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3日付一面、社会面に 韓国目指したが変更「よくこんな小船で」との記事。脱北者が、ついに日本に直接来た。中朝国境が閉鎖され、韓国もまた厳戒態勢とあれば、海路日本を目指すのは自明である。 かねて半島有事の際には、難民が直接日本を目指す可能性が指摘されていた。今回の「ジャパンルート」が成功するようならば、継続的に大量の難民が日本に来る可能性は否定できない。その脱北者を保護し、迅速円滑に韓国に引き渡すためには、韓国政府とのすり合せが急務だ。だがそれ以前に必要なのは、日本自身の決断である。武装難民発生も否定できない。これらボートピープルを人道的見地から大量に受け容れる覚悟があるかどうかだ。北の体制崩壊はそう遠い未来ではない。「人道」に背を向けて、水際で完全に阻止するか、リスクを覚悟で受け容れるか。決断と準備の時間は残されていない。
2007.06.22
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大臣に歌手と、二人も続けて有名人が自殺したものですから、死者に鞭打たぬように注意して書いてみました。しかし、愛媛にも松山にも関係ないのに、よくこんな投書を掲載しましたねー愛媛新聞 6月5日掲載釈尊は、苦しみの「この世」を泥沼に例えて、「その中から、あの蓮の花のように美しい花を咲かせよ」、と教えになっている。人生の苦しみには様々ある。「四苦」のように、万人に逃れ難い苦しみもあれば、自らの不明で種をまき、刈り取らざるを得ない苦しみもあろう。ただ、人それぞれに異なるのは、その苦しみを味わってからの違いだ。不幸にして自殺にまで到る方もいれば、苦しみの泥沼の中から、花を咲かす方もいる。その花には大小があろう。容姿も異なろう。だが、小さくとも、自分なりの花を咲かすことができた者には、人生の勝利者としての栄冠が与えられる。見事に人生の復活をなす者にたいしては、その不屈の精神に賛辞が与えられる。だがたとえ、その人生が悲劇に終わったとしても、困難な環境下、見事に生き切りさえすれば、それもまた人生の大輪の花を咲かせたことになるのだ。人生は正に「四苦八苦」だ。だが、同じ苦しみを与えられたとしても、自殺などしてはならない。花を咲かすか否かの選択は、各人に委ねられているのだ。
2007.06.13
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この映画に抱く違和感は、一語で記すなら「免罪符」であろうか。特攻の英霊たちに感謝と哀悼をささげ、その(たぶんまだ迷える)魂たちに回向して救済することは、当然のこと大事であり、重大な意味を含むものである。その意味において、この映画が忘れられた彼らの存在を思い出させることに、この映画に大いなる意義を見出すことができることは間違いない。ただ問題なのは、同時にこの映画が、「特攻を命じた側」への免罪符としての表現に満ち満ちていることだろう。しかもそれが素人には分かりずらいように、巧妙に誘導されていることに、違和感というよりは憤りを感じるほどなのである。それが特に象徴的なのは、特攻の最初と最後に出てくる、大西瀧次郎中将の描写である。大西中将は、たしかに「特攻の父」とも称せられている。直接には彼が命じて特攻は始まり、彼の自決でその幕は降ろされた形になっている。(その部分にウソがあることは、次回に詳説したい)特攻を全体的に見れば、たしかにそう言えないこともない。だが、この映画は陸軍を描いているのだ。それなのに、不自然きわまりなくも、海軍の将官を意図的に取り上げているのだ。そこには、ある種の政治的意図、あるいは、巧妙な誘導の痕跡を見出すことが可能なのだ。直接に知覧の彼らを指揮していたのは、第五航空軍であり、その軍司令官は、陸軍中将 菅原道大であった。その五航軍の下には、飛行師団があり、その下部に飛行団がある。あの映画で出てきた責任者は、その飛行団の長だ。飛行団には部員はいるが参謀はいない。だから映画で出てきた参謀たちは、飛行師団か航空軍の参謀なのは間違いない。陸軍の特攻のメッカとも言うべき知覧には、菅原中将も頻繁に激励に訪れているはずだが、参謀連中も軍司令官をも描写しないのは、あまりにも片手落ちだ。なぜ彼らを描写しないか。それは、彼らがまったく責任を取らなかったからだろう。参謀も軍司令官も、戦後ことごとく生き残っているはずだ。(多少の例外はあるだろうが、その際にはお詫びする)とにかく、「お前たちだけを殺すのではない」「私も最後に続くのだ」といい続けて、若者を死地に送り出し、大人たちは終戦で逃げたわけだ。海軍をほめるわけではないが、終戦で中将が二人責任を取った。一人は冒頭の大西中将で、この人は開始の責任者だ。彼は約束を守った。「最後にオレも行く」と。もう一人は、第五航空艦隊の司令長官で、沖縄特攻の海軍側の責任者だ。