、ファンからは「ローマの王子様(イル・プリンチペ)」と呼ばれ特別な存在となっている。20歳代前半にしてキャプテンとなりチームを牽引。当初はFWだったが司令塔にコンバートされてから才能が開花し、シュートを積極的に打つなど得点意識が非常に高い一方で、柔らかいタッチのパスを出せるようになり、万能型の世界的な選手へと成長した。セカンドトップもこなす事ができるが、現在の所は司令塔での起用が多くそれに見合った活躍を披露している。クラブではもちろんのこと、 イタリア代表でも背番号10番を背負い中心的な選手だった。そしてこのナンバー10に強いこだわりをもっており、2002年ワールドカップではデル・ピエロに掛け合って背番号を譲ってもらうなどプライドが高い。イタリア代表でも高いパフォーマンスを発揮する一方で、チームが際立った結果を残せないため、ロベルト・バッジョを始めとするイタリア歴代の英雄と比べて並び称されないもどかしさも持っている。2002年ワールドカップの韓国戦ではシミュレーションをとられ退場( 後にFIFAが誤審を認める)。EURO2004では、予選リーグ、デンマーク戦で相手選手の顔面に唾を吐いたシーンが映像に残ったため3試合出場停止処分を受け、イタリアの予選グループ敗退の原因を作った。(1勝2敗で3位。)
2006年08月20日
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夏の甲子園が、プロ野球をテレビ視聴率で圧倒していることが18日、 ビデオリサーチ関東地区の調べで分かった。NHKが放送する第88回全国高校野球選手権は、 6日の開幕から17日までの12日間のうち5日間計9試合で2ケタの視聴率をマークした。6月11日の楽天戦を最後に、ナイターにもかかわらず10%の壁を超えられない巨人戦に大差をつける結果となった。 逆転に次ぐ逆転で盛り上がる試合展開が関心を呼んでいる。 3連覇を狙う駒大苫小牧が6点差を逆転した15日午前放送の青森山田戦が、今大会最高の13・4%を記録したのをはじめ、9回に両校合計13点が入った17日の準々決勝、智弁和歌山-帝京は9・7%と高い数字を残した。 だが、関東でNO・1の高視聴率校は、18日に26年ぶりに準決勝進出を決めた早稲田実だ。6日昼の鶴崎工戦11・6% 、12日夕の大阪桐蔭戦13・4% 、16日朝の福井商12・7%と、準々決勝進出までの3試合すべてが2ケタ視聴率だった。名門の快進撃もあるが、甘いマスクの斎藤 佑樹投手(3年)のスター性が若い女性にも話題になっている。大先輩荒木 大輔(西武コーチ)の人気をほうふつさせる「佑ちゃんフィーバー」が、茶の間のオールドファンにも共感を呼んでいる。 「大ちゃんフィーバー」「KK」など、高校野球人気の絶頂だった当時の数字と開きはあるが、激戦とスターが誕生すれば、野球への関心はまだ高いことを視聴率が物語っていると言える。今年の高校野球は逆転に次ぐ逆転で面白い。やはりトーナメント制の一発勝負なので、高校生の一球一球に賭ける思いが画面からでも伝わってくる。いよいよ熱戦を繰り広げた高校野球も今日20日の決勝戦で終わるが、3連覇を狙う駒大苫小牧 ×夏初優勝を狙う早稲田実の争いになるが、最後まで目が離せない試合を期待したい。
2006年08月20日
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日本初開催となるバスケットボールの男子世界選手権が19日、開幕した。札幌、仙台、浜松(静岡)、広島で1次リーグがスタートし、ホスト国として2大会ぶり出場の日本は、広島グリーンアリーナのB組で世界ランキング13位のドイツと対戦して70―81で敗れた。 日本は第1クオーターで20―34と引き離されたのが響いたが、その後は接戦を演じ、第2クオーター以降は、ほぼ互角の戦いに。司令塔の五十嵐 (日立)が13得点を挙げるなど善戦を見せた。 試合には負けたが、得点差はわずか11点と粘り強い守備と速攻という持ち味を存分に発揮した日本代表が、 「ドイツ圧勝」の前評判を覆して見せる結果となった。 第1クオーターこそ、NBAのスーパースター、ノビツキーに12得点されるなど、 34点を奪われた。しかし第2クオーター以降は厳しいマークで相手にプレッシャーかけ続け、シュートミスを引き出すなど徐々にペースをつかんだ。 迎えた第3クオーターでは、一時はこの試合最大の19点差をつけられたが、ここで竹内 公輔がゴール下に切り込んで決め、流れを引き寄せる。さらに五十嵐 圭、網野 友雄の速攻、折茂 武彦の3ポイントなどが次々に飛び出した。第3クオーター残り34秒。「一瞬、前が空いた」とドイツのゴール下に隙ができたのを竹内公は見逃さず、中央から豪快にダンクを決め、 8点差にまで詰め寄った。 第2、3クオーターだけを見れば、日本が得点で上回り、流れは日本に傾いてきた。平均身長で5センチ余り劣り、リバウンドで19本差をつけられるなど、「高さ」でゴール下を制されたが、速い展開と外角シュートでほぼ互角に渡り合った。 「日本がドイツにここまで迫るなんて、誰もが不可能と思っただろう。私も結果には驚いている」とパブリセビッチ監督 。指揮官にとっても予想以上の展開だった。 4年がかりで作り上げてきた“ジェリコ・ジャパン”のすべてを出しきる覚悟で広島に乗り込んできた。「自分たちも世界に通用することがわかった」とガードの柏木 。蓄えてきた力を発揮した初戦で、自信という大きな武器を手にした。残念ながら黒星スタートとなったが、日本代表にとっては上々の滑り出しと言って良いと思う。予選グループの試合は残り4試合となり、世界ランキング5位の強豪スペイン戦も控えているが、最後まで諦めずに頑張って欲しいと思う。
2006年08月19日
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日本初開催のバスケットボールの第15回男子世界選手権が19日、全国4都市で開幕する。優勝候補の最有力、米国代表は18日、会場の北海道立総合体育センターで最終調整を行った。6年前のシドニー五輪を最後に世界一がない米国はNBAのスーパースター、ドウェイン・ウェード (ヒート)、 レブロン・ジェームス (キャバリアーズ)ら平均年齢24.5歳の若い“ドリームチーム”で世界一奪還を狙う。チーム全員をNBA選手で固めた米国はこの日、前日に続いて約1時間の公式練習を消化した。3点シュートを中心とした軽めの調整で、NBAファイナルの最優秀選手に選ばれたウェード、ジェームスはリラックスした表情。不安は見当たらない練習だった。 今大会、米国代表は3大会ぶりの金メダル獲得に照準を絞っている。この最大のミッションをクリアするため、 シュシェフスキ監督はジェームス、アンソニー、ウェードの「JAW」を主将に任命した。「彼らはスター選手としてではなく、チームの一員としてきてくれた」。若い3人はNBAでの経験こそ浅いものの、ひたむきに練習する姿勢を高く評価したからだ。 1992年のバルセロナ五輪で「ドリームチーム」が初結成されてから、屈指の若いチームとなった。35歳のブルース・ボーウェン(スパーズ)が最後にチームから外れ、平均年齢は24.5歳まで下がった。同監督は「これまでの練習や試合を通して、(ボーウェンが)するべきだった仕事を他の選手で補えると感じた」。小さな約束事も正確に黙々とこなす。NBAのトップ選手も、世界一奪回のため個人よりも一体感を求められている。 ジョーダン、ジョンソン、バードを擁した「ドリームI」をはじめ、圧倒的な個人技で相手を圧倒したかつての面影はないが、ジェームスは「このチームは、これまでの米国代表とは違う」と胸を張る。年俸合計は7749万ドル(約90億6633万円 )と本家の威信を取り戻すには、十分な男達がそろった米国代表となるか?は約3週間後の9月3日(日)の決勝戦に決まる。
2006年08月19日
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C大阪に移籍した元日本代表の名波 浩(33)が19日のホーム横浜戦でいきなり先発デビューすることが濃厚になった。18日に大阪市内で行われた最終調整で主力組のボランチに入った。 まだ合流4日目。それでも自慢の左足からパスを繰り出す標的は、 日本代表で何度もともに戦ってきた西沢と森島寛だから、タイミングは染み付いている。「前の選手が楽しくサッカーができるようにするのが僕の仕事。磐田時代にはこんなに(記者に)囲まれたことがなかったので、周りの期待はすごく強く感じています」とコメント。 開幕から低迷を続け、チーム状態はどん底の状態のC大阪。17節を終え得点はリーグワースト2位の15ゴールと去年2005年の48得点を挙げたチームとは思えない。西澤 明訓、森島 寛晃、大久保 嘉人ら得点力のある選手を揃えながら、 司令塔不在でなんと3月25日の新潟戦から約5カ月も白星から見放されている。残留圏の15位広島とは勝ち点10差と瀕死(ひんし)状態のチームの最後の切り札として名波にかかる期待は大きい。 「得点機をたくさん生ませたいね。僕には(磐田の)青のイメージしかないと思うので、ピンク色を定着させる。下を向かないサッカーをする」と家族を静岡に残して単身ホテル暮らしの日々。磐田の顔だった名波が、J1残留への命綱となって苦境のC大阪を救えるか? 名波選手のその左足から繰り出す正確なパスは、今年で34歳になるが相変わらず健在だ。ゲームメーカーとしてC大阪でも期待されるが、 2001年に膝に負った怪我の影響で、連戦に耐えられない体が少し心配だが、 残り17試合となった残留争いから抜け出せるかは?名波だけでは無く、DFブルーノ クアドロス、GK吉田 宗弘の2人の活躍も欠かせないト思う。