彼は、終戦後に特攻隊を編成して、文字通り最後に突っ込んだ。「我もまた諸子に続くのだ」なんて美辞麗句など吐かず、見事に責任だけを果たしたのだ。(指揮官の中津留大尉以下、部下を巻き添えにした罪は指摘されるが)逃げた陸軍の「大人たち」に触れずに、責任を取った大西中将だけ取り上げるのは、非道な特攻作戦に免罪符を与える意図以外に何の理由があろうか。5航艦の宇垣長官を取り上げるわけには行かないのは自明だ。海軍側の指揮官を描いたら、逃げた陸軍の責任者も描かざるを得ないからだろう。その他、大西中将の口から、「有色人種開放の聖戦」みたいな美辞麗句を吐かせていた。これもわざとらしく、不自然だ。海軍は艦隊を動かす油がなくなったから、南方の油田を確保するために戦端を開いたのが現実だろう。(異論はあるかもしれないが)有色人種開放なんて、後付の正当化の側面も大きいはずだ。日光の男体山は、見る角度によってまったく異なるシルエットを持つ。どの角度から見ても、男体山であることに間違いはないのだが、意図的に「ある角度」からだけ見させれば、本当の男体山の姿からは距離のあるイメージを抱かせることが可能だ。この映画に私は、その「ある角度」を感じる。太平洋戦争に対する免責。非道な特攻作戦に対する免責。いやさらに、特攻作戦立案・実施者の免罪符。それが、事実関係を知らない人に見せて、「ミスリード」させることを企図しているのが分かるのだ。可憐で、雄雄しかった彼ら特攻隊員を追憶することは大切だ。だが、歴史と事実を改ざんすることは許しがたい。とにかく、やらせるだけやらせて逃げた高級将校たちに免罪符だけは与えたくない。この免罪符映画を作った意図を、製作者はつまびらかに説明してはもらえないだろうか。
2007.06.09
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「進行形のいじめ 看過せず解決を」山口県下関市の中学校で、2005年に当時中学三年の女子生徒が いじめを苦に自殺した問題について、山口地方法務局が、人権侵害事件と認定した。多くの教員がいじめを知りながらも、適切な対応を取らなかったと断定したという。学校内のいじめがうやむやに対処されることが多い中、この認定は、学校再生へ向けた第一歩になると評価したい。ただ一方で、認定が遅きに失したことが、残念でならない。もし、女子生徒が自殺するに到らなかったら、果たしていじめ問題に真正面から対処してくれた人はいただろうか。現在もいじめは、どこかで起こっているだろう。死に至らなくても、いじめが人権侵害であることに間違いはない。今行われているいじめを看過しているとしたら、問題ではないだろうか。大切なことは、自殺という悲劇になる前に、いじめを見つけ解決をはかることだ。人権侵害である「いじめ」は、れっきとした犯罪である。必要なのは事後の認定ではなく、いじめを食い止め、根絶するための対策に、もっと力を入れてほしい。
2007.06.05
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家内や友人を誘って、映画を見てきました。陸軍の特攻隊の映画です。期待していたんです。ネットで予告編見たりして、「こりゃ、なかなかの映画かもしれない」、とです。少し前に公開された人間魚雷の映画なんか、「入場料と時間を返せ!」と、言いたくなる内容でしたが。この映画は、予告編を見る限り、ていねいに、あるがままの姿を映像化しているようなそんな期待を抱くことができました。だからこそ、前売り券まで手配して、みんな引き連れて映画館に行ったんです。この映画、まあ、評価するべき点も多いです。特攻作戦が、どれほど非道で過酷だったかが、しみじみと分かります。それに、平和の尊さも物凄く実感できるでしょうね。「ああ、平和な時代に生まれて来れて、よかった!」という、率直な感想をです。以前、メルマガの編集後記に書いたことがあるかもしれませんが、知覧から飛び立った陸軍の特攻機は、最後に、「開聞岳」の上空を越えて、沖縄へと向かいます。実は、このふもとに知人が住んでまして、この方、多少、「見える」ようなんです。彼女の言によれば、「まだ、開聞岳の上を、特攻機は飛んでますよ」とのことです。映画を見て実感しました。「これじゃ、成仏できてないなあ」「たしかに開聞岳を越えて、特攻出撃をくりかえしているかもなあ」これほどかわいそうな彼らのことを、今の日本では誰も知りません。こうして、映画のかたちででも、思い出してあげることは、彼らへの、いい供養になることは、確かに間違いありません。これが、この映画の評価すべき点です。「確かに、供養になる」という点です。「うーん、しかしこれはなあ・・・」という部分は、次回とさせていただきます。
2007.06.01
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