2006年08月19日
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全国高校野球選手権は、昨日17日に準々決勝2試合が行なわれた。 大会新記録となる1試合7本塁打が飛び出す空中戦となった第2試合の智弁和歌山(和歌山)×帝京(東東京)の試合は、9回の攻防で死闘が演じられた。4-8で迎えた9回表に帝京が大量8点を奪って逆転し12-8とし勝負あったか?に見えたがその裏、智弁和歌山も驚異の粘りで5点を奪い逆転サヨナラ勝ちした。(結果は13-12だった。) 半ば、ぼうぜんの表情だった。勝利の瞬間、前日に春夏甲子園で、現役監督最高の通算50勝を達成したばかりの名将、智弁和歌山の高嶋 仁監督 (60)がつぶやいた。「何か、すごい試合をやってしまった」と。両校合わせて29安打25点そして1試合でチーム5本塁打 、 両チーム計7本塁打の大会新記録となった打撃戦は、最後で大きく揺れ動いた。 8回裏終了時点で8-4と智弁和歌山リード。三塁側の帝京アルプス席では帰り支度を始める人もいた。だが、波乱のドラマは9回の攻防に潜んでいた。☆【9回表・帝京】4点を追う9回2死。一、二塁ながら絶体絶命の状況から、帝京が怒とうの6連打で一挙8得点を奪った。5連打目となる8番杉谷 拳士 (1年)の逆転左前2点適時打で9-8とし、さらにこの回、代打で登場し2度目の打席となった9番沼田 隼(3年)のダメ押し3ランで突き放した。「あれで試合が決まったと思った」と沼田は確信したという。 だが、ドラマは終わらなかった。一転、4点を追う立場に変わった智弁和歌山はあきらめない。帝京が、3番手登板のエース大田 阿斗里 (2年)に代打・沼田を送ったため、経験ある投手がいなくなった。9回裏に登板した3人は全員がこの夏初の公式戦マウンドとなった。試合巧者の智弁和歌山は、そのスキを見逃さなかった。 ☆【9回裏・智弁和歌山】2四球で無死一、二塁とし、4番橋本 良平(3年)が左中間への3ランを放ち1点差に迫った。息もつかせぬ展開に、場内は1球ごとに歓声と悲鳴が交錯した。さらに連続四死球で1死一、二塁から、代打の青石 裕斗 (3年)の中前適時打で同点した。なおも満塁で、 古宮 克人(3年)がサヨナラの押し出し四球を選びこの長い激戦は終了した。試合後この壮絶なドラマに、球場内は拍手が鳴りやまなかった。 甲子園通算51勝となった高嶋監督と、同40勝の帝京の前田 三夫監督 (57)。百戦錬磨の両監督が見せた土壇場でも動じない采配も、球史に残る一戦を演出した。 高嶋監督は最後まで動かないスタイルを貫いた。1点を追う9回裏無死一、二塁の場面。バントもあり得る場面だったが、当たっている7番馬場 一平 (3年)を強攻させた。結果は左飛となり1アウト一、二塁となってしまう。エンドランや盗塁で揺さぶることもなかった。続く代打の青石にも「自分のバッティングをしろ」と送り出した。結果は同点適時打。最後まで選手の力を信じ動かなかった。「8点取られてあきらめていました。『勝ちたかったらランナーためろ』と言ったが、まさか現実になるとは。選手たちの『負けない』という気持ちが勝たせたのでしょう」と感無量の表情だった。一方の前田監督は最初から動いた。先発に、今大会初登板の1年生の高島 祥平を起用する奇策に出たが、結果は2回途中で3失点。「継投で後半勝負と思っていた。チームを引き締める狙いもあった」とコメントしていた。9回裏はかく乱作戦に出た。1点差に迫られた無死一塁から、杉谷をワンポイントで投入し、初球、死球で出塁を許すと、すぐ岡野 裕也 (3年)をマウンドへ。何とか相手打線を断ち切ろう、ともがいた。前田監督は「あと1人投手がいれば。でも結果論ですし仕方ない。内容は勝っていたけど、詰めが甘かった。高島さんの優勝を狙ったチームと互角に戦って悔いはないです。私も高嶋さんを追いかけます」とサバサバと答えた。高嶋監督は「こんな勝ち方は初めて」と繰り返した。例年以上に熱い甲子園は残り5試合となった。劇的な逆転劇が多い今大会。ただならぬクライマックスの予感がありそうだ。
2006年08月18日
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女子テニスで日本のエースの杉山 愛(31・ワコール)が、世界ツアーでシングルスに続きダブルスの勝ち星でも日本No1に躍り出た。ロジャース杯は17日、カナダ・モントリオールで3日目が行われ、杉山はシングルスで3回戦進出を決めた後、ドシー(27)と組んだダブルスで初戦を突破した。 通算453勝目を挙げ、宮城 ナナを抜いて日本の単独トップに立った。 杉山は2000年10月に、日本選手初のダブルス世界1位に輝いた。4大大会3度の優勝を含むツアー通算ダブルス優勝33回は、日本選手最多だ。国際公式戦デビューは宮城より3年遅い1991年だった。16年かけて追い付き、そして抜き去った。 今年7月に31歳となった。 浅越 しのぶ、小畑 沙織、吉田 友佳と引退が相次ぐ日本女子テニス界の中で、不屈の闘志で日本テニス界を引っ張る存在となった。28日に開幕する全米オープンでは、 4大大会連続出場が50回となり、世界歴代最長記録を更新する。 杉山の歩みは 、まだまだ止まらなそうだ。 杉山 愛は、神奈川県立湘南高等学校(通信制)を卒業し、1992年10月にプロ転向した。ジュニア時代には、日本人選手として初のジュニア世界ランキング1位を記録していて将来が期待されていた。プロ転向から2年後の1994年のジャパン・オープンでダブルス初優勝を果たし、 3年後の1997年には同大会でシングルス初優勝した。2003年11月の年間獲得ポイント世界上位8人による「ツアー選手権」では、同年度世界ランク1位のジュスティーヌ・エナン・アーデンを撃破し、自己最高のシングルス世界ランク10位になる。2004年2月には世界ランキング8位となり、日本人の世界トップ10入りは伊達 公子(自己最高ランキングは1995年の4位)以来の2人目となった。杉山はダブルスの名手としてよく知られ、1999年の全米オープン混合ダブルスではインドのマヘシュ・ブパシとペアを組んで優勝した。以後4大大会女子ダブルスでの成績は、 全仏オープン:優勝(2003年)、ウィンブルドン:優勝(2003年)、準優勝(2000年、2001年、2004年) 、 全米オープン:優勝(2000年) と、2000年と2003年ではダブルス世界ランク1位を記録した。シングルスとダブルスの同時トップ10入りは日本人初であるとともに、世界でも限られたトップレベルのオールラウンド・プレーヤーであることを意味する。2000年の全米オープン女子ダブルスで優勝した時のパートナーは、フランスのジュリー・アラール・デキュジスであった。しかしアラール・デキュジスが直後に現役を引退したため、 杉山は長い間パートナー探しに苦労を重ねた。その後ベルギーのキム・クライシュテルスと名コンビぶりを発揮し、 2003年の全仏&ウィンブルドンのダブルスで4大大会2連勝を達成する。しかし、クライシュテルスがシングルスに専念するため、2003年のツアーファイナルを最後に一旦ペアを解消する。杉山は再びパートナー探しに悩み、2004年は南アフリカのリーゼル・フーバーと組んだ。その後、急遽ロシアのエレナ・デメンティエワをパートナーに指名したが、このコンビは臨時の組み合わせであったため、現在はスロバキアのダニエラ・ハンチュコワと組んでいる。
2006年08月18日
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19日開幕の大相撲台湾巡業を前に17日、関取一行が台北市内に到着した。2団に分かれて台北入りした一行が宿泊先のホテルに入ると、大勢のファンが写真を撮ったり、握手を求めたりする場面が見られ、 大相撲への関心の高さが見て取れた。 関取42人が到着した台北市内のホテルにはテレビ局10社が詰め掛け、力士はロビーに出るたびにテレビカメラと女子アナたちに囲まれて質問攻めにあった。さっそくマッサージに出かけた朝青龍は、会見で「熱い応援がうれしい。台湾は初めてだから楽しみ」と目を細めた。 会場は1万人収容の台北ドームで、 前売り券は2日間とも売り切れ寸前だという。価格は日本円に換算して3000円~1万8000円という値段だ。物価が日本の半分といわれる台湾では高価だけに、 人気の高さがうかがえる。現地では衛星放送で大相撲が生中継されており、人々の関心も高いようだ。関係者は「2階に観客席を増設する案があったが、警備の都合で断念した」と、うれしい悲鳴を上げていた。海外での巡業は1993年サンノゼ、ハワイ以来13年ぶりになる。そして夜の歓迎パーティー会場には、全幕内力士が錦絵風に描かれた巨大ボードが掲げられ、大島巡業部長(元大関・旭国)をはじめ、横綱朝青龍と白鵬ら5大関が壇上へ。大島巡業部長が「巡業をきっかけに台湾との更なる友好関係を深めたい」。 朝青龍は「台湾には初めて訪れたが、空港やホテルで厚い声援を受けうれしかった」と感想を述べた後、大相撲を表現した「台湾第一撲」と象られた氷を木槌(きづち)で割る儀式で、会場は盛り上がった。 台湾巡業は1936年以来70年ぶりの興行となる。 18日には横綱、大関が陳水扁総統を表敬訪問し、力士は故宮博物館など市内を見学する予定だ。巡業は19、20日の両日、 台北ドームでトーナメント戦を行う。
2006年08月18日
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現地時間16日、各地で国際親善試合が行なわれ、ドゥンガ新監督のもとでの初戦を迎えたブラジルは、ノルウェーに先行を許したもののダニエウ・カルヴァリョ(CSKAモスクワ・ロシア)のゴールで追い付き、 1対1の引き分けに終わった。 ドゥンガ監督の就任初戦の相手は、過去1分け2敗と相性のあまりよくないノルウェー代表。メンバーもW杯で活躍したロナウド、ロナウジーニョ、カカらを外した若手中心の布陣で臨んだためか、試合はノルウェーの健闘が目立つ展開となった。 51分、 モルテン・ペデルセン(ブラックバーン・イングランド)のFKがブラジルDFに当たってゴールへと飛び込み、ノルウェーが先制した。そこからブラジルも猛反撃を開始し、こぼれ球から放ったダニエウ・カルヴァリョの力強い低空弾がネットを揺らし、同点とした。その後も攻め続けたブラジルだが、GKトーマス・ミューレ(チャールトン・イングランド)を中心とするノルウェーの堅守に阻まれ、あと一歩が決まらない。結局、試合はこのまま1対1でタイムアップ。 ドゥンガ監督の初戦はドローに終わった。 なお、ヒザの故障で長く戦列を離れていたノルウェーFWオレ・グンナー・スールシャール(マンチェスター・ユナイテッド・イングランド)が、この試合で約2年3カ月ぶりの代表出場を果たしている。ブラジルのドゥンガ監督は、「我々にとって、いい試合だったと思う。確かに前半はよくなかったが、後半は改善できた。技術を活かしてチャンスを作れたし、我々の精神的な強さを見せられた」とドローに終わった就任初戦を振り返った。一方のノルウェーのハレイデ監督は「大物相手に何かをしてやろうという気持ちだった。GKもいい仕事をしてくれた」と、サッカー王国相手の健闘を称えていた。
2006年08月17日
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現地時間16日(現地時間)、各地で国際親善試合が行なわれ、 2006年W杯準優勝のフランスはボスニア・ヘルツェゴビナと対戦した。ジダン引退後の初戦を、苦しみながらも終了間際のファベールのゴールで2対1と勝利で飾った。 先制したのはボスニアだった。前半16分、昨季までハンブルガーSV(ドイツ)で高原 直泰のチームメイトだった主将のバルバレスが決めて先制に成功する。一方、引退したジダンからキャプテンマークを受け継いだパトリック・ヴィエラや、ティエリ・アンリ、フランク・リベリーなどW杯出場メンバーも多く揃ったフランスもすぐに反撃。前半終了間際にサニョルのFKをアンリがつなぎ、最後はガラがネットを揺らして1対1の同点で前半を終える。 後半に入ると互いにゴールを奪えないまま時間が過ぎ、このまま引き分けかと思われたが、迎えたロスタイムにフランスに逆転弾が生まれた。この日、途中出場で代表初キャップを飾っていたMFファベールが、アンリのパスから価千金のゴールを挙げて、チームに勝利をもたらした。勝ったフランスのドメネク監督は「べテランたちのプレーには満足している。ティエリ・アンリ、パトリック・ヴィエラ、ウィリー・サニョルらは、W杯のときと同じレベルのプレーを披露してくれたし、そのことが若手たちにも特別なモチベーションを与えていた」とコメント。辛勝にも、 9月2日に迎えるEURO2008予選初戦の因縁のイタリア戦に向けて、手応えをつかんだようだった。
2006年08月17日
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